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後編
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なにをしていても、伯爵の言葉が頭に浮かぶ。
ゼビロスから帰って5日以上が経っても、忘れられずにいた。
婚約者。
貴族の令嬢で、美しい人だったらしい。
伯爵は「なんとも」思っていなかったような感じだったが、気にならないとは言えずにいる。
ファニーだって「婚約者」だが、口実だけのものだ。
伯爵に特別な想いを寄せられているとは思っていない。
だからこそ、気になっていた。
本当に「なんとも」思っていなかったとは考えられずにいる。
『何もかもが嫌になったからです』
伯爵は、そう言った。
なんとも思っていないのならば、そこまでの気持ちになるだろうか。
そのせいで、伯爵は2百年もの眠りにつくことになったのだ。
深い感情が伴っていたのではないかと思わずにはいられない。
初代皇后ルルーナ・モディリヤ。
名は知っていたし、初代皇帝の隣に立つ姿絵で見たことはあった。
伯爵の婚約者だった頃も美しかったようだが、描かれていた姿絵でも美しかった気がする。
商人の持っていたものを見せてもらっただけなので、記憶は曖昧だが、綺麗な人だなと思ったのは覚えていた。
(なんで伯爵様と婚姻しなかったんだろ……伯爵様が眠っちゃったから?)
訊きたかったのだが、訊けなかったのだ。
なにもかもが嫌になるほどのことがあったのは間違いないだろう。
伯爵にとって良い記憶ではないのは、聞かなくてもわかる。
それを、あえて掘り返すのが躊躇われた。
(伯爵様は、しばらく病に臥せってたんだよね。それから姿を見せなくなったって)
ファニーの家系の最初の家長エルマーと次の代のミックまでは、伯爵の看病を続けていたと、父からは聞いている。
だが、その後、当時の執事から「伯爵様は眠りにつかれた」と言われ、誰も城に入れなくなったのだそうだ。
それでも、ファニーの一族だけは、その執事の「いずれ姿を見せる」という言葉を信じ、領地に残って牧場を守り続けてきた。
確か、城内の兵がすべて引きはらわれ、代わりにリーストンの騎士団が配置されたのも、その頃だったはずだ。
(でもなぁ、騎士団の話は聞いたことあるのに、婚約者の話は聞いたことなかった。ってことは、伯爵様が病になった頃には、もう婚約者じゃなかった?)
仮に婚約者がいたのなら、ファニーの一族の娘が「婚約者」となった経緯も語られていただろう。
存在を知らされていなかっただけなのか、婚約が解消されていたからなのか。
いずれにしても、エルマーたちが看病をしている間、婚約者は現れなかったことになる。
(病に臥せってる間に婚約を解消されたとか? それでなにもかもが嫌になったのかなぁ。だとすると、伯爵様は彼女を好きだったって思えるんだけど)
伯爵が、嘘をついたとも考えられない。
なにしろ嘘をつく理由がないのだ。
ファニーが「本物の婚約者」ならば傷つけまいと嘘をついたかもしれない。
けれど、この婚約は本物ではないのだから、わざわざ嘘をつく必要がなかった。
少なくともファニーは、そう思っている。
きちんと、羊の爪を切りながらも、考えるのは伯爵のことばかりだ。
ともすれば、長い眠りにつくほど嫌になった「なにもかも」が知りたくなる。
なのに、訊くのが憚られ、自分の頭の中でだけ、ぐるぐると思いを巡らせていた。
「……ル! ベルっ!!」
「えっ? はいっ?」
突然、耳に入った大声に、びっくりして立ち上がる。
爪を切っていた羊が手を離れ、不満げに鳴きながら群れのほうへと走って行った。
「オリヴィア様?」
「何度も呼んだのに、聞こえなかったの?」
「すみません、ちょっと集中してて……」
ぺこっと頭を下げ、柵の向こうにいるオリヴィアに近づく。
以前と同じように、オリヴィアは馬の手綱を持って立っていた。
やっぱり、なんとなく気まずい。
オリヴィアが伯爵に良い感情をいだいていないと知っているせいだ。
「今日は、これを渡しに来ただけよ。これが最後になると思うわ」
オリヴィアに差し出された手紙を受け取る。
誰からなのか訊く間もなく、オリヴィアは背を向けていた。
そして、馬に乗り、さっさと駆け出す。
ファニーは、しかたなく手紙を見てみた。
表も裏も真っ白だ。
封さえされていない。
中の手紙を取り出して読んでみる。
「あ、オリヴィア様から私宛だ。えーと、オリヴィア様のお父さんの形見を取って来てくれって話みたい。そっか。前のリーストンのお屋敷は伯爵領にあるもんね」
男爵領にいるように命じられているオリヴィアは、取ってくることができない。
そこで、ファニーに頼んできたようだ。
「誰にも内緒でって……まぁ、うーん……騎士団長としてお父さんの形見の剣を使いたいっていうのも、周りに知られると怒られるから黙って取って来いって言いたくなるのもわかるけど……」
同じく父親を亡くしているので、形見を手元に置きたい気持ちは理解できる。
伯爵領で、オリヴィアが頼れるのはファニーだけだ。
伯爵の臣下に頼めるはずもないので。
封筒の中で、ちゃりっと音がした。
おそらくリーストンの屋敷の鍵だろう。
ファニーは大きく溜め息をつく。
これで最後と言ったオリヴィアの言葉が耳に残っていた。
「形見なら、しょうがないよね」
ゼビロスから帰って5日以上が経っても、忘れられずにいた。
婚約者。
貴族の令嬢で、美しい人だったらしい。
伯爵は「なんとも」思っていなかったような感じだったが、気にならないとは言えずにいる。
ファニーだって「婚約者」だが、口実だけのものだ。
伯爵に特別な想いを寄せられているとは思っていない。
だからこそ、気になっていた。
本当に「なんとも」思っていなかったとは考えられずにいる。
『何もかもが嫌になったからです』
伯爵は、そう言った。
なんとも思っていないのならば、そこまでの気持ちになるだろうか。
そのせいで、伯爵は2百年もの眠りにつくことになったのだ。
深い感情が伴っていたのではないかと思わずにはいられない。
初代皇后ルルーナ・モディリヤ。
名は知っていたし、初代皇帝の隣に立つ姿絵で見たことはあった。
伯爵の婚約者だった頃も美しかったようだが、描かれていた姿絵でも美しかった気がする。
商人の持っていたものを見せてもらっただけなので、記憶は曖昧だが、綺麗な人だなと思ったのは覚えていた。
(なんで伯爵様と婚姻しなかったんだろ……伯爵様が眠っちゃったから?)
訊きたかったのだが、訊けなかったのだ。
なにもかもが嫌になるほどのことがあったのは間違いないだろう。
伯爵にとって良い記憶ではないのは、聞かなくてもわかる。
それを、あえて掘り返すのが躊躇われた。
(伯爵様は、しばらく病に臥せってたんだよね。それから姿を見せなくなったって)
ファニーの家系の最初の家長エルマーと次の代のミックまでは、伯爵の看病を続けていたと、父からは聞いている。
だが、その後、当時の執事から「伯爵様は眠りにつかれた」と言われ、誰も城に入れなくなったのだそうだ。
それでも、ファニーの一族だけは、その執事の「いずれ姿を見せる」という言葉を信じ、領地に残って牧場を守り続けてきた。
確か、城内の兵がすべて引きはらわれ、代わりにリーストンの騎士団が配置されたのも、その頃だったはずだ。
(でもなぁ、騎士団の話は聞いたことあるのに、婚約者の話は聞いたことなかった。ってことは、伯爵様が病になった頃には、もう婚約者じゃなかった?)
仮に婚約者がいたのなら、ファニーの一族の娘が「婚約者」となった経緯も語られていただろう。
存在を知らされていなかっただけなのか、婚約が解消されていたからなのか。
いずれにしても、エルマーたちが看病をしている間、婚約者は現れなかったことになる。
(病に臥せってる間に婚約を解消されたとか? それでなにもかもが嫌になったのかなぁ。だとすると、伯爵様は彼女を好きだったって思えるんだけど)
伯爵が、嘘をついたとも考えられない。
なにしろ嘘をつく理由がないのだ。
ファニーが「本物の婚約者」ならば傷つけまいと嘘をついたかもしれない。
けれど、この婚約は本物ではないのだから、わざわざ嘘をつく必要がなかった。
少なくともファニーは、そう思っている。
きちんと、羊の爪を切りながらも、考えるのは伯爵のことばかりだ。
ともすれば、長い眠りにつくほど嫌になった「なにもかも」が知りたくなる。
なのに、訊くのが憚られ、自分の頭の中でだけ、ぐるぐると思いを巡らせていた。
「……ル! ベルっ!!」
「えっ? はいっ?」
突然、耳に入った大声に、びっくりして立ち上がる。
爪を切っていた羊が手を離れ、不満げに鳴きながら群れのほうへと走って行った。
「オリヴィア様?」
「何度も呼んだのに、聞こえなかったの?」
「すみません、ちょっと集中してて……」
ぺこっと頭を下げ、柵の向こうにいるオリヴィアに近づく。
以前と同じように、オリヴィアは馬の手綱を持って立っていた。
やっぱり、なんとなく気まずい。
オリヴィアが伯爵に良い感情をいだいていないと知っているせいだ。
「今日は、これを渡しに来ただけよ。これが最後になると思うわ」
オリヴィアに差し出された手紙を受け取る。
誰からなのか訊く間もなく、オリヴィアは背を向けていた。
そして、馬に乗り、さっさと駆け出す。
ファニーは、しかたなく手紙を見てみた。
表も裏も真っ白だ。
封さえされていない。
中の手紙を取り出して読んでみる。
「あ、オリヴィア様から私宛だ。えーと、オリヴィア様のお父さんの形見を取って来てくれって話みたい。そっか。前のリーストンのお屋敷は伯爵領にあるもんね」
男爵領にいるように命じられているオリヴィアは、取ってくることができない。
そこで、ファニーに頼んできたようだ。
「誰にも内緒でって……まぁ、うーん……騎士団長としてお父さんの形見の剣を使いたいっていうのも、周りに知られると怒られるから黙って取って来いって言いたくなるのもわかるけど……」
同じく父親を亡くしているので、形見を手元に置きたい気持ちは理解できる。
伯爵領で、オリヴィアが頼れるのはファニーだけだ。
伯爵の臣下に頼めるはずもないので。
封筒の中で、ちゃりっと音がした。
おそらくリーストンの屋敷の鍵だろう。
ファニーは大きく溜め息をつく。
これで最後と言ったオリヴィアの言葉が耳に残っていた。
「形見なら、しょうがないよね」
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