伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

節度と程度 4

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「カーリー、なぜファニーは、あれほどに愛らしいのだろうな」
 
 伯爵は、私室の肘掛けイスに座っている。
 両腕を背もたれの後ろに、だらんと投げ出し、天井を見上げていた。
 繊細な彫刻がほどこされていても、そんなものは目には映っていない。
 ファニーの姿が浮かんでいる。
 
「何度、抱きしめかけたことか」
「では、なぜそうなさらなかったのでございましょう」
 
 右斜め前方、伯爵に近い位置にカーリーが立っていた。
 白手袋をはめた両手は、体の横にぴたっとくっつけている。
 カーリーの横に、コーヒーを淹れるためのセットが乗ったティーワゴン。
 だが、伯爵に受け取る気がないとわかっているので、コーヒーを出さずにいるのだろう。
 
「お前は気の利く執事だが、私と同じくらい女性の扱いを知らないらしい。いいか、カーリー、私が力加減を間違えれば、ファニーに怪我をさせてしまうかもしれないだろう。迂闊に、あの小さな体を抱きしめるなどできるわけがない」
「……ファニー様の背骨を折るかもしれないと、案じておられたのでございましょうか?」
「肋骨もだ。なにしろファニーは小さくて細くて愛らしいからな」
「…………仰る通りにございますが……でしたら、ほかの者で力加減をお試しになっては?」
 
 その提案に、視線だけでカーリーを小さくにらむ。
 カーリーは伯爵が眠っていた間の時を生きてきた。
 だとしても、人の感情を理解できていない部分もあるようだ。
 
「なぜ私が、ファニー以外の女を抱きしめなければならん。だいたい、ファニーがいるのに、そんな真似をするなど倫理に反する」
「…………しかしながら、それではいつまでもファニー様との距離を縮められないのではございませんか?」
「少しずつだ、カーリー」
「少しずつ、にございますか」
「すでに何度か、ファニーの手を取ったことがある。あの小さな手……骨を砕いてしまわぬよう細心の注意が必要だったがな」
「………………人の体は、それほど弱くはないと思われるのですが……」
 
 ふう…と、伯爵は溜め息をつく。
 カーリーが生じたのは、戦後のことだ。
 戦場において、自分が素手で簡単に相手を打ちのめしてきたことを知らない。
 
「お前は、しばしばファニーに抱きつかれていただろう? 逆を考えてみろ」
「なるほど。潰してしまわないかと案じられるお気持ち、よくわかりました」
 
 女性の扱いに慣れていないことが、自らの枷になるとは思いもしなかった。
 21歳で初めて戦場に出て以来、帝国の統一まで十年。
 伯爵は無意味な殺戮や略奪、暴行を自兵に禁じていた。
 戦時下にあっても、非道な蹂躙行為は断罪してきたのだ。
 
 配下に固く禁じた分、いっそう自分を律している。
 敵国の王が娘を差し出して来ようと、自ら擦り寄ってくる女性がいようと、伯爵が誘いに応じることはなかった。
 むしろ、蹴散らしてきたと言える。
 
 そして、戦後は戦後の処理に追われた。
 国が統一されれば終わり、とはならない。
 法の草案を作成しつつも内乱を鎮めるため遠征に出かけたり、領土の配分などを皇帝と話し合うため首都に戻ったりと、目まぐるしい毎日を過ごした。
 
 その間にも、半島はゼビロス人の襲撃を繰り返し受けている。
 忙しい最中さなかであれ、伯爵は来るべき日のために城塞造りを指示していた。
 
 ようやく落ち着いたのは、帝国が帝国となってから3年後。
 伯爵が34歳になった歳だ。
 その歳まで、伯爵は領地を持たない貴族だった。
 
───私とスラノで大きな権力を持ってしまったからな。
 
 いくら戦争で最も功績を上げた者だとしても、多くを求めれば不満が出る。
 もとより伯爵は「法の番人」としてのみ存在し、自ら領地を治めようとは思っていなかったのだ。
 
 とはいえ、ゼビロス人の襲撃に対し、半島は見捨てられていた。
 戦争で国内は疲弊しており、自領地を守るので精一杯だったのだ。
 作物や家畜を育ててもゼビロス人に襲撃され、またイチからやり直し。
 まともに税収の見込みが立たない半島の領主になりたがる者はいなかった。
 
 その半島を領地としたのは、伯爵自身の選択による。
 なり手がいないのなら自分がなると決めた。
 領主になって3年ほどで、伯爵はゼビロス人を完全に追いはらっている。
 気づけば、36歳になっていた。
 
 そろそろ婚姻をと考え始めた矢先に病となり、5年。
 
 女性と親密になる機会などあるはずがない。
 あげく、そのまま2百年も眠っていたのだ。
 
───おかげで、ファニーという素晴らしい女性に出会えた。
 
 なにもかもに絶望し、闇にのまれたのだが、そうでなければ光も見えなかった。
 思うと、さらに悩みが深くなる。
 
「彼女は、私を気持ち悪いと思っていないだろうか」
「申し訳ございません。伯爵様の仰っておられることの意味が理解できかねます。ファニー様は、伯爵様を魅力的なかただと仰っておられたではございませんか」
「ファニーから好意を寄せられているのは知っている。彼女も私の気持ちを察してくれているはずだ。婚約に対しても、不満はないと言っていた」
 
 伯爵は体を起こし、立ち上がった。
 両腕を組み、眉根を寄せる。
 
「だが、何事にも程度というものがある。私のような20歳も年上の男に、強く想いを寄せられているとなれば、気持ち悪いと感じても不思議はない」
「私といたしましては、ファニー様も伯爵様を強く想われておいでにございます」
「お前はわかっていないのだ、カーリー」
 
 統一前の小国の王は、多くの女性をはべらせていた。
 中には、歳若い側室に執着する王もおり、女性側が辟易していたと聞いている。
 聞いた時には、馬鹿馬鹿しいと思ったが、今は自分がそうならないとは断言できずにいた。
 
「ですが、現時点でファニー様は伯爵様に好意を寄せておられるのですから、この際、ご婚姻をすまされてはいかがにございましょう」
「ふざけたことを言うな。束縛などしようものなら、気持ち悪がられるどころか、嫌われるに決まっている。いや、軽蔑されるかもしれん」
「…………さようにございますか。人というのは難しいものにございます」
「そうだ。ままならんものなのだ」
 
 カーリーは、無表情でうなずく。
 それから、黙ってコーヒーを淹れた。
 手渡さたコーヒーのソーサーからカップを持ち上げる。
 
「それでは、いかがなさるのでございましょう?」
 
 コーヒーに口をつけ、しばし考えた。
 闇に身を浸していたからなのか、伯爵にもカーリーに似た性質が現れている。
 老いが遅くなっているのを、なんとなく体が感じるのだ。
 ならば、時間はある。
 
「さっきも言ったが、少しずつ距離を縮める努力をしようと思う。彼女に、心から私の妻になっても良いと思ってもらえるようにな」
「かしこまりました。私どもにできることがあれば、なんなりとお申し付けください。私どもも、精一杯、努力させていただきます」
 
 コーヒーを手に、肘掛けイスに腰をおろした。
 ファニーとのことは、自分が努力するとして、だ。
 
「うるさい虫どもがわく前に手を打てるようにしておけ」
「しかるべく」
 
 カーリーの返事に満足し、伯爵はコーヒーを口にしながら、ファニーを思う。
 ナタリーを呼び、様子を聞こうかとも考えたがやめておいた。
 それこそ、気持ち悪がられるかもしれないからだ。
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