伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

同情と信念と 2

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 隣で伯爵が、くすっと笑った。
 ファニーは、金額によっては支援金を貸そうと思っていたのを見透かされていたように感じて、恥ずかしくなる。
 
(中規模の商団を買えるほどってなると、何年分の支援金を前借りしなきゃいけないのか、わからない。でも、直接、伯爵様からお金が流れたら、あとで問題になるかもしれないし)
 
 だからこそ、夫人が婚姻の解消をしたがる理由が気になる。
 ワイズン公爵側に明確な落ち度があるのであれば、ちゃんとした手続きをしたはずだからだ。
 なにも伯爵に借金をしに来る必要はない。
 
 あまりないことではあるが、帝国法上、婚姻の解消は認められている。
 両者の同意があるか、もしくは、相手に明確な落ち度がある場合だ。
 ただし「落ち度」が認められるかどうかは、別の話になる。
 本人は明確だとしていても、相手側の反論によっては覆されることもあるらしい。
 
 商人からもたらされる噂話でしか聞いていないので、具体的な内容までは知らないが、ともかく手続きが存在しているのは確かだ。
 夫人は、その手続きを踏まずに婚姻の解消をしようとしている。
 条件を満たしていないからではなかろうか。
 
「ご心配はごもっともにございます。ですが、夫も望んでいるはずですから、問題には成り得ません」
「でも、それなら手続きすればできるんじゃないですか?」
「ワイズン公爵家は、ヴァルガー侯爵家に借金がございます。それを返済しない限り、私の実家が婚姻の解消を認めないでしょう」
 
 ファニーは、きょとんとした。
 話の筋はわかっているのだが、理屈がわからずにいる。
 
 なぜここで夫人の実家であるヴァルガー侯爵家が出てくるのか。
 そして、ワイズン公爵家の借金を、なぜ夫人が肩代わりしようとしているのか。
 ワイズン公爵が婚姻解消したがっているのなら、公爵自身が払えばいいことだ。
 
 きょとんとしているファニーに、夫人が微笑む。
 寂しそうでもあり、悲しそうでもある笑みだった。
 
「私は、私を買い戻したいのです」
 
 言葉に、ハッとなる。
 貴族の事情は知らないが、察することはできた。
 
 自分で自分を買い戻す。
 
 ファニーは、両手を握り締めた。
 おそらくヴァルガー侯爵家は、ワイズン公爵家に金を貸す代わりに、夫人を娶らせたのだろう。
 公爵家は、侯爵家よりも高位にあたる。
 有り得なくはない。
 
「借金自体は、夫のせいではございません。前公爵が騙されたのが原因にございます。爵位停止になろうかという崖っぷちに立たされており、そこに私の実家が“提案”をいたしました」
 
 貴族の「提案」なんて禄でもないことばかりだ。
 オリヴィアも、ファニー自身も、不利な状況下でなされたものだった。
 伯爵が助けてくれたので、ファニーは難を逃れられたに過ぎない。
 
「無利子、無担保での借金ではございますが、公爵家を維持するには費用がかかります。婚姻してから3年、借金の返済は進んでおりません」
 
 つまり、このままだと婚姻を解消できる見込みはないということだ。
 契約上、ワイズン公爵は同意を示せないし、借金の返済もできそうにないのだから。
 
(伯爵様がお金を貸して、夫人は借金を返済。そうすれば、ワイズン公爵は婚姻解消に同意できるから、手続きもできるってことか。でも、ヴァルガーって、前に伯爵様が口にしてた名だよね。親しい仲だったら、ややこしくならないかな……)
 
 ファニーは、自分が利己的な人間だと知っている。
 カーズデン男爵家の時もだが、どうしたって伯爵を優先してしまう。
 夫人を気の毒に思ってはいても、そこだけは揺らがない。
 
(そりゃあ、父さんと伯爵様のどっちを選ぶかみたいな話だったら困るけど……父さんなら、伯爵様を優先しろって言うだろうし……ヴァルガー侯爵って、そんなに爵位にこだわる人なのかな。契約で縛ってでも娘を嫁がせたくらいだし?)
 
 なにか違和感を覚える。
 そんな相手と伯爵が懇意だとは思えなかったのだ。
 身分制度を作ったのは伯爵だが、帝国法には「貴族が偉い」とは、ひと言も書かれていない。
 
「娘の婚姻に興味を失うほど、ヴァルガーの現当主は仕事熱心なのだな」
 
 不意に、伯爵が、そう言った。
 ファニーの疑問も、まさに同じ。
 昨今の貴族は領民の税だけではなく、手広く事業をしていると聞く。
 公爵家に金を貸すほど、侯爵家は裕福なのだろう。
 
 贅沢がしたいだけなら、無理に娘を嫁がせることはない。
 理由があるとすれば「爵位」くらいのものだ。
 高位の貴族に娘が嫁けば、縁戚となれる。
 
「父は、母に似た私を見るのがつらいのでしょう。父は母を愛しておりましたが、母は私が幼い頃に亡くなりましたので」
「だから、後妻の奥方が娘を売り飛ばすような真似をしても見過ごしにしたと?」
「は、伯爵様……」
 
 どうやら伯爵が「女性と話し慣れていない」のは本当らしい。
 もちろんファニーは、自分が伯爵の言う「女性」に含まれないと思っている。
 伯爵が大事にしている羊の世話をする牧童だから良くしてくれているのだと、いた。
 なので、「女性と話し慣れていない」伯爵の力になれると奮起したのだ。
 
「ご心配にはおよびませんわ。私自身、自分を買い戻すと申し上げましたでしょう? 事実、その通りだと思っております」
 
 なんだか気持ちが、しゅんとなってしまう。
 寂しげではあっても、夫人に悲壮感はない。
 自らの身の上を嘆いている様子がないからだ。
 それが、逆に、いっそう寂しく感じられる。
 
「失礼ついでに訊くが、夫婦仲はどうだった? 夫と夜を過ごしたことは?」
 
 伯爵の隣で、ファニーは、ぱかっと口を開いた。
 が、言葉が出て来ない。
 そんな踏み込んだ質問をするとは思ってもいなかったのだ。
 
「……ございません」
「だろうな」
 
 心の中で悲鳴を上げそうになる。
 言葉を選ばないにもほどがあった。
 自分と話している時には、首をかしげたくなるくらいに丁寧で、失礼なことなんて1度も言われたことがない。
 そのため、戸惑うばかりだ。
 
(え……でも、待って……あんまりな質問だったけど……どういうこと? 契約上しかたなくだったとしても、婚姻してるのに、夜を過ごしてない???)
 
 子を成すためだけに婚姻するのではないが、それは大きな問題と成り得る。
 貴族間では後継者に関わる争いがよく起きるのだと、商人が話していた。
 平民であるファニーでさえ、牧場を引き継ぐために養子を考えているほどだ。
 
(ワイズン公爵は養子をとるつもり? 貴族に側室制度はないし、愛人の子は後継者にはなれない……しかも、借金返済できなくて婚姻の解消もできずにいるんだから)
 
 ならば、現状、ワイズン公爵に残された道は、養子を迎える以外にない。
 思うと、なんだか腹が立ってきた。
 
(なんなの、ワイズン公爵って。そこまで嫌なら、別れられるように努力すべきじゃない! 実際、夫人はこんな遠いところまで頭を下げに来てるってのに! 夫人が別れたがるのも当然よね。まったく不甲斐ない男だわ!)
 
 そもそも借金を作ったのはワイズン公爵家だ。
 本人が作ったものではなくても、家門がどうにかするのが筋だと思う。
 だが、ワイズン公爵家は相応の努力をしているとは考えにくい。
 体面や外聞を気にして、取れる手立ても取っていないのではなかろうか。
 
 夫人の話しか聞いていないので不公正かもしれないが、それでもワイズン公爵は「クズ」だと、ファニーは思った。
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