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前編
光と闇と 1
しおりを挟む「やっぱりね。こんなことだろうと思った」
ベルセフォネは、腰に手をあて、ふんっと鼻をならす。
その鼻の上を中心に、点々と散ったそばかす。
目立つのは、屋外にいるのが多いのと、彼女が化粧をしないからだ。
まるっとした薄茶の瞳は怒りに満ちていた。
怒りで、逆に、きらきらと輝いている。
目の前の壊れた柵を見ても驚きはしない。
あっちを修繕すれば、こっちを壊される。
そんなことには、もう慣れっこなのだ。
4ヶ月以上も続けば、いいかげん次に壊される場所の予測すらできる。
壊した相手も明白だった。
「ポールの奴、あの気取ったタキシードジャケットの背中に、卑怯者って刺繍してやりたい。っていうか、殴れるものなら、1発ぶん殴ってやりたい」
気持ち的には1発では足りないくらいだ。
とはいえ、牧羊犬を恐れ、1人で柵を壊しに来ることもできない臆病で卑怯な男は、いつも手下を複数連れている。
1発殴るのが、せいぜいだろう。
殴った時点で、取り押さえられるに決まっていた。
男爵家の跡取り息子ポール・カーズデンは、どうしようもない奴なのだ。
26歳にもなって、大人げないことばかりする。
まるで女の子の髪を引っ張って騒ぎ立てる子供と同じくらい幼稚だった。
22歳の彼女のほうが、まだしも大人びている。
ただし、ポールは大人で、爵位持ち。
身分を鼻にかけているところが、子供より始末に悪い。
「いったい、ここが誰の土地だと思ってんのよ」
彼女は腰に当てていた手を、頭の後ろに伸ばす。
そして、野生馬のような栗色の髪をくくっているスカーフを締め直した。
綿のシャツと長ズボンにベストという動き易い格好は、普段着であり仕事着。
ひと息ついて、作業開始。
地面にしゃがみ、置いてあった金槌を手に取る。
反対の手で、釘と板きれを掴んだ。
壊されても壊されても、彼女は諦めずに修繕を続けている。
この土地を守ることが、牧童としての彼女の役目だからだ。
カンカンと板きれに釘を打ち付けるのも手馴れていた。
物心ついた頃から、父の仕事を手伝っている。
1年前に父は他界したが、彼女の毎日は変わらない。
牧場を管理し、羊や牛の世話をして日々を過ごす。
変わったのは、ポールが嫌がらせをしてくるようになったことだ。
柵を壊すだけではなく、酷い時には羊が殺される。
今月は、すでに3頭の羊を失っていた。
思い出して、薄茶色の瞳が、また怒りにきらめく。
「リーストン卿が亡くなったからって……」
騎士の称号を持った騎士団の団長クライブ・リーストンが亡くなったのは1年半前だ。
さらに、その半年後、彼女の父が亡くなった。
この土地を守護する者が相次いで消えたことに、不審さは感じている。
けれど、いかんせん証拠がない。
2人とも事故による死だとされていた。
リーストン卿は落馬、父は放牧中の滑落。
「父さんが滑落なんて有り得ない」
彼女の家は、代々、牧童をしている。
父も長く、この土地を守ってきたのだ。
どこにどういう危険があるかを教えてくれたのも父だった。
その父が、よりにもよって「滑落」するなんて信じられるはずがない。
「でも、オリヴィア様のほうが大変よね……」
クライブ・リーストンの1人娘オリヴィア・リーストンは4つ年下の18歳。
騎士団は叙任された騎士で構成されていて、オリヴィアもその1人だった。
だが、騎士団を率いるには「称号」を必要とする。
オリヴィアは、まだ騎士の称号を持っていない。
「カーズデン男爵家って、ろくでなしばっかり!」
団長不在では騎士団を維持することができないため、オリヴィアは称号持ちの騎士を探し、駆けずり回っていた。
しかし、そう簡単に見つかるはずもなく、そこに「提案」を持ち掛けてきたのが、カーズデン男爵家だったのだ。
オリヴィアが養女になれば、男爵家の騎士団で騎士たちを受け入れる。
リーストンの騎士団は大きなものではなかったが、それでも50人以上の騎士をかかえていた。
オリヴィアが提案を断れば、彼らは散り散りになり、自らで仕える先を探さなければならない。
だから、オリヴィアは提案を受け入れた。
おそらく父親の遺した騎士団を解散させるのがしのびなかったのだろう。
「私も、いつまで守ってられるか……そろそろ本気で養子を考えないと」
嫌がらせは、これからも続く。
守ってくれていた騎士団はなくなった。
彼女に兄弟はなく、夫も子もいない。
つまり、嫌がらせに対抗するすべのない中、後継者もいないのだ。
未だ婚姻の目途が立たない状態では、養子を迎えるほか手立てがなかった。
十歳前後の男の子を養子とし、牧童の仕事を教える。
そうすれば、少なくとも後継者は育てられる。
今さらながらに、もっと早く養子を迎えておくべきだったと思った。
だが、こんなに早く父が他界するとは考えてもいなかったのだ。
あと3年経っても婚姻の目途が立たないようなら養子を迎える。
父とも、そのように取り決めていた。
「ここは私たちが守ってきた場所。男爵家のいいようにはさせない」
額に汗しながら、決意を口にする。
嫌がらせに負け、男爵家に牧場管理の権利を渡してしまったら、先祖に顔向けができない。
身分は平民で仕事は牧童だが、彼女は家業に誇りを持っている。
「だいたい、この土地を守る気もないくせに、図々しいったら」
牧童と騎士団の仕事には、領主から支援金が支払われていた。
その支援金を横取りするのが、男爵家の目的なのだ。
男爵家自体の領地は狭く、さほど実入りもない。
父曰く「昔から目をつけられていた」という。
とくに、ここ数代の男爵家当主は、高位の貴族に取り入ろうと躍起になっていた。
税をギリギリまで引き上げるのみならず、私財までつぎ込んでいるという話だ。
現在、オリヴィアを養女にしたことで、騎士団への支援金は男爵家に流れている。
味を占めた男爵家は、次の標的を定めたのだ。
本格的に彼女を追い詰め、支援金をかすめ取ろうとしているに違いない。
「父さんだって、お祖父さんだって、曾お祖父さんだって……みんな、ずっと戦ってきたのよ。私だって戦うわ。卑怯者のポールなんかにやられたりしない」
支援金は、ただの金ではなかった。
この土地を守っていることへの対価であり、感謝の意が込められている。
そのように聞かされて、育ってきた。
彼女の家系の者たちは、父を含め忠誠心に厚い。
だが、彼女は、それ以上の気持ちを持って、この土地で暮らしているのだ。
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