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無二夢中 1

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 やはりキーラが近くにいるのはいい。
 心が、とても穏やかになる。
 ダドリュースとて、いつも平常心を失っているわけではないのだ。
 むしろ、これまでは平穏な毎日をおくっていた。
 
 呑気に、のんびりと。
 
 ダドリュースは大雑把な性格で、何に関しても、こだわりがない。
 周囲から蔑まれようと、うとまれようと、気にしたこともなかった。
 
 王位継承の話が持ち上がってからは、いっそう風当たりは強くなっている。
 が、彼にとっては無風も同じ。
 嫌々ながらであれ、王太子をやっているため「一応」は体裁を整えるようにしているが、それもギリギリだ。
 
 身分を振りかざして侍女を部屋に連れ込んだと喧伝けんでんされないように、とか。
 正妃選びの儀の前に夜会に出ておく、とか。
 
 所詮は、その程度。
 自ら進んで公務に熱心に取り組んでみたり、周囲から好印象を持たれるように努力してみたりはしない。
 
「今日も、キーラは可愛らしい」
 
 書棚の前に立ち、本を読んでいるキーラの姿を、じいっと見ている。
 もっと近くに行きたいのだが「書棚が倒れてくる」と、キーラに言われた。
 だから、少し離れた場所にイスを置いて座り、見るだけにしている。
 それだけでも、心が落ち着いて、穏やかな気分になれるのだ。
 
 キーラの前では、あたふたオロオロすることも多い。
 だが、ダドリュースは、本来、感情の平坦な男だった。
 呑気でのんびりしているのも、実際は、そこからきている。
 
 どうでもいい。
 
 彼にとっては、自分自身も含め、すべてが、どうでもいいのだ。
 なににつけ無関心であり、感情を揺らがすほどのことがない。
 そのダドリュースが、唯一、気にしていることがあった。
 
(生涯、独り身となる身かと思っておった)
 
 なににも関心がないくせに、孤独に人生を終えるのは嫌だった。
 これといった人生設計など、残念な男であるダドリュースにあるはずがない。
 ただ、老い先長い時間を独りで過ごすのは寂し過ぎる、と感じる。
 ほんの、ひと月ほど前までは、ほとんど諦めてもいたけれど。
 
(だが、今は、キーラがおる)
 
 琥珀色の猫目のキーラ。
 彼女がいると、見える景色が違う気がした。
 
 あの日、ダドリュースがたらいに足を突っ込んだ、あの日。
 
 普段ならしないことを、彼はしている。
 侍女であるキーラに声をかけた。
 どうしても話がしたかったからだ。
 体が自然に動き、言葉が勝手に口から出た。
 
 感情が大きく揺れたのも感じている。
 不思議な感覚だった。
 
「殿下」
「いかがした?」
 
 キーラに声をかけられたのが嬉しくて、座っていたイスから腰を上げかけた。
 が、すぐに手で制される。
 しかたなく、イスに腰を落とした。
 
「この民言葉の字引きですが」
 
 言いながら、キーラがダドリュースのほうに歩いてくる。
 あらかじめ、隣には、キーラ用のイスも用意してあった。
 
 サシャが。
 
 姿は隠しているが、私室近くにはいる。
 必要なものは、サシャが判断して準備を整えていた。
 魔術発動の際は手出しをしないというのも含めて、サシャは正しく主の心を推しはかっている。
 
 すとん、とキーラが隣に座った。
 ソファではなくイスなのだが、その距離は近い。
 やはり、サシャは優秀な側近だ。
 ダドリュースにとってだけ、ではあるけれど、それはともかく。
 
 膝に本を置き、キーラは頁をめくっている。
 肘置きに置かれていたほうの手を、ダドリュースは握った。
 ちらっと見られたが、小さくうなずいてみせる。
 
(いい雰囲気にはなりたいが、今はいかん。自制が必要だ)
 
 ここは、私室内にある書斎。
 書棚が一斉に倒れてきたら。
 
(後片付けが大変であるし、キーラの機嫌も損ねてしまうであろう)
 
 キーラは読書中なのだ。
 邪魔をすべきではない、と自分に言い聞かせる。
 効果があるかは定かではないけれども。
 
 添い寝がうまくいっているからか、キーラは少しずつダドリュースを信用するようになっていた。
 ここで、ぶち壊しにすることはできない。
 ダドリュースには後がないのだ。
 
「これを書かれたのは、ユージーン・ガルベリーとなっていますが、王族のかたでしょうか?」
「王族であった、というべきやもしれんがな。血筋だけで言うなら王族だ」
「王族のかたが、これを書かれたというのが不思議でならないのですが」
「書いたのではない。編纂をしたのだ」
 
 ユージーン・ガルベリーは、最初の「民言葉の字引き」を作った。
 だが、それは「編纂」したに過ぎないのだ。
 もちろん、多大な労力が必要だったのは確かだけれども。
 
「懇意にしていた女性から学んだ、と、後書きに書いてある」
「もう1冊は共著になっていますね」
「ガルベリー17世とその正妃が、ともに創り上げたものなのでな」
 
 キーラは、なにやら難しい顔をしている。
 しかたがない、と思った。
 
 ロズウェルドの言葉は表現が豊かなのだ。
 会話をしていれば、なんとなく察することのできるものもある。
 さりとて、馴染みのない者にとっては、意味不明なものも多いのだ。
 
「当然かとは存じますが、この方々は他界しておられますよね?」
「百年以上も昔になるのだぞ。生きておるはずがなかろう?」
「そうですよね……」
 
 キーラが、見るからに落胆している。
 字引きを、じっと見つめていた。
 ダドリュースの感情が揺れる。
 落ち着かない気分になっていた。
 
ゆかりのある者ならおる。会いたければ手配してやる」
「いえ、お会いしたいとまでは、思っておりません」
 
 キーラは顔を上げ、本を閉じる。
 笑顔を見せてくれはしたが、どことなく寂しげに見える。
 
「字引きにしては面白いものでしたので、興味がわいただけです」
「ほかの国にはない表現が多くあるのでな。その2冊の字引きは、ロズウェルドで最も普及しておるのだ」
 
 閉じた本の表紙を、キーラが撫でていた。
 なにか思い入れの深い品であるかのような仕草だ。
 よほど気に入ったらしい。
 
「民言葉は面白きものだ。この字引きを、私は名著だと思っておる」
「そうですね」
 
 今度は「ちゃんとした」笑顔を、キーラが見せる。
 子供のような雰囲気を感じるさせる表情に、ダドリュースは見惚みとれた。
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