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さっぱりわかりません 2

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 キーラは街の市場いちばにあるカフェに立ち寄っていた。
 向かいの席には、ほかの民より少しばかり身なりのいい男性が座っている。
 周囲の者は彼を「商人」だと判断しているだろう。
 とはいえ市場は人であふれており、人を気にしている者などいやしないのだけれども。
 
 栗色の髪と、わずかに垂れた目元、焦げ茶をした瞳の色。
 一見、とても優しそうに見える。
 彼はとっつき易さを感じる笑みを口元に浮かべていた。
 
 ユバルシュッツ・ペストリ。
 
 フィンセルの「対ロズウェルド機関」内で、いくつかのチームを任されている、いわゆるチームリーダーだ。
 その中のひとつにキーラは属していた。
 つまりキーラの上司にあたる。
 そしてキーラを拾った「恩人」でもあった。
 
(この雰囲気に騙されちゃうんだよね)
 
 彼は、善意や、いわゆるボランティア精神で、キーラを拾ったのではない。
 行くアテもなく、身内もいなさそうなキーラを「使える」と思っただけだ。
 6歳のキーラは見知らぬ土地や人々に怯え、寒さに震えていた。
 だから、彼の手を取ってしまったし、最初のうちは信頼さえしていた。
 
(半月も経ってなかったっけ)
 
 久しぶりの上司の顔に当時を思い出す。
 
 大きくて広い、病院にも似た建物。
 連れて行かれ、食事を与えられた。
 
 体を温めるという口実で風呂に入らされている。
 その間に着ていた洋服や持ち物が取り上げられるとは思いもしなかった。
 あとで返すと彼は言ったが、未だその約束は果たされていない。
 
 それから、体調を調べるという、これまた見え透いた口実に、当時のキーラは、ころりと騙された。
 小学校に行けていれば知っていたかもしれない、体力測定が身体測定と併せて行われたのだ。
 結果、キーラは「合格」となった。
 
 施設に入ってから半月も経たずに、彼女と似た境遇の子供に混ざっての訓練が始められている。
 もちろん「日本」から来た子はいなかった。
 
 理由は不明だが、言葉が通じたのは幸いだっただろう。
 施設での「言語能力」は大きなハンデになり得る。
 それが元で「使えない」と判断され、施設から消えた子が何人もいたのだ。
 
 訓練は厳しくなっていったが、キーラはそれを乗り越えている。
 十歳で、すでに他国に潜入していた。
 たいていは北方の国々だ。
 今まで、キーラが失敗をしたことはない。
 それもあって、今回のロズウェルド潜入に、16歳ながら抜擢された。
 
「それで? どうなんだ?」
「あまり具体的な話はしないで、ユバル」
 
 上司ではあるものの、チームでは主に短名が使われている。
 愛称というより合理的な意味合いで、だ。
 同じチームのメンバーも、だいたい3文字程度の名で呼ばれ、正式名で呼ばれることは、まずない。
 
 キーラは話す代わりに小さく折りたたんだ紙を、それとなくテーブルの端に置いた。
 ユバルが、それを、やはり何気ない仕草で受け取る。
 あたかもキーラの手を自分の手で覆うようにして。
 人が見れば親しげな仕草だと思うだろう。
 
 が、キーラには不快感しかない。
 ユバルにさわられるとゾッとする。
 14歳を越えた頃から、彼の視線が微妙な色を帯び始めたのに気づいている。
 
 見た目の良さをユバルは自覚していて、武器として使っていた。
 潜入先の女性を、いとも簡単に口説き落とす。
 そのほうが手っ取り早いし、確実な情報が得られるから、だそうだ。
 
 彼自身がなんの躊躇もないためか、ほかの諜報員にも、それを望んでいる。
 キーラにも「いずれ訓練しないとな」などと平気で言っていた。
 
 ユバルの顔など見ていたくはない。
 逃げられるものなら逃げたかった。
 
 このままロズウェルドにいられたら。
 
 ちらりと、頭をよぎった想い。
 が、キーラは、すぐにそれを打ち消す。
 
 王太子は、正妃選びの儀を無事に終わらせるために、自分と「いたしたい」だけなのだ。
 ほかに意味はないのだから、用がすめばお払い箱になる。
 きっと「外聞」を気にして、王宮からも出されるに違いない。
 キーラに行くアテは、やはり、ないのだ。
 
「お前、アレをやったのか?」
「まさか。そんなはずないじゃない。前から言ってるけど、私は、そういうことをしなくても、ちゃんとやれる。失敗したことだってないしね」
 
 ユバルが微笑みを浮かべる。
 一見、女性を口説いている品の良い男性といったふうだ。
 けれど、ユバルが好色な男だと知っていた。
 キーラが「ちゃんとやれている」から手を出さずにいるが、1度でもしくじればベッドに引きずりこむのは間違いない。
 
「でも、必要があれば、やるかもね」
「へえ。だが、その前に、ちょいと訓練しといたほうが安心だろう?」
「そうでもない。この辺りじゃ、純潔のほうが価値があるみたいなのよね。どうせ利用するなら、徹底したほうが良いと思ってるの。損はしたくないから」
 
 暗に、ユバルと関係を持つことは、自分にとっては「損」だと伝える。
 ユバルの眉が、ほんの少し不快げにひそめられた。
 そこを狙って、パッと手を引く。
 
 渡す物は渡した。
 そろそろ「報告」は終わりにしたい。
 思う、キーラの頭に、突然、声が響く。
 
(キーラ様、我が君から、ことづてがございます)
 
 一瞬、パニックになりかけたが、それをユバルに悟られるわけにはいかない。
 キーラは、うっかりサシャとの会話を口に出さないよう注意をはらう。
 そうしながら、ユバルには、わざとらしく肩をすくめてみせた。
 自分が落ち着くためでもある。
 
(我が君が、そちらにおいでになる、と仰っておられます)
(は?! ここに? このカフェにってこと?!)
(さようにございます)
(いつ?!)
(ただちに)
 
 サシャの「ただちに」が、本当に「ただちに」だと知っていた。
 キーラは、視線だけは、ユバルに向けている。
 彼はキーラの渡した紙に気を取られていた。
 それを確認して、視線をユバルからわずかに外し、ササッと周囲に走らせる。
 
(げっ!! なにやってんの、あの駄犬! ホント、待てができないんだから!)
 
 カフェにある別の店の影から、王太子が、こっちを見ていた。
 すぐに駆け寄って来なかったのは、まだ「マシ」と言える。
 言えるのだろうか。
 
「ユバル、すぐに消えて。知り合いの侍女に見つかったかもしれない」
「それは良くないな。顔は覚えられたくない」
「あなたがすぐに消えてくれれば誤魔化せるわよ」
「わかった。それじゃ、また次の報告の時にな」
 
 ユバルが立ち上がり、キーラに手を振る。
 いっとき会話を楽しんだ、といった具合だ。
 すぐに、その背中が人混みの中に消える。
 キーラの知り合いが市場にいるとなれば、即座に、この辺から立ち去るはずだ。
 
 ホッとしたのも束の間。
 
「キーラ、キーラ! 今の男は誰だ? どのような相手なのだ? なぜ手を握られておったのだ?」
 
 はあ…と、大きく溜め息をつく。
 勧めてもいないのに、王太子はキーラの隣に座っていた。
 隣に、だ。
 そして手を握ってくる。
 
(ただちにっていうか……もう来てたんじゃん! この駄犬!!)
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