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最終章 黒い羽と青のそら

ご到着日和 3

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「久しぶりだな、レティシア」
「この前、顔合わせで会ったばっかりじゃん」
 
 ザカリーのため、この屋敷を訪れたのは、ひと月も前のことだ。
 ユージーンからすれば、久しぶりだと感じる。
 なにしろ、レティシアと1ヶ月も会えずにいたのだから。
 
「ザカリーは、あれから何度か来ているだろ? だが、俺は準備に忙しくてな。同行することができなかったのだ」
「ザカリーくんも大人なんだし、あなたが、いちいち同行することないでしょ」
「何を言う。ザカリーは歳こそ大人だが、まだまだ頼りないところがある。俺が、導いてやらねばならん」
 
 絶対に迷子になりますから、とのレティシアの言葉は、ユージーンの耳には入らなかった。
 玄関ホールには、屋敷の者が、全員、集まっている。
 最初に来た際は改装中で、誰もユージーンに見向きもしなかった。
 この間は、執事とメイドだけ。
 
(俺が勤めに来たのを、歓待しているのだな。良い心がけだ)
 
 などと、少し良い気分になっている。
 ユージーンは、己を中心に物事を考える性分だった。
 前向きに捉えられるのは良いことだ。
 けれど、悪い部分として、自分の都合で、状況をわかったつもりになるところがある。
 
「じゃあ、その……まずは、ウチのみんなを紹介するね」
「紹介などいらんぞ。皆のことは知っている」
「なんで、知ってるの?」
 
 きょとんとしているレティシアに、ユージーンは当たり前に言った。
 
「お前のことを、念入りに調べ上げたからだ」
 
 とたん、悲鳴が上がる。
 今度は、ユージーンが、きょとんとなった。
 なんの悲鳴か、理解できなかったからだ。
 悲鳴に気を取られ、レティシアの顔が引き攣っているのにも気づかない。
 
(そうか……皆、紹介されるのを、楽しみにしていたのだな。そういう機会は滅多にない。悲嘆にくれることもあろう)
 
 と、また自分都合で良いほうに考える。
 ユージーンは真面目だが、世間知らずなのだ。
 そして、外見だろうと、中身だろうと、周りが自分をどう見るかなど、気にもめない。
 もとより、人を気にする習慣がなかった。
 レティシアの反応を気にするのは、特例中の特例。
 好きな女性だからこそ、気にしているだけだ。
 
「しかし、念のため、紹介してもらおう」
「あ……うん……」
 
 心なし、レティシアとの距離が、さっきより遠くなっている気がする。
 とはいえ、紹介のため屋敷の者の近くに寄ったのだろう、と解釈した。
 
「じゃあ……こっちから。庭仕事をしてくれてるガド。で、外仕事をしてくれてるトニー、ヒュー、ヴィンス。メイドのチャーリー、アリシア、マリエッタ、マギーね。で、料理人のラリー、パット、テオ、それにジョーは知ってるよね。この端の人が、料理長のマルク」
 
 列の端っこに、赤毛で大柄な男が仏頂面をして立っている。
 料理長との言葉に、たちまちユージーンは反応した。
 
「この間の魚料理を作った者か! あれは、本当に美味かった!」
 
 王宮では味わえない料理に、ユージーンは、いたく感服している。
 そのまま、王宮に連れて帰りたいくらいだったのだ。
 
「お前のために作ったわけじゃねぇぞ」
 
 料理長が、不機嫌に言う。
 周囲は緊張感につつまれているが、ユージーンには関係がない。
 人の反応を気にするほど、繊細な神経の持ち合わせはなかった。
 
「俺のためであろうとなかろうと、美味いものは美味かろう? 王宮料理人も、お前を見習って、腕を磨くべきであろうな。まったく、あいつらときたら、同じ料理しか出さんのだから、怠慢としか言いようがない!」
 
 ユージーンは、本気でそう思っている。
 いずれ王宮の料理人も、腕を磨く気がない者は馘首クビにしようと考えていた。
 王太子だった頃の経験から、主に王宮料理を食べなければならないザカリーが、不憫に思えるからだ。
 
「え、えーと……マルクの腕をかってくれてるのは嬉しいよ」
 
 うむ、とユージーンは鷹揚にうなずく。
 というように、我が道を行くユージーンに、嫌味など通じない。
 
「最後に、メイド長のサリー、それから執事のグレイ」
 
 この2人は、とくにレティシアと仲がいいらしかった。
 いつも一緒にいる、と報告書に書かれてあったのを覚えている。
 だからこそ、エッテルハイムの城の際、即移そくいに巻き込まれたのだろう。
 
 その時、ユージーンは、レティシアに花瓶で殴られ、昏倒していた。
 だから、2人が地下室で、どんな目に合っていたのかを、知らずにいる。
 ユージーンの中では、すでに終わったことにもなっていた。
 当然、2人の厳しい視線も、まるで気にならない。
 
「てゆーか……荷物は、どうしたの? あとから届くのかな?」
「荷物? どういう荷物だ?」
「や……あなたの荷物だよ」
「そのようなものはない」
 
 レティシアが、目を、ぱちくりさせる。
 なんとも愛らしい、と明後日の方向に、ユージーンの思考は向いていた。
 
「ないの? なんにも?」
「なぜ荷物が必要か? 屋敷勤めでは衣食住は、主がほどこすのだろ? ならば、何もいらんではないか」
 
 ユージーンは、まだ勤め人として働いたことがない。
 そのせいで、報告書から得た知識だけで動いている。
 王宮には王族用の服しかなかったので、今は、濃紺のフロックコート、白いシルクのシャツにズボンという姿。
 堅苦しいが、これが最も軽装だったのだ。
 
「む。そうか」
「なに? 忘れもの?」
「違う。サハシーで着ていた服があれば、と思ったのだ」
「そういえば、あの時は、もっと大人しめな……」
 
 サハシーには、お忍びで逗留していた。
 服も、上流貴族並みのものを着ている。
 民服よりは高級だとしても、王宮でユージーンが身につけていたものより、遥かに質は悪かった。
 
「あれ、持ってくれば良かったじゃん」
「もう、ない。おそらくサハシーに置いてきたのであろうな」
「えー! もったいない! 王族だからって、そんな使い捨てみたいなさー」
「そうではない! そこの黒縁がろくでもないことをしたせいで、俺は、急ぎ王都に戻らねばならなくなったのだ!」
「あ…………」
 
 そう、審議に駆り出されたせいで、服どころではなかったのだ。
 ユージーンだって、本当には「記念」に持ち帰ろうと思っていたのに。
 
「え、えーと! ふ、服は、ちゃんと用意してあるからさ。後で着替えればいいんだし、気にしなくていいんじゃないかなー」
「そうか。ならば、良い」
 
 サハシーに置いてきた服は惜しいが、過ぎたことだと諦める。
 服が用意されているのであれば、問題はない。
 そこで、ふと、ユージーンは気づく。
 気づかなくてもいいのに。
 
「菓子職人というのは、料理人の扱いではないのか」
「へ? なんで?」
「そうでなければ、並びがおかしかろう」
 
 ずらりと並んだ屋敷の者の名と、報告書に書かれていた情報を、頭の中で素早く突き合わせた。
 ユージーンは、頭はいいのだ。
 要、不要にかかわらず、1度、入れた情報は、いつでも取り出せる。
 取り出さなくてもいい時にまで。
 
「もしジョーが料理人という扱いであれば、テオとパットの間に並ばねば、歳の順にならん」
 
 またも悲鳴が上がった。
 いちいち騒がしい屋敷だ、と思う。
 騒いでいる理由も、わからずにいた。
 
「レティシア様、紹介は済みましたし、みんなを下がらせてもよろしいでしょうか?」
「そ、そうだね。みんなも仕事があるしね」
 
 執事が、持ち場に戻るように指示を出していた。
 あっという間に、玄関ホールは4人だけになる。
 少し寂しい雰囲気だが、静かになったのは良いことだ。
 ようやく落ち着ける。
 
(あれほど急いで仕事に戻るとは……ここの者たちは働き者ばかりなのだな。感心なことだ)
 
 まさか自分に怯えて逃げ去った、とは思いもしない。
 とことん己の目線で、物事を判断する。
 それが、元王太子、ユージーンなのである。
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