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第2章 黒い風と金のいと
最後の決断 1
しおりを挟む「なぜ……来た……サイラス……っ……!」
王太子の声に、サイラスは正気に戻る。
ここにいるのは、第2王子のはずだったのだ。
なぜ王太子がいるのかわからず、茫然としていた。
が、正気に戻って、気づく。
「本当に……したたかにおなりあそばしましたね、殿下……」
サイラスの体は、ぼろぼろになっている。
朽ちる寸前だ。
そもそもサイラスは、身の危険を感じていた。
大公が、いつやって来るかわからない。
そのため、備えていたのだ。
王太子が、夜な夜な寝室を抜け出していたことに気づかなかったのは、そのせいもある。
サイラス自身、自室にいなかった。
体から魂とでも言えるものを切り離す「躯魄」という魔術がある。
そうやって、魂だけを安全なところに置いておいた。
体は無防備になるが、完全に死ぬ、ということもなくなる。
大公に体を消されたあと、魂と、そこに宿るわずかな魔力によって、体を「ある程度」復活させたのだ。
とはいえ、大公の力が凄まじ過ぎて、想定していたより体を復元できなかった。
髪も目も、元の色に戻ってしまっている。
姿を変えられるほどの魔力は、もう残っていない。
というより、余裕がなかった。
王宮内の情報を集めるのでさえ、苦労している。
魔力分配が止められていたため、わずかにも無駄遣いはできなかったのだ。
ひと月がかりで、やっと第2王子の部屋を突き止めた。
ザカリーが死ねば、結局は、王太子が即位せざるを得なくなる。
王位継承しさえすれば、サイラスは魔術師長の地位を手にできた。
それは、王太子が望まずとも関係はない。
国王との契約がある。
サイラスは、副魔術師長の地位と、王太子の王位継承を求めていた。
王太子即位後、副魔術師長は、そのまま魔術師長に格上げされる。
同時に、国王となった王太子から魔力がふんだんに与えられるのだ。
いっとき体が朽ちても、戻った魔力で、治癒できる。
王太子が即位しさえすれば。
その思いから、サイラスは、ここにやって来た。
どうしても来る必要があった。
第2王子が生きている限り、王太子の即位はない。
それがわかっていたからだ。
サイラスは、王太子を誰よりも、わかっている。
サイラスという危険な魔術師は、いなくなった。
であれば、本来的には、王太子が即位しても、なんら問題はない。
副魔術師長不在のままでも、即位はできる。
即位後、新たな魔術師長を、国王となった王太子が任じればいいのだ。
もちろん、副魔術師長が「死んだ」ことが前提とはなるけれども。
「俺は……ただ……お前に……生きていてほしかったのだ……」
王太子が、沈んだ声で、そう言った。
たとえ本当にサイラスが死んでいたとしても、王太子は、即位の道を選びはしなかっただろう。
第2王子の死という切迫した状況でもない限り、王位には就かない。
なぜなら、王太子は。
(私以外の魔術師長を、殿下が傍に置くはずはございませんからね)
わかっていたから、第2王子を殺しに来たのだ。
殺さなければならなかった。
再び、力を取り戻すために。
どこにいようと、魔術師長には、国王から魔力が流れてくる。
サイラスは魔力が戻ったら、その身を隠すつもりでいた。
国王から与えられる魔力は大きい。
すぐに力は戻ってくる。
王太子が即位し、次の魔術師長が選出されるまでの期間が、狙い目だった。
サイラスに魔力が流れていることを知る者がいない間に、事を起こそうと考えていたのだ。
レティシア・ローエルハイドを殺す。
サイラスが死んだと思い、誰も彼もが油断しているだろう。
第2王子の死は、病死を装う手筈も整えていた。
殺害となれば、サイラスの死が疑われかねないからだ。
あくまでも影に潜み、レティシアに近づく。
彼女自身に、力はない。
一瞬の隙を突いて、仕留めるなど簡単だった。
大公は、いつだって「たった1人の愛する者」しか視界に入れようとしない。
だからこそ、彼女の死は、大公に「傷」を与えられる。
大公の「生」の意味を、剥ぎ取れるのだ。
そこにしか、サイラスの「生」に、意味はなかった。
何もせず生き続けても「ただの人」に成り下がる。
たとえ魔術師長としての力を手にしても、星は落とせない。
自分の星は、砕けて散った。
目指した嶺は、もう見えない。
レティシアの命を奪い、大公に「傷」をつけることだけが、サイラスの生きた証となるはずだったのだ。
そのために朽ちかけた体を引きずり、己の「予定」を、まっとうしようとした。
「殿下は……どこまでも……私の、望みを叶えようとは……してくださらないのですね……」
喉がザラついている。
声も、うまく出せなかった。
前にはあった、声音のなめらかさも失われている。
魔力なしには、体を維持し続けてはいられない。
人形であったはずの王太子。
彼は、いつの間にか「王」になってしまった。
皮肉にも、サイラスが、そう教育したのだ。
王太子に、自らの存在が露見した以上、魔力が戻ることはない。
放っておいても、体は朽ち、本物の死が訪れる。
最後の瞬間には「ただの人」と成り果てて。
サイラスは後ろに下がり、王太子から少し離れた。
そして、ローブの前をはだける。
茶色く濁った肌と、紫黒い斑点が、あちこちにできていた。
体の復元は、魂と魔術によるものに過ぎない
刻々と、肉は腐っていく。
完全に治癒するための魔力が、サイラスにはなかったのだ。
「これが、唯一、殿下が私にお与えくださったものです」
うまく動かせない腕を、わずかながらに上げ、広げてみせる。
王太子がベッドから降りてきた。
近づいた距離を拒むため、後ろに下がる。
「残酷な真似をなさる……私は、あなたのお命をお救いしたというのに……」
3歳で命を救い、20年も尽くしてきた。
したくもない努力ではあったが、尽くしたのは事実だ。
サイラスは、王太子と視線を交える。
深みのある翡翠色をした瞳。
この瞳を、ずっと見つめ続け、この瞳から、ずっと見つめられ続けてきた。
裏切られたのかどうかなど、もはや、どうでもいい。
サイラスは、体だけではなく、心も壊れている。
すべてのものが、憎悪の対象となっていた。
「殿下……それでも、最後に、殿下とお会いできたことを……私は喜ぶべきなのでしょうね……」
サイラスは、下がるのをやめる。
王太子が目の前に立っていた。
その瞳を見つめ、微笑む。
表情となっているかは、わからない。
体の感覚が、すでになくなっているからだ。
「サイラス……俺は……」
王太子が、きゅっと唇を横に引く。
眉を下げ、幼い頃の表情に戻っていた。
泣きたいのを堪えている時の顔だと、知っている。
見つめながら、サイラスは両手を広げた。
長年、王太子とともにいるが、こんなことをしたのは初めてだ。
病から回復して以来、サイラスは王太子を抱き上げることすらせず、主従の関係を貫いている。
「……お前の望みを……何も叶えてやれず……」
王太子が、サイラスの体を抱きしめてくる。
かすかにぬくもりを感じた。
が、それもサイラスの心を変えさせる理由とは、なり得ない。
抱きしめ返し、その腕に王太子を閉じ込める。
どうせ朽ちるのなら王太子も巻き添えにするのだ。
静かに、指で魔術発動の動作をしかけた。
「期待しないがいい、と言ったはずだがね」
サイラスの手が止まる。
王太子の体を、反射的に突き飛ばしていた。
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