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第2章 黒い風と金のいと

王子様ご乱心 1

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 なんだか、とても蒸し暑い。
 まだ夏を引きずっている時期だからだろうか。
 それにしても、暑いと感じる。
 
「これでは……寝ておられん……」
 
 ユージーンは諦めて目を開き、体を起こした。
 魔術師に言って、室内を冷やさせようと思っている。
 
 ロズウェルド王国は、1年を通じて、それほど湿度は高くない。
 陽射しがきつく気温が高くても、わりあいに空気は爽やかだったりするのだ。
 が、どうにも今夜は蒸し暑くて、我慢がならない。
 ユージーンの部屋には魔術がかけられており、季節に関係なく快適さが保たれているはずなのだけれど。
 
「おおかた魔術が切れているのに、気づいておらんのだろ」
 
 体の不快が、気持ちにも作用して、不愉快になる。
 そうでなくとも、最近はよく眠れていなかった。
 
 恋煩いのせいで。
 
 もちろんユージーンが、それを恋煩いだと意識することはない。
 そんなものの存在を知らないからだ。
 
 魔術師を呼ぼうと、灯りをつけ、ベッドの横にあるチェストに手を伸ばす。
 小さなハンドベルが置いてあった。
 ユージーンは、魔術師を呼ぶつもりだが、まずはハンドベルを鳴らして、侍従を呼び、その侍従が魔術師を呼ぶ、という流れになっている。
 王宮魔術師は警護を含め、様々に王族のため働いていた。
 とはいえ、身の回りの世話係ではないのだ。
 
「殿下」
 
 声に、ハンドベルへと伸ばした手が止まる。
 そちらに視線を向けて、息も止まりそうになった。
 
「そっちに行ってもいい?」
 
 心臓が、ばくばくと跳ねまわっている。
 彼女を前にすると冷静さを欠き、いつも動揺してしまう。
 
「……かまわん」
 
 なんとか、それだけを言葉にした。
 会話になっていたかはさておき、湖では、もう少しまともに話せている。
 エッテルハイムの城でも、2人きりだったが、かなり流暢に話せていた。
 
 が、しかし。
 
 ここは、外ではないし、予定されたことでもない。
 心構えというか、気持ちの持ちようというか。
 そうしたものがないので、動揺がおさまらなかった。
 
「私の思いを伝えたくて来たんだけど、迷惑だった?」
「い、いや……」
 
 まともに彼女の姿を見ることもできず、ユージーンは顔をそむける。
 その、ユージーンの耳に「ぎし」という音が聞こえた。
 ベッドの沈み具合からしても、彼女がそこに座っているのがわかる。
 
(な、なぜ、レティシアがここにいるっ? し、しかも、こんな夜更けに、男の寝室を訪ねるなど……っ……)
 
 意味は、ひとつくらいしかない。
 小さな子供であれば、本を読んでくれとねだりに来たとも思えるけれど。
 レティシアは子供じみたところはあれど、そこまで子供ではないのだ。
 だから、夜更けに男性の寝室を訪ねた理由。
 
 ひとつしか思いつけない。
 
 正妃選びの儀の頃のユージーンであれば、動揺などしなかっただろう。
 なんだ「やはり」その気になったのか、としか思わなかったに違いない。
 そして、深く考えることもなく、レティシアを抱いていた。
 おそらくは、嫌々ながらも、義務と捉えて。
 
「どうして、こっちを向かないの?」
 
 動揺しているからだ、とも言えず、しかたなく、ちらっとレティシアのほうに視線を向ける。
 わかってはいたのだが、衝撃を受けすぎて、またもや視線を逸らせた。
 
(寝間っ……寝間着ではないか……っ……)
 
 しかも、ただの寝間着ではない。
 それをユージーンは、知っているのだ。
 そして、ハッとなる。
 
(そうか! これレティシアが言っていたのは、この寝間着のことであったか!)
 
 エッテルハイムの城で、レティシアが言った内容を思い出していた。
 思い出さなくてもいいのに。
 
(なるほど服を着て、というのも、あながち、おかしなことではない……)
 
 王族にはない慣習だったので考えつかなかったことを、悔やむ。
 あの時、レティシアに、服を着たままなら承諾するかと、聞くべきだったのだ。
 
「この姿は、お気に召さない?」
「そ、そのようなことは……」
「それなら、こっちを向いて」
 
 そっと手を握られ、全身が緊張する。
 14歳から、日常的に女性とベッドをともにしてきた。
 緊張など1度もしたことはない。
 人にさわるのもさわられるのも好まないため、早く済ませて1人で休みたいと、頭で考えていたぐらいだ。
 もちろん女性をこころよくするのも、こうした際の務めだと思っている。
 だから、雑に扱ったことはないが、好色家のような熱心さもない、というところ。
 
 レティシアに促されるようにして、そちらに顔を向ける。
 どこを見ればいいのか、ユージーンは、視線を斜め上に逸らせた。
 淡いベージュをしているが、生地自体は分厚いので、レティシアの体が透けて見えるようなことはない。
 首元も少し広めではあるものの、肩にぴったりと沿っている。
 脱がすとなると、腕を上げさせなければならないだろう。
 
 さりとて。
 
 脱がす必要はないのだ。
 ちらっと、視線をレティシアの下腹部に落とした。
 喉が、わずかに上下する。
 
(へ、平民らが使う、ね、寝間着であったか……)
 
 貴族でも、時々は使うらしいと聞いたことはあった。
 が、ユージーンは、王族だ。
 こんな寝間着は、実際的には初めて目にする。
 ユージーンがベッドをともにしてきた貴族令嬢は、けして身に着けない類。
 彼女らは、体がすっかり透けて見える、ゆったりとした、肩からストンと楽に落ちる寝間着を着ていた。
 だから、ベッドでの行為は、服を脱ぐのも、裸なのも当然だと、ユージーンは認識している。
 服を着て「する」など、おかしな話だと思っていたのだけれど。
 
 その寝間着には、腰から下に切れ目が入っていた。
 ぴらりとめくれば、彼女の下半身が、簡単に見えてしまう。
 つまり「服を着たままする」ことができるのだ。
 
「レ、レティシア、なぜ、気が変わった?」
 
 あれほどかたくなに正妃となることも、自分に抱かれることも拒んでいた、レティシアの気持ちが変わった理由は、知っておく必要がある。
 浮かれてばかりでは、また花瓶でガツンとやられかねない。
 
「あなたの気持ちがわかったから。私をすごく好いてくれてるよね?」
 
 ふわぁともやが晴れていた。
 どのあたりでかは知らないが、ようやく想いが通じたらしい。
 ユージーンは、やっとレティシアの顔に視線を向ける。
 大きくて黒い瞳を見つめた。
 
「本当に良いのだな?」
「あなたの正妃にしてくれる?」
「当然だ。俺は、最初から、そのつもりでいたのだぞ」
 
 彼女の頬に手をあてる。
 感触とぬくもりに、心臓が鼓動を速めた。
 レティシアが、ユージーンを見つめ、微笑む。
 
「あなたのことが、好き」
 
 たまらず、レティシアの体を引き寄せ、抱きしめた。
 正妃選びの儀で、彼女をやせぎすなどと思ったのは間違いだ。
 ほっそりとはしているが、女性らしいまろやかさがある。
 こんなふうだったのか、と思った。
 ユージーンは、彼女にまともにふれたことがなかったからだ。
 抱きあげたり、手首をつかんだりしたことはあったけれども。
 
「お前が正妃になるのなら、ほかの2つの願いは叶えると約束する」
 
 1つ目の「よく知り合う」というのは、これから時間をかけるつもりだ。
 2つ目の「愛し愛される婚姻」をする気も、十分にある。
 ユージーンだって、レティシアに愛人など作られたくはないので。
 
「そのことは、もう気にしなくてもいいから……早く、あなたのものにして」
 
 背中に回された腕と、その言葉に、ユージーンは陶酔した。
 好きになった女性から求められているのが、ひどく嬉しい。
 体を離し、レティシアと見つめ合う。
 
「俺は、お前のことを……」
 
 レティシアは目を伏せていた。
 その唇に、自分の唇を重ねようと、ユージーンは顔を近づける。
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