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第2章 黒い風と金のいと

そんなこととは露知らず 1

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(あれじゃ、始末つけにくいぜ)
「そうだろう、ジーク」
 
 ジークは姿を消して、彼の隣に立っている。
 実際、ずっと一緒にいたのだけれども。
 
(面倒くさいけど、嫌いでもないってのは、本当らしいな)
 
 彼も、そう感じているのだろう、返事はなかった。
 ジークは、じっと彼の孫娘を見つめる。
 屋敷の者に取り囲まれ、例の魚を披露していた。
 帰ってきた時には、ひとしきり王太子の文句を言っていたのだが、今は魚に夢中な様子。
 笑いながら、さっきのことを話している。
 
「それがね、王子様、ヌルヌルしてて気色悪い!って言ってさー」
「魚は、たいていヌルヌルしてると思いますが?」
「そうなんだよ、パット! 私も、そう言った」
「でも、ちゃんと捕って来られたんですね?」
「そ。びしょ濡れでね。マギーにも見せたかったよ」
 
 そんな会話が繰り広げられていた。
 王太子と会ったことを隠そうともしていない。
 彼女が気にしていないからか、屋敷の者たちも笑っている。
 つい最近、王太子にさらわれたことなんて、忘れてでもいるかのようだ。
 
(ここンちのもんは、みんな、どうかしてるんじゃねーか?)
「サリー以外は、実際を知らないからね。それに、サリーはレティが笑っているほうがいいのさ」
 
 わざわざ思い出させて、水を差すことはしたくない、というところか。
 ジークには、よくわからない感覚だった。
 己の身の危うさは、きちんと把握しておくべきだと思う。
 常に警戒していろとは言わないまでも、警戒心は必要なのだ。
 
「いいんだよ。あのは、あれで」
(まぁね。わかってんだけどね)
 
 彼女が無防備に過ぎるから、ちょっぴり気がかりになってしまう。
 ジークも彼の言わんとしていることは、わかっていた。
 それでも、彼の宝をむざむざと奪われた失態を、未だ忘れられずにいる。
 
 今回のことだって、ずいぶんとジークは緊迫感をいだいていたのだ。
 彼は点門を使う前に、遠眼鏡とおめがねで、ちゃんと湖の周辺を観察している。
 なのに、あの王太子はどうやってか、入り込んできた。
 もちろん、点門をくぐる前に遠眼鏡は切るのだから、見えない瞬間はある。
 だとしても、ほんのわずかな間だ。
 そんな隙をついて来るなんて、と心がざわざわした。
 
 その後は、彼が絶対防御を展開したので、誰もあの領域には入れなくなった。
 魔術師たちが、遠巻きにしているのを、ジークは空から見ている。
 変な動きをする者がいれば、適当に始末する気でいたのだ。
 魔力量から、相手が上級魔術師だとわかっていた。
 8人ほどいたが、ジークにとっては敵にもならない。
 上空から魔力を感知し、場所を特定。
 1人ずつ狙い撃ちすることなど造作もないことだった。
 
 見失ったウサギとは違う。
 
 さりとて、彼が騒ぎを起こしたくないと思っていそうだったので、警戒するだけにとどめておいたのだ。
 魔術師たちは、遠巻きにしていただけで、何を仕掛けるでもなかったし。
 それを、少しだけジークは残念に感じている。
 
「物騒なことを考えているねえ」
(だってさ、あのあとサイラスが来ただろ?)
「そのようだ。彼は、さぞ肝を冷やしたろうさ」
 
 彼が冷淡な笑みを浮かべた。
 見慣れているので、驚きもしない。
 だいたい彼はサイラスを許してはいないのだ。
 ただ、今回はまだ「時期」ではなかっただけのこと。
 
(挨拶くらい、してやればよかったんじゃねーか?)
 
 サイラスの姿を、ジークは視界に捉えている。
 見えているのに何もしないなんて、つまらない。
 軽く雷を落とす程度のことをしても、かまわなかったのではないか。
 半身が焼けたって、どうせサイラスは、治癒ですぐに治していただろう。
 
「あの場にはレティがいたからね」
 
 下手へたにちょっかいを出して、孫娘に「何か」あるより、サイラスを見過ごしにするほうがいい。
 ほんのわずかな危険も、彼女からは遠ざけておきたいようだ。
 本当には、サイラスの命綱である王太子に始末をつければ、簡単に厄介事をなくせる。
 わかっているのに、できない。
 彼の孫娘は、王太子を嫌ってはいないから。
 
(あいつが死んだら、アンタの孫娘は悲しむかな?)
「多少はね」
 
 その「多少」を、彼は問題にしている。
 塵ひとつでも落としたくない、というふうに。
 
「ジーク、きみの判断は正しい」
(嫌なコト言うなよ。面倒くさいだろ)
「確かにね。私も、そう思っているよ」
 
 王太子は、本気で「何も」わかっていない。
 サイラスの「駒」だとは思っていたが、あれほどとは思っていなかった。
 おそらくサイラスは、己のしていることを王太子に告げていないのだ。
 都合の良いように捻じ曲げて、分かり易く操っている。
 さりとて、王太子に同情などはしないのだけれども。
 
「レティは勘がいいのだね」
(悪人かそうでないかって言えば……たぶん悪人じゃねーからな)
 
 罪があるかどうかは関係ないとして、王太子は、悪人ではない。
 花瓶で殴られたなどと、エッテルハイムの城にいたのが「本物」だったことを自ら明かしている。
 そして、それを気にしてもいなかった。
 王太子は、何も知らず、サイラスの作った曲でダンスを踊っているだけだ。
 しかも、自分で選んだ曲、自分で望んで踊っている、と勘違いをさせられている。
 
(サイラスを信じるなんてサ)
「空腹の時に、乳をくれた乳母だからね」
 
 皮肉を込めた言葉と、小馬鹿にした口調。
 そこには、ささやかな彼の感情がこめられていた。
 
 彼は、妬いているのだ。
 
 王太子は、何もわかっていない。
 わかっていないから、己の感情をまっすぐにぶつけてくる。
 王太子が王太子である所以ゆえんでもあった。
 王太子は物事を、己を中心にして見ている。
 人の気持ちになどおかまいなしだとは言えるが、言いたいことを言いたいままに言う、ということでもあった。
 良いか悪いかはともかく、己の感情に対して素直なのだ。
 曲げる理由が「王太子」という存在にはない。
 
 彼やジークが、とっくに捨て去った「人」である証。
 
 王太子は、それを惜しげもなく放り投げてくる。
 それは、彼の孫娘との近しさを感じさせた。
 実のところ、ジークもちょっぴり面白くない気分でいる。
 彼女の最も近い場所には、彼にいてほしかったからだ。
 それがどんな種類の「近しさ」であっても。
 
「あれ? グレイ、遅かったねー! 見て、この魚! 私が……」
 
 はしゃいだ様子が、スッと、かき消える。
 彼の孫娘だけではない。
 屋敷の者たちも、戻って来た連中の雰囲気に、ただごとならざる空気を感じとっているようだ。
 全員が、騒ぐのをやめ、口を閉じている。
 
 彼の元部下である執事が、頭を下げる。
 周りにいる3人は、一様に泣きそうな顔をしていた。
 彼は、すでに何かを察している。
 具体的なことはわからなくても、彼が感じていることは伝わっていた。
 
「レティシア様。本日付けで、私はこの屋敷を出て行きます」
「は……? なに、言ってんの、グレイ?」
 
 執事が顔をしかめ、視線をそらせる。
 ジークの隣で彼が冷笑を浮かべた。
 
「そういうことか……これは、どうも……まいったね」
 
 表情は冷たいのに、彼は冷酷には見えない。
 こんな時、ジークは自分がどうすればいいのか、わからなくなる。
 ジークの「どうでもよくないこと」に、良くないことが起きているからだ。
 なのに、すべきことが見つからない。
 
「サイラスは、私を怒らせたくてたまらないのだろうさ。私の弱みをよく知っている。ああ、本当にね」
 
 彼は、表情を変えて、孫娘を見つめている。
 ジークには、とても彼に弱みがあるようには思えなかった。
 だから、つい聞いてしまう。
 
(アンタに弱みなんか、あるのかよ?)
 
 返事がないことが返事だとは、知っていた。
 が、今回ばかりは答えが欲しくなる。
 自分は彼の武器であり、相棒なのだ。
 彼に弱点があるのなら、知っておく必要がある。
 ジークの思いを察したのかはわからない。
 
「愛だよ、ジーク」
 
 答えた彼の瞳には、底が見えないほどの、暗い哀しみが漂っていた。
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