上 下
87 / 304
第1章 暗い闇と蒼い薔薇

愛しの孫娘 3

しおりを挟む
 なんだ、これ、と思う。
 グレイは血まみれで床に倒れているし、サリーも傷だらけ。
 
 しかも、メイド服はボロボロ、申し訳程度にしか布地が残っていない。
 部屋は霜だらけで、真っ白だし。
 なぜこんなことになっているのか。
 
「レティシア様ッ?!」
 
 サリーが驚いたような顔で、レティシアを見ていた。
 こちらに来ようとしたのだろう、起き上がろうとした足が、かくんとくずおれる。
 逆にレティシアから駆け寄って、しゃがみこんだ。
 
「サリー! なんでこんな……っ……?」
「お逃げください……レティシア様……ここは危ないのです……っ……」
「逃げるって……無理だよ!」
 
 こんなサリーとグレイを見てしまっては。
 
 自分1人でスタコラなんて、できるはずがない。
 危ないと言われても、それより2人の状態のほうが怖かった。
 現代日本では、映画やテレビドラマならともかく、日常生活で、こんなに血を流している人を見ることはなかったからだ。
 しかも、近しい人が大怪我を負っている。
 
(ヤだ……ヤだ……グレイが死んじゃう……サリーも危ない……ヤだ……)
 
 レティシアは知っていた。
 
 人は死ぬのだ。
 さっきまで話していた人が、話さなくなる。
 突然にぬくもりを失い、なんの反応もしなくなる。
 
 そんなことがあるのだと、レティシアは知っていた。
 だから、怖かった。
 グレイとサリーを失ってしまうのではないか、との恐怖にとらわれる。
 
「お前は、誰だ」
 
 しわがれた声に、ハッとなる。
 見れば、ローブ姿で腰の曲がった老人が立っていた。
 皺だらけの顔といい、見るからに「悪い魔法使い」だ。
 
 カァッと頭に血が昇る。
 恐怖が怒りに取って代わった。
 立ち上がり、老人と向き合う。
 
「あなたが2人をこんな目に合わせたんだね」
「黒い髪に黒い目……あのガキの子か? いや、子は男だと聞いた気がする」
 
 老人は、レティシアの問いを平然と無視した。
 が、レティシア自身、本気で返事がほしかったわけではない。
 わかっている事実の、単なる確認に過ぎなかった。
 それでも、返事をしない老人の態度に苛立つ。
 
「そうか……孫だな……そうか……わしは、それほど長くここに閉じ込められておったのか」
「なに1人でブツブツ言ってんの?! 魔術師なら、治癒くらいできるんでしょ?! 早く2人を治してよッ!!」
 
 この老人が2人に怪我をさせたのだと、わかっている。
 だからこそ、治すべきだと思ったのだ。
 彼女は現代日本の現実世界で、実際の殺人鬼に遭遇したことはなかったので。
 
「ジョシュア・ローエルハイド……儂をここに閉じ込めたガキの孫娘……」
 
 老人の言葉が耳にとまる。
 そこでレティシアは、ようやく気づいた。
 
 こいつはヤバい奴だ。
 
 祖父が閉じ込めたということは、なんらか意味がある。
 この老人の歳はわからないが、閉じ込められたのは最近ではない。
 おそらく祖父がまだ王宮に属していた頃だろう。
 当時、祖父が担っていたのは「特殊な任務」だ。
 王宮魔術師の手に負えなかった相手なのではなかろうか。
 
 が、ヤバい奴だと気づいても、逃げるという発想には繋がらない。
 命の危険になどさらされたことがなかったからだ。
 
 グレイとサリーが危ないのはわかる。
 なのに、自身の危険には実感が伴っていなかった。
 夢の中だと思っていた頃は、飛び起きることを前提に「殺されるかも」などと考えられもしたが、今は「リアル」に感じられずにいる。
 
「あのガキの孫ということは……魔力持ちか?」
 
 皺だか目だかわからないながらも、見られているのは、わかった。
 非常に、気持ち悪い。
 
 小説などで出てくる表現の「ねめつける」とは、こんなふうかと思う。
 にらむというのとは雰囲気が違い、じっとり感が半端ない。
 嫌な目つきだった。
 目があるのかどうかは不明だけれども。
 
「簡単に殺すのは惜しい。あのガキを嘆き苦しませるほどに、お前を切り刻んでやらねばな。死体にすがれもしない姿にしてやろうぞ」
 
 レティシアは平和な日本で育ってきている。
 こんな台詞は、日常会話では使わないし、使う用もない。
 どこまでも現実感がなかった。
 
「あぶな……ッ……?!」
 
 パンッと、手が何かを弾く。
 レティシア自身、驚いていた。
 何が危なかったのかもわからないまま、手を出していたのだ。
 
 床に黒いものが落ちている。
 見た目は、時代劇の忍者が使う「苦無クナイ」に似ていた。
 が、ひと回りは小さくて細い。
 どちらかと言えば、1本もりの先に近い形をしている。
 
「魔術の発動は感じられぬが、あのガキの孫ならば、ありえる話よな」
 
 レティシアは魔術の「ま」の字も知らなかった。
 魔力が顕現していると聞いてはいる。
 だが、魔術は習得していなかった。
 
 使えなくても困らなかったし、覚えることで、いよいよ「彼ら」に粘着されるのではないかと思えたからだ。
 ただでさえ「抑止力」などと言われている。
 今の生活に大満足なレティシアとしては「彼ら」を、引き寄せそうな魔術などあえて覚える気はなかった。
 
(やっぱり、こいつ、変! ヤバい! 魔術師のくせに、私が魔術を使ってるかどうかもわかんないなんて、おかしいよ!)
 
 レティシアには、祖父により、個の絶対防御がかけられている。
 が、レティシアは知らない。
 
「それなら……これは、どうだ!」
 
 頭上から、何かが落ちてくる。
 と、思った瞬間、勝手に体が動いていた。
 目視の力も向上しているが、それよりなにより反射神経だ。
 
 レティシアは運動が苦手ではない。
 ものすごく優れているとは言えないまでも、中の上くらい。
 
 年齢的な反射神経の平均時間は約0.25秒。
 今のレティシアが、老人のわずかな動きを視認し、反射で動くまでに約0.07秒。
 落ちてくるものを両手で弾く。
 もちろん両手も3倍速で動いていた。
 
「ちっ……あの魔術騎士がいらぬことをしておらねば……」
 
 グレイが何かしたらしく、老人は思うように力が発揮できていないらしい。
 だとすると、反撃のチャンスがあるのではないかと思った。
 レティシアは、サッとしゃがみこみ床に落ちた「苦無」のようなものを拾う。
 両手に持って、構えた。
 
 人を傷つけるのは恐ろしいし、したくもない。
 それでも、やらなければならない時だってある。
 
 守っているだけでは、守れないから。
 
 王子様とは違い、この老人は見逃がしてはくれないだろう。
 2人にしたことも、言っていることも、常人ではありえなかった。
 
「儂はお前のような小娘なんぞより、そこの女のほうが好みなのだがな。あのガキの孫娘だ、遊んでやるわい」
 
 老人が、チラリと嫌な視線をサリーに向ける。
 ぶわっと、また怒りが湧きあがった。
 
「このっ!ド変態じじいっ!!」
 
 手にした「苦無」のようなものを、思いきり投げつける。
 が、老人の前で、それは止まってから、消えた。
 
「儂が作ったもので、儂を傷つけられると思うたか?」
 
 老人がわらう。
 同時に、しゅるんとレティシアの首に、首吊り台にあるような輪っかがかけられていた。
 
「それはな、嗟縄さじゅうというてな。動けば動くほど絞まっていく縄だ」
 
 ということは、動かなければ絞まらないということだろうか。
 考えた直後、老人がサリーに、すうっと近づいた。
 長い爪の伸びた手を、サリーへと伸ばしている。
 
「やめてよっ! このド変態じじいッ! サリーにさわらないでッ!!」
 
 思わず、足を踏み出した。
 とたん、スッと縄が絞まる。
 さっきまで首筋にはふれていなかった縄の感触が、首にあった。
 レティシアの目の前で、老人がサリーの胸元に傷をつける。
 赤い血が、つうっと流れ落ちていった。
 
「サリーッ!!」
 
 その光景を見ると、どうしても体が動いてしまう。
 また少し縄がきつく、絞まっていた。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~

黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※ すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!

私の推しメンは噛ませ犬◆こっち向いてよヒロイン様!◆

ナユタ
恋愛
十歳の誕生日のプレゼントでショッキングな前世を知り、 パニックを起こして寝込んだ田舎貴族の娘ルシア・リンクス。 一度は今世の幸せを享受しようと割りきったものの、前世の記憶が甦ったことである心残りが発生する。 それはここがドハマりした乙女ゲームの世界であり、 究極不人気、どのルートでも死にエンド不可避だった、 自身の狂おしい推し(悪役噛ませ犬)が実在するという事実だった。 ヒロインに愛されないと彼は死ぬ。タイムリミットは学園生活の三年間!? これはゲームに全く噛まないはずのモブ令嬢が推しメンを幸せにする為の奮闘記。 ★のマークのお話は推しメン視点でお送りします。

転生令嬢はのんびりしたい!〜その愛はお断りします〜

咲宮
恋愛
私はオルティアナ公爵家に生まれた長女、アイシアと申します。 実は前世持ちでいわゆる転生令嬢なんです。前世でもかなりいいところのお嬢様でした。今回でもお嬢様、これまたいいところの!前世はなんだかんだ忙しかったので、今回はのんびりライフを楽しもう!…そう思っていたのに。 どうして貴方まで同じ世界に転生してるの? しかも王子ってどういうこと!? お願いだから私ののんびりライフを邪魔しないで! その愛はお断りしますから! ※更新が不定期です。 ※誤字脱字の指摘や感想、よろしければお願いします。 ※完結から結構経ちましたが、番外編を始めます!

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

ロザリーの新婚生活

緑谷めい
恋愛
 主人公はアンペール伯爵家長女ロザリー。17歳。   アンペール伯爵家は領地で自然災害が続き、多額の復興費用を必要としていた。ロザリーはその費用を得る為、財力に富むベルクール伯爵家の跡取り息子セストと結婚する。  このお話は、そんな政略結婚をしたロザリーとセストの新婚生活の物語。

放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢のシェルニティは、両親からも夫からも、ほとんど「いない者」扱い。 彼女は、右頬に大きな痣があり、外見重視の貴族には受け入れてもらえずにいた。 夫が側室を迎えた日、自分が「不要な存在」だと気づき、彼女は滝に身を投げる。 が、気づけば、見知らぬ男性に抱きかかえられ、死にきれないまま彼の家に。 その後、屋敷に戻るも、彼と会う日が続く中、突然、夫に婚姻解消を申し立てられる。 審議の場で「不義」の汚名を着せられかけた時、現れたのは、彼だった! 「いけないねえ。当事者を、1人、忘れて審議を開いてしまうなんて」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_8 他サイトでも掲載しています。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

【完結】あなたがそうおっしゃったのに。

友坂 悠
恋愛
どうして今更溺愛してくるんですか!? メイドのエーリカは笑顔が魅力的な天真爛漫な少女だった。ある日奉公先の伯爵家で勧められた縁談、フォンブラウン侯爵家の嫡男ジークハルトとの婚姻を迫られる。 しかし、 「これは契約婚だ。私が君を愛することはない」 そう云い放つジークハルト。 断れば仕事もクビになり路頭に迷う。 実家に払われた支度金も返さなければならなくなる。 泣く泣く頷いて婚姻を結んだものの、元々不本意であったのにこんな事を言われるなんて。 このままじゃダメ。 なんとかして契約婚を解消したいと画策するエーリカ。 しかしなかなかうまくいかず、 それよりも、最近ジークハルトさまの態度も変わってきて? え? 君を愛することはないだなんて仰ったのに、なんでわたくし溺愛されちゃってるんですか?

処理中です...