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第1章 暗い闇と蒼い薔薇

とらわれの地下室 4

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 サリーは、できるだけ不自然にならないように、気を失ったフリを続ける。
 扉の向こうから話し声が聞こえてきた。
 グレイの位置からなら姿が見えそうだが、そのグレイの体がサリーの視界を遮っているため、サリーには扉の向こうが見えない。
 
 声も、ぼそぼそしていて聞き取れなかった。
 きっとグレイには聞こえているはずだ。
 元魔術騎士であるグレイは、補助的な魔術も習得している。
 遠くの物音もとらえられる「寄聴よせぎき」も使えると記憶していた。
 
(……エッテルハイムの城……確かアンバス侯爵の持ち城だったわね)
 
 グレイに言われるまで、その存在自体を忘れていたが、魔力を疎外する城は、実は各地に存在する。
 元々、この国は小国の寄せ集めで出来ていた。
 国として成り立つ前、魔術師はおらず魔力は病気として扱われてきた。
 その中で、手に負えない者を隔離するようになったわけだが、それは現アンバス領だけのことではない。
 だから、領地ごとに過去の遺物として似たような構造の城が点在している。
 
(執事としては有能よね。男としては、ヘタレだけど)
 
 サリーは、なぜグレイが点在する城の中から、ここを特定できたのか、わかっていた。
 サリーとて、ここが地下なのだろうくらいは予測がついている。
 が、グレイは部屋の大きさや造り、天井の角度、微量な空気の流れまでをも計算に入れ、頭の中の膨大な城内地図と照合したのだ。
 
 悔しいのは、それがわかっても大公に伝えられないことだった。
 大公も、魔力疎外されていることには気づいているだろう。
 直接、魔力を分配しているグレイに、分け与えることができなくなった時点で、きっと察している。
 もし魔力疎外できる城がここしかなかったのなら、とっくに姿を見せていたはずだ。
 
(ひとつずつ可能性を潰していくとしても……城の内部も探さなければならないのだから、いくら大公様だって、それなりに時間がかかってしまうわ)
 
 レティシアをさらったのは、王太子と副魔術師長で間違いない。
 何を考えているのかも、だいたいは察しがつく。
 
 心を差し出さないのなら体を差し出せ。
 
 よくあることだ。
 サリーの姉には幼馴染みの恋人がいた。
 そのため、領主である貴族からの愛妾になれとの申し出を何度も断った。
 にもかかわらず、領主は両親に圧力をかけてきたのだ。
 
 ありもしないことで罰と称し、税を増やした。
 貧乏貴族であったサリーの家は、それまでだってあっぷあっぷの状態。
 なんとか生活をしのげてきたのは、たまたま大きな飢饉や災害がなかったからに過ぎない。
 多額の税を課せられれば、サリーの家族どころか、領民まで飢えてしまう。
 
 結果、姉は領主の愛妾にならざるを得なかったのだ。
 会いに行っても追い返されるばかり。
 それどころか「15歳を過ぎたら来い。お前も愛妾にしてやる」と言われた。
 
 あの時の領主の好色な顔を、サリーは忘れられずにいる。
 思い出すだけでゾッとした。
 
 15歳になってすぐに屋敷勤めをしようとしたのは、王宮とは関わりたくなかったからだ。
 貴族といっても様々で、領主のように、常に王宮と関わりの深い貴族もいれば、夜会にも招かれない貴族だっている。
 元々サリーが勤めようと思っていたのは、そういう中級貴族の屋敷だった。
 
 大公に拾われなければどうなっていたか。
 仮にどこかの貴族の愛妾になるしか道がなかったとしても、あの領主のような男だけは選ぶまいと思っていたけれど。
 
 結局、サリーは公爵家にいる。
 誰の愛妾にもならずにすんだし、王宮とも関わらずに生きてこられた。
 大公には、大きな恩がある。
 返しきれないほどの恩だ。
 だが、サリーの心にあるのは、それだけではない。
 
(レティシア様に……なにかあったら……)
 
 いても立ってもいられない気分だった。
 どのくらい意識を失っていたのかもわからない。
 刻々とレティシアの身が危険にさらされている。
 早く捜しに行きたかった。
 
 彼女は魔力を持ってはいても、扱うすべを持たないのだ。
 魔術だって使えない。
 身を守ることができるとは思えなかった。
 
(あの粘着王子……ウチの姫さまにおかしな真似をしたら、絶対に許さない)
 
 王太子は、ローエルハイドの血が欲しいばかりにレティシアを望んでいる。
 屋敷に来た際の態度からすると、有無を言わさず正妃にするつもりだろう。
 今ごろ、レティシアに無理を強いているかもしれないのだ。
 
 『好みじゃないって、はっきり言ったのにさ。あの王子様、全っ然、話が通じないんだよ! 好みじゃなくても問題ないとか言うしさあ!』
 
 彼女の言葉が思い出される。
 王太子に「ド粘着」されていることを、グレイもサリーも深刻に受け止めていた。
 
 けれど、レティシアは深刻だとは受け止めていない様子だったのだ。
 腹の立つ相手としての認識しかなかったように思える。
 相手は、仮にも王太子であり、それこそ望むものはなんでも手に入る立場にいる者だと、わかっていないようだった。
 
 以前の彼女とは違い、今のレティシアは無邪気で無防備に過ぎる。
 それでも、サリーは、そんな彼女が好きなのだ。
 疑り深く、人を信じられないレティシアに戻ってほしくはない。
 
(サリー……)
 
 グレイの視線に、体へと緊張が走った。
 扉の向こうから、見覚えのない老人が入ってくる。
 
「意識は戻っておるのだろう。寝た振りなんぞしても無駄だぞ」
 
 しわがれた声に、背筋が冷たくなった。
 溢れ出てくる魔力が、床を伝うようにしてサリーの体にまとわりついてくる。
 恐ろしいほどの魔力量だ。
 
 先に立ち上がったのはグレイだった。
 すぐにサリーも立ち上がる。
 敵わないとしても、諦めるわけにはいかない。
 
「ほう。2人とも魔力持ちか。これはこれは……ひひっ……」
 
 ひきつったようなわらい声をあげ、老人が、ニィッと口を横に引いた。
 それが皺なのか口なのか判別できないほどに、顔中が皺だらけだ。
 不意に、グレイの体から、いつにない緊張が伝わってくる。
 
 見れば、額に汗が浮いていた。
 顔にも苦悩が見てとれる。
 5年のつきあいで、こんなグレイは初めてだった。
 
「……レスター・フェノイン……」
 
 グレイの絞り出すような声に、老人がまた嗤う。
 耳障りで嫌な嗤いかただった。
 
「懐かしい名を知っておるのだな。フェノインの家は、とっくに断絶しておるというのに」
 
 サリーには、まったく聞き覚えがない。
 が、グレイの頭の中には、この老人の「履歴書」があるのかもしれなかった。
 グレイがサリーを庇うように前へと出てくる。
 その際に、サリーにチラっと視線を投げてよこした。
 
(逃げるんだ、サリー)
(なに言ってるの?! あなた1人じゃ、どうにもならないんでしょ?!)
(そのくらい、こいつは“ヤバい”のさ)
 
 どくどくと、心臓が血液の流れを速くしている。
 自分の言葉を否定してほしくて言ったのに、あっさり肯定されてしまった。
 
 グレイは、辞しているといっても魔術騎士だ。
 戦争にも行き、戦うすべも持っている。
 そのグレイが「ヤバい」と言った。
 魔力量の話だけではないのだと、一瞬で悟っている。
 
「そっちの女のほうが、わしの好みだ。少し味見をしておくか」
 
 視線を向けられただけで、足元が凍りつきそうになった。
 屋敷や森にいた際には、味わうことのなかった恐怖が体をつつんでいる。
 
「彼女には手を出さないでもらおう」
 
 グレイが右手を、サッと振った。
 緑色に光る剣が握られている。
 老人が皺のような目を、さらに細めた。
 
「魔術騎士……そうか、あれは元気にしておるのだな。ジョシュア・ローエルハイド。ガキの分際で儂をここに閉じ込めた、あのガキ……」
 
 大公から魔力分配を受ける、彼の直属の部下、それが魔術騎士なのだ。
 未だ分配しているということは、大公の健在を意味している。
 
 老人の目が、憎悪に怪しく光っていた。
 瞬間、黒い閃光が走る。
 グレイが剣で、それを弾き返した。
 
 魔術同士のぶつかり合いは音を立てない。
 周囲が静かであることが、余計に緊迫感を煽っている。
 
「あのガキの手下……お前をなぶり殺しにすれば、儂も少しは溜飲が下がるというものだ」
 
 剣を構え、サリーを背中に庇い、グレイが距離を取るように位置を変えた。
 後ろ手でサリーに、逃げるよう合図を送ってくる。
 自分は足手まといにしかならないし、レティシアを探さなければならない。
 わかっていても、それがグレイを見捨てることになるのも、わかっていた。
 
(グレイ、今のあなたは、魔力が戻らないのよ?!)
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