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第1章 暗い闇と蒼い薔薇

副魔術師長の策略 3

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「追うのか?」
 
 ジークの言葉に、彼は答えずにいる。
 地面に手をあてて、考え事をしていたからだ。
 
(……ギリギリというところか)
 
 地面に残る転移の跡。
 そこには薄く魔力も残っている。
 魔力感知の領域を広げると、たなびく雲のように、獣道のように、痕跡が流れているのがえた。
 
 ジョシュア・ローエルハイドの力は絶大。
 
 そんなふうに言われているのを彼は知っている。
 確かに魔力の量も使える魔術の数も多い。
 けれど、と思った。
 
(所詮この程度。孫娘の居所も瞬時にわからないようではね)
 
 絶大などではないのだ。
 自嘲しながら、立ち上がる。
 
 痕跡を追うことは、できなくはなかった。
 けれど、サイラスのことだ、おそらく迂回に迂回を重ねているに違いない。
 転移は一瞬でも、痕跡は、その迂回路を追わなければならないのだ。
 
 追えはするものの、時間がかかる。
 
 はなから見つかると想定してのことだろう。
 サイラスは、見つからないようにしよう、などとは思っていない。
 だからこそ、時間稼ぎとして有効的な手立てを取っている。
 
「だったら、どーすんだ?」
 
 彼が追わないと決断したことを、ジークは察したようだ。
 少し不満げな口調が、彼らしくなかった。
 
 ジークは責任を感じている。
 己の目と鼻の先でレティシアを奪われたのだ。
 後悔にせっつかれ、早く追いたがっている。
 
「ジークのせいではないよ」
「でも……」
「ジークが自分のことを責めるのなら、私も同等に自分を責めなくてはならない。いや、もっと、だろうね」
 
 絶対、ということはない。
 
 いつも、そう思っていた。
 なぜなら、自分には「絶対」の力があると、以前は彼自身が「勘違い」をしていたからだ。
 
 絶対の力があったのなら、妻を救えた。
 治癒の魔術でエリザベートの病を癒してやれた。
 が、救えなかった。
 
 結局のところ、それは過信であり、勘違いに過ぎない。
 絶対など、この世にはないのだ。
 だから、彼は「絶対」など信じていなかった。
 
「オレ……自分が変転できるから、薬を使うって思いつかなかった」
 
 ジークが、悔しげに言葉を、ぽつぽつと落とす。
 それもそのはずだ。
 魔術で体を別の生き物にすること自体が、とても難しい。
 加えて、ジークは己の能力で自由自在に「変転」できる。
 
 ジークにとっては姿を変えることなど、息をするがごとく、なのだ。
 他の者が、嗜好や娯楽のために「変化へんげ」の薬を使うことがあると知ってはいても、それが脅威になり得るとまでは、思えなくてもしかたがない。
 
「そういうこともあるかもしれない、と私は思っていたのだがね」
 
 弾かれたように、ジークが顔を上げて、彼を見る。
 驚いているらしく、目を見開いていた。
 ならばなぜ?と、その目が訴えている。
 
「あのを縛りつけたくはなかったのさ。それが私であってもね」
 
 彼は、当然のことながら、絶対防御の抜け道を知っていた。
 動物であれば領域内に入ることはできる。
 魔術や物理的な攻撃が効かないとわかっていて、攻撃してくる馬鹿はいない。
 
 そして、サイラスは馬鹿ではないのだ。
 おそらく動物に変化して来るだろうと予測はしていた。
 が、レティシアに警告はしていない。
 
 動物といっても様々いる。
 どんなものに変化してくるかわからない以上、すべての動物を危険視する必要があった。
 空を飛ぶ鳥も、森を駆ける鹿も、木の上、土の下にいるどんな生き物であっても、可能性は排除しきれないのだ。
 
 警告すれば、レティシアは常にそれを意識していなければならなくなる。
 木の枝が揺れるだけで、緊張するだろう。
 それでは気楽に森の散策もできない。
 
 屋敷を離れたのは、脅威から孫娘を守るためだけではなかった。
 レティシア・ローエルハイドとして生きると決めた彼女に、肩の力を抜いてほしかったからでもある。
 伸び伸びと、彼女らしく自由に、天真爛漫に。
 
 それが彼の今の愛しい孫娘だから。
 
 にもかかわらず、警告など与えて緊張状態を強いたのでは意味がない。
 部屋から1歩も出られないのなら、屋敷にいるのとなんら変わりないからだ。
 窮屈な思いをさせたくなかった。
 
「まぁ……わかるよ」
 
 ジークもレティシアを「軟禁」状態にするのには賛成ではないのだろう。
 すべてを語らなくても、彼の言うことに納得したらしい。
 
「どっちみち、すぐ追えるよな。アンタのかけた魔術が発動すれば」
「それなんだがねえ」
 
 彼は、ジークに苦笑してみせる。
 やはり、それだけでジークは察したようだ。
 微妙な顔つきをして、言う。
 
「発動しねーかも。するとしても、ギリギリかも」
「そうなのだよ。あのは、あまりに無防備なのでね」
 
 レティシアは自分が害されるとは、あまり思っていない。
 危険があるかもしれないと感じてはいても、実感が伴っていないのだ。
 魔力が顕現したあとで、彼女は言った。
 
 『あの人、単なる意地悪で言ったんじゃないの?』
 
 命を落としかけたというのに、それを殺意とはみなさず「意地悪」に過ぎないと判断していた。
 彼女がどのような世界にいたのか、詳しくは聞いていない。
 けれど、わかる。
 とても平和な世界だったに違いない。
 
 少なくとも、常に身の危険と隣り合わせな、この世界とは異なる環境。
 その平和な世界で、彼女は、すくすくとまっすぐに育った。
 彼女の「ウチのみんな」に対する行動や態度を見ていればわかる。
 きっと信じるに足る愛情を、そそがれてきたのだ。
 
 善意や好意、そうしたものを信じているから、この世界においても、正直で誠実な彼女でいる。
 グレイが「以前の彼女であれば傷つかないことにでも傷ついてしまうのではないか」と言っていた。
 その心配は実に正確に的を射ている。
 今のレティシアは、心をけっぴろげにすることに躊躇ためらいがない。
 
「それでも、痕跡を追うよりは早い」
「だろーね」
 
 一瞬だ。
 ほんの一瞬でいい。
 
 魔術が発動しさえすれば、レティシアの居場所に飛べる。
 そして、魔術が発動すると誰も彼女にふれることはできないのだ。
 髪ひと筋でさえ掴むことはできなくなる。
 
 眠らせて何かしようとすることもありえたが、その場合も体が抵抗を感じるだけでいい。
 たとえば縛られれば窮屈に感じるし、痛みが危険を知らせる。
 そして、自分で脱ぐのとは異なり、他者から服を剥がれれば大きな違和感を覚えるものだ。
 
 無意識な分、体のほうが鋭敏に「危機」を察知する。
 意識があると、むしろ、その感覚が鈍ってしまう。
 心に体が比例して、危険を危険と認識できなくなるのだ。
 どちらもいいとは言えないことだけれども。
 
 ふっと、空気が揺らぐ。
 
 風が、ざわりと森の木々を揺らせた。
 驚いたように、鳥が音を立てて飛び立つ。
 空気も冷たくなっていた。
 
 実のところ、彼はとても腹を立てている。
 
 落ち着いてはいても、怒っていない、ということにはならない。
 
(私の愛しい孫娘に、一瞬でも、恐怖をいだかせるなど、許しがたい)
 
 体さえ無傷であればいいとは思っていなかった。
 近くにいなくても、彼女の魔力を感じる。
 生きているのはわかっていた。
 
 ただ、彼にとって大事なのは「心身ともに」無傷であること。
 
 魔術が発動すれば、レティシアの元に行ける。
 だとしても、それはレティシアが「身の危険」を感じるのが条件だ。
 すなわち、レティシアの心が恐怖に支配される一瞬があるということだった。
 
(許すつもりなどないがね)
 
 いつもはやわらかみを帯びた黒い瞳も冷たく凍えている。
 空には濁った雲が広がり始めていた。
 鈍色の空は、そのまま彼の心を反映している。
 
「ジーク」
「あいよ」
 
 烏に変転したジークの重みを肩に感じた。
 それは、彼の本質を理解している者の重みだった。
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