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第1章 暗い闇と蒼い薔薇

正妃選びの儀 4

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「これは、どういうことだ? あの娘は承諾していたのではなかったのか?」

 勝手に声が低く固くなる。
 予定が狂ったことで、ひどくイラついていた。
 ユージーンにとって、なにより重要なのは王位に就くことだ。
 そのためだけに生きてきた。
 
 そこにしか、自分の存在意義はない。
 
 ザカリーが王位に就くことはないとしても、1日でも早く王位に就く。
 現状、ユージーンにとっての最優先事項。
 よもやこんな形で足止めを食らうなど考えてもいなかった。
 
「私と話した時には、確かに承諾しておりました」
「だが、結果はあれだ」
 
 ギリっと奥歯が軋む。
 6つも下の小娘に、いいようにあしらわれたのだ。
 
 しかも、最大級の屈辱のおまけ付き。
 
 なにしろ今まで正妃選びの儀において「辞退」など聞いたことがない。
 思う結果が得られなかったこと以上に腹立たしかった。
 馬鹿にされた、と感じている。
 
「……故意、ということは考えられるか?」
「結果があれでは、はなはだ申し上げにくいのですが……話した際の印象は、やはり殿下にご報告した通りであったと思います。私を欺くなど、あの年頃の娘には容易ではないはずですから」
 
 副魔術師長サイラスの淡々とした声に、少し気分がおさまってきた。
 動揺が怒りを煽っていたが、今は感情に支配されている場合ではない。
 事態を整理して考える必要がある。
 
「大公がなにか手を打ってきたと、お考えですか?」
「……ありえないとは言い切れんが、可能性は低いだろう」
 
 ユージーンの答えがわかっていたかのように、サイラスはうなずいた。
 
 大公こと、ジョシュア・ローエルハイド。
 
 あの娘の祖父であり、特別な血を持つ者だ。
 彼は、王族の次に上位とされる大公の地位にいながら王宮には属していない。
 すでに一線を退き、息子であるアイザック・ローエルハイドに公爵家を任せている。
 
 アイザックは国王の元、宰相を担っているが、大公はその一切に関わってはいなかった。
 それでも、彼は未だにこの国の英雄として扱われている。
 24年前に起きた隣国との戦争において、勝利は彼、ジョシュア・ローエルハイドがもたらしたものだったからだ。
 
 しかし、ユージーンは平和になってから生まれている。
 当時のことは文献の中の出来事でしかない。
 英雄と言われる所以ゆえんを知ってはいても、実際の雄姿を見たわけではないので、当時を知る者ほどの感慨はなかった。
 
 そのため、大公がどういった人物であるかには、さしたる興味をいだけずにいる。
 ユージーンにとって意味があるのは、大公の血が持つ力。
 国王である父は、大公が王宮を辞する時、ずいぶんと引き止めたらしいが、それにも意味はないと思っていた。
 
 ジョシュア・ローエルハイドは、いるだけでいいのだ。
 
 そこにいる、ただそれだけで諸外国に対しての抑止力になる。
 ユージーンが欲しているのは、その力だった。
 ローエルハイドの血と交われば、王位は絶対的なものになる、間違いなく。
 世継ぎが生まれたなら、永永無窮えいえいむきゅうと自分の血筋が王位を占めることだろう。
 
「大公は、公爵の屋敷を十年近く訪れてはおりませんからね」
「そのようだな。なにがあったかは知らんが、孫娘とは不仲なのだろ?」
「はい。知恵をつけようにも、あの娘のほうが拒絶していたと思いますよ」
 
 大公は大きな力を持っている。
 それゆえに、たとえ一線を退いていても放置してはおけなかった。
 常に動向を王宮魔術師が監視している。
 
「ならば、突然、あの娘の気が変わった、ということになるか」
「どうにも腑に落ちませんが、そう考えるのが妥当なのでしょうね」
 
 監視は大公だけではなく、家族にもつけていた。
 ローエルハイドの孫娘、しかも彼の血を受け継ぐ象徴のような娘を、自分以外の者にかすめ取られるわけにはいかなかったからだ。
 
 力を欲しているのは自分だけではないと知っている。
 彼女を妻にできれば王族にも影響を与える存在となれるのだから、野心家の貴族らがあの娘を狙うことは想像に難くない。
 
 もちろんユージーンはただ監視をしていたのではなかった。
 監視をし、近づこうとする貴族をあの手この手で排することで、なんとかあの娘が掠め取られるのを防いできたのだ。
 
(本来、俺が望めば乳飲み子を許嫁いいなずけとすることさえできるというのにな。宰相も宰相なら、父上も父上だ。あの娘の意思など、どうでもよいだろうに)
 
 思い出しても口惜しい。
 彼女の父は、歳を理由にユージーンからの再三の申し出をやんわりと断り続け、国王である父もそれに賛同した。
 まるでユージーンに彼女を近づけさせまいとするかのごとく。
 彼女が10歳の時も、12歳の時も14歳の時も、宰相はいつも同じ理由でユージーンを跳ねつけている。
 
 『娘はまだ自分の意思を明確にできる歳ではありませんので』
 
 貴族社会での政略結婚は珍しくともなんともない。
 むしろ当然に行われていて「意思」を持ち出すほうが不自然だ。
 
(俺が王位を簒奪さんだつするとでも思い、恐れているに違いない。実にくだらん考えだ。いずれにせよ俺が王位継承者であることは揺らがん。遅いか早いかの違いにこだわる理由がどこにある)
 
 公爵の言葉が本当の理由だとは微塵も信じていなかった。
 自分との婚姻を認めない、という結果ありきの口実だと思っている。
 さりとて、宰相だけなら押し切ることもできたのだ。
 父である国王が賛同しなければ、とっくに彼女を手にいれていた。
 それをなにより腹立たしく感じる。
 
「しかし、あの娘……思ったより厄介ですね」
「たしかに……あんな理屈をつけてくるとはな」
 
 1.よく知らない者同士で婚姻関係を結んでも両者が不幸になる。
 2.1対1での婚姻しか認めない。
 3.王妃にはなりたくない。
 
 要約すると、こういうことだ。
 仮に1対1の婚姻でよしとしたとしても3の理屈を覆せない。
 逆に王妃にならなくてもよいとすると、それは側室か愛妾になることを意味するため2の理屈が通らなくなる。
 どちらも通す方法はひとつしかない。
 
(俺に王位継承権を捨てろと? ふざけた話だ。俺が今までなんのために生きてきたと思っている)
 
 ユージーンは国王の第1子として生まれた。
 すなわち生まれながらにして王位継承権を持っている。
 ユージーン自身、国王になることを、あたり前に受け止めて生きてきたのだ。
 
「とくに最初の理由には驚かされましたよ」
 
 サイラスの言葉にユージーンは眉を上げる。
 2つ目や3つ目の理由に比べると厄介だとも思えなかった。
 どちらかと言えば、年相応の夢見がちな理由のような気がする。
 
「あれがなんだという? たいした理由ではないだろ?」
「いえいえ、あれは分をわきまえない言い草、ではすまされません」
「どういう意味だ?」
「殿下、相手を知るためには何が必要とお思いですか?」
 
 言われて、ハッと気づいた。
 思わず顔をしかめる。
 
「…………時間だ」
 
 1日でも早く、と考えているユージーンにとって、時間をかけろという理屈は確かに厄介だ。
 彼女の言い分を突き詰めればこうなる。
 
 『王位継承権を捨て、時間をかけて自分を口説け』
 
 なんとも分をわきまえない言い草ではないか。
 己にそれほどの価値があると思っているのかと言ってやりたくなる。
 
「しかも、あの娘は“お互いに”不幸になる、と言ったのですよ?」
 
 サイラスの言葉は、いちいちもっともだった。
 分不相応というだけではすまされない。
 
「俺も不幸にしてやると……脅しているわけだな」
「はい。不本意ではありますが……ローエルハイドの孫娘だけのことはある、と言わざる得ません」
 
 正妃選びの儀を台無しにしただけでは飽き足らず、王太子である自分を脅してくるとは、なんという不敵さだろうか。
 あげく、その真意もこちらはわからないときている。
 1度は承諾した話を土壇場でひっくり返してもなんの得にもならない。
 
「いや……あの場で言うことに意味があったのか……今ごろは王宮だけではなくいたるところで噂になっているだろうからな」
 
 貴族令嬢というのは慎ましやかな顔をしながら裏ではさえずりたがる。
 今となってはローエルハイドの孫娘が辞退したことを、もみ消すことはできないだろう。
 先手を打たれたと気づいたのはユージーンだけではないようだった。
 
「次の手を考えなければなりませんね。他の者にあの娘を渡すことはできないのですから」
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