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秤にかけたら 4

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 キサティーロは、ローエルハイドの屋敷に戻っていた。
 長年、過ごしてきた、玄関ホールに近い、執事の待機部屋にいる。
 書き物机に、いくつかの書類を並べておいた。
 
 それを背に、窓の向こうを眺めている。
 いつもと同じ景色だ。
 白手袋をはめた両手を、腰の後ろで組んでいた。
 
 そろそろセオドロスが来る。
 
「父上」
 
 キサティーロは、振り向かない。
 背中に息子の声を聞く。
 今後、ローエルハイドの執事はセオドロスが担うのだ。
 最低限の引き継ぎは必要だった。
 
「そこにあるのは、カイルの持っていたサイラスの遺産だ。ほとんど回収できてはいるが、まだどこかに残っている可能性はある」
「今後、探し……」
「探す必要はない。お前は執事だ。必要に応じて動けばいい。ただし、その存在を忘れずにいるように」
「かしこまりました」
 
 どこにあるともしれない資料を探して動き回れるほど、ローエルハイドの執事は暇ではない。
 いつ、主が帰ってきても「完璧」にしておかなければならないのだ。
 今後は、さらに忙しくなる。
 
「その中に、刻印の術を解く方法が書かれている。それを用い、“あの”国王を解放しておくように」
 
 血を使い「個」を指定した刻印の術に、ほかの者は影響されない。
 閉じ込められているのは、国王だけだった。
 ほかの者は、自由に出入りできるため、衣食に不自由はしていないはずだ。
 さりとて「あの」国王のことだから、長く大人しくもしていられないだろう。
 
(あの者は、やはり我が君を出す気はなかった)
 
 あの刻印の術は「個」を指定している。
 指定してかけているため、解く場合にも同様に指定する必要があった。
 が、残されていた資料に、キサティーロの主を指定して解除する方法は書かれていなかったのだ。
 
 もとより、王族を生かすつもりがあったことには、気づいていた。
 計画が成功していても、国王が解放されていたのは間違いない。
 そのことから、キサティーロは、己の行く末を悟ってもいる。
 
(父上! どういうことですかっ?)
(ヴィッキー)
 
 キサティーロの2人目の息子の声だ。
 セオドロスより冷静であるはずのヴィクトロスだが、動揺が声に出ている。
 父親の「訃報」を聞いたからだとは、わかっているけれども。
 
(きみの役目は?)
 
 キサティーロは、即言葉そくことばを通じ、短く訊ねた。
 しばしの間がある。
 ヴィクトロスの葛藤が伝わっていた。
 父親の最期に立ち会いたい気持ちと闘っているのだ。
 
(……殿下を……お守りすることです……)
(わかっているなら、その責務をまっとうすること)
(ですが……父上……)
(お前は、自分が誰に仕えていると思っている? 我が君に仕えし者であることを忘れないように)
 
 また、しばらくの間があった。
 この即言葉という魔術の糸だけが、父親と息子を繋いでいる。
 断つのに時間を必要とすることは、理解していた。
 無表情ではあっても、キサティーロとて、無感情ではないのだから。
 
 子育ては苦手で、セオドロスを「あの」国王よりも、うまく泣き止ませることはできなかったけれど。
 放蕩していた主の近くにいて、魔力顕現けんげんしたヴィクトロスの世話もセオドロスに任せきりにしていたけれど。
 
 それでも、2人はキサティーロの息子だった。
 愛してもいたし、大切に思ってもいる。
 
 キサティーロは、自分の気持ちを、彼らに話したことはない。
 わかってくれとも、わかってほしいとも言ったことはなかった。
 なのに、2人は、やはりキサティーロの息子で。
 
 なにも言う必要はなかったのだ。
 
 キサティーロが「理解する」ように、彼らも理解する。
 一般的な父親とは、かけ離れていたはずだが、ひと言の不平も言わずに、いつも従っていた。
 そんな彼らを、キサティーロは、愛しいと思う。
 
(かしこまりました、父上)
 
 その言葉を残し、ヴィクトロスからの即言葉が切れた。
 キサティーロは、両の手から手袋を外す。
 振り向いて、机の上に、それを、そっと置いた。
 
「それでは、あとは……いいね?」
「はい。お任せください、父上」
「よろしい」
 
 短く答えてから、キサティーロは、パッと転移する。
 ローエルハイドの敷地内にある「我が家」に帰ってきたのだ。
 寝室にある、揺り椅子に腰かける。
 背もたれに体をあずけ、目を伏せた。
 
「ただいま」
 
 おかえり、との声はない。
 彼の妻は、4年前に他界している。
 買い物に出た折に襲われ、殺されたのだ。
 捕まったのは、13歳の平民の少年。
 食べ物を買う金が欲しくて、彼女を襲ったのだという。
 
 もちろん、キサティーロは、その少年を殺したかった。
 彼女は、頼めば少年に金をあげたに違いない。
 そういう優しい女性だったのだ。
 けれど、キサティーロは、その少年を殺さなかった。
 
 自分の力は、主のためのもの。
 私心に使うものではない。
 
 そんな時でさえ、キサティーロは「完璧」であろうとしたのだ。
 執事としても、人ならざる者の側近としても。
 
「ああ……そろそろ、あなたの命も尽きそうですね」
 
 カイルは、もうすぐ死ぬ。
 それと同時に、キサティーロも死ぬ。
 
 カイルが最後に手にしていたものは、従兄弟が飲むはずだった「梱魄こんぱく」の魔術をかけるための薬だ。
 あの場にいて、その魔術の対象となるのは、キサティーロだけだった。
 カイルを生かしておけば、キサティーロも生きていられたと、わかっている。
 が、キサティーロは、カイルに「滅命めつめい」という、少しずつ命が削られ、最後には死が訪れる魔術をかけたのだ。
 
 カイルは、貴族を憎んでいたが、同時に「大儀」も掲げていた。
 貴族を排除し、弱い者が踏みつけにされることのない国にしたいという。
 だからこそ、王族を残そうとした。
 
 ならば、自死など選ばない。
 従兄弟が薬を飲まず、死ねなかったからこそ、よけいに「大儀」にこだわる。
 生かされた者の責任とでも思わずにはいられなかったはずだ。
 その「大儀」に従兄弟を巻き込み、死なせてしまったのだから。
 
 カイルは、キサティーロに「梱魄」をかけ、それを盾に、あの場を離れるつもりでいた。
 わかっていたから、キサティーロは、後顧の憂いを絶ったのだ。
 
「我が君とシェルニティ様にご挨拶をする時間、息子たちに引き継ぎをする時間をいただき、感謝しています」
 
 キサティーロは思う。
 貴族だろうが、平民だろうが、人は、殺す時は人を殺す。
 身分など関係はない。
 
 人は、誰しもが弱い。
 強い人間などいはしない。
 いるのは、強くあろうとする者だけだ。
 
 要は、己が正しくあろうとするかどうか。
 それは個人が持つものであり、大儀などとは無関係に存在している。
 
「どうやら、きみの歳を追い越さずにすみそうだよ」
 
 キサティーロの妻は、4つ年上だった。
 ローエルハイドのメイド長の娘であり、メイドでもあった。
 彼女は「完璧でなくちゃ」が口癖で。
 
「……きみの夫は、完璧だったろう……」
 
 明かりの灯っていない寝室に、月明りが射す。
 その中で、キサティーロの呼吸が、静かに止まった。
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