不機嫌領主と、嫌われ令嬢

たつみ

文字の大きさ
上 下
34 / 64

新たな時を動かして 2

しおりを挟む
 婚約の解消後、1ヶ月ほどが経っていた。
 あと少しで、今年も終わりを告げる。
 冬特有の、どんよりとした曇り空の日が続いていた。
 ベルゼンドの領地にも、そろそろ雪が舞い始めるだろうと、聞いている。
 
 あれから、何度か、タガートに連れられ、領地で遠乗りをした。
 今日も、出かける予定だ。
 乗馬に適した服装をしている自分を、鏡に映して見てみる。
 領民と会うこともあるので、魔術師に頼み、髪の色は茶色に変えていた。
 
「領主って、大変よね。羊の毛刈りまで手伝う人はいないって言われてたけど」
 
 羊を飼っている領民と会った時に、毛刈りの話になったのだ。
 領主直々に手伝ってくれる領地はないだろうと、彼らは言い、笑っていた。
 タガートが苦笑いをしていたのを思い出して、ドリエルダは、小さく笑う。
 彼は、自らを「良い」ように言われるのも苦手なのだ。
 
 実際、手を洗ってくる、などと言って、そそくさと、その場を離れている。
 きっと気恥ずかしさにえかねたに違いない。
 彼自身は、特別なことをしている意識がないのだろう。
 領民に対しても、やはり偉そうにすることはなかった。
 
「そういえば……彼のお父さまの評判は微妙だったわね。みんな、早くゲイリーが当主になればいい、みたいなこと言ってたもの」
 
 思い出して、ちょっぴり恥ずかしくなる。
 彼らは、ドリエルダを、タガートの婚姻相手だと考えているようだった。
 悪評のあった婚約者と同じ人物だとは気づかず、彼女を歓迎してくれている。
 申し訳ないような、複雑な心境にもなった。
 だが、気さくに親しみを持って話しかけてもらえるのは、嬉しい。
 
「騙してるみたいで気が引けるけど……婚姻するかどうかなんて、わからないことだし……しばらくは、このままでいたい」
 
 タガートとの関係は、修復されつつある。
 大きく進展はしていないが、後退もしていない。
 というより、婚約していた頃に比べれば、ずっと良くなっている。
 タガートからは、そっけなさが消え、笑い合うことも増えていた。
 
「それにしても、私って、本当に貴族をわかってなかった」
 
 婚約解消後、タガートは、シャートレーへの出入りができなくなっている。
 ドリエルダがお茶に招くとか、なにか口実がなければならないのだ。
 これは、上位貴族との関係に寄るらしい。
 
「なんでも上位貴族と足並みを揃えなくちゃならないなんて、すごく面倒よね」
 
 タガートがシャートレーを訪ねるためには、まずブレインバーグ公爵に「相談」する必要があるのだとか。
 どういった手続きかを教えてもらったが、はっきり言って、聞いているだけで、うんざりした。
 
 まずブレインバーグ公爵が、ドリエルダの父であるシャートレー公爵に依頼して許しを得る。
 承諾されれば、ブレインバーグ公爵からベルゼンドに連絡が入り、結果、そこでようやくタガートはシャートレー公爵家に出向くことができるのだ。
 
 しかも、ブレインバーグ公爵が、シャートレーに出向くのも、いつになるかは、公爵の都合や気分次第。
 頼んでいても、長らく放置されることも少なくないのだそうだ。
 とはいえ、自家の上位貴族を無視すれば派閥の中でつま弾きにされる、という。
 
「公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順なんだから、ゲイリーの上は、ブレインバーグ公爵だけってことでしょ? それでも、無視するわけにはいかないって……ゲイリーは苦労してそうね。ブレインバーグ公爵と、ソリが合うとは思えないし」
 
 ドリエルダは、タガートにもらったネックレスを身につけ、部屋を出る。
 そんなややこしい手順を踏むくらいなら、自分が出かけたほうが気楽だ。
 いちいちブレインバーグ公爵を意識するのも嫌だった。
 どんな「悪だくみ」をされるかもわからない。
 
「ブラッドだったら、なにかいい策を思いつきそうだけど……」
 
 ブラッドには、もう頼れないのだ。
 元々、手伝ってもらえたのが、特別だったのだろうと感じている。
 ブラッドは「必要を感じないことはしない主義」なので。
 
(本当は……街に行って、お礼を言うべきなのよね)
 
 階段を降り、玄関ホールに向かいながら、考えていた。
 ブラッドのおかけで、タガートとの関係も良い方向に向かっている。
 最初は、シャートレーの名が貶められないための婚姻解消だと思っていた。
 だが、ブラッドは、タガートが「絶対に会いに来る」と言い、事実、それは現実となっている。
 
(ここまで織り込みずみで計画してたってことでしょ? 今、私が笑っていられるのは、ブラッドが協力してくれたから。なのに、中途半端に終わってる)
 
 夜会の夜に借りたハンカチも返していない。
 あのネックレスやイヤリングも、手元に残っていた。
 ブラッドは返さなくていいと言っている。
 とはいえ、どう考えても、ひょいっともらえるようなものではない。
 
 協力してもらった礼を言い、ネックレスとイヤリングは返す。
 それが正しい行動だ。
 
(こんなことなら、ブラッドのこと、もっとよく訊いておくんだった)
 
 ドリエルダは、ブラッドが、どこの貴族屋敷に勤めているのかを知らずにいた。
 王宮の料理人をしていたらしいが、かなり前の話らしい。
 シャートレーの屋敷の料理長に、それとなく聞いてみたが、知らないと言われている。
 
(王族の人たちと仲良さそうだったから、お父さまに聞けば、なにか、ご存知かもしれないけど……)
 
 さすがに、義父に、これ以上、迷惑はかけたくない。
 料理人と王族の護衛騎士では、直接の知り合いではない可能性もある。
 そうなれば、義父は、王族の人たちに聞いて回ってくれるはずだ。
 考えると、絶対に頼めない。
 
 ドリエルダは屋敷から出て、用意してもらっていた、馬にまたがる。
 彼女が乗馬を始めた際、両親が与えてくれた馬だ。
 大人しくて、よく言うことを聞いてくれるが、走り出せば、その能力の高さが、明確になる。
 前脚と後ろ脚がくっつくほどの柔軟さで、飛ぶように駆けるのだ。
 
 騎士たちに声をかけ、ドリエルダは、タガートとの待ち合わせ場所に向かう。
 初めてではないので、見慣れた光景になっていた。
 流れる景色を横に、まだ迷っている。
 
 ブラッドに礼をするのは当然だ。
 だが、ブラッドに会うためには、街に行かなければならない。
 行けば、すぐに会えるわけでもないので、何日か通うことになるだろう。
 
(私は、あの時だって、お忍びで行ってた。なのに、噂になったのよ?)
 
 髪の色を変え、顔だって隠していた。
 ブラッドには、即座に気づかれていたが、彼は頭がいい。
 ほかの人たちが同様に気づいていたとは言えないのだ。
 そして、ブラッドは、噂を流すような人でもない。
 そもそも噂を流す理由もないし。
 
 けれど、結局、ブラッドと「宿のほうに行った」ことは噂になっている。
 街に行けば、同じことの繰り返しになる気がした。
 現状、落ち着いている悪評が、勢いを増してぶり返しかねない。
 それを、ドリエルダは気にしている。
 ひと月余りも街に出ていないのは、そのせいだ。
 
 待ち合わせていた、ベルゼンド領の丘の上。
 すでにタガートの姿があった。
 タガートは、こうして会うようになってから、いつも彼女より先に来ている。
 
「ごめんなさい、待たせてしまったかしら?」
「いや、待ってはいない。私が先に来るようにしているだけさ」
「先に来るようにしているって?」
「きみが、私のほうに駆けてくる姿が見たくてね」
 
 タガートに、口説いているつもりはない。
 女性を口説き慣れた貴族子息とは異なり、甘ったるい台詞など、タガートの頭にないと、知っている。
 今の言葉が「甘い台詞」との自覚もないだろう。
 
 けれど、ドリエルダにとっては、違っていた。
 頬が、ふわりと熱くなる。
 誤魔化すように、風で乱れた髪を手で整えた。
 
「き、今日は、どこに連れて行ってくれるの?」
 
 気恥ずかしさに、ドリエルダは、そそくさと話題を変える。
 タガートが、行く方角を指さしてみせた。
 
「今日は、山羊の飼育をしている地域に行こうかと思っている。きみが、子山羊を見たいと、前に言っていただろう?」
「あなたは……写真を撮って、見せてくれたわ……」
 
 子供の頃の話を、タガートは覚えてくれていたのだ。
 ハーフォークの庭を散歩中に、タガートが子山羊の話をしてくれ、ドリエルダは見てみたいと言った。
 次に会った時、タガートは、写真で子山羊を見せてくれている。
 写真は、魔術師を使わなければ撮ることはできないのに。
 
「今日は、実物が見られるよ、DD。それに、昼には熟成のチーズも食べられる」
「とても楽しみだわ、ゲイリー」
 
 ちくっと、胸の奥が痛んだ。
 ブラッドに礼を言いたい気持ちはある。
 だが、今の穏やかな日々を壊したくはなかった。
 悪評が広まれば、タガートをまた傷つけることになるのだ。
 
(次に夢を見るまで……このままで、いたい……)
 
 ドリエルダは、タガートに夢の話もできずにいる。
 それでも、次に夢を見てしまえば、見過ごしにはできない。
 タガートに話すつもりでもいるし、そうなれば、ブラッドとのことも話せる。
 後ろめたいまま、ブラッドに会いには行けないと思った。
 
(もう少しだけ、時間をちょうだい、ブラッド。きっとあなたにお礼を言いに行くから……もう少しだけ……)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

世話焼き宰相と、わがまま令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢ルーナティアーナは、幼い頃から世話をしてくれた宰相に恋をしている。 16歳の誕生日、意気揚々と求婚するも、宰相は、まったく相手にしてくれない。 いつも、どんな我儘でもきいてくれる激甘宰相が、恋に関してだけは完全拒否。 どうにか気を引こうと、宰相の制止を振り切って、舞踏会へ行くことにする。 が、会場には、彼女に悪意をいだく貴族子息がいて、襲われるはめに! ルーナティアーナの、宰相に助けを求める声、そして恋心は、とどくのか?     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_2 他サイトでも掲載しています。

ウソつき殿下と、ふつつか令嬢

たつみ
恋愛
伯爵家の1人娘セラフィーナは、17歳になるまで自由気ままに生きていた。 だが、突然、父から「公爵家の正妻選び」に申し込んだと告げられる。 正妻の座を射止めるために雇われた教育係は魔術師で、とんでもなく意地悪。 正妻になれなければ勘当される窮状にあるため、追い出すこともできない。 負けず嫌いな彼女は反発しつつも、なぜだか彼のことが気になり始めて。 そんな中、正妻候補の1人が、彼女を貶める計画を用意していた。     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_10 他サイトでも掲載しています。

理不尽陛下と、跳ね返り令嬢

たつみ
恋愛
貴族令嬢ティファナは冴えない外見と「変わり者」扱いで周囲から孤立していた。 そんな彼女に、たった1人、優しくしてくれている幼馴染みとも言える公爵子息。 その彼に、突然、罵倒され、顔を引っ叩かれるはめに! 落胆しながら、その場を去る彼女は、さらなる悲劇に見舞われる。 練習用魔術の失敗に巻き込まれ、見知らぬ土地に飛ばされてしまったのだ! そして、明らかに他国民だとわかる風貌と言葉遣いの男性から言われる。 「貴様のごとき不器量な女子、そうはおらぬ。憐れに思うて、俺が拾うてやる」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_3 他サイトでも掲載しています。

若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ
恋愛
子爵令嬢アシュリリスは、次期当主の従兄弟の傍若無人ぶりに振り回されていた。 そんなある日、突然「公爵」が現れ、婚約者として公爵家の屋敷で暮らすことに! 屋敷での暮らしに慣れ始めた頃、別の女性が「離れ」に迎え入れられる。 そして、婚約者と「特別な客人(愛妾)」を伴い、夜会に出席すると言われた。 だが、屋敷の執事を意識している彼女は、少しも気に留めていない。 それよりも、執事の彼の言葉に、胸を高鳴らせていた。 「私でよろしければ、1曲お願いできますでしょうか」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_4 他サイトでも掲載しています。

【完結】小公爵様、死亡フラグが立っています。

曽根原ツタ
恋愛
 ロベリア・アヴリーヌは前世で日本人だった。恋愛小説『瑠璃色の妃』の世界に転生し、物語には登場しない公爵令嬢として二度目の人生を生きていた。  ロベリアには、小説のエピソードの中で気がかりな点があった。それは、主人公ナターシャの幼馴染で、尚且つ彼女に恋心を寄せる当て馬ポジションのユーリ・ローズブレイドについて。彼は、物語の途中でナターシャの双子の妹に刺殺されるという数奇な運命を迎える。その未来を知るのは──ロベリアただひとり。  お人好しの彼女は、虐げられ主人公も、殺害される当て馬も、ざまぁ予定の悪役も全員救うため、一念発起する。 「ユーリ様。あなたにはナターシャに──愛の告白をしていただきますわ!」 「…………は?」  弾丸令嬢のストーリー改変が始まる──。 ----------------- 小説家になろう様でも更新しております。 (完結保証)

完璧な姉とその親友より劣る私は、出来損ないだと蔑まれた世界に長居し過ぎたようです。運命の人との幸せは、来世に持ち越します

珠宮さくら
恋愛
エウフェシア・メルクーリは誰もが羨む世界で、もっとも人々が羨む国で公爵令嬢として生きていた。そこにいるのは完璧な令嬢と言われる姉とその親友と見知った人たちばかり。 そこでエウフェシアは、ずっと出来損ないと蔑まれながら生きていた。心優しい完璧な姉だけが、唯一の味方だと思っていたが、それも違っていたようだ。 それどころか。その世界が、そもそも現実とは違うことをエウフェシアはすっかり忘れてしまったまま、何度もやり直し続けることになった。 さらに人の歪んだ想いに巻き込まれて、疲れ切ってしまって、運命の人との幸せな人生を満喫するなんて考えられなくなってしまい、先送りにすることを選択する日が来るとは思いもしなかった。

生真面目君主と、わけあり令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢のジョゼフィーネは、生まれながらに「ざっくり」前世の記憶がある。 日本という国で「引きこもり」&「ハイパーネガティブ」な生き方をしていたのだ。 そんな彼女も、今世では、幼馴染みの王太子と、密かに婚姻を誓い合っている。 が、ある日、彼が、彼女を妃ではなく愛妾にしようと考えていると知ってしまう。 ハイパーネガティブに拍車がかかる中、彼女は、政略的な婚姻をすることに。 相手は、幼い頃から恐ろしい国だと聞かされていた隣国の次期国王! ひと回り以上も年上の次期国王は、彼女を見て、こう言った。 「今日から、お前は、俺の嫁だ」     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_6 他サイトでも掲載しています。

2度目も、きみと恋をする

たつみ
恋愛
伯爵令嬢のバーバラは幼い頃に子息の婚約者として引き取られ、公爵家で暮らしている。 十歳から未来予知のような夢を見始めるが、どうにも現実とそぐわない。 夢の中で彼女は別の男性と恋に落ち、婚約を解消していたからだ。 婚約者が大好きな彼女は、そんなことは絶対にあり得ないと思っている。 だが、婚姻の式4ヶ月前、夢で見ていた男性が現れてしまう。 彼女の恋の行き着く先は、婚約者かそれとも。     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。

処理中です...