不機嫌領主と、嫌われ令嬢

たつみ

文字の大きさ
上 下
15 / 64

あの頃に戻れたら 3

しおりを挟む
 自分の気持ちが、タガートにはわからなくなっている。
 ドリエルダに諦めにも似た思いを持っていたはずなのに、感情が波立った。
 彼女が「男を買っていた」と聞いたからだ。
 本当に、ドリエルダを見放していたのなら、あれほど大きな衝撃は受けなかっただろう。
 
 自分の中にある嫉妬心に、彼は気づいている。
 
 だからこそ、困惑していた。
 ドリエルダは、もう昔の彼女ではない。
 変わってしまったと、自分も納得していたはずだ。
 
 にもかかわらず、昨日のことを思い返すにつけ、嫌な気分になる。
 ドリエルダが買ったという男のことが、気になってしかたがない。
 そのせいで、ちっとも執務がはかどらずにいた。
 
「彼女は、どうして男を買ったりした?」
 
 あまりに衝動的になり過ぎて、昨日は、話も聞かずに、ドリエルダを追い返してしまっている。
 少し落ち着いて考えてみると、どうにも腑に落ちない。
 
 彼女は、大勢の貴族の子息たちに、いつも取り囲まれていた。
 遊び相手に事欠くようなことはないのだ。
 わざわざ男を買う、どんな理由があったのかが、わからない。
 
 見慣れた貴族の子息連中に飽きたのか。
 新たな遊びを試してみたかったのか。
 よほど気に入った男が、その手のことを生業としていたのか。
 
 どれも釈然としなかった。
 ドリエルダの悪評は様々あるが、特定の男と深い関係になっている、というものはなかったのだ。
 そのせいで、より悪評が立ったとも言える。
 男を弄ぶ放蕩な令嬢という意味で。
 
 けれど、タガートは、そのことに安心していたと、気づいた。
 ほかの男たちと遊び呆けていても、ドリエルダの心には自分がいる。
 1度きりの関係に過ぎないのであれば、たいした相手ではない。
 無意識に、自分は婚約者であり、彼女にとっては特別なのだと、思っていた。
 
 そのドリエルダが、男を買ったという。
 ならば、その男は、非常に特異な対象ということになる。
 そうまでして手に入れたかった相手だったのではなかろうか。
 
「いったい……どのような男だ……彼女は、そいつに夢中なのか?」
 
 また嫉妬に胸が疼く。
 婚姻を迷ってはいたものの、婚約を解消しようと思ったことはない。
 ジゼルの言葉に触発された形で、ドリエルダを試そうとはしている。
 1度でもいいから、自分の言葉を受け入れてくれれば、彼女を許せるからだ。
 そして、婚姻への迷いも吹っ切れると考えていた。
 
 だが、最早、それどころではない。
 ドリエルダの気持ちが、完全に自分から離れてしまったのではないかと、逆に、不安になっている。
 
 もとより、ドリエルダを守るためにも、近々、開かれるであろう王族主催の夜会には来るなと言うつもりではいた。
 だが、もっと慎重に言葉を尽くす気持ちもあったのだ。
 あんなふうに突き放した言いかたをする気はなかった。
 
 嫉妬と不安。
 
 それが、タガートを衝動的にさせている。
 常には冷静でいられるのに、彼女のこととなると感情が揺らいだ。
 追い返す直前の、ドリエルダの瞳を思い出す。
 傷ついた瞳だった。
 
「ずっと、きみを傷つける者から守りたいと思ってきたのに……私自身が、きみを傷つけてしまった……」
 
 今さらに悔やんでも、放った言葉は取り消せない。
 こんなはずではなかったのだ。
 ひどく憂鬱な気分で、溜め息をつく。
 
 それから、タガートは、書き物机の引き出しを開けた。
 そこには、1通の封書がしまわれている。
 封蝋ふうろうの上の印璽いんじは、うまく押されていない。
 押し慣れていないのが、すぐにわかる。
 
 その封蝋を崩したくなくて、丁寧にペーパーナイフで封書の端を切った日のことを思い出した。
 中には、やはり慣れていないのがわかる、たどたどしさを感じさせる文字の並ぶ手紙が入っている。
 取り出して開いてみた。
 
 『ゲイリーさま。私は、シャートレーさまの娘になりました。これからは、このおやしきで暮らします。着るものや、食べるものが変わりました。人が、いっぱいいます。でも、ゲイリーさまがいないので、さみしいです。このおやしきにいても会いにきてくれますか? DD』
 
 拙い文字だが、一生懸命に書いたのが伝わってくる。
 本当は、この手紙をもらったあと、すぐにでも会いに行きたかった。
 けれど、行けなかったのだ。
 ベルゼンド侯爵家の上位貴族はブレインバーグであり、シャートレーには繋ぎを取るためのツテがない。
 大派閥の公爵家に、推薦もなく立ち寄ることはできなかった。
 
 返事を書きはしたが、それきりだ。
 読まれたのかどうかすら、タガートは、確認せずにいる。
 彼が再びドリエルダと会ったのは、彼女が14歳の社交界デビューの時だった。
 ドリエルダの「ご指名」で、エスコート役をしている。
 
「あの時、きみはすでにDDではなく、ドリエルダ・シャートレーになっていた」
 
 その日の前日、彼は、ドリエルダの婚約者となったのだ。
 タガートが望もうと望むまいと、話は進められていく。
 たとえ領地を持つ領主であっても、下位貴族は上位貴族に逆らえない。
 傷ついたのは、自尊心か、侯爵家次期当主としての誇りか。
 
(夜会を無事にやり過ごせたら、改めて求婚しよう。彼女を、ほかの誰にも奪われたくはない。結局、それが、私の本音だ)
 
 ドリエルダに対する嫉妬心を認めて、ようやく心がはっきりした。
 ただ守りたいと思っていただけの幼い少女への想いは、慈しみから愛情へと変化している。
 どんな悪評を耳にしても、この1通の手紙を、どうしても捨てられずにいた。
 それは、これが彼女の本質だと、信じていたかったからだ。
 
 昔のドリエルダはもういない、としながらも。
 
 2年前、ブレインバーグから婚約の話が持ち込まれた際の屈辱感。
 厳しく当たり過ぎていたのは、そのせいかもしれない。
 彼女を正すとしながら、婚約後、ただの1度も優しくしたことすらないくせに。
 
「タガート様?」
 
 ハッとして、顔を上げる。
 扉の前に、ジゼルが立っていた。
 
「申し訳ございません。何度も扉を叩いたのですが、お答えがないものですから、中でなにかあったのかと……」
「ああ、いや、かまわないよ、ジゼル」
 
 彼は、引き出しを閉め、立ち上がる。
 少し不快な気分はあったが、冷静さを保った。
 
(ムーアは、ジゼルに甘いから、しかたがない)
 
 執事のムーアの妻は、ハーフォーク伯爵家でメイド長をしており、ジゼルの乳母をしていたこともある。
 だからだろう、ムーアは、ジゼルに甘いところがあった。
 昨日にしても、ドリエルダが来ていると知りながら、簡単にジゼルを私室に通している。
 
 とはいえ、安易にとがめることはできない。
 タガートも、ジゼルを必要としていた。
 ある意味では、利用していると言えなくもないのだ。
 そのことに罪の意識がある。
 
(彼女のことは、ジゼルから訊くしかないものな)
 
 情けないとの思いはあれど、タガートには、ジゼルしか情報源がなかった。
 直接、ドリエルダには訊けないし、噂話を嗅ぎ回るのも、みっともない。
 すでに、貴族の周辺からは、自分の婚約者を御することもできない男だと言われている。
 下手へたに動いて恥を重ねれば、領民からの信頼も失いかねないのだ。
 
「それで、今日は、どうしたのかね?」
「昨日のことなのですけれど……不用意な発言をしたと悔やんでおりますの」
「実際、噂になっているのだろう?」
「ええ……私、とても心配で、つい……あの子に自らの行動を見直してほしかっただけなのです。ですけれど、2人を仲違いさせてしまうことになって……」
 
 ジゼルは心細げに、両手を胸の前で組んでいる。
 ドリエルダが姿を消した時も、真っ先にタガートのところに来たのはジゼルだ。
 妹がいなくなったのだと、泣いていた姿を覚えている。
 
「気に病むことはないよ。あの程度は、仲違いというほどのことではないからね」
「そうですか……それから、あの……タガート様、夜会に私を、お連れ頂けませんでしょうか? 元は姉であった私が、ドリーの釈明をすれば、今より少しは周りの風当たりも弱まると思うのです。夜会には、主だった貴族のご令嬢の方々もいらっしゃるでしょうから」
 
 ドリエルダに「来るな」と言った手前、タガートも欠席するつもりだった。
 けれど、ジゼルの言うことにも一理ある。
 ドリエルダの悪評が少しでも減ればと、タガートはジゼルの申し出を了承した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

アナスタシアお姉様にシンデレラの役を譲って王子様と幸せになっていただくつもりでしたのに、なぜかうまくいきませんわ。どうしてですの?

奏音 美都
恋愛
絵本を開くたびに始まる、女の子が憧れるシンデレラの物語。 ある日、アナスタシアお姉様がおっしゃいました。 「私だって一度はシンデレラになって、王子様と結婚してみたーい!!」 「あら、それでしたらお譲りいたしますわ。どうぞ、王子様とご結婚なさって幸せになられてください、お姉様。  わたくし、いちど『悪役令嬢』というものに、なってみたかったんですの」 取引が成立し、お姉様はシンデレラに。わたくしは、憧れだった悪役令嬢である意地悪なお姉様になったんですけれど…… なぜか、うまくいきませんわ。どうしてですの?

青き瞳に映るのは桃色の閃光

岬 空弥
恋愛
第一王子殿下の婚約者候補であるエステルダは、その日、幾人もの高位貴族を虜にしている美しい桃色の髪のアリッサと対峙する。 しかし、彼女が密かに恋焦がれていた相手が、実は自分の弟だと知ったエステルダは、それまで一方的に嫌っていたアリッサの真意を探るべく、こっそりと彼女の観察を始めるのだった。 高貴な公爵家の姉弟と没落寸前の子爵家の姉弟が身分差に立ち向かいながら、時に切なく、時に強引に恋を成就させていくお話です。 物語はコメディ調に進んで行きますが、後半になるほど甘く切なくなっていく予定です。 四人共、非常に強いキャラとなっています。

番が見つけられなかったので諦めて婚約したら、番を見つけてしまった。←今ここ。

三谷朱花
恋愛
息が止まる。 フィオーレがその表現を理解したのは、今日が初めてだった。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

ウソつき殿下と、ふつつか令嬢

たつみ
恋愛
伯爵家の1人娘セラフィーナは、17歳になるまで自由気ままに生きていた。 だが、突然、父から「公爵家の正妻選び」に申し込んだと告げられる。 正妻の座を射止めるために雇われた教育係は魔術師で、とんでもなく意地悪。 正妻になれなければ勘当される窮状にあるため、追い出すこともできない。 負けず嫌いな彼女は反発しつつも、なぜだか彼のことが気になり始めて。 そんな中、正妻候補の1人が、彼女を貶める計画を用意していた。     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_10 他サイトでも掲載しています。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...