放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

文字の大きさ
上 下
62 / 80

繋いだ手を 2

しおりを挟む
 彼は、ガゼボに向かって歩いている。
 小さく溜め息がもれた。
 
(アーヴィになら任せられるさ。彼が、信頼に値する男であるのは、確かだ)
 
 シェルニティのそばにいるのは、なにも自分でなくともかまわないのだ。
 たまたま、彼のほうが先に出会った、というだけの話だと思っている。
 シェルニティは、周囲に「いない者」として扱われていた。
 そこに「普通」の態度をとる彼が現れ、驚きとともに信頼を寄せる相手になったに過ぎない。
 
 誰でもよかったとまでは言わないが、彼である必要もないのだ。
 シェルニティを正しく評価し、大事に扱う者であれば彼女も受け入れるだろう。
 彼は、彼女の手を、アーヴィングに引き継ぐつもりでいる。
 最初は戸惑ったとしても、時間が経てば慣れるに違いない。
 やがて、アーヴィングが隣にいるのを、自然に感じるようになる。
 
 胸が、つきん…と、痛んだ。
 
 シェルニティの無防備な笑顔を見ていられるのも、あとわずか。
 決めていたことにもかかわらず、考えると、苦しくなる。
 彼女が家にいるのが、彼にとって、あたり前になりつつあったからだ。
 
(少し……長引かせ過ぎてしまったかな)
 
 シェルニティは、最初から、彼を恐れなかった。
 名を知っても、元の姿を見せても、怖がらなかった。
 出会った頃と変わらず、無防備で屈託のない笑顔を見せてくれている。
 彼女は教育を受けているので、彼が「人ならざる者」と呼ばれる存在だと知っているはずなのに。
 
(だが、その本質を知っているわけではない)
 
 シェルニティの感情は、目覚ましい勢いで成長している。
 この先、彼を恐れるようになる可能性はあった。
 
 自分の本質は、愚かで冷酷なものからできている。
 
 それは、否応なく、シェルニティを巻き込むのだ。
 たとえ、彼女が自分を恐れなかったとしても、大きな罪を背負わせることになりかねない。
 恐れても、恐れなくても、いずれにせよ、自分との未来はない。
 
(失敗は、2度もするものではないさ)
 
 とくに、シェルニティを相手に失敗なんてしたくはなかった。
 ずっと傍にいることはできなくても、彼女の笑顔を守りたい、と思う。
 そのためにこそ、自分は、彼女の手を放さなければならないのだ。
 彼自身が、シェルニティを悲しませたり、傷つけたりする前に。
 
「ナルは、帰ってしまったようだね」
 
 白い柱が8本で、8角形の造りをしている建屋がガゼボだ。
 床から1メートルほどのところまでが、煉瓦の壁になっている。
 ほとんど吹き抜けといってもいい。
 円錐型の丸みを帯びた真っ白な屋根の下には、テーブルセットが置かれていた。
 
 そこに、リンクスが1人で残されている。
 ナルの気配が敷地内から消えたのには、気づいていた。
 そのタイミングで、彼は席を立っている。
 置いて行かれたリンクスには悪いが、ちょうどいいタイミングだったのだ。
 
「ヴィッキーが来てるって教えてやったら、不貞腐れて帰っちまったんだよ」
「きみを置いて?」
「あいつは、オレに意地が悪いって言うけど、あいつだって、意地悪なんだぜ?」
「それは、知っている」
 
 小さく笑いながら、彼は、リンクスの隣に座る。
 ナルに文句を言ってはいるが、リンクスに怒った様子はない。
 彼とフィランディが、そうであるように、彼らにも、なにがしか取り決めがあるのだろう。
 帳尻が取れているから、決定的な亀裂は入らないのだ。
 
「なあ、ジョザイアおじさん。シェルニティは、親に捨てられたのか?」
「捨てられてはいないが……」
「なんか、オレと似てる気がした」
 
 リカの息子であるにもかかわらず、リンクスはアリスに似てきている。
 アリスとリカは双子なので、血筋は同じだ。
 だから、リンクスがアリスに似るのも不自然ではないのだけれど。
 
「きみは、親に捨てられたと思っているのかい?」
「思ってねーよ。あいつらが、オレを捨てたんじゃねーもん」
「きみが、彼らを捨てた、と言いたいようだね」
 
 リンクスは返事をしない。
 返事がないのが、返事だった。
 
「オレのことじゃなくて、シェルニティのことを聞いたんだぞ」
「リンクス。持って回った言いかたは、好ましくないな」
 
 リンクスは、頭がいいのだ。
 13歳という年齢で、アリスと同程度に、様々なことを理解してしまう。
 実際、小さくても魔術師のナルが気づかなかったヴィクトロスの存在に、簡単に気づいている。
 魔力感知など使わなくても、頭を少し働かせただけで、わかったに違いない。
 
「シェルニティに、呪いがかけられてたってのは知ってる。顔に痣があったって話だから、貴族連中には受け入れられてなかったんだろーなって」
「きみの言う通り。その“貴族連中”の中には、彼女の両親も含まれているよ」
「だろーね」
 
 確かに、リンクスとシェルニティの境遇は似ていなくもない。
 リンクスは、母親には金と引き換えに捨てられたようなものだし、2人の父親はリンクスに会おうともしないのだから。
 
「オレには、エセルとサンディがいた。ついでに、ナルもな。けど、シェルニティには誰もいなかったんだろ? だから、あんなふうなんだ」
「彼女に同情でもしているのかい?」
「いや、羨ましいと思ってる。必要最小限の感情でやってけるんなら、そのほうがいいじゃん。感情なんて、あったらあっただけ、面倒くせえからな」
 
 母親と2人の父親に対し、リンクスには、思うところがあるのだろう。
 それでも、リンクスが、彼らを切り捨てられたのは、ナルの両親が、己の息子のように愛情をそそいだからだ。
 リンクスにとって両親は、ナルの父エセルハーディと、その妻アレクサンドラ。
 実母や、リカ、それにアリスは、他人も同然と認識を切り替えている。
 
「ジョザイアおじさん」
「なにかな、リンクス」
 
 リンクスの目が、真剣なものに変わっていた。
 アリスは「分かり過ぎるのも考えものだ」と言っていたが、リンクスも「分かり過ぎる」のだ。
 
「オレは、ここンちにある絵本の中で、とっておきにキライな話がある。知ってるだろ? 人魚の話。王子を助けて恋をして、魔女に声と引き換えに足をもらった。なのに、馬鹿王子は人魚に助けられたって気づかずに隣の国の姫と婚姻しちまう」
 
 そこまで言ってから、リンクスが、ふいっと視線を外した。
 
「あげく、せっかく人魚に戻れる方法があったってのに、王子を殺しきれなくて、海の泡。そんなことってあるか? オレなら、迷わずバッサリやるね」
 
 リンクスは、絵本の話を引き合いに、彼を責めている。
 彼が、シェルニティの手を放そうとしていることに、気づいているのだ。
 己の境遇と重ねている部分もあるのだろう。
 
 放すつもりの手なら繋ぐな。
 
 そう言われている気がした。
 引き取っておきながらリンクスと接しようとしなかった、2人の父親と同じく、彼も、シェルニティを切り捨てようとしているのだと。
 
「オレも帰る。点門てんもん、開いてくれよ」
 
 リンクスが、カタンとイスから立ち上がった。
 彼は、黙って、点門を開く。
 向こう側には、ウィリュアートンの屋敷ではなく、王宮内にあるエセルハーディの屋敷が見えていた。
 リンクスが「帰る」場所は、そこなのだ。
 
「ジョザイアおじさんは、馬鹿だ」
 
 リンクスの言葉が、胸に刺さる。
 自分でも、どこかで、そう思っている節があった。
 アーヴィングに任せたにもかかわらず、2人の姿を見ていたくはなかったのだ。
 だから、席を立ったのだと、自覚していた。
 シェルニティがアーヴィングに惹かれていく姿など、想像すらしたくないと感じている。
 
「人魚は、とっくに恋をしてるんだぜ?」
 
 言って、リンクスは門を抜ける。
 歩き出す背中を見てから、彼は、点門を閉じた。
 そして、大きく息をつく。
 
「リンクスは、きみに似ているよ、アリス」
 
 烏姿のアリスが飛んで来て、彼の右肩にとまった。
 アリスも、やけに物憂げな口調で言う。
 
「似てねーだろ…………オレより、頭の回転が速いんだよ、あいつは」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

理不尽陛下と、跳ね返り令嬢

たつみ
恋愛
貴族令嬢ティファナは冴えない外見と「変わり者」扱いで周囲から孤立していた。 そんな彼女に、たった1人、優しくしてくれている幼馴染みとも言える公爵子息。 その彼に、突然、罵倒され、顔を引っ叩かれるはめに! 落胆しながら、その場を去る彼女は、さらなる悲劇に見舞われる。 練習用魔術の失敗に巻き込まれ、見知らぬ土地に飛ばされてしまったのだ! そして、明らかに他国民だとわかる風貌と言葉遣いの男性から言われる。 「貴様のごとき不器量な女子、そうはおらぬ。憐れに思うて、俺が拾うてやる」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_3 他サイトでも掲載しています。

世話焼き宰相と、わがまま令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢ルーナティアーナは、幼い頃から世話をしてくれた宰相に恋をしている。 16歳の誕生日、意気揚々と求婚するも、宰相は、まったく相手にしてくれない。 いつも、どんな我儘でもきいてくれる激甘宰相が、恋に関してだけは完全拒否。 どうにか気を引こうと、宰相の制止を振り切って、舞踏会へ行くことにする。 が、会場には、彼女に悪意をいだく貴族子息がいて、襲われるはめに! ルーナティアーナの、宰相に助けを求める声、そして恋心は、とどくのか?     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_2 他サイトでも掲載しています。

不機嫌領主と、嫌われ令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢ドリエルダは、10日から20日後に起きる出来事の夢を見る。 悪夢が現実にならないようにしてきたが、出自のこともあって周囲の嫌われ者に。 そして、ある日、婚約者から「この婚約を考え直す」と言われる夢を見てしまう。 最悪の結果を回避するため策を考え、彼女は1人で街に出る。 そこで出会った男性に協力してもらおうとするのだが、彼から言われた言葉は。 「いっそ、お前から婚約を解消すればよいではないか」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_7 他サイトでも掲載しています。

「距離を置こう」と言われた氷鉄令嬢は、本当は溺愛されている

ミズメ
恋愛
 感情表現が乏しいせいで""氷鉄令嬢""と呼ばれている侯爵令嬢のフェリシアは、婚約者のアーサー殿下に唐突に距離を置くことを告げられる。  これは婚約破棄の危機――そう思ったフェリシアは色々と自分磨きに励むけれど、なぜだか上手くいかない。  とある夜会で、アーサーの隣に見知らぬ金髪の令嬢がいたという話を聞いてしまって……!?  重すぎる愛が故に婚約者に接近することができないアーサーと、なんとしても距離を縮めたいフェリシアの接近禁止の婚約騒動。 ○カクヨム、小説家になろうさまにも掲載/全部書き終えてます

【完結】わたしはお飾りの妻らしい。  〜16歳で継母になりました〜

たろ
恋愛
結婚して半年。 わたしはこの家には必要がない。 政略結婚。 愛は何処にもない。 要らないわたしを家から追い出したくて無理矢理結婚させたお義母様。 お義母様のご機嫌を悪くさせたくなくて、わたしを嫁に出したお父様。 とりあえず「嫁」という立場が欲しかった旦那様。 そうしてわたしは旦那様の「嫁」になった。 旦那様には愛する人がいる。 わたしはお飾りの妻。 せっかくのんびり暮らすのだから、好きなことだけさせてもらいますね。

ウソつき殿下と、ふつつか令嬢

たつみ
恋愛
伯爵家の1人娘セラフィーナは、17歳になるまで自由気ままに生きていた。 だが、突然、父から「公爵家の正妻選び」に申し込んだと告げられる。 正妻の座を射止めるために雇われた教育係は魔術師で、とんでもなく意地悪。 正妻になれなければ勘当される窮状にあるため、追い出すこともできない。 負けず嫌いな彼女は反発しつつも、なぜだか彼のことが気になり始めて。 そんな中、正妻候補の1人が、彼女を貶める計画を用意していた。     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_10 他サイトでも掲載しています。

【完結】時を戻った私は別の人生を歩みたい

まるねこ
恋愛
震えながら殿下の腕にしがみついている赤髪の女。 怯えているように見せながら私を見てニヤニヤと笑っている。 あぁ、私は彼女に完全に嵌められたのだと。その瞬間理解した。 口には布を噛まされているため声も出せない。 ただランドルフ殿下を睨みつける。 瞬きもせずに。 そして、私はこの世を去った。 目覚めたら小さな手。 私は一体どうしてしまったの……? 暴行、流血場面が何度かありますのでR15にしております。 Copyright©︎2024-まるねこ

2度目も、きみと恋をする

たつみ
恋愛
伯爵令嬢のバーバラは幼い頃に子息の婚約者として引き取られ、公爵家で暮らしている。 十歳から未来予知のような夢を見始めるが、どうにも現実とそぐわない。 夢の中で彼女は別の男性と恋に落ち、婚約を解消していたからだ。 婚約者が大好きな彼女は、そんなことは絶対にあり得ないと思っている。 だが、婚姻の式4ヶ月前、夢で見ていた男性が現れてしまう。 彼女の恋の行き着く先は、婚約者かそれとも。     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。

処理中です...