放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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ゆっくりな朝に 3

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 まだ朝も早い時間だ。
 彼女は、まだ眠っている。
 陽は昇っているが、ここでの時間は、おおむねのんびりしているのだ。
 彼女とともに暮らすようになって、まだ3日。
 彼は、彼女が起きて来るまで待つことにしている。
 
 彼も、常に「早起き」なわけではない。
 ただ、今朝は、彼の張り巡らせている「網」に、なにかが引っ掛かるのを感じたため、起きただけだ。
 
 外で馬車の音がしている。
 引っ掛かった「なにか」が到着したらしい。
 彼は、叩かれるより先に、扉を開いた。
 無駄に大きな音を立てられ、彼女を起こしたくなかったのだ。
 
(それに、彼が、なにを言うか、わかったものではないしな)
 
 馬車から降りて来たのは、イノックエル・ブレインバーグ。
 彼女の父親だった。
 
 整えられた金髪に、水色の瞳。
 仕立てられた上等なタキシードに身をつつむイノックエルは、いかにも貴族、といった雰囲気を漂わせている。
 十ほどある公爵家としては、中間に位置しているブレインバーグの当主であり、王宮の重臣でもあった。
 
 すでに顔色を蒼褪めさせ、怯えた様子で近づいて来る。
 来たくて来たのでないのは、明白だ。
 
(ならば、来なければいいのに、心配性な男だ)
 
 イノックエルは、彼に「なにか」されるのを恐れている。
 曲がりなりにも彼女は、イノックエルの娘なのだ。
 
 娘が「世話」になっているのに、挨拶もしないのは失礼に当たる。
 もちろん、代理を越させてすむ相手でもない。
 とはいえ、勝手に訪ねれば怒りをかうかもしれない。
 
 などと、さぞ悩み抜いたことだろう。
 結局、イノックエルは「勝手に挨拶に来る」ことを選んだわけだけれども。
 
「こんな辺境の地まで、よく来たね、イノックエル」
「いえ、娘が、お世話になることになりましたので、ご挨拶にと……」
「まあ、ともかく、中に入りたまえ。小狭い家で窮屈だろうが」
「とんでもない。王都のローエルハイドのお屋敷では、気兼ねするあまり、お訪ねすることもできなかったでしょう」
 
 はなはだしく恐縮した態度を取っているくせに、失礼なことを言っている自覚はないらしい。
 つまり、イノックエルは、人目が気にならない辺境地のほうが訪問し易かったと言っているのだ。
 イノックエルの都合など、彼にとっては、どうでもいい。
 面倒の糸を断ち切っておきたいだけだった。
 
「それで?」
 
 彼は、ソファに座り、足を組む。
 イノックエルには、座るように促さなかった。
 だいたい、ソファは2つ横並びに置いてあるのだ。
 彼女とならともかく、イノックエルと隣同士に座って、お喋りをする気はない。
 
 イノックエルは、かぶっていたシルハットを取る。
 それを、胸の前にして、両手で握った。
 今年で、確か48歳になったはずだ。
 彼女は、イノックエルが30歳でもうけた初めての子だと記憶している。
 
 実のところ、彼の知らない貴族はいない。
 ただ流れていく膨大な情報を、さして重要視せずにいる。
 イノックエルに子が出来た頃、彼は17歳で、それどころではなかったし。
 
 レックスモアが、ブレインバーグから妻を迎えた話も耳に入ってはいた。
 が、それも、単純に、知っている、というだけの話に過ぎない。
 その頃、すでに、ここで暮らし始めていて、貴族と直接に関わることはなかったからだ。
 
(彼女の名は、シェルニティ・ブレインバーグだったな)
 
 審議の際、彼は、彼女を「シェリー」と呼んだが、それは愛称としてではない。
 ほかの国の風習で、愛称とは別種の、形容詞的な呼びかたがある。
 シェリーとは「可愛い人」などの意味を持つ呼び名なのだ。
 それが、たまたま彼女の愛称と一致していた。
 彼女に嫌がるそぶりがなかったため、そのまま使うことにしている。
 
「む、娘を、その、こ、公爵様が気に入ってくださって、か、感謝を……」
「感謝ねえ。それは、彼女が不義をはたらいたとなれば、ずいぶんと、きみは外聞の悪い思いをしなくちゃならなった、ということかな?」
「ええ、はい、さようにございます」
 
 ちりっと、彼の中に苛立ちが芽生えた。
 彼は、ほとんど貴族など、どうでもいいと思っている。
 好ましいとは言えなかったが、折り目正しく生きるよう、説いて回る気もない。
 足の引っ張り合いをするのも、争うのも、彼らの自由だ。
 彼らに関心がなく、突き放して考えているため、腹立ちすら起きなかった。
 
 けれど、今はイノックエルの言い草が癪に障る。
 イノックエルは、己の体裁しか気にしていない。
 娘のことなど、少しも気遣っていないのだ。
 不義の罪をかぶせられ、審議に引きずり出され、婚姻の解消までされたのに。
 
「今回の婚姻解消について、きみは、どう考えているね?」
「こ、婚姻の解消について、ですか?」
「結局のところ、彼女が不義をはたらいたのではなかったのだよ? なにか、思うところはないのかい?」
 
 イノックエルは、せわしなく視線を上げたり下げたりしている。
 どう答えるのが、彼の「意図」に沿うものか、判断しかねているのだろう。
 
「私は、きみを案じているのさ、イノックエル」
「わ、私を、ですか?」
「そうとも。きみを、だ」
 
 イノックエルの呼吸が乱れ始めていた。
 肩が、大きく上下している。
 不味いことを言って彼を怒らせたのかもしれないと、不安と恐怖に憑りつかれているに違いない。
 
「彼女は、きみの娘だものねえ。その彼女が、私の“世話”になっていると、周りに知れたら、きみが、ばつの悪い思いをするのじゃないかと思ってさ」
「そ、そのような、こと、ことは……まさか……けして、そんな……」
「そうかなあ? 婚姻を解消されたばかりの娘が、だよ。もう別の男の家にいる。そう聞けば、ずいぶんと外聞の悪い話じゃないか」
 
 イノックエルは突っ立ったまま、シルハットを握り締めている。
 ポケットからハンカチを取り出すこともできず、汗が額から滴り落ちていた。
 心の中では、挨拶に来たのを、今さらに後悔しているはずだ。
 なにもなかったかのように、そっとしておけばよかった、と。
 
「が、外聞が、わ、わる、悪いなどと、おも、思って、おりません……す、少なくとも、わた、私は……」
「ふぅん。これは意外だ。まるで、1ミリの歪みも許さない職人のごとく、体裁を重んじるきみらしくないねえ」
 
 彼に揶揄されただけで、イノックエルは、ぶっ倒れかけている。
 膝も、がくがくと震えているし、上等なシャツも汗みずくだ。
 
(アリスの意地の悪さが、うつったのかもしれない)
 
 イノックエルは、恐怖にさらされながらも、ここに来た。
 本来、そのことだけで、称賛に値する。
 イノックエルからすれば、命懸けで面目を保とうとしているのだから。
 思えば、少し不当であったかもしれない。
 彼としても、元々は、これほどこっぴどくやっつけるつもりはなかったのだ。
 
(この辺りにしておこう。やり過ぎは、良くない)
 
 確かに、イノックエルは不愉快な男ではある。
 さりとて、貴族なんてものは、たいていが不愉快な者が多かった。
 イノックエルが特別なわけではない。
 
「あら。お父さま」
 
 彼女の声に、いいタイミングだと、口元に笑みを浮かべる。
 階段を降りて来た彼女に手招きしてみせた。
 
「やあ、シェリー。よく眠れたようだね」
「そうなの。あまりに深く眠っていたせいで、お父さまがいらしていたことに気がつかなかったわ」
 
 彼女は、父親を見つつ、彼の隣に座る。
 無自覚なのだろうが、当然といった行動が、微笑ましかった。
 
「ああ、“そういえば”、きみにイスを勧めるのを忘れていたよ」
 
 軽い口調で言い、魔術でイスを出してやる。
 とても腰かける気分ではなかっただろうが、勧められたイスを断ることもできなかったに違いない。
 ふらふらっと、崩れ落ちるようにして、イノックエルは、イスに腰を落とした。
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