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後日談

嫉妬と固執

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 個室には、塞間そくまという魔術をかけてある。
 外から中の様子は見たり、音を聞いたりすることを防ぐものだ。
 つまり、この個室がどういう状況か、外の者に知るすべはないということ。
 彼は非常に特異な魔術師なので、気配すらも「遮断」できる。
 
 個室前の廊下を歩いても、中に人がいるのかも、わからないはずだ。
 当然、勝手に入って来られないようにもしている。
 ほんのわずか扉にふれただけで、その相手を弾き飛ばす細工をしていた。
 好奇心に駆られた者が痛い目を見るのは当然だと思っている。
 
(まぁ、死にやしないさ。演目が終わるまで気を失う程度ですむ)
 
 ともかく、この個室が、彼とサマンサだけの空間だということが大事なのだ。
 ソファに倒れ、彼女は緑の瞳に怒りをたたえている。
 彼女にのしかかり気味な彼と、まっすぐに視線を交えていた。
 
 さりとて。
 
 彼には彼なりの理由がある。
 もとよりサマンサを押し倒すつもりで劇場に足を運んだのではない。
 2人きりの時間を楽しもうと思っていた。
 だが、途中からできなくなったのだ。
 
「どいてちょうだい」
「嫌だね」
「いったい、どういうこと? これから2幕目が始まるのよ?」
「知っている」
 
 キリっと、さらにサマンサの目つきが険しくなる。
 怒っている時の彼女は、以前と変わらず魅力的だった。
 とはいえ、今は魅力的なサマンサを見るために怒らせたのではない。
 彼も、ちょっぴり不愉快なのだ。
 いや、かなり。
 
「サミー、きみの視線が、あの芝居役者に釘付けになるのが気に入らない」
「……お、お芝居を観に来ているのよ?」
「ほかの男性をじぃっと見つめているきみを見て、私が平気でいられるだなんて、思ってやしないだろうね?」
「べ、別に彼だけを見ていたわけでは……」
「彼? へえ、きみは、ずいぶんと“彼”を注視していたようだ」
 
 彼は、目をすうっと細め、サマンサを見つめる。
 サマンサの緑色をした瞳が小さく揺れていた。
 どうすれば、この「難局」を乗り切れるかと、思考を巡らせているに違いない。
 彼女は、とても聡明なのだ。
 
「きみの、いつものやりかたは通用しないとだけ言っておくよ」
 
 サマンサは、彼の扱いかたを心得ている。
 2年弱での婚姻生活で、ますます磨きがかかっていた。
 それまでも、彼が膝を屈することのほうが多かったのだ。
 はっきり言って、負け越している。
 
 サマンサが本気で望んだことに対し、彼は1度も「否」と言えた試しがない。
 
 そうなってしまうのは、彼女を愛しているからだ。
 ほかの誰かが同じことを言ってきても、相手にはしなかっただろう。
 彼は、誰にでも親切にするような人物ではない。
 むしろ、皮肉屋で偏屈なところがある。
 
 サマンサには、人でなしだのろくでなしだのと言われていた。
 彼自身、そう思っている。
 
「私の気持ちはわかっていると思っていたのに」
「疑ってやしないよ。だから、こうやって分かち合おうとしているのじゃないか」
「……待って、あなたの言う通りよ。少し舞台に夢中になり過ぎていたみたいね。このあとは、そこそこにしておくと約束するわ」
「そうだな。そのほうがいい」
 
 サマンサが、ホッとした表情を浮かべた。
 これで「しのげた」と考えているのだ。
 しかし、そうはいかない。
 
 なぜなら、彼には、ほかにも「思うところ」がある。
 
 そもそも王都に来た目的は、義両親と義兄に子守りをさせるためではない。
 サマンサと劇場に足を運ぶことにしたのも、ある意味では「ついで」だった。
 
(茶会を開くのはいい……シャートレーに声をかけたのも、まぁ、よしとしよう。だが、なにもレジーに頼むことはないじゃないか)
 
 婚姻していてですら、彼は嫉妬をしている。
 いっときとはいえ、サマンサと生活をともにしていた相手。
 それが、レジーことレイナール・シャートレーなのだ。
 
 ローエルハイドの執事をしているジョバンニの弱腰を蹴飛ばすため、サマンサは王都の屋敷で茶会を開いている。
 出席者にはシャートレー公爵家の縁者がいた。
 茶会に出てくれるようレジーに頼んだことを、彼は知っている。
 
 まったくもって気に入らない。
 
 サマンサが自分の妻であろうと、レジーが今どういう状況にあろうと関係なく、不愉快になる。
 レジーと暮らしていた頃、サマンサは記憶を失っており、彼を忘れていた。
 そのせいなのか、2人の間に独特の親密さを感じずにはいられない。
 
「言ったはずだ。いつもの、きみの手は通用しない、とね」
 
 サマンサの目が見開かれる。
 彼が「諦めて」いないことに気づいたのだ。
 また瞳に怒りがチラつき始めている。
 その瞳を、じっと見つめた。
 
「婚姻は、私が嫉妬をしない理由にはならないよ、サミー」
「あ……それは、その……」
 
 サマンサが瞳から怒りを消し、視線をさまよわせる。
 そう、彼女は「レジーを頼った」ことを、彼に話していないのだ。
 隠すという意識さえなかったのがわかるだけに、なおさら不愉快が増す。
 
「彼はシャートレーの分家の分家にあたる子息だ。きみのツテが誰かなんて、すぐわかりそうなものじゃないか。ねえ、きみ。私が知らない貴族はいないのだよ?」
「だって、ケニー様は当主だし、忙しいでしょう? それに……」
「レジーに頼むほうが気楽だったろうね。手っ取り早くてさ」
 
 シャートレーは騎士の家門で、当主でありレジーの双子の兄ケンドールは、護衛騎士隊長の任についていた。
 レジーも2年前からシャートレーに戻り、騎士団に入っている。
 そして、ちょうど1年前のことだ。
 
「なにしろ、彼はアドラントの皇宮にいる」
 
 まだアドラントをコルデア侯爵家に引き継げずにいるため、森の家とアドラントの屋敷を、2人は行ったり来たり。
 アドラントにいる時、レジーが「皇宮護衛騎士」として挨拶に来た。
 ひどく嫌がっているレジーを労わるサマンサの姿に、よく自制したと、我ながら感心したものだ。
 
「さて、もういいかな?」
 
 彼は、首元に手をやり、ボウタイをシュッとほどく。
 いよいよ、サマンサが目を見開いた。
 その目を見つめ返しながら、片手で、ゆっくりとシャツのボタンを外す。
 
「聞かれる前に言っておこう」
 
 ほどいたボウタイを、ぽいっとソファの下に投げ捨てた。
 
「私は、いたって本気だ。たとえ、きみにあとでぱたかれることになってもね」
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