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後編
報告と催促 1
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体は、順調に回復していた。
あれから3日が過ぎている。
「お元気になられて、本当に安心いたしました」
「心配をかけてしまったわね、ラナ。黙って、何日も邸を空けたあげくに、体調を崩して帰ってくるなんて、驚いたでしょう」
髪を梳いてくれているラナに対し、サマンサは申し訳なく感じた。
フレデリックのところに行くと言って出たきり、ひと月近くも帰らなかったのだ。
そして、帰って来たら来たで、ベッドを出られない有り様だった。
彼が「許可」を出してくれなかったというのもあるが、それはともかく。
先に3日近く寝込んだからなのか、以前、体型を変えた時よりも、ずっと回復は早かった。
なのに、彼は、サマンサがベッドを出ようとするのを「許可」せず、しかたなく重病人のような生活をしている。
彼に「抱っこ」をやめさせたのは、昨日のことだ。
ものすごく渋々といった様子だったが「歩きかたを忘れる」と言い、サマンサも一歩も引かなかった。
そうでもしなければ、いつまで続くかわからなかったからだ。
「いえ、こちらに、お帰りになってくださり、嬉しく思っております」
もう戻らないつもりで、ここを出ている。
もしかすると、ラナは、なんとなく、それを感じていたのかもしれない。
前々から、ラナには、ここに留まってほしいというようなことを言われていた。
だが、サマンサは、その言葉にうなずくことはできずにいたのだ。
(元は“特別な客人”で、それも便宜上のものだったし、婚約も本物ではなかったものね。いずれ王都の屋敷に帰ると思って暮らしていたから……)
ずっといる、と言えば、嘘になる。
だから、ラナの言葉に肯定的な返事はできずにいた。
フレデリックにところに行く前、彼は半月も顔を出しておらず、別邸には微妙な空気が流れていたこともある。
思い出して、サマンサは、後ろに立っているラナのほうへと振り返った。
「ラナ、私、彼と婚姻することになったわ」
ラナは、何度か瞬きしたあと、微笑みを浮かべる。
驚いたというより、安心したという表現だ。
それもそうか、という気になる。
(ラナは、婚約が便宜上のものだとは知らなかったから、彼と私が喧嘩をしているって思っていたのね)
言いかたに語弊はあるかもしれないが、痴話喧嘩をしたあとの仲直り、といったふうに考えているのだろう。
本当は、喧嘩以上に、様々なことがあった。
とはいえ、話せない内容もあるので、誤解は正さないことにする。
結果として、今は「本物の婚約者」なのだし。
「それでね、少し訊きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「私にお答えできることであれば、なんなりとお訊きくださいませ」
以前は、いずれ離れる者が、あまり踏み込み過ぎるべきではないと思い、ラナの私的なことは、訊かずにいた。
ラナが平民出身であるのは知っている。
サマンサからすれば、幼いと言える歳頃から働き出したのも聞いていた。
だか、その程度だ。
「無理に話す必要はないのよ? あなたが嫌でなければ教えてほしいの。ラナには家族はいるのかどうか、ちょっと気になっていて」
「弟が1人おります」
「王都に残して来ているということ?」
「さようにございます、サマンサ様」
「まあ……それなら、家族と離れて寂しい思いをさせているのじゃない?」
ここを離れて、フレデリックのところに行く前に、ラナたちを王都に帰しておくべきだったかもしれない。
戻るつもりはなかったのだから、無駄に足留めをしてしまったことになる。
それぞれ家族もいただろうにと、ますます申し訳ない気持ちになった。
「弟と私は、ひとつしか違いませんし、姉を恋しがる歳ではございません。それに弟も、王都の屋敷で外仕事をさせていただいておりますから、たいして離れているという気持ちにはならないのですよ」
「あら、そうだったの。2人とも、ローエルハイドに勤めていたのね」
「ローエルハイドのお屋敷には、家族帯同の者のほうが多いくらいなのです」
それこそ、いずれ去るのだからと、ローエルハイドの内情については、ほとんど訊いていない。
勤め人たちが、どういうふうに働いているかも知らずにいた。
そのため、サマンサは、少し驚いている。
「めずらしいわよね。一般的には、メイドをしている女性は子供ができると、屋敷退がりをするものだわ」
「はい。こちらのお屋敷の待遇は、非常に、めずらしいと言えます。婚姻後も勤められますし、敷地内には、勤め人の家もございますから」
「ティンザーにも、代々、勤めてくれている人たちはいるけれど、財政的に家まで与えるのは難しいわ。ローエルハイドは、裕福なのね。でも、そういう使いかたをするのなら、いいことだわ」
単なる贅沢ではなく、勤め人たちが快適に働ける環境のために使う財なら、必要経費だと言っても差し支えない。
ティンザーは、そこまで裕福ではないので、できないだけだ。
信頼できる者に長く勤めてもらうためにはらう金なら惜しくないと思えた。
「ですが、王都からこちらに来た者で、家族がいるのは私だけにございます」
「え? そうなの? ほかのみんなは独り者?」
「さようにございます。幼い子を持つ者もおりましたので、独り者のほうが動かし易いと、ジョバンニが判断したのでしょう」
「癪に障る人だけれど、やっぱり優秀なのよねぇ」
ラナが、小さく笑う。
サマンサに辛辣だったため、ラナもジョバンニを、あまり良くは思っていない。
もちろん指示には従うが、好ましくは思っていないようだった。
サマンサが、ラナに家族のことを訊いたのには意味がある。
先々の生活を考えていたのだ。
「今後、別の土地で暮らすことになるかもしれないのよ」
「居を移されるのですか?」
「今すぐではないわ。でも、少し落ち着いたら、アドラントからは離れるつもり」
彼とは、その話をしている。
もとより、彼は、アドラントをジョバンニとアシュリーに任せようと思っていたのだそうだ。
サマンサにも異論はない。
時々は訪れるとしても、永続的な生活の場としては考えていなかった。
サマンサは、彼の苦い顔を思い出して、くすくすと笑う。
ラナが、少し首をかしげていた。
「前にラナが言っていたでしょう? 王都の屋敷に人が来ても、彼が追いはらってしまうって」
「はい。旦那様は、お客様がいらっしゃるのを好まれません」
「そうなのよね。私が、ここで暮らすようになって、ここにも招かれざるお客様が来るようになったでしょう? それが煩わしいみたい」
呼んでもいないのに訪ねて来ると、彼は苦い顔をして、言っていたのだ。
夜会も好きではないし、彼は、ほとんど人付き合いをする気がない。
サマンサも外見のことがあって、長く社交に忌避感をいだいてきた。
華やかな生活より、穏やかさを優先したいと思っている。
「私たち、別の土地で、のんびり暮らしたいのよ」
「さようにございますか……それもよろしいかと存じます」
ラナは落胆しているのだろう。
アドラントに来た頃に「する仕事があるほうがいい」と言っていた。
王都の屋敷に戻れば「仕える相手」はいなくなる。
そう感じているのだ。
「それでね。もし、あなたが嫌でなければ、一緒に来てくれると助かるわ」
「私も、お連れくださるのですか?」
「私はドレスを1人では着られないし、料理も上手いとは言えないもの。だからと言って、彼に料理をさせるわけにもいかないでしょう? あなたはもちろん、ほかにも何人か、ついて来てほしいと思っているのよ」
「喜んで、お仕えさせていただきます。ほかの者も行きたがることでしょう」
返事を聞いて、ホッとした。
今さら、ほかの者を雇う気にはならない。
ラナは正直で、きちんとしており、信頼できる。
ここで暮らすようになって、最初に打ち解けたのもラナだった。
あの頃はまだ、アシュリーが正式な婚約者だとされており、サマンサは、ただの「愛妾」に過ぎなかったのだ。
それでも、ラナは、サマンサの味方をしてくれている。
率直に話してくれるところも好感を持てた。
「いつぐらいになるかわからないけれど、その時は頼むわね、ラナ」
「かしこまりました、サマンサ様」
ラナの嬉しそうな顔に、サマンサは少し考える。
彼との相談にはなるし、本人の意向もあるが、ラナの弟も呼び寄せることを提案してみようと思っていた。
姉を恋しがる歳ではないとはいえ、ラナからすれば、たった1人の家族なのだ。
「あなたが一緒だと、心強いわ」
「これからも、そう仰っていただけるよう、末永く、お仕えさせていただきます」
森の家で、こじんまりと暮らすのが楽しみになる。
サマンサは、頭の隅で「洗濯はさせてもらえるだろうか」などと考えていた。
自分でもできることは、少しくらい「お手伝い」したかったからだ。
彼と同じく、サマンサも貴族らしくない貴族でありたいと感じている。
あれから3日が過ぎている。
「お元気になられて、本当に安心いたしました」
「心配をかけてしまったわね、ラナ。黙って、何日も邸を空けたあげくに、体調を崩して帰ってくるなんて、驚いたでしょう」
髪を梳いてくれているラナに対し、サマンサは申し訳なく感じた。
フレデリックのところに行くと言って出たきり、ひと月近くも帰らなかったのだ。
そして、帰って来たら来たで、ベッドを出られない有り様だった。
彼が「許可」を出してくれなかったというのもあるが、それはともかく。
先に3日近く寝込んだからなのか、以前、体型を変えた時よりも、ずっと回復は早かった。
なのに、彼は、サマンサがベッドを出ようとするのを「許可」せず、しかたなく重病人のような生活をしている。
彼に「抱っこ」をやめさせたのは、昨日のことだ。
ものすごく渋々といった様子だったが「歩きかたを忘れる」と言い、サマンサも一歩も引かなかった。
そうでもしなければ、いつまで続くかわからなかったからだ。
「いえ、こちらに、お帰りになってくださり、嬉しく思っております」
もう戻らないつもりで、ここを出ている。
もしかすると、ラナは、なんとなく、それを感じていたのかもしれない。
前々から、ラナには、ここに留まってほしいというようなことを言われていた。
だが、サマンサは、その言葉にうなずくことはできずにいたのだ。
(元は“特別な客人”で、それも便宜上のものだったし、婚約も本物ではなかったものね。いずれ王都の屋敷に帰ると思って暮らしていたから……)
ずっといる、と言えば、嘘になる。
だから、ラナの言葉に肯定的な返事はできずにいた。
フレデリックにところに行く前、彼は半月も顔を出しておらず、別邸には微妙な空気が流れていたこともある。
思い出して、サマンサは、後ろに立っているラナのほうへと振り返った。
「ラナ、私、彼と婚姻することになったわ」
ラナは、何度か瞬きしたあと、微笑みを浮かべる。
驚いたというより、安心したという表現だ。
それもそうか、という気になる。
(ラナは、婚約が便宜上のものだとは知らなかったから、彼と私が喧嘩をしているって思っていたのね)
言いかたに語弊はあるかもしれないが、痴話喧嘩をしたあとの仲直り、といったふうに考えているのだろう。
本当は、喧嘩以上に、様々なことがあった。
とはいえ、話せない内容もあるので、誤解は正さないことにする。
結果として、今は「本物の婚約者」なのだし。
「それでね、少し訊きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「私にお答えできることであれば、なんなりとお訊きくださいませ」
以前は、いずれ離れる者が、あまり踏み込み過ぎるべきではないと思い、ラナの私的なことは、訊かずにいた。
ラナが平民出身であるのは知っている。
サマンサからすれば、幼いと言える歳頃から働き出したのも聞いていた。
だか、その程度だ。
「無理に話す必要はないのよ? あなたが嫌でなければ教えてほしいの。ラナには家族はいるのかどうか、ちょっと気になっていて」
「弟が1人おります」
「王都に残して来ているということ?」
「さようにございます、サマンサ様」
「まあ……それなら、家族と離れて寂しい思いをさせているのじゃない?」
ここを離れて、フレデリックのところに行く前に、ラナたちを王都に帰しておくべきだったかもしれない。
戻るつもりはなかったのだから、無駄に足留めをしてしまったことになる。
それぞれ家族もいただろうにと、ますます申し訳ない気持ちになった。
「弟と私は、ひとつしか違いませんし、姉を恋しがる歳ではございません。それに弟も、王都の屋敷で外仕事をさせていただいておりますから、たいして離れているという気持ちにはならないのですよ」
「あら、そうだったの。2人とも、ローエルハイドに勤めていたのね」
「ローエルハイドのお屋敷には、家族帯同の者のほうが多いくらいなのです」
それこそ、いずれ去るのだからと、ローエルハイドの内情については、ほとんど訊いていない。
勤め人たちが、どういうふうに働いているかも知らずにいた。
そのため、サマンサは、少し驚いている。
「めずらしいわよね。一般的には、メイドをしている女性は子供ができると、屋敷退がりをするものだわ」
「はい。こちらのお屋敷の待遇は、非常に、めずらしいと言えます。婚姻後も勤められますし、敷地内には、勤め人の家もございますから」
「ティンザーにも、代々、勤めてくれている人たちはいるけれど、財政的に家まで与えるのは難しいわ。ローエルハイドは、裕福なのね。でも、そういう使いかたをするのなら、いいことだわ」
単なる贅沢ではなく、勤め人たちが快適に働ける環境のために使う財なら、必要経費だと言っても差し支えない。
ティンザーは、そこまで裕福ではないので、できないだけだ。
信頼できる者に長く勤めてもらうためにはらう金なら惜しくないと思えた。
「ですが、王都からこちらに来た者で、家族がいるのは私だけにございます」
「え? そうなの? ほかのみんなは独り者?」
「さようにございます。幼い子を持つ者もおりましたので、独り者のほうが動かし易いと、ジョバンニが判断したのでしょう」
「癪に障る人だけれど、やっぱり優秀なのよねぇ」
ラナが、小さく笑う。
サマンサに辛辣だったため、ラナもジョバンニを、あまり良くは思っていない。
もちろん指示には従うが、好ましくは思っていないようだった。
サマンサが、ラナに家族のことを訊いたのには意味がある。
先々の生活を考えていたのだ。
「今後、別の土地で暮らすことになるかもしれないのよ」
「居を移されるのですか?」
「今すぐではないわ。でも、少し落ち着いたら、アドラントからは離れるつもり」
彼とは、その話をしている。
もとより、彼は、アドラントをジョバンニとアシュリーに任せようと思っていたのだそうだ。
サマンサにも異論はない。
時々は訪れるとしても、永続的な生活の場としては考えていなかった。
サマンサは、彼の苦い顔を思い出して、くすくすと笑う。
ラナが、少し首をかしげていた。
「前にラナが言っていたでしょう? 王都の屋敷に人が来ても、彼が追いはらってしまうって」
「はい。旦那様は、お客様がいらっしゃるのを好まれません」
「そうなのよね。私が、ここで暮らすようになって、ここにも招かれざるお客様が来るようになったでしょう? それが煩わしいみたい」
呼んでもいないのに訪ねて来ると、彼は苦い顔をして、言っていたのだ。
夜会も好きではないし、彼は、ほとんど人付き合いをする気がない。
サマンサも外見のことがあって、長く社交に忌避感をいだいてきた。
華やかな生活より、穏やかさを優先したいと思っている。
「私たち、別の土地で、のんびり暮らしたいのよ」
「さようにございますか……それもよろしいかと存じます」
ラナは落胆しているのだろう。
アドラントに来た頃に「する仕事があるほうがいい」と言っていた。
王都の屋敷に戻れば「仕える相手」はいなくなる。
そう感じているのだ。
「それでね。もし、あなたが嫌でなければ、一緒に来てくれると助かるわ」
「私も、お連れくださるのですか?」
「私はドレスを1人では着られないし、料理も上手いとは言えないもの。だからと言って、彼に料理をさせるわけにもいかないでしょう? あなたはもちろん、ほかにも何人か、ついて来てほしいと思っているのよ」
「喜んで、お仕えさせていただきます。ほかの者も行きたがることでしょう」
返事を聞いて、ホッとした。
今さら、ほかの者を雇う気にはならない。
ラナは正直で、きちんとしており、信頼できる。
ここで暮らすようになって、最初に打ち解けたのもラナだった。
あの頃はまだ、アシュリーが正式な婚約者だとされており、サマンサは、ただの「愛妾」に過ぎなかったのだ。
それでも、ラナは、サマンサの味方をしてくれている。
率直に話してくれるところも好感を持てた。
「いつぐらいになるかわからないけれど、その時は頼むわね、ラナ」
「かしこまりました、サマンサ様」
ラナの嬉しそうな顔に、サマンサは少し考える。
彼との相談にはなるし、本人の意向もあるが、ラナの弟も呼び寄せることを提案してみようと思っていた。
姉を恋しがる歳ではないとはいえ、ラナからすれば、たった1人の家族なのだ。
「あなたが一緒だと、心強いわ」
「これからも、そう仰っていただけるよう、末永く、お仕えさせていただきます」
森の家で、こじんまりと暮らすのが楽しみになる。
サマンサは、頭の隅で「洗濯はさせてもらえるだろうか」などと考えていた。
自分でもできることは、少しくらい「お手伝い」したかったからだ。
彼と同じく、サマンサも貴族らしくない貴族でありたいと感じている。
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