上 下
148 / 164
後編

すべてはそこに 4

しおりを挟む
 
「ちょっと……もう大丈夫だと言っているでしょう?」
「大丈夫だから、どうだと言うのかね?」
「おろしてちょうだい」
「嫌だね」
 
 サマンサが、むすっとした顔をしている。
 だが、彼は、サマンサを抱きかかえたままでいた。
 2日ほど、彼女は身動きが取れずにいたのだ。
 昨日、ようやくテスアからアドラントに帰って来ている。
 
「いいかい。きみは、まだ万全ではないのだよ?」
「でも、歩けないほどではないわ」
「残念だが、靴を用意していなくてね」
「あなたって、無駄に過保護なところがあるわよね」
「魔術師としてよりは役に立つだろう?」
 
 サマンサが、小さく笑った。
 それで、彼の胸も暖かくなる。
 彼女のぬくもりが、腕の中にあるのが嬉しかった。
 
(きみが怒ったり、笑ったりしているのを見られるのが、これほど幸せなことだと初めて気づいたよ)
 
 テスアで意識を取り戻した日。
 サマンサは、記憶も取り戻している。
 彼が指摘するまで、本人は気づいていなかったけれど、それはともかく。
 
「寝室まで運んでも問題はないね?」
 
 サマンサが、首をかしげ、きょとんとした顔をした。
 なにかあったわけではないが、彼がサマンサの寝室に入るのは初めてではない。
 改めて問われている意味がわからずにいるのだ。
 彼は、ひょこんと眉を上げて見せる。
 
「なにしろ、私たちは、とうにベッドをともにしている仲らしいからねえ」
「……っ……な、なんて人……っ……」
「きみが言ったのじゃないか」
「そ、それは、記憶がなかったからでしょう!」
「でも、そうなっても嫌ではなかっ……」
 
 ぱしっと、サマンサが手で彼の口を押さえた。
 首まで真っ赤になり、怒っている。
 薄緑色の瞳が、怒りに輝いていた。
 元気な証だ、と思う。
 そして、とても魅力的だ。
 
「それ以上、その件について口にしたら、ぱたくわよ!」
 
 彼は口を押さえられているので、黙っている。
 そしらぬ顔で、すたすたと寝室に向かって歩いた。
 
「お、おかしな真似をすれば、ただではすまさないから!」
 
 サマンサの言葉を無視して、寝室に入る。
 それから、ひょいっとベッドにサマンサを寝かせた。
 彼女は、視線を、うろうろさせている。
 わざと音を立て、ベッドの端に、どさっと腰をおろした。
 
「ちょ、ちょっと待って……!」
「なにを?」
「だ、だから……わ、私が望むならと……」
「それはもう却下済みだ」
 
 サマンサが膝を立て、じりっと彼から離れる。
 その仕草も、真っ赤になった顔も愛おしい。
 彼女は、美しさと可愛らしさを兼ね備えている。
 とはいえ、あまり怯えさせるのも本意ではなかった。
 
 これから過ごせる時間が、どのくらいあるのかはわからなくても。
 
 彼は思う。
 サマンサと過ごせる日々を大事にしたい、と。
 
(明日、明後日の話ではないさ。まだ時間はある)
 
 いつか来るかもしれない日のためにも、悔やむことのない時を過ごしたいのだ。
 必ずしも、死が訪れるとも限らない。
 今は、そう考えられるようにもなっている。
 
「きみは体調が万全ではない。そうだね?」
「え……ええ……そ、そうよ……」
「私に抱っこされて歩くのも当然だ。違うかい?」
「……違わないわ……」
 
 少し唇を尖らせ、不満そうにしながらも、サマンサは同意した。
 彼は、深くうなずく。
 
「そうだろうとも。それなら、しばらくは、私の膝に座るのも問題はないね?」
「…………ええ……なにも問題はないわ……」
「よろしい」
 
 手を伸ばし、サマンサの髪を撫でた。
 こうしてふれることができるのも、彼女が生きていればこそだ。
 サマンサを失わずにすんだことに感謝する。
 
「ああ、そうだ」
 
 彼は、ある物を魔術で取り出した。
 サマンサが驚いたように目を見開く。
 テスアから先に帰していたジョバンニに言って、取りに行かせたのだ。
 
 綺麗な容器。
 
 蓋を開け、その中身を手ですくう。
 サマンサの手を取って、それを塗った。
 レジーとの「約束」の軟膏だ。
 
 サマンサが森に行ったのは、その約束を果たすためだった。
 だが、彼女は、それを手にしていなかったのだ。
 再びジェシーに襲われた際に落としたに違いない。
 そう考え、ジョバンニに探させている。
 
「きみの手荒れを治すのは、これでなければならないからね」
 
 せっかく貰ったのに落としてしまったと、サマンサが悔やむのはわかっていた。
 いつまでも、申し訳ないと思い続ける彼女を、見たくはない。
 サマンサの意思を尊重し、彼は浄化後も、手の治癒はほどこさずにいたのだ。
 毒の影響下にあった時には、そもそも治癒が効かなくなっていたこともある。
 本当は、手の刺し傷は直したかったのだが、我慢した。
 
 記憶は戻ったのだが、記憶がなかった時のことも、サマンサは覚えている。
 やはり癪ではあるものの、彼女に無理強いはできないとわかっていた。
 サマンサは意思の固い女性だ。
 そして、彼は、彼女に勝てた試しがない。
 
 負けるべきところは負けておく。
 
 その代わり、彼が勝つべきところは勝つとも決めていた。
 2人は対等な関係なのだ。
 勝ったり負けたりを繰り返す。
 どちらかと言えば、サマンサのほうが強いのだけれど、それはともかく。
 
「あなた、ずいぶんと大人になったのね」
「子供なら駄々をこね通していると言ったはずだ」
 
 適度に軟膏を塗ってから、容器をしまう。
 サマンサが、また、きょとんとした。
 
「どこにやったの?」
「きみの目のとどかない場所さ。言ってくれれば、いつでも出して、私が手当てをするから、心配することはないよ」
「やっぱり子供じゃないの!」
「子供なら、こういう類の嫉妬はしないだろうね」
 
 サマンサは少し不服げな顔をしたあと、くすくすと笑い出す。
 それから、両手を伸ばしてきた。
 彼は、サマンサを抱き締める。
 その背に、彼女の腕が回された。
 抱きしめ返され、胸がいっぱいになる。
 
「あなたは、人でなしのろくでなしよ」
「知っているよ」
 
 サマンサの頬に、軽く口づけた。
 サマンサも、彼の頬に口づけてくれる。
 
「それでも、愛しているわ」
 
 少し体を離し、唇を重ねた。
 サマンサが、彼の「たった1人」だと強く感じる。
 無力感も、わずかだが薄れていた。
 少なくとも、彼女を救うことはできたのだ。
 
(きみといると、初めてが多い)
 
 つくづくと思う。
 サマンサは、彼に「初めて」を与えてくれる女性でもあった。
 
 自分に力があって良かったと思うことなどない。
 壊すだけの力だと、自分自身をうとんじていた。
 だが、彼女を救えたことで、初めて「守るための力」でもあると思えたのだ。
 闇の中に佇んでいた彼に訪れた、光となっている。
 
「今すぐでなくてもいいけれど、どこかでのんびり暮らしたいわ」
「辺境地の森とか?」
「わかっていたの?」
「あの森小屋というわけにはいかないがね。私の領地なら、かまわないよ」
「あなたの領地にも、森小屋はあるかしら?」
「今はないが、造ればいいさ」
 
 曾祖父が使っていたという森の家を思い出す。
 あれに似たものを造れば、快適に暮らせるだろう。
 サマンサとの暮らしは、彼にとっても楽しみだ。
 いずれ「家族」も増えるに違いない。
 
「子供は何人くらいになるかなあ」
「え……」
「きみの体に負担がかからないようなら、2人はほしいね。となると……」
 
 サマンサの鼻を、つうっと指で撫でる。
 瞳を見つめ、にっこりした。
 
「早く婚姻すべきだな」
「あ、あの……」
「婚約解消は撤回したじゃないか。きみは、私の正式な婚約者だろう?」
「それは、そうだけれど……突然って気がして……」
 
 サマンサの指を、軽くつまんだ。
 黒い指輪が、ばしんと弾ける。
 これは、もう必要ない。
 すぐに新しい指輪を用意するつもりでいた。
 
「きみの体が万全になったら、ティンザーの家に挨拶に行くよ」
「いいの?」
「いいもなにも、当然のことだ。それに、私は彼らを好ましく思っているのでね。挨拶もなしに婚姻して、嫌われたくはないのさ」
「今度は……私も協力するわ。お芝居ではなく、ね」
「当然だよ、きみ」
 
 彼女との愛のある暖かで穏やかな生活が、彼の幸せのすべてだ。
 それを感じながら、彼は、サマンサを抱きしめ、腕の中に閉じ込める。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます

神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。 【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。  だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。 「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」  マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。 (そう。そんなに彼女が良かったの)  長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。  何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。 (私は都合のいい道具なの?)  絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。  侍女達が話していたのはここだろうか?  店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。  コッペリアが正直に全て話すと、 「今のあんたにぴったりの物がある」  渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。 「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」  そこで老婆は言葉を切った。 「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」  コッペリアは深く頷いた。  薬を飲んだコッペリアは眠りについた。  そして――。  アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。 「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」 ※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)  (2023.2.3)  ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000 ※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...