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後編

目に見えないからこそ 3

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 サマンサは、かなり混乱している。
 自然淘汰だなんて、まったく想像外の答えが返ってきたからだ。
 そんな不条理があるだろうか。
 けれど、彼の力が大きいとされているのも確かだ。
 
(それじゃ……もし……)
 
 サマンサの手を、彼が握って来る。
 まるで心を見透かされたようだった。
 きっと同じことを考えている。
 その先に来る事態をサマンサも予測していた。
 
「きみと口論した時……きみは私に子供がほしいかどうかと訊いたね? 私は難しいと答えた。きみがほしいかどうかが大事だとも言った」
 
 サマンサは覚えていない。
 だが、酷いことを言ったと思う。
 彼に対して、死をつきつけるも同然の問いだ。
 
「きみが私を愛する可能性がなかったなら……ほしいと答えていたよ」
「……愛する人を殺す子になるかもしれないものね……」
「その子を、きみが愛せなくなるのが、心配だった。きみは……暖かくて愛のある家庭を望んでいたのでね」
 
 彼との間に子を成したとして、その子は黒髪、黒眼で産まれるかもしれない。
 その子が魔力顕現けんげんしたら、彼は死ぬ。
 自然淘汰という不条理の中、確実に命を落とす。
 自分の子が、自分の愛する人を殺す子になるのだ。
 
「私が死んでも大層には悲しまない程度の関係で、きみには私のそばにいてほしかった。身勝手な想いだと承知の上で……それでも、きみを手放し難かった」
 
 彼の想いを嬉しいと思う。
 だが、同じ心で、悲しくもあった。
 彼は「いつ死ぬかわからない」のだ。
 その日が来た時、自分がどうなるのか、どう感じるのか、わからない。
 
 執事から聞いた時でさえ、あれほど動揺した。
 実際に現実となったら、と考えるだけでも怖くなる。
 
「それに、もちろん、こちら側の話ではすまない。もう1人の人ならざる者にも子はできる。まぁ、まだ先の話にはなるだろうが、その子に私が淘汰されることも有り得るのだよ。可能性は2倍というわけだ」
 
 言われて、そうかと思い至る。
 自分たちの子供だけではない。
 仮にサマンサと彼との間の子が、人ならざる者ではなかったとしても、3人目が生まれることはある。
 
「私がきみの望むものを与えられないと言った意味が、わかっただろう?」
 
 サマンサは、きゅっと彼の手を握り返した。
 彼がかたくなに「愛されたくない」と言った理由を理解する。
 彼を愛してしまえば、サマンサが傷つくことになるからだ。
 それも、とても深く。
 
(自分の子を愛せなくなる……そうね……有り得なくはないわ……)
 
 愛する人を奪った子。
 
 そうなった時、この子がいなければ、と思うかもしれない。
 彼の言葉を、すぐには否定できなかった。
 彼と同じ黒い髪と瞳を見るたび、思い出すに違いないのだ。
 
「きみは、きみの望むものを与えられる相手を選んでいい。いや、選ぶべきだね」
 
 彼の言うことは正しいのだろう。
 たぶん。
 
 彼と、愛し愛される関係を築くのは難しい。
 愛さないように気をつけ続けるなんて、できっこないのだから。
 
 サマンサは、知らず、うつむいていた。
 その顔を上げ、彼の黒い瞳を見つめる。
 相手が誰であれ、彼は愛を望むことはできない。
 彼に愛を望まない相手しか、彼は隣には置けないのだ。
 
(彼に愛は不要なのね……むしろ……彼を傷つけてしまうから……)
 
 彼には、自らの子に命を奪われる覚悟はできているに違いない。
 もしくは、3人目の出現により、死の宣告を受けることも想定はしている。
 いつ死ぬかわからない不条理を受け入れているのだ。
 ただ、それをサマンサに押しつけたくないと考えている。
 
 彼は愛を諦めているのだろう。
 彼の黒い瞳を見つめながら、自分も諦めるべきだと思った。
 
 不意にドレスの裾が、ふっと引っ張られたような気がする。
 
 その感覚に、ハッとなった。
 サマンサは彼の手を強く握る。
 そして、首を横に振った。
 
「あなたに言っていないことがあるわ」
 
 彼女の心は確信に満ちている。
 どうしても言っておかなければならなかった。
 彼の目を、まっすぐに見つめ、はっきりと言う。
 
「私、あなたを愛しているの」
 
 彼が、大きく目を見開いた。
 それから、戸惑ったように眉をひそめる。
 きっと「今までの話を聞いていたか」と言いたいのだろう。
 苦渋に満ちた表情からも、その気持ちが、うかがい知れる。
 
「あなたの話は、ちゃんと聞いていたわ。理解もしている。その上で、それでも、私は、あなたを愛していると言っているのよ」
「きみは……」
「待って、もう少し、私の話を聞いてちょうだい」
 
 彼の口に手をあて、反論を遮った。
 もうひとつ、サマンサには言っておくことがある。
 
「実を言うと、私、記憶がないの」
「なんだって……?」
「川に流された時に頭を打ったらしくて……自分のことも、まともに覚えていないのよ。もちろん、あなたのことも、まるきり忘れているわ」
 
 なのに、わかっていることがあった。
 記憶ではなく、心が覚えている。
 どうしても、捨てることができずにいた。
 
 『サム、サミー……』
 
 彼の声だ。
 聞こえてくるたび、せつないような、寂しいような複雑な気持ちになる。
 なのに、聞こえなくなればいいとは、1度も思わなかった。
 
「おかしいわよね。覚えていない人のことを愛しているだなんて」
 
 けれど、愛しているのだと思う。
 彼が独りになりたがるのが嫌でたまらないのだ。
 独りにしたくない、と感じる。
 同情でも、義務でもない。
 
「あなたは私を見縊みくびり過ぎているわ。もしかして過保護な人なのかしら?」
「本当に、なにも覚えていないのか」
「本当に、なにも覚えていないわ。あなたを愛していること以外はね」
 
 彼は、なんだか奇妙な顔をしていた。
 困ったような、もどかしそうな、それでいて嬉しそうな。
 だけれども、悲しそうでもあって。
 
「いいこと? 私はあなたを愛しているわ。でもね、たとえあなたを殺す子であったとしても、私はその子を愛せるの。自信があるのよ」
 
 愛してほしいと、必死にしがみついてくる子供。
 
 スカートを引っ張るリスの姿を、彼女は思い出していた。
 その手を振りはらい、憎むことができるだろうか。
 抱き締めずにいられるだろうか。
 
 きっと愛さずにはいられない。
 
 サマンサは、それを確信したのだ。
 自分がリスに言った言葉を覚えている。
 
 『私は、あなたが大好きよ。でも、それはお手伝いしてくれるからじゃないの』
 『あなたが悪い子になっても変わらないわ』
 
 彼が心配する気持ちは理解していた。
 先々のことはわからないし、予測もつけられないのだ。
 今はそう言えていても、その時が来たらどうなるか。
 それは、もちろんサマンサにだって、わからない。
 
 愛する人を失うのは、誰だって怖い。
 
 こうして握っている手からぬくもりがなくなること。
 言葉を交わすことができなくなること。
 自分を見つめる瞳に光を見つけられなくなること。
 
 すべてが恐ろしい。
 彼という人は、1人しかいないのだ。
 人は、物とは違う。
 代替は効かない。
 だからこそ、人は人の死を嘆く。
 
 しかも、この先、彼の死の可能性を抱え続けなければならないのだ。
 怖くないわけがなかった。
 だとしても、サマンサは思う。
 
 今、この手を放すほうがつらい、と。
  
「あなたを失うのは怖いわ。とても怖い。でも、先のことばかり考えて、目の前にあるものを無視したくはないの。それにね、私、あなたを失ってもやっていけるわよ? いつまでも嘆き悲しんでいるなんて思わないでちょうだい」
「胸にグサッとくることを言うじゃないか」
「あなたが自信過剰なことを考えているようだから、釘を刺しただけよ」
 
 サマンサは彼に微笑んでみせた。
 本当には、どうなるかわからない。
 けれど、彼のことも、子供のことも、諦めたくなかった。
 どちらも「独りぼっち」になどさせはしない、と思う。
 今この瞬間に思うことが、彼女にとっての「真実」だ。
 
「でも、2つほど条件を付け加えさせてもらうわ」
「どういう条件だい?」
 
 サマンサは、手を伸ばし、彼の頬にふれた。
 彼は暖かい。
 けして「人ならざる者」などではなく、「人」なのだ。
 
「ああ、当然のことだから心配いらないわよ? まずは婚約解消の撤回。とても簡単なことよね?」
「それから?」
「あなたが生きている間中、私を、これ以上ないってくらいに愛すること」
 
 彼に、にっこりと微笑みながら、言う。
 
「これほど簡単な条件を飲まないと言うなら、あなたは、本当に人でなしだわ」
 
 サマンサの体を、彼が、ぎゅっと抱き締めてきた。
 サマンサも彼を抱きしめ返す。
 肩口に額を押しつけている彼の髪を、ゆっくりと撫でた。
 しばらくののち、彼が、とても小さな声で答える。
 
「よろしい……交渉成立だ……」
 
 彼らしい答えかただ、と思った。
 記憶をなくしたサマンサが、彼と初めて会った日、彼はサマンサの心を冷酷に容赦なく切り捨てている。
 だが、その心の内側には、彼女に対する愛があったのだ。
 今日、サマンサは、彼の心の壁を完全に打ち壊している。
 
 そして、その心を受け取った。 

 愛も心も目には見えない。
 手でふれることもできない。
 曖昧で漠然としたものだ。
 なのに、わかる。
 
 心でふれあえていると、わかるのだ。
 
 暖かなぬくもりに、お互いがつつまれている。
 彼の背に回した手に力をこめた。
 その背が、わずかに震えて、いる。
 
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