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後編

遠いのに近くて 1

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 サマンサは、無性に、イラッとしていた。
 もちろん自分に苛つく資格がないのは承知している。
 サマンサとて、婚約者の彼ではなく、レジーのパートナーとしての出席だ。
 婚約者の立場を無視しているのは、なにも彼だけではない。
 
(なによ、あの露出の高いドレスは……きっと彼の贈り物ね。大胆なドレスが悪いとは言わないけれど、あれは悪趣味じゃないかしら)
 
 彼が連れているのは、アドラント王族の皇女なのだという。
 挨拶に行く前、レジーが教えてくれた。
 白金色の髪と瞳に、女性らしい魅力のある体つきをしている。
 
 マルフリート・アドラント。
 
 彼にエスコートされ、とても堂々としていた。
 真っ白なドレスは布地の少なさを差し引けば、婚姻の式用にあつらえたと思えるほどに豪華だ。
 そう、もう少し布地が多く、隠すべきところを隠していれば、だけれども。
 
 ただ、それがマルフリートを下品に見せていないのは、サマンサも認めている。
 ドレス自体は悪趣味だと思うのに、マルフリートが身にまとっていると、気品が感じられるのだ。
 周囲の貴族たちも、似た感覚でいるのだろう。
 男性は言うまでもなく、女性たちまでもが、マルフリートに見惚みとれていた。
 
「聞きしに勝るってやつだな」
 
 レジーは、呆れ顔をしている。
 ほかの貴族男性らとは違い、マルフリートに興味はないようだ。
 というより、どちらかと言えば、嫌悪感を滲ませている。
 少なくとも、レジーの好みではないらしい。
 
「飛び領地を転々としてた頃、噂を耳にしてたんだよ。けど、噂は噂だ。実際に、会ったこともねぇ相手だったし、聞き流してたんだがなぁ」
「あまり良い噂ではなかったのね」
「あまり、どころか、悪い噂だったって言ってもかまわねぇほどだ。ま、現実に、あれを見ちまうと、噂じゃなくて事実だったって、わかったぜ」
 
 マルフリートは彼にぴったりとくっついて、ダンスホールに向かっていた。
 なんとなく流れで、その場にいた貴族たちも移動している。
 サマンサも人の波に押されるようにして歩き出していた。
 本当は、行きたくもないのに。
 
 時折、人波の間から見えるマルフリートの背には、彼の手がそえられている。
 それを、マルフリートは不快とは感じていないようだ。
 やはり、時折、見える横顔には、終始、魅惑的な笑みが浮かんでいた。
 いつでも、彼とベッドをともにする心づもりでいるのだろう。
 
(別に、どうでもいいことだわ。彼が誰とベッドをともにしようが、私には関係のないことだもの。婚約者と言ったって、所詮は、この程度なのよ)
 
 政略的な婚姻にありがちなことだとの知識が蘇る。
 サマンサは不快に感じるが、正妻より側室や愛妾を寵愛する男性は少なくない。
 彼がそうであったとしても、驚くことではないのだ。
 
(……私の願いは叶えられる……私の願い……願いって……)
 
 彼は「囮役」が終われば、サマンサの願いは叶えられると言った。
 だが、その「願い」がなんだったのかを思い出せずにいる。
 たぶん、彼との婚約解消だろうと推測はしていたが、はっきりしない。
 ひどく曖昧で、婚約の解消を望んでいるのかも定かではなかった。
 
(婚約解消したくなって当然よ……あんな……冷酷な人でなし……)
 
 思うのだが、妙に胸が、ちくちくする。
 サマンサの命が狙われ、助かったあと、駆け寄ってきた彼の姿が頭をよぎった。
 冷血漢とは思えないほど、不安や焦燥、恐怖に満ちた表情を浮かべていたのだ。
 一瞬だけだったけれど、それはともかく。
 
「アドラントの皇女は、今のところ彼女だけなんだ。あとは皇子が4人だか5人だかいるっていう。どれも、いい話は聞かねぇが、皇女は……あの外見だし、護衛騎士を手玉に取るくらい簡単そうだな」
「護衛騎士と……その……不適切な関係に……?」
「2ヶ月とは同じ護衛騎士をそばには置かねぇらしい」
 
 サマンサの顔が、じわりと熱くなった。
 マルフリートは見た目にはとても上品で、王族らしい雰囲気もある。
 魅惑的な笑みでさえ、無邪気さを感じるのだ。
 なのに、アドラントでは護衛騎士を「とっかえひっかえ」しているらしい。
 
(い、いいえ……仮に、仮によ、皇女殿下が護衛騎士をお誘いになったとしても、そこは断るのが、騎士というものでしょう? 誘われて、ほいほい乗るほうが悪いのよ。護衛が護衛にならないじゃないの)
 
 皇女との立場で護衛騎士を誘うのはどうか、と思う。
 さりとて、その気になるほうも、なるほうなのだ。
 もし皇女とベッドをともにしている際、襲撃でも受けたらどうするのか。
 丸腰では皇女を守れないではないか。
 
 少し憤慨気味のサマンサの頭に、彼の裸身がちらついた。
 かぁっと顔が熱を帯びる。
 見たこともないはずの彼の体を想像してしまった。
 しかも、皇女とベッドにいる姿だ。
 
(い、嫌だわ……私ったら、なにを考えて……)
 
 想像した自分が、たまらなく恥ずかしい。
 なのに、胸のちくちくが、ずきずきに変わっている。
 なぜかは、わからなかった。
 彼のことなど、ちっとも好きではないのに。
 
「アドラントの騎士にだけはなりたくねぇな」
「シャートレーはロズウェルド王族の騎士でしょう? だったら、アドラントに行くことはないのじゃない? 領地には、それぞれの領主が騎士を配置するのではなかったかしら」
 
 ぼんやりとした記憶の中に、そういう知識がある。
 王族との関わりなど自分にはなかったのだろうと思った。
 サマンサの記憶は、サマンサ自身に関係の深いことほど薄れているのだ。
 
 ただ、逆に王宮やまつりごとに関することは思い出せずにいる。
 わずかではあれ王族の知識があることに対比すると、なにか不自然だった。
 公爵家とはいえ令嬢であった自分に、王宮と政治的な関わりがあったとは考えられない。
 貴族としての知識が、王宮は男性優位な場だと、サマンサに教えているのだから。
 
「王族の近衛騎士ってのは国全体を守る役目がある。アドラントもロズウェルドの一部ってわけだ。宮殿の護衛につかされることもなくはない。アドラントの街の警備は、ほとんど私兵で賄われてるからな」
「なのに、宮殿の警護は私兵にさせないの?」
「まぁなぁ。いくつか理由はあるが、アドラントの領民は元アドラント国民だ。併合時には、アドラント王族の廃止を訴えた民も少なからずいたのさ」
 
 サマンサは少し納得する。
 アドラント王族に良い感情をいだいていない者に警護を任せるのは危険だ。
 だいたい忠誠心がなければ、まともに守ろうとはしないだろうし。
 
「それと、ロズウェルド王族は、ローエルハイドとの関係を切りたくないんだよ。身近な存在にしておきたいらしい。今は疎遠になってるが、昔はかなり懇意だったみたいだしな。なにかしら繋がりを持っておきてぇって考えてんだろ」
「それで、アドラント王族の護衛に、あえてロズウェルドの近衛騎士を配置させているってこと?」
「ローエルハイドも、アドラント王族とは距離を取りたいんじゃねぇかな。変に後ろ盾だと思われちゃ、アドラント王族が調子に乗る」
 
 サマンサは目を細めて、ダンスホールのほうに視線を向けた。
 とても「距離を取りたがっている」とは思えない光景だ。
 2人の関係は「親密」としか思えない。
 さっきの会話からしても、マルフリートと彼は、ただならぬ仲に見えた。
 
 『こうして貴方が私を選ぶ日が来るとわかっていたわ』
 『ずいぶん待たせたようだが、これがいい機会になるのではないかな』
 
 その上、彼はマルフリートにひざまずいたのだ。
 サマンサにはわからなかったが、周囲の反応を見れば予測はつく。
 彼が跪くなど「有り得ない」ようなことだったに違いない。
 いかにマルフリートを特別扱いしているかがわかる。
 
(私と婚約解消をして、皇女殿下と婚姻……? 待たせたというのは、私との婚約解消が遅れたってこと? 元々、彼が選んでいたのは……)
 
 急に頭痛がしてくる。
 胸の痛みも重なり、息が苦しかった。
 耳鳴りも激しくなってくる。
 
 『ベッドをともにしたいとも思えないのに、子が成せるはずないだろう』
 『あの、ぶにゃぶにゃした手で掴まれるかと考えただけで、ゾッとする』
 
 誰と誰の会話かはわからない。
 なのに、自分に対する内容だと理解している。
 自分は、それほどに「醜かった」のだ。
 ふれるだけで相手をゾッとさせるくらい、酷い外見だったに違いない。
 
 今は誰も、サマンサをそんなふうには見ていない。
 それでも、嘲笑されている気がする。
 サマンサは、聞こえた会話に、ひどく怯えていた。
 記憶を取り戻したくない、と思わずにはいられないのだ。
 
 彼も、そうだったのだろうか。
 
 さっきの会話の声は、彼ではなかった。
 だとしても、同じ結論を出されていた可能性はある。
 彼の冷たさや、今夜のことを考えれば、愛されていないのは明白だ。
 
「……ム! サム……っ……」
「あ……レジー……」
「大丈夫か? 気分が悪いなら場所を移そう。公爵様が皇女を連れて来るって知ってたら、パートナーなんか頼まなかったんだが……」
 
 心配そうな顔のレジーに、無理に笑ってみせる。
 せっかくのケニーのお祝いの夜会を台無しにはできない。
 震えそうになる足に力を入れ、サマンサは気持ちを強くした。
 
「平気よ、レジー。どうせなら、2人のダンスを見逃さないようにしなくちゃ」
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