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後編

さよならをする前に 2

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(フレディ)
 
 彼は、フレデリックに呼び掛ける。
 トリスタンの使いの者が、フレデリックが連絡を取りたがっていると伝えるようジョバンニに言ってきたからだ。
 基本的に、トリスタンは魔術を使って、なにかをしようとはしない。
 彼に魔術を使わせるのは、あくまでも研究と開発のためだった。
 
 連絡も人を通じて行う。
 魔術より多少の時間差はあるが、それでも迅速だと言えた。
 貴族間のやりとりや、手紙といった手段に比べれば、格段に速い。
 
(お忙しいところ、申し訳ございません、公爵様)
(いや、かまわないよ)
 
 彼は、アドラントの私室におり、近くにはジョバンニが控えている。
 フレデリックと即言葉そくことばで連絡を取っていると知っているのだろう、ひざまずいたまま、じっとしていた。
 
(地下水路に毒でも流されたかね?)
(ご存知だったのですか?)
(トリスタンから報告は来ていないが、およそ、そんなことだろうと思っていた)
 
 カウフマンは、フレデリックが地下に隠れていると予測はしている。
 トリスタンからも、カウフマンの配下がうろついていることまでは聞いていた。
 だが、フレデリックは見つからない。
 さらなる追い込みをかけるのなら、食糧ではなく「水」に細工する。
 彼は、そう推測したのだ。
 
(被害は出ていないのだろう?)
(それは、ええ、はい。彼らは、なんというか……普通ではないので……)
 
 彼は、うっすらと微笑む。
 トリスタンは狂人だ。
 狂人の周りには、狂人が集まる。
 彼らは、毒を流されることなど、どうとも思ってはいないはずだ。
 
 魔術の中には、直接的な火や氷といった攻撃をしかけるものもあるが、体を蝕むような毒といったものもある。
 トリスタンが研究、開発に勤しんでいるのは、魔術師が敵対勢力となった場合の対処方法なのだ。
 そもそも、仮に魔力が消えてしまった環境で敵国から毒を使われたならば、どう対処するかなど、先んじて対処方法を考えていたに違いない。
 
(常日頃から解毒剤を服用しているらしく、平気で毒入りの水を飲んでおります)
(だろうね。彼らより、きみは大丈夫なのかね?)
(僕も、ここに来てから、なにかと薬を服用させられておりまして……これまで、どういった薬かは聞かされていなかったのですが、対処はできております……)
 
 フレデリックは、トリスタンのところに行ってから、まだ日が浅かった。
 おそらく、命に別状はなくとも、なんらかの症状は出ているのだろう。
 たとえば、手足の痺れだとか。
 
(どこで手に入れているのかは知りませんが、食糧も潤沢にあるようです)
(新鮮なものが食べられなくて、つらいのじゃないかい?)
 
 食糧が潤沢にあるといっても、野菜や果物は手に入らない。
 食糧の出どころは、王族所有の、災害用備蓄品なのだ。
 毎年、古くなったものから廃棄され、新しく補充している。
 その廃棄品をトリスタンは「無償」で提供されているに違いない。
 
 カウフマンが、地上にいる商人を使っても「物」からトリスタンを追えずにいる理由だ。
 王宮に納品はしているだろうが、廃棄品の管理は王宮が行っていた。
 どれを廃棄品とし、元の量がどれくらいあったのかまでは、いかにカウフマンであろうとも把握はしきれない。
 とはいえ、おそらく、目くらましに、半分くらいは本当に廃棄している。
 
 廃棄品と言っても、腐ったり食べられなくなったりしている品ではないのだ。
 ただ新鮮ではないというだけで、腹を満たすには十分な量の確保はできる。
 彼らは、そうした食事にも慣れているのだろう。
 貴族のような贅沢な食事には、興味もなさそうだ。
 
(いえ、僕だって、落ちぶれ貴族をやっている身ですから、貧相な食事には慣れております。それほど苦痛ではありません)
 
 フレデリックは、ひとまずトリスタンのところで、無事に暮らせている。
 にもかかわらず、彼に連絡を取りたがった。
 なにもできずにいるのを気にかけている。
 彼の役に立ちたいとの思いが強いのだ。
 
(フレディ。きみは、もうしばらく、そこにいたまえ)
(公爵様が、そう仰るのなら、そのようにいたしますが……)
(きみは、自分がそこから出て行けば、ジェシーを釣れると考えているのだね)
(さようにございます。奴は、なぜか僕に固執しているようですから)
(だが、今は動くべきではないよ。きみが動けば、地下水路に毒を流したことに、効果があったと思われる)
 
 それは、すなわち地下に「なにかがいる」と示すようなものだ。
 場所が知られるのはかまわない。
 トリスタンの配下に死人が出るのもかまわない。
 問題なのは「国防特務機関」の存在そのものが知られることだった。
 
 彼らは、ロズウェルドで息をし、普通に暮らしをし、街に溶け込んでいる。
 だが、実在しない者たちでなければならないのだ。
 
 いつもそこにいるのに、どこにもいない。
 
 彼らの存在は、そうあるべきだと知っている。
 トリスタンが最大限に注意をはらっているのも、そこだった。
 それだけは、崩してはならない。
 トリスタンに手を引かれては困るのだ。
 
(……僕は、公爵様のお役には立てないのですね……)
 
 フレデリックが、しょんぼりしたように言う。
 即言葉では、声の抑揚は伝わらないが、雰囲気は伝わってきた。
 落胆しているフレデリックの様子を思い浮かべ、彼は緩く微笑む。
 フレデリックは、彼に切り捨てられても、恨み言ひとつ言わないと、容易く想像できた。
 
 今の彼は、誰であれ、簡単に躊躇なく切り捨てるというのに。
 
(きみには、今後のことがあるからね。長生きをしてもらわなくちゃならない)
 
 トリスタンの元に、フレデリックを置いておく理由のひとつだ。
 フレデリックという「駒」を、ジェシーに取られるわけにはいなかい。
 フレデリックには、ラペルの後継者となってもらう必要がある。
 
 彼は、ちらっと、ジョバンニに視線を向けた。
 ジョバンニとアシュリーの仲は安定してきている。
 あと2年と経たず、アシュリーは16歳となり、2人は婚姻するのだ。
 その2人を、フレデリックは支える存在になる。
 
 だから、死んでもらっては困るのだ。
 14歳から6年間もフレデリックは彼の指示に従い、ハインリヒの愚かな友人を演じ続けている。
 彼が指示すれば、ジョバンニを下支えすることもいとわないはずだ。
 
(今のきみは、生きているだけで私の役に立っている。それを覚えておきたまえ)
(公爵様……かしこまりました。なにがあっても、死なない努力をいたします)
(そうだね。きみは、ジェシーを上手くかわした。とても大きな功績だよ)
(光栄にございます。公爵様のお役に立てるよう、今後も努めてまいります)
 
 彼は、トリスタンに言付ことづけをしようかと思ったが、やめておく。
 いらぬ世話を焼くことはない。
 トリスタンは狂人だが、恐ろしく頭がいいのだ。
 彼が、なにを言わずとも、こちらの動きなど予測している。
 
(私から指示があるまで、トリスタンにくっついているように)
 
 それが、最も安全だった。
 トリスタンは配下のことを、平気で見捨てる。
 自らの命と「資料」さえあれば、ほかは代わりがきくと割り切っているのだ。
 最悪、配下を盾としてでも、トリスタンは逃げ切るに違いない。
 
(あの人は苦手ですが、そのようにいたします)
(安心していいよ、フレディ。スタンを得意な者などいやしない)
 
 言って、ふつっと即言葉を切る。
 ジョバンニが、顔を上げ、彼に視線を向けていた。
 会話が終わったのを察したのだ。
 魔力の微量な動きを認識できるのは、ジョバンニが優秀だからだった。
 
「カウフマンも、なにかおかしいと気づき始めている」
「いつ頃、動くでしょうか?」
「もう動いているかもしれないな」
 
 フレデリックが見つからないことで、カウフマンは違和感を覚えているだろう。
 そのせいで、少しだけ乱暴な手を打っていた。
 地上の者には影響はないとしても、地下水路に毒を入れるというのは強硬だ。
 トリスタンの配下ではない者は命を落としている。
 法から逃れるため地に潜んでいた野盗など後ろ暗い連中だ。
 
(それはそれで、王都の街も綺麗になって良かったのだろうがね)
 
 彼にとって、野盗がどうなろうが知ったことではない。
 それよりも、やはりカウフマンの動きが気がかりだった。
 ジョバンニが言ったように「いつ動くのか」が、重要なのだ。
 
「シャートレーに言付けをしておいてくれ」
「かしこまりました、我が君」
 
 ジョバンニが姿を消す。
 なにをかは言わなくとも、理解したようだ。
 ここ半年の間の、ジョバンニの成長は著しい。
 アシュリーとの関係が、いい影響をもたらしている。
 2人の微笑ましい姿に、彼は満足していた。
 同時に、激しい悔恨の情に流されそうになる。
 
 自分とサマンサも、あのようになれたかもしれない。
 
 そう感じるからだ。
 今さらだと思いつつも、サマンサを心から追い出すことはできずにいる。
 その方法を、彼は知らなかった。
 
「それに、私は、結局、きみを囮にしているのだから、愛を口にする資格はない」
 
 彼から離れたサマンサを、カウフマンは追っている。
 見つければ、必ず、そこにはジェシーが来るはずだ。
 彼は、そこでジェシーに始末をつけるつもりでいる。
 サマンサが危険だと知りながら、その機会を待ってもいた。
 
 きっかけがなければ、ジェシーを捕まえられない。
 
 心の奥では、ジェシーなど放っておけばいいとの思いもある。
 サマンサの安全を最優先にすべきだと、本音では考えているのだ。
 だが、彼の心は定まっている。
 
 『でも、その奇跡の子だけは、あなたが面倒を見なくちゃならないわよね』
 
 そう、ジェシーだけは、彼が「面倒」を見なければならない。
 放置しておけば、のちのちの厄介事に繋がる。
 それが、サマンサを危険にさらす理由になるかはともかく。
 
「きみは、私が必ず守る。新しい愛のもとで、きみが幸せになれるように」
 
 サマンサを想いながら、彼は目を伏せた。
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