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後編
過ぎていく日々に 1
しおりを挟む「楽しめたか、ジェシー?」
「それなりにね。オレ、あいつ、欲しくなっちゃった」
「探させておるのだがな。まだ見つからん。地に潜っておるようだ」
カウフマンも「隠れ家」から出ずにいる。
ここを知っているのは厳選した者だけだ。
たとえ殺されようと拷問されようと、口を割ったりはしない。
ソファに座っているカウフマンの膝に、ジェシーが座って来る。
甘えた仕草で、首にしがみついてきた。
「早く捕まらないかなー。あいつ、面白いんだよ」
「ラペルの息子が愚鈍な者でなかったとは、確かに面白い」
「超嘘つきで、まんまと騙されたー」
ジェシーは、がっかりした様子もなく、笑っている。
カウフマンも、それほど大袈裟なことだとは思っていない。
ジェシーには失敗も必要だからだ。
大きな力を持っていると、時に「なんでもできる」と過信する。
「そういや、ティンザーの娘のほうも見つかってないみたいじゃん?」
「ああ、あれは、しばらく放っておくことにした」
きょとんとしているジェシーの頭を撫でた。
カウフマンは、薄く笑う。
「アドラントに雨が降っておろう」
「ここんトコ、ずっとだってね」
「あれが怒っておるのさ」
「へえ。こーしゃくサマって、そんなこともできんだ」
公爵の心が乱れているのは間違いない。
ジェシーの頭を撫でながら言った。
「お前が出たことで、あれは追い詰められたのだろうよ」
「オレぇ? でも、オレ、ティンザーの娘の居場所も知らねーぞ?」
「探しておる、というのが、あれに伝われば、それで良かったのだ」
「えー! じぃちゃん、オレのこと、そーいうふうに使ったのかよー」
むうっと口を尖らせるジェシーに微笑んでみせる。
本気で怒っているのではないとわかっていた。
ジェシーは甘えているだけなのだ。
「お前も遊びたがっておったろう?」
「そりゃ、そーだケド!」
「おかげで最後のひと押しが叶った。お前の手柄だ」
「実感ねー手柄でも、手柄は手柄か。ま、いいや。そいで?」
ジェシーには感情というものがない。
言葉や口調とは裏腹に、実際には感情の起伏もない。
そのため、すぐに意識の切り替えができる。
もうカウフマンに「遊ばれた」ことなど、どうでも良くなっているのだろう。
「あれが、ティンザーの娘を探す」
「あー、オレらに見つかる前にってコト?」
「そうだ。ほかのことは後回しにしてでも探すだろう」
「つまり……こーしゃくサマは、恋に落ちた?」
ジェシーの言葉に、カウフマンはうなずきながら笑った。
公爵の怒りの大きさからすれば、ティンザーの娘に対する想いは並々ならないものがある。
公爵は「愛」という弱味を持ったのだ。
「あれは、今、ティンザーの娘のことしか考えられまいよ」
「じぃちゃんの狙った通りだな。けどサ、あっちが先にティンザーの娘を見つけたら困るんじゃねーの?」
「ジェシー?」
「まぁね。わかってんだけどね」
へへっと笑い、ジェシーが肩をすくめる。
公爵がティンザーの娘を先に見つけても、なにも困らないのだ。
ジェシーには、公爵の「絶対防御」も役には立たない。
人ならざる者であった大公が、戦時中に使ったとされる魔術だった。
公爵も使えるに違いない。
かけられた領域では、物理的にも魔術でも、攻撃が効かなくなる。
人が足を踏み入れることすらできないのだ。
ただし、絶対防御は「人」に対して発揮される魔術だと、わかっている。
かつて、大公が、常に絶対防御を張り巡らせていた森があり、人の出入りは許された者に限られていた。
だが、動物は「例外」だ。
ジェシーは動物に姿を変えることができる。
たとえ絶対防御がかけられていても容易く入り込めるだろう。
姿を変えている間、ジェシーを遮れるものは、なにもない。
人の体でさえ、簡単にすり抜けられる。
「オレ、あいつのこと気に入っちゃってね。殺さないように手加減したんだ」
「それで逃げられたのだな」
「そう。殺す気なら、心臓をぶち抜いてたんだけどサ」
「ティンザーの娘に手加減はいらん」
「するつもりはねーよ。てゆーか、心臓でもうっかりってコトあるから、そン時には、アタマふっ飛ばす」
ティンザーの娘の居場所は、放っておいても公爵が探すはずだ。
見つかれば、あとは隙を突くだけだった。
その隙を作るのが、カウフマンの役目と言える。
一瞬でいい。
公爵の意識をほかに向けさせられれば、ジェシーには十分なのだ。
「ティンザーの娘が死ねば、あれには大きな隙ができる。怒りに変わる前に仕留めれば良い」
「んー、簡単そうだケド、一応、注意はしとく」
「それが良い。魔術での打ち合いでは勝ち目はないからの」
「そーなんだよなー。逃げ道は作っとかねーとヤバい」
言いつつも、ジェシーは笑っている。
勝算があると見込んでいるのだ。
カウフマンも、ジェシーに勝ち目はあると思っている。
もし公爵に隙ができず、怒りに憑りつかれていたとしても、だ。
「逃げる算段さえできておれば良い。それが、こちらの強みだ」
ジェシーさえ逃げ切れれば、ほかを根絶やしにされてもかまわない。
極端な話、ロズウェルドという国がなくなっても、カウフマンの血筋は残る。
「商人には粘り強さと忍耐強さがある。時間さえあれば、どうとでもなるわい」
種ひとつ残れば、そこからまた広がっていけるのだ。
その種が、より強い血であれば、これまでよりずっと短期間で拡散できる。
現状の維持に、カウフマンは固執していなかった。
カウフマンとは「種」だ。
各々が持つ「個」には執着しない。
ただただ「種」の繁栄こそを目的とする。
国や家督などというものに縛られていないのが強みだった。
いつでも同胞を切り捨てられる。
ただひとつ「種」の保存のために。
それさえできれば、ほかは些末なことなのだ。
カウフマンは、ジェシーの頭を撫でる。
ジェシーは、カウフマンという「種」にとっての宝だった。
カウフマン自身の命とさえ引き換えにはできない。
「万が一の時のルートは覚えておるな?」
「トーゼン! そっちはそっちで面白そうだもん」
カウフマンにとっては、最も辿りたくない道だ。
だが、ジェシーは、その道筋も頭に入れている。
なにもかも捨てることになろうと、振り向かない。
カウフマンを、躊躇なく見捨てる。
ジェシーの心に「愛」はないのだ。
それは、育てかたによるものではなかった。
ジェシーは「そういうもの」として存在している。
公爵以上に「人ならざる」者だった。
愛を持たず、知らず、必要としない。
人の形を取りながらも、人としてあるべきものを持っていないのだ。
ジェシーには感情がなかった。
まさに植物に近い。
意思のようなものはあっても、それは「心」とは違う。
カウフマンに甘えているのも、蔦が大きな木にまとわりつき、養分を吸い尽くすのと同じことなのだ。
その木と一緒に倒れたりはしない。
用がなくなれば、ほかの木に移るだけだろう。
(私は本当に良い血を手に入れた)
カウフマンが創った、ほかのどの血とも異なっていた。
新種というより、古代種の蘇りだ。
新種は弱く、脆い。
簡単に創れるが、簡単に亡ぶ。
(こちらとローエルハイドの血だけでは、こうはいかんかったであろうな)
カウフマンは、正真正銘の「偶然」に感謝していた。
それは、行きずりの出会いに過ぎなかったからだ。
血をばら撒くとの意識さえなかったのを思い出し、口元が緩む。
偶然というのは、そのようなものなのだろう。
意図せずして起きる事態。
わけのわからないものが、最も恐ろしい。
ジェシーはそう言っていたが、それを体現しているのがジェシーでもあった。
「あいつの父親は、息子が行方知れずでも平気なんだろ? 嫌ってるんだもんな」
「問うてはみたが、知らんと言っておった。もう帰らずともよいらしい」
「それなら、オレんトコ、来ればいいのに。殺そうとしなきゃ良かった」
「ずいぶんと気に入っておるのだな」
「うん。あいつに、嘘のつきかた、教えてもらいたいの、オレ」
フレデリック・ラペルは「嘘つき」なのだそうだ。
ジェシーを欺けるのは、どうやら魔術ではないらしい。
経験値の差が出たのだろう。
言葉の真偽を測る能力が、ジェシーにはまだ不足している。
「1度は会っておくべきだったかもしれんな。人というのは、実際に会ってみねばわからんことも多い。報告だけでは惑わされる。私もやられたということだ」
「じぃちゃんなら、あいつの嘘を見抜ける?」
「おそらくな。だが、見抜かれるとわかっていて、嘘をつく馬鹿はおらん」
ジェシーが、カウフマンにへばりついて、うーっと唸った。
「オレには嘘が通じるって判断されたのかよー! 悔しい!」
「しかたなかろう。向こうは、お前より多く生きておるのだぞ」
「そんでも悔しいもんは悔しいの! やっぱ、あいつ、欲しいー!」
じたじたしているジェシーの頭を、カウフマンは撫でる。
それから穏やかな声で言った。
「そうさの。お前が欲しがっておるのだから、巣から追い出さねばな」
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