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後編

引き返せないのなら 3

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 彼は王宮から戻り、森小屋に来ていた。
 最近、しばしば、ここに来るようになっている。
 というのも、サマンサの私室に行きたくなるのを我慢しているからだ。
 同じ敷地内にいると、どうしても気になる。
 ふいっと訪ねてみようか、という気分になってしまう。
 
 ともすれば、気もそぞろ。
 
 これではカウフマンとのことに決着をつけるのに集中できない。
 そう思い、この森小屋に、ある意味「避難」していた。
 
 居間のソファに座り、暖炉に火を入れる。
 年が明けて1ヶ月ほど。
 森の中は雪が降る日があるくらいに寒い。
 温度調節しようとすればできるのだが、あえてせずにいる。
 
 曾祖父が、なぜ自然に身を置きたがったのか、わかる気がするからだ。
 静かで緩やかに流れる時間も必要なのだろう。
 心を平静に保つことができる。
 
「下準備も、もうすぐ終わる。あとは、カウフマンとジェシーだけだな」
 
 彼は、カウフマンとローエルハイドの血が混じった者たちを把握していた。
 始末しようと思えば、いつでも消せる状態だ。
 カウフマンとジェシーにケリをつける準備が整い次第、実行するつもりでいる。
 
(我が君)
 
 ぴくっと、彼の眉が動いた。
 ジョバンニから即言葉そくことばで連絡が入ったのだ。
 
(どうかしたかい?)
(サマンサ様がフレデリック・ラペルに会いに行かれました)
(そのことなら、きみに任せておいたはずだろう?)
 
 サマンサのことで心を乱されたくない。
 そう思ったから、彼はここにいる。
 事前に、彼女がフレデリックに会うと言ったら連れて行くよう、ジョバンニに指示もしていた。
 
 この連絡は不要だ。
 
 とはいえ、ジョバンニだって、その程度は心得ている。
 わからないほど「未熟」ではないはずだ。
 
(それで? 問題が生じているのかね?)
(サマンサ様より手紙を預かっております。本日の迎えについては、我が君にご判断を仰ぐようにと)
(その手紙を読んで、ということか)
(さようにございます)
 
 なにか嫌な気分になる。
 サマンサが手紙を託したことも、判断を任せたことも、意味がないはずがない。
 
(夕方には屋敷に戻る。その時に判断しよう)
(かしこまりました)
 
 即言葉を切り、彼は目を伏せた。
 手紙の内容は、だいたい想像がつく。
 彼は半月も彼女に会わずにいるのだ。
 サマンサが「厄介者」扱いされている気分になってもおかしくない。
 
 現時点で、彼女に役目はなかった。
 安全の確保という理由だけで、屋敷にとどめている。
 そして、放ったらかしにしているのだ。
 
 衣食住が足りていても、居づらいと感じているに違いない。
 サマンサは、そういう性格をしている。
 なにもせず、ただただ安穏とした生活をするのに抵抗感を覚えるのだ。
 彼がカウフマンとの問題解決のため動いていると知らなければ、「待つ」こともできたかもしれないけれど。
 
「いいかげん、うんざりしているのだろうよ。怒っているかもしれないな」
 
 以前、サマンサは「自分の価値」について訊いてきたことがある。
 囮としての役目も果たせないのなら無意味だと言っていた。
 彼女を外に出せば、カウフマンの目は引けるかもしれない。
 だとしても、彼はサマンサを囮にしたくなくなっている。
 
 彼女に危険がおよぶことをさせるのは気が進まないのだ。
 たとえ彼がいなくてもローエルハイドの敷地内は、どこよりも安全だと言えた。
 アドラントであろうが王都であろうが、おかしな者が来ればジョバンニが対処できる。
 そうでなくても連絡が入るので、彼が直接に対処することも可能なのだ。
 
「息が詰まる、といったところか」
 
 このところの彼の動きを、サマンサには報せていない。
 状況がわからないままでは、閉じ込められている意識になるのも当然に思える。
 彼としては、ただ「待って」いてくれればいいと考えていた。
 が、それで納得するようなサマンサではないのだ。
 
 状況を話せば、なにかしらできることはないか、と言ってくる。
 それもあって、彼はサマンサと距離を取っていた。
 一緒にいると、ついよけいなことまで話してしまうので。
 
 すでに、カウフマンについては、話す必要がない部分まで話している。
 同じ船に乗っているとの感覚こそが間違いだったのだ。
 彼女を同じ船になど乗せてはいけなかった。
 彼は、自分の迂闊さを悔やむと同時に、腹を立てている。
 
「支払いなら、もう十分だ。私は彼女を無事に王都に帰せるようにする義務がある。より大きな危険にさらす必要はない」
 
 カウフマンのことが片付いても、サマンサとの関係は変わらない。
 彼女が愛し愛されることを望む限り、同じ道は歩めないのだ。
 サマンサに対する気持ちは、ここで封印すると決めている。
 これ以上、先には進みたくなかった。
 
「フレディか……それもいいのかもしれないな……」
 
 フレデリックと婚姻すれば、サマンサとの繋がりは保てるだろう。
 彼の手からは離れるが、つきあい自体は残る。
 彼とフレデリックの関係は切れないだろうから。
 
 たまに会って、軽口を叩き合うだけの関係。
 友人のような、主従のようなもののほうが、いいのかもしれない。
 お互いに踏み込み過ぎずにいられる。
 傷つけ合うよりはマシだ。
 
 彼女の言葉は正しい。
 
 自分は踏み込み過ぎた。
 線引きを間違ったのは自分なのだ、と思う。
 その結果、気まずい状態に陥ってしまった。
 
「しばらくフレディのところにいる、とでも書いてあるのだろう」
 
 サマンサは、命を軽視してはいないと言ったが、危険を実感してもいない。
 さらわれたことのあるアシュリーのほうが、よほど身の危険を知っている。
 狙われはしないとわかっていても、アシュリーは、けして1人では出歩かなくなっていた。
 常に誰かと一緒にいる。
 
 サマンサには、そういう危機感がないのだ。
 実際、危ない目に合ったことがないので、わからずにいる。
 だから、フレデリックのところに身を寄せるとの発想になったに違いない。
 わからなくはないが、認めることはできなかった。
 
 嫉妬心からではなく、安全面から賛成はできないのだ。
 カウフマンに狙われている間は、ローエルハイドの敷地内にいてもらう。
 サマンサの大きな反発は予想がついたものの、彼女を守るためにはしかたない。
 
 彼は大きく息をつき、立ち上がる。
 すぐにアドラントの私室に転移した。
 ジョバンニが置いて行ったであろう「手紙」が書き物机の上に置かれている。
 片手に手紙を持ち、軽く封の端をなぞった。
 
 スッと細い切れ目が入る。
 そこから、手紙を取り出した。
 たいして長くはない。
 急いで書いたのか、文字が少し乱れている。
 
「……そうか……きみが、そちらを選ぶとは……思っていなかったよ……」
 
 ぱさっと、手紙と封筒を机の上に投げた。
 あたり前の結論に思い至れなかった自分に気づく。
 サマンサへの執着心が、彼から、その選択肢を消させていたのだ。
 本当に、ひどく当然の結論だったというのに。
 
(ジョバンニ)
(お呼びでしょうか、我が君)
(彼女のことは、しばらくフレデリックに任せることにした)
(迎えは不要ということにございますね)
 
 答えず、彼は即言葉を切る。
 返事がないのが、返事。
 それは、いつものことだ。
 
 ジョバンニがサマンサを迎えに行くことはない。
 
 フレデリックに連絡をしようかと思ったが、やめておく。
 2人の間には介入しないことにした。
 自然な関係が保てなくなるような真似はしないに限る。
 フレデリックもサマンサを気に入っていたし、今後の状況次第で、2人は、なるようになるのだろう。
 
 胸が、ちくちくと痛む。
 無視すべき痛みだ。
 なのに、無視できず、息苦しさを感じる。
 
「きみの意思を尊重する」
 
 サマンサの存在を遠ざけたのは、彼だ。
 今さら、なにを言う資格もない。
 サマンサは聡明な女性だった。
 彼よりも、もっともな「結論」に、先に到達している。
 
 彼はサマンサを連れ戻さないことにした。
 彼女は、ここに戻りはしない。
 そう決めて出て行ったのだ。
 彼にとっても望ましい結果ではあった。
 
 サマンサは彼を迷わせる。
 言わば「邪魔」な存在。
 距離ができてしまえば、感情の抑制は楽になるはずだ。
 計画にも躊躇ためらいなく手をつけられる。
 
「私は、私のすべき仕事をしなければね」
 
 彼女の薄緑色の瞳を、もう1度、見つめたいなどとは思わないことだ。
 サマンサは自らの意思で、去った。
 彼を迷わせるものは、なにもない。
 
 けれど。
 
 どうしようもなく、胸の奥が疼く。
 考えまいとしても、サマンサのあの、怒った魅力的な瞳を思い出さずにはいられなかった。
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