上 下
83 / 164
後編

引き返せないのなら 3

しおりを挟む
 彼は王宮から戻り、森小屋に来ていた。
 最近、しばしば、ここに来るようになっている。
 というのも、サマンサの私室に行きたくなるのを我慢しているからだ。
 同じ敷地内にいると、どうしても気になる。
 ふいっと訪ねてみようか、という気分になってしまう。
 
 ともすれば、気もそぞろ。
 
 これではカウフマンとのことに決着をつけるのに集中できない。
 そう思い、この森小屋に、ある意味「避難」していた。
 
 居間のソファに座り、暖炉に火を入れる。
 年が明けて1ヶ月ほど。
 森の中は雪が降る日があるくらいに寒い。
 温度調節しようとすればできるのだが、あえてせずにいる。
 
 曾祖父が、なぜ自然に身を置きたがったのか、わかる気がするからだ。
 静かで緩やかに流れる時間も必要なのだろう。
 心を平静に保つことができる。
 
「下準備も、もうすぐ終わる。あとは、カウフマンとジェシーだけだな」
 
 彼は、カウフマンとローエルハイドの血が混じった者たちを把握していた。
 始末しようと思えば、いつでも消せる状態だ。
 カウフマンとジェシーにケリをつける準備が整い次第、実行するつもりでいる。
 
(我が君)
 
 ぴくっと、彼の眉が動いた。
 ジョバンニから即言葉そくことばで連絡が入ったのだ。
 
(どうかしたかい?)
(サマンサ様がフレデリック・ラペルに会いに行かれました)
(そのことなら、きみに任せておいたはずだろう?)
 
 サマンサのことで心を乱されたくない。
 そう思ったから、彼はここにいる。
 事前に、彼女がフレデリックに会うと言ったら連れて行くよう、ジョバンニに指示もしていた。
 
 この連絡は不要だ。
 
 とはいえ、ジョバンニだって、その程度は心得ている。
 わからないほど「未熟」ではないはずだ。
 
(それで? 問題が生じているのかね?)
(サマンサ様より手紙を預かっております。本日の迎えについては、我が君にご判断を仰ぐようにと)
(その手紙を読んで、ということか)
(さようにございます)
 
 なにか嫌な気分になる。
 サマンサが手紙を託したことも、判断を任せたことも、意味がないはずがない。
 
(夕方には屋敷に戻る。その時に判断しよう)
(かしこまりました)
 
 即言葉を切り、彼は目を伏せた。
 手紙の内容は、だいたい想像がつく。
 彼は半月も彼女に会わずにいるのだ。
 サマンサが「厄介者」扱いされている気分になってもおかしくない。
 
 現時点で、彼女に役目はなかった。
 安全の確保という理由だけで、屋敷にとどめている。
 そして、放ったらかしにしているのだ。
 
 衣食住が足りていても、居づらいと感じているに違いない。
 サマンサは、そういう性格をしている。
 なにもせず、ただただ安穏とした生活をするのに抵抗感を覚えるのだ。
 彼がカウフマンとの問題解決のため動いていると知らなければ、「待つ」こともできたかもしれないけれど。
 
「いいかげん、うんざりしているのだろうよ。怒っているかもしれないな」
 
 以前、サマンサは「自分の価値」について訊いてきたことがある。
 囮としての役目も果たせないのなら無意味だと言っていた。
 彼女を外に出せば、カウフマンの目は引けるかもしれない。
 だとしても、彼はサマンサを囮にしたくなくなっている。
 
 彼女に危険がおよぶことをさせるのは気が進まないのだ。
 たとえ彼がいなくてもローエルハイドの敷地内は、どこよりも安全だと言えた。
 アドラントであろうが王都であろうが、おかしな者が来ればジョバンニが対処できる。
 そうでなくても連絡が入るので、彼が直接に対処することも可能なのだ。
 
「息が詰まる、といったところか」
 
 このところの彼の動きを、サマンサには報せていない。
 状況がわからないままでは、閉じ込められている意識になるのも当然に思える。
 彼としては、ただ「待って」いてくれればいいと考えていた。
 が、それで納得するようなサマンサではないのだ。
 
 状況を話せば、なにかしらできることはないか、と言ってくる。
 それもあって、彼はサマンサと距離を取っていた。
 一緒にいると、ついよけいなことまで話してしまうので。
 
 すでに、カウフマンについては、話す必要がない部分まで話している。
 同じ船に乗っているとの感覚こそが間違いだったのだ。
 彼女を同じ船になど乗せてはいけなかった。
 彼は、自分の迂闊さを悔やむと同時に、腹を立てている。
 
「支払いなら、もう十分だ。私は彼女を無事に王都に帰せるようにする義務がある。より大きな危険にさらす必要はない」
 
 カウフマンのことが片付いても、サマンサとの関係は変わらない。
 彼女が愛し愛されることを望む限り、同じ道は歩めないのだ。
 サマンサに対する気持ちは、ここで封印すると決めている。
 これ以上、先には進みたくなかった。
 
「フレディか……それもいいのかもしれないな……」
 
 フレデリックと婚姻すれば、サマンサとの繋がりは保てるだろう。
 彼の手からは離れるが、つきあい自体は残る。
 彼とフレデリックの関係は切れないだろうから。
 
 たまに会って、軽口を叩き合うだけの関係。
 友人のような、主従のようなもののほうが、いいのかもしれない。
 お互いに踏み込み過ぎずにいられる。
 傷つけ合うよりはマシだ。
 
 彼女の言葉は正しい。
 
 自分は踏み込み過ぎた。
 線引きを間違ったのは自分なのだ、と思う。
 その結果、気まずい状態に陥ってしまった。
 
「しばらくフレディのところにいる、とでも書いてあるのだろう」
 
 サマンサは、命を軽視してはいないと言ったが、危険を実感してもいない。
 さらわれたことのあるアシュリーのほうが、よほど身の危険を知っている。
 狙われはしないとわかっていても、アシュリーは、けして1人では出歩かなくなっていた。
 常に誰かと一緒にいる。
 
 サマンサには、そういう危機感がないのだ。
 実際、危ない目に合ったことがないので、わからずにいる。
 だから、フレデリックのところに身を寄せるとの発想になったに違いない。
 わからなくはないが、認めることはできなかった。
 
 嫉妬心からではなく、安全面から賛成はできないのだ。
 カウフマンに狙われている間は、ローエルハイドの敷地内にいてもらう。
 サマンサの大きな反発は予想がついたものの、彼女を守るためにはしかたない。
 
 彼は大きく息をつき、立ち上がる。
 すぐにアドラントの私室に転移した。
 ジョバンニが置いて行ったであろう「手紙」が書き物机の上に置かれている。
 片手に手紙を持ち、軽く封の端をなぞった。
 
 スッと細い切れ目が入る。
 そこから、手紙を取り出した。
 たいして長くはない。
 急いで書いたのか、文字が少し乱れている。
 
「……そうか……きみが、そちらを選ぶとは……思っていなかったよ……」
 
 ぱさっと、手紙と封筒を机の上に投げた。
 あたり前の結論に思い至れなかった自分に気づく。
 サマンサへの執着心が、彼から、その選択肢を消させていたのだ。
 本当に、ひどく当然の結論だったというのに。
 
(ジョバンニ)
(お呼びでしょうか、我が君)
(彼女のことは、しばらくフレデリックに任せることにした)
(迎えは不要ということにございますね)
 
 答えず、彼は即言葉を切る。
 返事がないのが、返事。
 それは、いつものことだ。
 
 ジョバンニがサマンサを迎えに行くことはない。
 
 フレデリックに連絡をしようかと思ったが、やめておく。
 2人の間には介入しないことにした。
 自然な関係が保てなくなるような真似はしないに限る。
 フレデリックもサマンサを気に入っていたし、今後の状況次第で、2人は、なるようになるのだろう。
 
 胸が、ちくちくと痛む。
 無視すべき痛みだ。
 なのに、無視できず、息苦しさを感じる。
 
「きみの意思を尊重する」
 
 サマンサの存在を遠ざけたのは、彼だ。
 今さら、なにを言う資格もない。
 サマンサは聡明な女性だった。
 彼よりも、もっともな「結論」に、先に到達している。
 
 彼はサマンサを連れ戻さないことにした。
 彼女は、ここに戻りはしない。
 そう決めて出て行ったのだ。
 彼にとっても望ましい結果ではあった。
 
 サマンサは彼を迷わせる。
 言わば「邪魔」な存在。
 距離ができてしまえば、感情の抑制は楽になるはずだ。
 計画にも躊躇ためらいなく手をつけられる。
 
「私は、私のすべき仕事をしなければね」
 
 彼女の薄緑色の瞳を、もう1度、見つめたいなどとは思わないことだ。
 サマンサは自らの意思で、去った。
 彼を迷わせるものは、なにもない。
 
 けれど。
 
 どうしようもなく、胸の奥が疼く。
 考えまいとしても、サマンサのあの、怒った魅力的な瞳を思い出さずにはいられなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

世話焼き宰相と、わがまま令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢ルーナティアーナは、幼い頃から世話をしてくれた宰相に恋をしている。 16歳の誕生日、意気揚々と求婚するも、宰相は、まったく相手にしてくれない。 いつも、どんな我儘でもきいてくれる激甘宰相が、恋に関してだけは完全拒否。 どうにか気を引こうと、宰相の制止を振り切って、舞踏会へ行くことにする。 が、会場には、彼女に悪意をいだく貴族子息がいて、襲われるはめに! ルーナティアーナの、宰相に助けを求める声、そして恋心は、とどくのか?     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_2 他サイトでも掲載しています。

理不尽陛下と、跳ね返り令嬢

たつみ
恋愛
貴族令嬢ティファナは冴えない外見と「変わり者」扱いで周囲から孤立していた。 そんな彼女に、たった1人、優しくしてくれている幼馴染みとも言える公爵子息。 その彼に、突然、罵倒され、顔を引っ叩かれるはめに! 落胆しながら、その場を去る彼女は、さらなる悲劇に見舞われる。 練習用魔術の失敗に巻き込まれ、見知らぬ土地に飛ばされてしまったのだ! そして、明らかに他国民だとわかる風貌と言葉遣いの男性から言われる。 「貴様のごとき不器量な女子、そうはおらぬ。憐れに思うて、俺が拾うてやる」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_3 他サイトでも掲載しています。

ウソつき殿下と、ふつつか令嬢

たつみ
恋愛
伯爵家の1人娘セラフィーナは、17歳になるまで自由気ままに生きていた。 だが、突然、父から「公爵家の正妻選び」に申し込んだと告げられる。 正妻の座を射止めるために雇われた教育係は魔術師で、とんでもなく意地悪。 正妻になれなければ勘当される窮状にあるため、追い出すこともできない。 負けず嫌いな彼女は反発しつつも、なぜだか彼のことが気になり始めて。 そんな中、正妻候補の1人が、彼女を貶める計画を用意していた。     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_10 他サイトでも掲載しています。

若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ
恋愛
子爵令嬢アシュリリスは、次期当主の従兄弟の傍若無人ぶりに振り回されていた。 そんなある日、突然「公爵」が現れ、婚約者として公爵家の屋敷で暮らすことに! 屋敷での暮らしに慣れ始めた頃、別の女性が「離れ」に迎え入れられる。 そして、婚約者と「特別な客人(愛妾)」を伴い、夜会に出席すると言われた。 だが、屋敷の執事を意識している彼女は、少しも気に留めていない。 それよりも、執事の彼の言葉に、胸を高鳴らせていた。 「私でよろしければ、1曲お願いできますでしょうか」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_4 他サイトでも掲載しています。

口下手公爵と、ひたむき令嬢

たつみ
恋愛
「放蕩公爵と、いたいけ令嬢」続編となります。 この話のみでも、お読み頂けるようになっております。 公爵令嬢のシェルニティは、18年間、周囲から見向きもされずに生きてきた。 が、偶然に出会った公爵家当主と愛し愛される仲となり、平和な日を送っている。 そんな中、彼と前妻との間に起きた過去を、知ってしまうことに! 動揺しながらも、彼を思いやる気持ちから、ほしかった子供を諦める決意をする。 それを伝えたあと、彼との仲が、どこか、ぎこちなくなってしまって。 さらに、不安と戸惑いを感じている彼女に、王太子が、こう言った。 「最初に手を差し伸べたのが彼でなくても、あなたは彼を愛していましたか?」   ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_9 他サイトでも掲載しています。

【完結】番を監禁して早5年、愚かな獣王はようやく運命を知る

恋愛
獣人国の王バレインは明日の婚儀に胸踊らせていた。相手は長年愛し合った美しい獣人の恋人、信頼する家臣たちに祝われながらある女の存在を思い出す。 父が他国より勝手に連れてきた自称"番(つがい)"である少女。 5年間、古びた離れに監禁していた彼女に最後の別れでも伝えようと出向くと、そこには誰よりも美しく成長した番が待ち構えていた。 基本ざまぁ対象目線。ほんのり恋愛。

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

英雄になった夫が妻子と帰還するそうです

白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。 愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。 好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。 今、目の前にいる人は誰なのだろう? ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。 珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥) ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。

処理中です...