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後編
引き返せないのなら 1
しおりを挟む「やあ、リーフ。久しぶりだねえ」
彼の来訪に、声をかけた相手が、ハッとした様子で顔を上げる。
見事な金色の髪に、濃褐色の瞳の若い男性だ。
大きな執務机を前に、イスに腰かけている。
最初の驚きが去ったのか、口をとがらせ、彼を見ていた。
「それほど、つまらなさそうな顔をするものじゃないよ」
彼は、王宮の宰相の執務室にいた。
男性は23歳という若さで、その座に就いている。
彼のよく知る人物だった。
とはいえ、会うのは4年ぶりになる。
ロズウェルド王国宰相、リーフリッド・ウィリュアートン。
どちらかといえば、彼は、リーフリッドの父と懇意にしていた。
その関係から、リーフリッドの「面倒」を見ている。
なにしろ産まれた時から知っているのだ。
リーフリッドは、どうしても、という時には必ず彼を頼ってくる。
「ジェレミーおじさん。今日は、どういうご用件でしょう?」
「用がなければ、訪ねてはいけないのかい?」
「用がなければ、訪ねてはいらっしゃらないではありませんか」
彼は、小さく笑う。
執務室にあった別のイスを勝手に引き寄せて、リーフリッドの前に座った。
軽く足を組み、肘置きに腕を乗せる。
リーフリッドは、少しばかり拗ねているようだ。
「私は、あの件で、ジェレミーおじさんに、すっかり呆れられてしまったのか、と思っていましたよ」
「きみの依怙地さに感動すら覚えたね。あのキースに1歩も引かなかった姿にさ」
からかわれたと思ったのか、ますますリーフリッドが口をとがらせた。
若くして宰相の任についたリーフリッドは、とても優秀だ。
だが、彼の前では若さに見合った態度を取る。
フレデリックにもそういうところはあるが、リーフリッドはフレデリックより3つも年上だった。
なのに、言葉遣いはともかく、仕草や感情を隠そうともしない。
「きみは考えを変えたと思っていたのになあ」
「あの女に関しては変わっていませんね」
「やれやれ。まだ若かったというだけのことだろう、リーフ?」
「若いからといって、人を騙していいことにはなりません」
リーフリッドは、19歳の時、とある女性に騙されている。
おかしな薬を飲まされ、知らぬ間にベッドをともにしていたのだ。
「リシャールは、どうしているね?」
「存じません。育ってはいるようですが、それ以上のことは、私の関知すべきことだとは思っておりませんので」
「あの子に罪はないのだよ?」
「罪があろうとなかろうと不快なのですよ。私にとっては、私を騙した女の息子に過ぎません」
4年経っても、どうやら考えを改める気はないらしい。
リーフリッドをベッドに引き込むのに成功した女性は、男の子を産んでいる。
そして、その子を連れ、ウィリュアートンの屋敷にやってきた。
その際、リーフリッドの父、キーシャン・ウィリュアートンは激怒している。
リーフリッドに対して、だ。
「私は、未だに父上が、あの女との婚姻を迫ったのが信じられないほどです」
「そりゃあ、キースは真面目だったもの。子を成した責任を取れと言うさ」
「まるで……騙された私が悪いと言わんばかりでしたからね」
それまで良好だった親子に溝ができたのは、この時だ。
リーフリッドは婚姻しないの一点張り。
父キースは、婚姻しろとの強硬姿勢を崩さない。
いっときは、リーフリッドを勘当するとまで息巻いていた。
「味方をしてくださったのは、ジェレミーおじさんだけでした」
「彼女が、きみを騙したのは明白だったのでね」
結局、ウィリュアートンが子供を引き取ることを承諾させ、その女性に見合った嫁ぎ先を紹介したのは、彼だ。
リーフリッドが「騙された」と憤るのも無理はないと思えるくらい、その女性は淡々としていて、子に見切りをつけるのも早かった。
ウィリュアートンと揉めるより、あっさり何不自由のない暮らしを選んでいる。
「きみも、今では愛し愛される婚姻をしているじゃないか」
「だとしても、あの子が、あの女の息子であることに変わりはありません」
「今のところ、きみの息子は、あの子だけなのだよ?」
「私はマディには負担をかけたくないので、男子を授からなくてもかまわないと思っております」
愛してはいない子であっても、家督を譲る気はあるようだ。
リーフリッドは、去年、伯爵家の令嬢マドレインと婚姻している。
マドレインはリーフリッドの1つ年下で、22歳。
25歳までは間があるが、無理をさせくたないのだろう。
「では、そのネックレスは、リシャールに渡りそうだね」
「かまいませんよ。さっさと大人になってほしいくらいですね。父上とは違って、私は、いつまでも宰相をやっていたいとは思っておりませんから」
リーフリッドは面白くもなさそうな顔をして、首にかかっているネックレスを指で弾いた。
リーフリッドの祖父の代から受け継がれている、ウィリュアートンの証のような代物だ。
元はと言えば、彼の曾祖父である大公が贈ったものだが、それはともかく。
リーフリッドにとって、息子のリシャールは、自らの重荷を背負わせるためだけの存在らしい。
彼は緩く口元に笑みを浮かべた。
(サミーがいたら、碌でなし!と言って、彼を後ろ脚で蹴飛ばしそうだな)
ふとしたことでも、サマンサを思い出す。
そのせいで彼の中に迷いが生じることもあった。
彼は迷いを封じるため、この半月あまりサマンサと顔を合わせずにいる。
自分の心を、確信に導きたくもなかったからだ。
「きみが、そう考えているなら、私から言うことはないさ。ともかくも、あの子はきみの子なのだからね」
彼の言葉にもリーフリッドの心は動かされなかったらしく、表情は変わらない。
マドレインに対しての負い目のようなものもあるのだろう。
望んだことではないにしろ、ほかの女性との子を可愛がれば、マドレインの心を傷つけるのは間違いない。
「ジェレミーおじさんは、私になにか面倒なことを話すおつもりですね?」
「面倒なことなど話すものか。ちょっとした橋渡しを頼みたいだけだよ」
とたん、リーフリッドの顔がサッと蒼褪めた。
視線もさまよい出しているところから、正しく彼の「要求」を理解している。
「い、嫌ですよ……私が、あの人を苦手だと、ご存知でしょう?」
懇願するような物言いだったが、彼は同情などしない。
そのためにこそ、王宮を訪れたのだ。
「私だって得意ではないさ。誰か、得意な者がいたら教えてほしいね」
「あ、あの人の家系と、ローエルハイドは懇意にしているではないですか……」
「昔の話だとわかっているだろう、リーフ」
「で、ですが……」
「私が、きみに頼み事をするのは、初めてだったのじゃないかなあ」
彼が、先にリーフリッドの「息子」について話をしたのは、要求を通り易くすることが目的だった。
思い出話に花を咲かせるためではない。
リーフリッドも、それはわかっている。
「……ジェレミーおじさんの頼みとあれば……いたしかたがありません……」
リーフリッドが、しょんぼりと肩を落とした。
それほどに嫌だったに違いない。
彼にも、その気持ちは痛いほどわかる。
実際、彼だって、会わずにすむなら、一生、会いたくない人物なのだ。
(見た目にはわからないのだが……そこがまた始末に悪い……)
彼がリーフリッドに橋渡しを頼む人物は「魔術師嫌い」として知られている。
今回、ここに、ひょいと現れたような登場の仕方をすれば、まともな話し合いをすることはできない。
どんな手を使ってでも追い出されるに違いないのだ。
彼ほどの魔術師であっても。
「ああ……なぜお祖父様は、あの家との関係を断ち切ってくださらなかったのか」
「きみのお祖父様が、あの家門をいたく気に入っていたとキースに聞いているが、理由は知らないね。なにか恩があるとかって話だったが」
はあ…と、リーフリッドが大きく溜め息をついた。
彼が少しも同情していないとわかっているからだろう。
逃げられないと、腹をくくったらしい。
「ですが、知りませんよ? ジェレミーおじさんが手酷い歓迎を受けたとしても、私のせいではありませんからね」
「わかっているさ。それは私自身の責任だ。魔術師というだけで嫌われている」
「おわかりになっておられるのに、お会いになるのですか?」
リーフリッドは事情を知りたそうな顔をしている。
だが、リーフリッドに頼みたいのは橋渡しだけだ。
カウフマンとのことに巻き込むつもりはない。
宰相が関わってくれば、ロズウェルド全体の話になる。
それこそ「大袈裟」なことになるのは避けなければならない。
「ジェレミーおじさんは、あの人と会ったことはないのでしょう?」
「会えていたら、きみに頼みはしないさ」
「ですよね……私も幼い頃に2度ほどしか会ったことはありませんし……」
「だが、きみは特別だ。彼も、きみを無碍にはしない」
ウィリュアートンの当主は、代々、魔力を持たないのだ。
非常に特殊な家系でもある。
そのため魔術師嫌いの人物も、リーフリッドを無視することはできない。
歓迎はされないとしても、だ。
「ジェレミーおじさんより怖い人を、私は、あの人以外に思いつけません」
「私より怖いと言われるのは、なにか気分がいいね。いつも怖がられてばかりいるものだから」
「……冗談で言っているのではないのですよ……」
「わかったよ、リーフ。これで、きみとの貸し借りはなしにしようじゃないか」
リーフリッドが、もう1度、溜め息をつく。
それから、その人物と会う段取りが出来次第、王宮魔術師から連絡をさせると、力なく約束をした。
その姿に、軽く肩をすくめ、彼は姿を消す。
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