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前編

嫉妬と誤解 3

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 夕方、サマンサは、ご機嫌な様子で帰ってきた。
 彼女を王都まで迎えに行ったのは、ジョバンニだ。
 彼が行けば、覗き見をしていたのではと疑われかねない。
 あの「正式な婚姻」話で、少なからずサマンサの信頼を損ねている。
 
 せっかくの良好な関係に、ひびを入れたくなかった。
 原因を作ったことを、彼は悔やんでいる。
 今からでも撤回はできるのだろうが、それはしたくない。
 サマンサに対する執着心には自覚があるし、受け皿としては、悪くないと思っているからだ。
 
「楽しかったようだね」
 
 サマンサは、私室のソファに、ぽんっと腰かける。
 その隣に、彼は座った。
 もうそこが定位置になっている。
 あえて向かい側に座るのが、不自然なほどだ。
 
 本当に、機嫌がいいらしい。
 女性の扱い、というより、サマンサの扱いにおいては、フレデリックのほうが、優秀なのだろう。
 故意であるにしても、彼は、サマンサを怒らせてばかりいる。
 
「楽しかったわ。思っていた以上にね。笑い過ぎて、お腹が痛くなったくらいよ」
「それは、良かった。フレディも、きっと楽しめただろう」
「たぶんね。彼も、ずっと笑っていたもの」
 
 サマンサは、歌でも歌い出しそうな勢いだ。
 どうやったら、これほど彼女の機嫌を良くできるのか、知りたくなる。
 だが、サマンサに、あれこれと訊けば、機嫌を損ねるのは目に見えていた。
 かと言って、さすがにフレデリックを問いただすわけにもいかない。
 あまりにも、みっともなさ過ぎる。
 
「ねえ? また、彼に会いに行ってもいいかしら? もちろん、あなたの都合次第だと思っているわ。あなたや、あの執事が、ひょいひょいと使うものだから、気にしていなかったのだけれど、点門てんもんというのは難しい魔術だそうね」
「フレディから聞いたのかい?」
「彼、呆れていたわ。私が、あなたに頼めば、すぐに来られるなんて言ったから」
 
 話しながら、サマンサは、その時のことを思い出しているのか、笑っている。
 彼は、だんだんに苛立ちが募ってくるのを感じていた。
 サマンサが、フレデリックを親しげに、いちいち「彼」と言うからだ。
 
「実際、私にとって、さほど難しい魔術ではないのでね。きみは、私の恩恵にあずかっていればいいさ」
 
 サマンサが、ぴたっと笑いをおさめる。
 いぶかしそうな視線を、彼に向けていた。
 苛々のせいで、また皮肉っぽい言いかたをしてしまっている。
 彼は、感情を抑え、表情を隠した。
 
「人っていうのはね、きみ。便利なものには、すぐに慣れ、不便になると、不満を持つ。その特性を使って、きみに、私がいればいいのにと思わせる画策をしているわけだ。今の話から推測するに、なかなか順調じゃないか?」
 
 反論してくるか、嫌な顔をするか。
 そうした「いつもの」サマンサの反応を期待した軽口だ。
 だが、サマンサは、わずかに首をかしげている。
 そのあと、くすくすと笑った。
 
「私、すっかり、あなたの策にはまっていたのね。やられたわ」
 
 思いがけない反応に、彼のほうが戸惑う。
 怒らせるつもりだったのに、サマンサを笑わせてしまったからだ。
 笑わせようとして言ったのとは違い、心の準備ができていない。
 それに、やわらかく笑うサマンサは、とても愛らしかった。
 
「私が、役に立つ魔術師だと、そろそろ、きみにもわかってきたらしい」
「味気なく感じることもあるけれど、便利だっていうのは認めるわよ」
「フレディのおかげだな」
「そう思うのなら、彼の頭を撫でてあげてちょうだい」
 
 そう言って、またサマンサは笑う。
 今日の彼女は、笑顔が多い。
 彼をにらみつけたりもしないし。
 
「私は、きみが上機嫌になれる手助けができるようだ」
「それは、フレデリックに、また会わせてくれるっていうこと?」
「もちろん、きみがフレディに会いたいと思う時には、いつでも」
 
 彼は、自分に言い聞かせる。
 もとより、サマンサは、いずれ去る予定だったのだ。
 愛を必要としない者との婚姻は、最終的な受け皿に過ぎない。
 彼女が望むことを優先させるのが、ある種の償いにもなる。
 
(結局のところ、彼女を囮にするのを私は肯としている。奴の危険性を考えれば、手酷く追いはらうのが、彼女に対しての最善だとわかっているのに)
 
 サマンサに価値がないとなれば、カウフマンは手出ししなくなるだろう。
 アシュリーの時と同じだ。
 なのに、それとは違う選択をしている。
 なにを仕掛けてくるかわからない現状、標的が明確であることは、彼にとっては利になるのだ。
 
「あまり頻繁だと目立ち過ぎるわよね。次は、年明けくらいにお願いするわ」
「わかったよ。年が明けて……まぁ、3ヶ月以内には、私も奴との片をつけると、決めているのでね。時期としても、ちょうどいいかもしれないな」
「ああ、私たちが、距離の問題で揉める頃合いね」
 
 サマンサの、なんでもなさそうな口ぶりに、感情を乱されそうになる。
 彼は、彼女と離れる日を想像せずにはいられない。
 サマンサは平気そうだが、彼のほうは平気ではなかった。
 彼女との日常が取り上げられることに、寂しさを感じる。
 
(彼女がいると賑やかで、退屈することがない。私の脛を蹴飛ばす女性は、初めてだったからなあ。退屈な生活に戻るのが、憂鬱になってもしかたないさ)
 
 心の中で、溜め息をついた時だ。
 扉が叩かれる音がした。
 ここは、サマンサの私室なので、サマンサが返答をする。
 だが、姿を現したのは、ラナではない。
 
「ええと……あなたは……」
 
 淡い金髪に薄茶の瞳をしたメイドだ。
 戸惑った様子のサマンサに、儀礼的な言葉が返された。
 
「リバテッサにございます、サマンサ様。本邸で、日頃はアシュリー様にお仕えしております」
「アシュリー様付きのメイドなのね? アシュリー様に、なにかあったの?」
 
 急に、サマンサが緊張した面持ちになる。
 ほとんど顔を合わせることはないが、それでも、彼女が未だにアシュリーを気にしていると知っていた。
 本邸でどうしているのか、たびたびラナに訊ねる姿を見ている。
 
「いいえ、アシュリー様は本邸で大掃除をお手伝いされておられます。私は、手が足らないということで、こちらの手伝いにまいりました」
「そう……もしかして、あの執事の指示かしら?」
「そうではありません。本邸で手隙の者は、私だけだったのです」
 
 リビーことリバテッサの口調は、淡々としていた。
 アシュリーがジョバンニと結ばれても、サマンサへの認識は変わらないらしい。
 リビーは、サマンサを良く思っていないのだ。
 アシュリー贔屓の本邸の勤め人たちは、ほとんどがサマンサを誤解している。
 
 サマンサを本邸に迎えようとしたのも、反感をいだかせることに繋がった。
 彼は「婚約者」となったサマンサの立場を尊重しようとしたのだが、悪い状況を招いている。
 結果として、サマンサのとった強硬な拒否の姿勢は正しかったのだ。
 
「こちらのことは、それほど気にしなくてもいいのよ? ラナに任せてあるから」
「ですが、ローエルハイドの敷地内にあるものは、すべて滞りなく年内に大掃除をすませるのが伝統と聞いております」
 
 サマンサは、ジョバンニには厳しく、ぴしゃりとやり返す。
 なのに、リビー相手には、どうすればいいのかわからないというふうだ。
 彼は、勤め人のすることに口は挟まないのを基本としている。
 だが、リビーの態度は、正しいものとはできなかった。
 たしなめようと口を開きかけた彼のほうに、リビーが顔を向ける。
 
「旦那様、よろしいでしょうか?」
「なにかね?」
「少々、お話したいことがございます」
「いいよ、話してごらん」
 
 リビーが、ちらっとサマンサに視線を投げた。
 彼女のいるところでは話せない、という仕草だ。
 当然に、サマンサにも、それはわかる。
 
「ここでは話せないことかい?」
「さようにございます。旦那様と2人で、お話をさせていただきたいので、今夜、お部屋に伺わせてください」
「かまわないとも」
 
 2人でなければ話せないというのは、なにか深刻な内容なのかもしれない。
 リビーは、アシュリー付きのメイドだ。
 アシュリーに関わることならば、ジョバンニには話せないことがあったとしても不思議ではない。
 アシュリーがジョバンニに話したくないと思うこともあるだろうし。
 
 アシュリーとジョバンニの仲は順調そうに見える。
 そのため、彼は、以前ほど2人には干渉せずにいた。
 常に2人の身近にいるリビーほどには状況を把握していない。
 とはいえ、たとえ自分の手から離れても、アシュリーの幸せを願う気持ちは変わっていなかった。
 
 なにかあるのなら知っておくべきなのだ。
 ジョバンニが対処できないようなら、彼が対処する。
 彼は、もう1度、リビーにうなずいてみせた。
 リビーが、頭を下げる。
 
「それでは、のちほど。これから、私は、こちらの大掃除を手伝ってまいります」
「きみに任せておけば、ジョバンニの手を煩わせることもない。頼むよ、リビー」
「かしこまりました、旦那様」
 
 リビーは、サマンサにも頭を下げたあと、退室した。
 とたん、なぜか、サマンサが、サッと立ち上がる。
 両腕を組み、彼を見下ろしてきた。
 
「本当に、2人きりで話をするつもり?」
「なにか問題かい?」
 
 もしかすると、彼女は、嫉妬をしているのだろうか。
 彼が、フレデリックといるサマンサに嫉妬を感じていたように、リビーと2人になるのを不快に感じているのかもしれない。
 思うと、なんとなく気分が良くなる。
 が、その彼の予想を、たちまちサマンサは否定した。
 
「あなたが、年若いメイドを、寝室に引っ張り込んでいると誤解をされることを、心配しているのよ。周りの目というものがあるでしょう?」
 
 彼は、ひどく落胆する。
 サマンサは嫉妬しているのではなく、外聞の悪さを気にかけているだけなのだ。
 彼女は、相変わらず「きちんと」線引きをしている。
 彼との「正式な婚姻」なんて頭にもないのだろう。
 
「私の私室で、リビーと2人で話し込むことは、めずらしいことではないのでね。今さら、屋敷内の者たちは気にもしないさ」
 
 サマンサの心配は無用だと、言外に含ませて言った。
 サマンサも理解したのか、「それならいい」とばかりに黙って肩をすくめる。
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