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前編
逸れていく筋書きで 1
しおりを挟む「やあ、レヴィ!」
声をかけるなり、彼は、すたすたとレヴィンスに歩み寄る。
驚いた様子でレヴィンスが立ち上がった。
彼は両手を差し出し、レヴィンスの両手を、がっちり握り締める。
当然にマクシミリアンは無視だ。
視界に入っていないといったふうに、話を続ける。
「聞いてくれたまえ! 私は、サミーと婚約することにした!」
「えっ?!」
「きみに、以前、考慮すると言っていただろう? 遅くなったが、ようやく目途がたったのだよ。心配をかけてしまったね」
「あ……っ……」
レヴィンスは意味をなさない言葉しか口に出せないようだ。
驚き過ぎて「お客」の存在まで忘れている。
彼はマクシミリアンに口を挟ませないように、必要なことを素早く語った。
「急に思い立って、文字通り、飛んで来てしまったよ。ドワイトとリンディにも早く伝えたかったが、まいったね、急ぎ過ぎていて、2人がいないことを考えもしなかった」
「す、すぐに呼び戻し、ご、ご挨拶……」
「夜には帰ってくるのだろう? それまで待たせてもらうさ。こちらの都合で仕事を放り出させるのは心苦しいからね」
彼の言葉に、レヴィンスのほうが舞い上がっているようだ。
少し顔を上気させ、興奮しているのが見て取れる。
サマンサは、かなり心を痛めているに違いない。
なにしろ「特別な客人」自体が便宜上のものだと、家族には話していないのだ。
その上、今度は便宜上の「婚約者」となった。
だが、今のところ、サマンサは黙っている。
この状況を、ひとまず受け入れることにしたのだろう。
兄を見世物にされるよりはいい、と考えているのかもしれない。
もちろん、彼は彼女との「別れ」の筋書きも考えている。
サマンサには新しい愛が必要なのだ。
社交の場から締め出されるのはともかく、根拠もなく貶めさせる気はない。
彼女が、正しく受け入れられるための道筋を頭の中で用意していた。
「ところで、ねえ、レヴィ。ちょいと目障りなものがあるのだが、壊してもかまわないかい? こう言っちゃなんだが、あれはティンザーには似つかわしくない」
彼はレヴィンスの手を離す。
それから、視線を、ちらっと外に投げた。
小ホールの奥にあるガラス戸の向こうには「別邸」がある。
サマンサがティモシーと過ごした日々の名残だ。
「それは、もちろん……早速に手配をして……」
「いや、きみたちの手を煩わせることもないさ。どう思う、サミー?」
後ろに立っていたサマンサを、ちらっと振り返る。
サマンサにとっては「思い出」の場所だろう。
感傷的になったり、怒ったりするのではないかと思った。
(だが……目障りだというのは本当だな。あれを見るたび、彼女が奴を想い出すのかと思うと不愉快だ)
サマンサの薄緑色の瞳には、憤りも悲しみも見えない。
そして、あっさりとした口調で言う。
「あなたが役に立つ魔術師だというところを見せてちょうだい。ああ、あまりうるさくしないでね」
「きみの満足が得られるよう努力するよ」
にこやかに口元を緩め、片手をスッと上げた。
ぱちん。
指を鳴らしたとたん、窓の向こうで、別邸が、ぺっしゃんこになる。
屋敷を形作っていた素材が解体され、地面に広がっていた。
それも、静かに時間をかけず、砂粒に変わっていく。
実際には砂だけではないのだが、見た目にはわからない。
あっという間に更地となった空間に、彼は満足する。
視線をレヴィンスに戻して、にっこりした。
ハッとした顔で、慌てたようにレヴィンスが頭を下げる。
「お、お見事にございます、公爵様」
「そう言ってもらえると嬉しいな。彼女は、ちっとも褒めてくれないものだから、見栄を張るのも大変でね」
レヴィンスは、どう答えていいものか、困っているのだろう。
妹を諫めるべきなのか、わからずにいるのだ。
彼は陽気に笑う。
「新しい別邸は、すぐに建て直させよう」
人の手配も費用もローエルハイドが用意する。
その意味に気づいたレヴィンスは、すぐさま顔つきを変えた。
ローエルハイドに借りを作るのを肯とはできないらしい。
マクシミリアンにも言っていたが、レヴィンスは彼のことを「後ろ盾」にしようという野心など持っていないのだ。
「ここはティンザーの敷地にございます。お心遣いはありがたいのですが、これ以上、公爵様のご厚意に甘えるわけにはまいりません」
「厚意というより、謝意かな、これは」
「謝意……ですか?」
彼は、またサマンサを、ちらっと振り返る。
サマンサは黙って肩をすくめてみせた。
立場が「婚約者」に格上げされた理由はわかっているはずだ。
だが、彼が次になにを言うかは、予測ができていない。
だから、どうにでも取れる態度を見せたのだろう。
即言葉で打ち合わせをしようかとも思ったが、それではつまらない気がした。
サマンサは聡明なので、即興でもついてこられるはずだ。
あとで蹴飛ばされるはめになっても、どうせなら楽しめるほうがいい。
「実は、あまりにせっかちになってしまって、まだ彼女に指輪も贈っていない」
わざとらしく両手を広げてみせる。
顔をしかめ、情けなさそうな表情を作った。
「だが、彼女に相応しい指輪となると作るにも時間がかかるじゃないか。別邸の建て直しは、その埋め合わせになればと思ってね。婚約の贈り物は大事だ。そうだろう、レヴィ?」
「それは……ええ……ですが……」
彼は、レヴィンスの頑なさに、サマンサと同じものを感じる。
とても好感のもてる青年だ。
だからこそ、できるだけ自分の問題からは遠ざけておきたかった。
もちろんそうなれば、サマンサに危険が集中するのはわかっていたけれども。
「後生だから私に手配をさせると言ってくれ。彼女に、そっぽを向かれたくない」
レヴィンスが、視線をサマンサに向ける。
サマンサは、その視線から逃げるように顔を背けていた。
おろしている長い髪で顔は隠れているが、おそらく笑っている。
彼が「後生だから」なんて言ったので。
「サム……公爵様に我儘ばかり言ってはいけないよ?」
「言っていないわ……ほんの少しだけよ……」
完全に否定しないところが、サマンサらしかった。
破談の件以外で彼に頼んだことを「我儘」だと受け止めているのだ。
それに、兄に対して罪悪感もわきはじめているに違いない。
先々のことを考えれば、笑ってはいられなくなっている。
「レヴィ、私が思うに、サミーには、それだけの価値がある」
しばし、レヴィンスと視線を交えた。
彼は本気だったし、言葉に嘘はない。
それに、別邸は今後のサマンサとの関係において必要となる。
「……わかりました。父は、私が説得しましょう」
「きみの配慮に感謝するよ」
レヴィンスが溜め息交じりにうなずいた。
うなずき返してから、初めて気づいたというように驚いてみせる。
「しまった! お客が来ていたのか。慌て過ぎていて気づかなかったな。大事な話の邪魔をしたのでなけりゃいいのだが」
マクシミリアンが青い顔をして立ち上がった。
彼が飛び込んできた時から、顔色が悪くなっていたのには気づいている。
あえて放ったらかしにしていただけだ。
「ええと、彼は?」
「アドルーリット公爵家のマクシミリアン様ですよ、公爵様」
「へえ、奇遇だなあ。つい先だって、アドルーリットの公爵令嬢がアドラントを訪ねてきたばかりでね。そう言えば劇場でも会ったのじゃなかったっけ?」
「劇場で……? それは、マチルダ姫でしょうか?」
「うーん……名は覚えていないな。私はサミー以外の女性には興味がないから、すぐ忘れてしまうのだよ」
レヴィンスがマクシミリアンのほうに顔を向けた。
マクシミリアンは真っ青な顔で、だが、驚いている様子で口を噤んでいる。
どうやら妹が彼を訪ねていたことは初耳だったらしい。
「先ほどの件ですが、私がお断りをしても問題はありませんね?」
レヴィンスが厳しい口調で、マクシミリアンに告げた。
サマンサは明らかに、ホッとしている。
彼もホッとした。
(さすがに、彼女が奴の首を絞めたら大事だからな。やるなら、私がやらないと)
サマンサの場合、比喩が比喩にならないことがある。
兄の窮地ともなれば、本気でやりかねない。
とはいえ、アドルーリットの子息の首を絞めたとの話が広まるのは望ましくない。
それこそ社交の場が閉ざされてしまう。
「……わかった。あの話は忘れてもらってかまわない」
マクシミリアンは苦い顔で唇を噛んでいる。
あと1歩で、レヴィンスを落とせたのだ。
それは妹からの情報によるものだったはずだが、その妹本人に足を引っ張られている。
屋敷に戻ったら、妹を問い詰めるのは間違いない。
「それでは、私は、これで失礼いたします」
「なにやら、私が追い出したようで悪いなあ」
「いいえ。用件はすみましたから……」
軽く頭を下げ、マクシミリアンが小ホールを出て行った。
彼はサマンサの隣に立ち、腰に手を回す。
サマンサとは話し合いが必要だ。
「ドワイトたちが帰ってくるまで、待たせてもらってもいいかな?」
「もちろんですとも。それにしても、喜ばしい話です。おめでとう、サム」
「……ありがとう、お兄様……」
小声に、サマンサの罪悪感が滲んでいる。
重苦しい空気になる前に、彼はサマンサを連れ出すことにした。
「まだ日も高い。せっかくだから、2人で中庭でも散歩させてもらうよ」
「では、昼食を用意させますから、一緒にいかがでしょう?」
「いいね。そうしよう。またあとで、レヴィ」
瞳を輝かせているレヴィンスに微笑みかけてから、背を向ける。
とたん、サマンサの顔が硬くこわばった。
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