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前編

策略と謀略 4

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 どうもなにかあったようだ。
 彼の表情に影がある。
 そうでなくとも、今朝は、なにやら機嫌が傾いているらしかった。
 まるで貴族教育の教師のような口振りで、サマンサに忠告ばかりしたのだ。
 
(なによ、自分から私を利用するって言ったのじゃない。アシュリー様がさらわれた時のことは、フレデリックから聞いているのよ? 魔術師まで使ったって言っていたもの。私に対しても、なにをしてくるかわからないのに)
 
 当然、殺されたいわけではないが、その覚悟は必要だと思っている。
 カウフマンは商人であり、商人はどこにでもいるのだ。
 覚悟をし、心の準備をしておくことは無駄ではない。
 なにかが起きた際に慌てていては、できることもできなくなる。
 
(ティモシーとマクシミリアンの会話を聞いた時みたいに、足がすくんで動けないなんてことになったら、逃げる間もなく殺されてしまうかもしれないし……)
 
 だから、心構えだけはしておきたかった。
 サマンサとしては、命を軽視しているつもりはなく、むしろ逆だ。
 どうせ片棒を担ぐのなら、彼の役に立ちたいとの気持ちもある。
 無駄死にはしたくない。
 
「サム、落ち着いて聞いてくれ」
「なにがあったの?」
 
 彼は、めずらしく少し逡巡するように息をついた。
 サマンサも彼も、食事をする手を止めている。
 なにかあったらしいことは予測していたので、驚きはしない。
 ただ、なんとなく不安な心持ちになった。
 
「ティンザーの屋敷に、マクシミリアン・アドルーリットが来ているようだ」
「マクシミリアンが……?」
 
 予想外の名に、サマンサは戸惑う。
 ティモシーならまだしも、マクシミリアンがティンザーを訪ねる理由がわからなかった。
 マクシミリアンとは懇意でもなんでもない。
 ティモシーの友人との意味しかない相手だ。
 
「ドワイトは王宮に行っていて不在だ」
「それなら、お母様も社交のために王宮に同伴しているはずよ?」
「対応は、きみの兄がするだろう」
「どういうこと? これもカウフマンの仕業……?」
 
 ついさっき彼と話したばかりだった。
 サマンサがラウズワースとの婚姻を駄目にしたので、次は兄が標的になったのだろうか。
 兄は21歳で、まだ婚姻はしていない。
 ラウズワースと懇意にしているアドルーリットは、おそらくアドラント領地返還賛成派だ。
 
「いや……そうではないな。奴の動きにしては早急に過ぎる。きみに足蹴にされたばかりだというのに、その兄に似た策を仕掛けても通用するはずがないだろう?」
「だとすると、意味がわからないわ。マクシミリアンとは、個人的にも家としてもつきあいはしていなかったのよ? いったい、なにをしに来たのかしら……」
 
 言いながら、ひとつだけ来訪理由に思い当たる。
 昨日、劇場で、マクシミリアンの妹マチルダに大恥をかかせた。
 カウフマンと無関係であるなら、それしか考えようがない。
 
「マチルダ様のことで文句を言いに来たの?」
「……文句を言うだけならいいのだがね」
「確かに、ちょっとやり過ぎたことは否めないわ。でも、あの程度のことで対価を求められる筋合いはないわよ」
 
 表だってではないにしても、マクシミリアンは、サマンサに辛辣な言葉を口にしていた。
 ティモシーとの破談は、あれがきっかけだったのだ。
 いつだってサマンサは影で嘲られ、恥をかかされ続けてきたとも言える。
 そんなマクシミリアンに非難される謂れはない。
 
「でも……お兄様が心配ね……王都に帰ったほうがいいかしら……」
「必要とあれば、そうしよう。だが、きみの兄の面目というものもある」
 
 彼の言うことは、もっともだった。
 兄には、ティンザーの次期当主との立場がある。
 妹がしゃしゃり出て物事を解決したのでは面目が立たない。
 とはいえ、マクシミリアンになにを言われているのかが心配だった。
 
「これで対処できるさ」
 
 彼が立ち上がり、サマンサの隣に座ってくる。
 すると、目の前に、横長の長方形に切り抜かれた光景が現れた。
 ティンザーの屋敷の小ホールが映し出されている。
 
「あなた、これで私を監視していたのね」
「見守っていた、と言ったじゃないか」
「あ……」
 
 ぱたっと、サマンサは両手で口を覆った。
 その姿にだろう、彼が小さく笑う。
 
「心配いらないさ。こちらの声は向こうには聞こえないよ」
「そうなの? 魔術って、よくわからないわ。それに、当家の魔術師は、こういうものを使っていた覚えもないし」
「これは私にしか使えない魔術なのだよ」
「あら、そう。あなたって使う魔術までろくでもないのね」
 
 彼が軽く肩をすくめた。
 サマンサは映し出された光景に視線を向ける。
 兄がマクシミリアンと対峙していた。
 ソファに座り、向かい合っているが、お互いに表情が硬い。
 
「モードは、すっかりまいってしまっていてね。部屋から出られなくなっている。きみにも妹がいるのだから、私が心配する気持ちはわかるはずだ」
「ええ、理解はしますよ」
 
 声が、はっきりと聞こえてくる。
 ちょっぴり「便利」だと思ったが、言わずにおく。
 彼との関係を、ある一定以上、良好にしないように注意すると決めたからだ。
 気兼ねのない会話や悪態をつくのはいいが、親密さは不要だった。
 
「そもそも、モードはティムを好いていた。きみの妹がいたから我慢してきたっていうのに、酷いことをするじゃないか。ティムだって散々な目に合っているしな。あげく今度は大勢の前でモードを侮辱した。きみの妹は、私の妹に、いったいどんな恨みがあるのか、知りたいものだよ」
 
 マクシミリアンの言い草に、サマンサは唖然とする。
 マチルダがティモシーを好きだったとしても、それはサマンサには関係ない。
 マチルダ自身が我慢していたのかはともかく、マクシミリアンは自らの妹をティモシーの側室に推していたのだ。
 
「あの女……ご令嬢を侮辱したのは全面的に私なのだがね。あの場にレヴィがいなかったものだから、いいように話を作っているようだ」
「あなたを止めなかった私も同罪だと言われたってしかたがないわ。だけど、恨みがあるなんて、妄想もはなはだだしいわね。仮に恨むのならマチルダ様ではなく、マクシミリアンを恨むわよ」
 
 アドラントで憤慨しているサマンサをよそに、マクシミリアンは居丈高に言う。
 アドルーリットのほうが格上で、兄より年上でもあるからに違いない。
 
「いいか、モードはアドルーリットの娘だ。きみの妹に侮辱される筋合いはない。いくら相手がローエルハイドであろうと、愛妾は愛妾に過ぎないのだからな」
「私は妹が幸せなら、それでかまいません。それに、妹は、私の知る限り、意味もなく人を侮辱したりはしませんよ」
 
 兄は淡々とした口調で、マクシミリアンの挑発をけていた。
 そして、サマンサのことに対して堂々と反論している。
 兄の気持ちが嬉しくて、涙が出そうだった。
 
「レヴィも、やはりティンザーだな。実に好ましい人物だ」
「抱き着いて頬に口づけたくなるわ……私が、あんなふうだった頃も、お兄様はいつも庇ってくれていたの……」
 
 王宮勤めをしている父や、それに伴って社交に出かける母に代わり、サマンサの面倒を見てくれたのは兄だ。
 サマンサが倒れるたび、血相を変えて駆けつけてくれていた。
 
「いつまでローエルハイドの後ろ盾があると思う? 愛妾など飽きられれば捨てられる。そうなればティンザーを格落ちさせるだけの力が当家にはあると忘れないでもらいたい」
 
 マクシミリアンの言葉に、サマンサは蒼褪める。
 家名を貶めることになっているのは自覚していたが、格落ちさせられることまでは予測していなかった。
 だが、ラウズワースとアドルーリットが敵に回れば、可能性はある。
 
「ああ……どうしたら……やっぱり私が王都に戻って謝罪を……」
「サミー、ティンザーは、それほどヤワではないよ」
「だって……お兄様が窮地に立たされているのに……」
「どうかな? 見てごらん」
 
 映し出されている兄の表情は少しも変わっていない。
 マクシミリアンの言葉に怯んでいないのだ。
 
「私たちはローエルハイドを後ろ盾などと思ってはいませんね。格落ちさせたければ、お好きになさってください。その結果次第で、どこの家門が不誠実か、測れるというものでしょう。ティンザーに恥じるところは、なにひとつ、ありません」
 
 サマンサの瞳が涙で潤む。
 兄は、とても立派な姿を見せてくれた。
 自分も「ティンザー」として、こうありたいという姿だ。
 
「私は、きみに無理を頼んだ覚えはない」
 
 急にマクシミリアンが態度を変える。
 なにか嫌な感じがした。
 兄の怯まない態度に、方向性を変えるつもりなのだろう。
 
「公爵に捨てられたきみの妹がどうなるか、考えたか? きみは楽観しているようだが、どこの社交の場にも出られなくなれば婚姻も遠のくだろう。ただでさえ彼女は適齢期を迎えているのに、可哀想なことだ」
「妹を社交の場から追い出すというのですか?」
「追い出すとは言っていない。可能性の話さ。ただ、そうなったら、きみの妹は、どこかの下位貴族の愛妾になるか、一生、この屋敷で暮らすしか選択肢はなくなるだろうと、気の毒に感じただけでね」
 
 ぐっと、兄が唇を噛むのが見えた。
 サマンサのことを持ち出されると、兄は弱くなる。
 妹を庇おうとする気持ちにより、自らを犠牲にすることも有り得た。
 
「きみが何ヶ月間か、モードとつきあってくれればすむのだから、難しい頼みではないはずだ。モードは連れ歩いても恥ずかしくない令嬢だしな」
 
 サマンサは耐えきれずに立ち上がる。
 腹が立って、居ても立っても居られない。
 
「信じられない! 腹いせに、お兄様を見世物にしようとしているのね!」
「そのようだな。あの令嬢にレヴィを連れ回させて、その時々でひれ伏せさせるつもりだ。ひざまずいて、花を差し出させたりね。まぁ、受け取らないだろうよ」
「嫌! そんなの絶対に許せない! 私が、あいつの首を絞めて、ふざけたことを言えなくしてやるわっ!」
 
 ぽんっと、肩に手を置かれた。
 気づけば、彼が隣に立っている。
 
「きみは、さらなる危険にさらされるとしても、奴の首を絞めたいかい?」
「当然よ! 私自身のことなら、自分で対処できるもの!」
「わかった。それなら行こうか」
 
 彼が、どうするつもりかはわからない。
 けれど、サマンサは、彼の開いた点門てんもんを迷いなく抜けた。
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