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前編

策略と謀略 3

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「ああ、ラナ。紅茶と昼食は用意だけしておいてくれ」
「かしこまりました、旦那様」
「彼女は?」
「もういらっしゃると存じます」
 
 ラナが頭を下げ、サマンサの私室を出て行く。
 彼は、朝方、ラナを王都の屋敷に迎えに行き、戻ってからずっと、ここにいた。
 サマンサが、ティモシー・ラウズワースとの関係に、ひと通り決着をつけたのはわかっている。
 それでも昨日の今日だ。
 気にせずにはいられなかった。
 
 かたん…と音がして、サマンサが私室に姿を現す。
 ラナが彼女の身なりを整えるため、寝室に入って行ったのを見ていた。
 そのため、そろそろ起き出してくる頃合いだろうと、そわそわしていたのだ。
 彼としては、別に寝間着姿でも、いっこうかまわないのだが、それはともかく。
 
「ぐっすり眠れたようだね」
「来ていたのなら、起こせば良かったのに」
「寝室に押し入るほど無粋ではないさ」
 
 彼の向かい側のソファに、サマンサが座る。
 すぐに紅茶を出した。
 彼女は、あたり前の顔をして手を伸ばす。
 もう日常の光景になっているからに違いない。
 彼にしても、恐縮されたり、ありがたがられたりするより、気分が良かった。
 
「実は、もっと早くに目が覚めていたのよ。でも、考え事をしているうちに、また眠ってしまったの」
「なにか難しいことでも考えていたのかい?」
 
 彼は、じりっとしたものを感じる。
 決着はついているはずだが、ティモシーのことを考えていたのかと思ったのだ。
 十年との月日は短くない。
 彼とのつきあいは、まだ半年も経っていなかった。
 
 サマンサとは距離を置いてつきあう。
 線引きは必要だ。
 思っているのに、感情の制御が難しくなりつつある。
 昨日のことで、よけいにそう感じていた。
 
「私の価値についてってところね」
「私が、きみをここにとどめている理由かな?」
「そうよ」
 
 彼は、ティーカップを口にしているサマンサを見つめる。
 ひどく落ち着いていて、昨日の件を引きずっている様子はない。
 彼もカップを手に、反対の手では頬杖をつく。
 容姿はすっかり変わっているが、サマンサはサマンサだ。
 
 聡明な、じゃじゃ馬。
 
 状況を、どこまで察しているのか。
 そして、どこまで話すべきか。
 彼の説明如何により、サマンサの「片棒」の担ぎかたが変わる。
 彼女は誠実なので、場合によっては、どこまでも彼につきあおうとするはずだ。
 
「カウフマンは、アドラントの領地返還を目論もくろんでいるのではない?」
「わずかなきっかけも、きみに与えるのは危険だとわかったよ」
「つまり、正解ってことね? でも、ティンザーは、ラウズワースと姻戚関係にはならないわ。つまり、ティンザーの票は入らない」
「だから、きみの価値はなくなったと考えたわけだ」
 
 サマンサの推測は、概ね正しい。
 だが、人生というのは長いのだ。
 今日をやり過ごせても、明日が来る。
 
「正直に言うが、きみは奴らに対する囮と成り得る。大きな価値があるのだよ」
「カウフマンを引っ張り出すための囮、ということかしら?」
「奴らは、私がきみを寵愛していると思っている。いや、そう思わせたのでね」
 
 彼が語っても、サマンサは動揺せずにいる。
 紅茶を飲む姿は優雅でさえあった。
 
「アシュリーが私の手から離れたことで、奴は、そう判断しているはずだ。私はアシュリーの危険に対処しなかった」
「本当に対処しなかった、なんていうことはないわよね?」
「アシュリーの命が脅かされたら、すぐに駆けつけられるようにはしておいたさ。それは、きみの言う対処に該当するのじゃないかな」
 
 実際、彼は、ジョバンニに、フレデリックという支援者をつけただけではなく、彼自身がアシュリーの命の危険を察知できるようにして、テスアに赴いている。
 結果的に、彼の「出番」はなかったわけだが、それはともかく。
 
「ティンザーは、とことん舐められているのね。私とあなたが婚姻して姻戚関係になるのを嫌っているのでしょう? ティンザーだけなら、どうとでもなるから」
「きみを殺して、その罪を私になすりつけられれば、ティンザーを味方にすることさえ可能だ。もちろん、黙って罪を被る気も、きみの命を差し出す気もないがね」
 
 サマンサの言うように、ローエルハイドとティンザーが懇意になることをカウフマンは阻止しようとするに違いない。
 ひとたびローエルハイドと姻戚関係になれば、アドラントの領地返還を、正当な手段で行うことはできなくなる。
 ティンザーの票を動かせなくなるからだ。
 
 カウフマンは、ラウズワースとの姻戚関係による、ティンザーの票の獲得を計画していた。
 が、相手がローエルハイドに変われば、その真逆の構図が出来上がる。
 いくら時間をかけても、引っ繰り返すことは不可能だ。
 
「ティンザーは実直だ。自らの利のために票を売り渡しはしないだろう」
「でも、あなたが私を殺せば覆せる可能性は出てくるし、そうでなくても、ある程度の時間をかければ不可能ではないってことね。私にしたように」
「カウフマンに操られた貴族が、再びティンザーと姻戚関係を持とうとしてくるのは有り得る話だ」
「当家も、政略的な婚姻を、いっさい排除しているとは言い難いものね」
 
 サマンサが、カップをテーブルに戻す。
 それを見計らい、用意されていた昼食をテーブルに並べた。
 
「まぁ、準備がいいこと」
「きみの役に立てるということを証明したくて躍起になっているのさ」
 
 彼の軽口に、サマンサが小さく笑う。
 やはり怒った顔のほうが好ましいが、笑った顔も悪くないと感じた。
 なのに、どういうわけか、落ち着いた雰囲気に、彼は落ち着かない。
 丁々発止とやり合うほうが、サマンサらしく思える。
 
(距離を取るといっても取り過ぎじゃないか? 男女の関係になる必要はないが、もう少し近しい存在であってもいいはずだ。少なくとも、今は同じ船に乗っているようなものなのだからな)
 
 サマンサは彼を気にしたふうもなく、ナイフとフォークを手にした。
 彼の目を気にせず食事をするようになったのも、喜ばしいことではある。
 だが、彼の心の隅には「不満」がうろついていた。
 なんだか、サマンサを怒らせたいような気分になってくる。
 
「きみは、ずいぶんと落ち着いているが、怖くはないのか?」
「あなたの片棒を担ぐと決めているって言ったでしょう?」
「きみの意思の固さは、よく知っている」
「あなたは、今後、少なくない数の人を殺すつもりでいるのよね? それなら、こちらも殺される覚悟が必要だわ」
 
 彼は、手にしかけていたナイフを置いた。
 サマンサを「囮」にしようとしているのは、彼だ。
 彼女にも「容赦なく利用する」と言い放っている。
 にもかかわらず、じりじりと胸が不快を示していた。
 
「きみの命を差し出す気はないと言ったはずだ」
「たとえそうでも、覚悟をしておくことは大事よ。その時になって、みっともなく慌てたくはないもの」
「その時など来ない」
 
 アシュリーは、ある意味では、彼の「たが」だった。
 その「箍」を彼は失っている。
 ジョバンニと想いの通じ合ったアシュリーは、望む幸せを手に入れたのだ。
 最悪の事態が起きない限り、アシュリーを守るのはジョバンニの役目となった。
 彼の役目は、ほとんど終わっている。
 
 彼がかかえていた問題のひとつは解決されたのだ。
 そのせいか、以前とは違い、彼の曾祖父の意志のようなものが感じられない。
 今は、アシュリーよりもサマンサのほうが気にかかる。
 
「でも、それでは私に価値なんてないじゃない。囮という配役もまともにこなせないのでは意味がないわ」
「意味はあるさ。私のそばにいるというだけで、きみは十分に役目を果たしている」
 
 サマンサは、フルーツを刺したフォークを、ゆらゆらと揺らしていた。
 その先を、彼に向けている。
 
「あなた、今日は、ずいぶんと機嫌が悪いみたいね」
「きみを巻き込んだのは私だが、あまりにきみが命を軽視しているように思えてね。私は、きみの家族に恨まれたくはないのだよ」
「あなたの気持ちは、よくわかったわ」
 
 揺らめかせていたフォークの動きを止め、彼女は、パクリとそれを口に入れた。
 ふっくらとした形のいい唇が、果汁で濡れている。
 サマンサとの2度目の口づけを、否応なく思い出していた。
 
(あれは間違いだった。感情に流されるのは危険だ。私は彼女を愛せやしないのだから……サマンサの距離の取りかたが正しい……)
 
 ふっと息をつき、彼は気持ちを切り替える。
 だんだんに難しくはなっていても、忘れてはならない。
 サマンサとの関係に、愛は必要ないのだということを。
 
「ところで、あなたが邪魔なカウフマンを殺さずにいるのは、食糧事情の問題が解決できていないせい? アドラントも相当な影響を受けているのね?」
「きみが相手だと細かな説明をせずにすむなあ」
 
 ようやく軽口に戻すことに成功する。
 彼女の魅力に打ち負かされないよう、彼は心の壁を高くした。
 
「なにか考えはあるの? アドラントの人口は20万人ほどだったと覚えているのだけれど? 流通が滞っても、法治外では国からの支援は望めないでしょう?」
「いくらかは考えがあるよ。ただ少しばかり時間がかかる」
「その時間稼ぎと目くらましに、私は役に立つかしら?」
「でなければ、とっくに、きみを王都に帰しているさ」
 
 王都に帰ったサマンサは、どこでも人気を博すに違いない。
 求婚を申し出る子息も増えるはずだ。
 劇場で、すでに彼女を見初めている者は大勢いた。
 中には「良い芽」もあったかもしれない。
 
 また胸が、じりっとしたが、今度は無視する。
 サマンサには、彼女に見合った「新しい愛」が相応しいのだ。
 
「それで、私は、なにをすればいいの? ここで漫然と過ごすだけ?」
「どうかな。きみに退屈を押しつける気は……」
 
 言いかけた言葉が止まる。
 ジョバンニから、即言葉そくことばで連絡が入っていた。
 
(私は、いつから、それほどの人気者になったのだね?)
(いえ、ローエルハイドではなくティンザーです。ティンザーの雇われ魔術師から連絡がございました)
(ティンザー? 誰が来ている?)
 
 彼が想定していなかった者の名が、ジョバンニから告げられる。
 
(マクシミリアン・アドルーリットにございます、我が君)
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