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前編
終わりはきっぱりと 1
しおりを挟む「そうそう。僕がジョバンニに手を貸してね。ほとんど僕のせいかな。あいつが死ぬはめになったのは」
「しかたなかったのよ、そうなっても。だけど、知らなかったわ。アシュリー様が攫われていただなんて……怖い思いをされたでしょうね」
「あれ、まずかったかな。てっきり公爵様から聞いていると思っていたよ」
サマンサは、馬車の中でフレデリックと気さくに話している。
その様子を、彼は眺めていた。
ローエルハイドが持つ領地の中にある森の小屋だ。
小屋といっても、ちょっとした屋敷くらいの大きさがある。
大公が建てたもので、今は、彼しか使っていない。
とはいえ、彼でさえ、ほとんど来ることはなかった。
居間にある暖炉には火が入っている。
この辺りは、気温が自然のままなのだ。
温度調節はしないのが「決まり」のようになっていた。
暖炉からも自然な暖かみが広がっている。
その居間にあるソファに座り、映し出された光景を、彼は見ているのだ。
馬車の中の様子を、横長の長方形に切り抜いたような光景が、彼の前には浮かんでいる。
遠眼鏡と呼ばれる、彼にだけ使える魔術を使っての様子見。
サマンサが知れば「盗み見、盗み聞き」だと言われるのは間違いない。
だが、フレデリックはともかく、サマンサは見られていることで自然な動きができなくなる可能性があった。
そのため、彼は見ていることを教えずにいる。
必要があれば、即言葉で、サマンサともフレデリックとも連絡は取れるのだが、あまり横槍を入れたくなかったのだ。
サマンサに、純粋に芝居見物を楽しんでもらいたいとの気持ちもある。
カウフマンの動きを見るために利用している自覚はあれど、なにもなければ、そのほうがいい。
だから、こうして遠くから見守るだけにしている。
「彼がなにもかもを話すわけないじゃない。聞けば、私が怒ったり、反対したりするようなことは、とくにね」
「きみ、公爵様がなさることに反対したりするの?」
「するわよ。あたり前でしょう? まぁ、彼は、ちっとも聞きやしないけれど」
フレデリックが、サマンサの言葉に不思議そうな表情を浮かべている。
きっと理解できないのだ。
フレデリックに、彼への「否」はない。
ちょうどサマンサが彼の思考に呼応するように、言う。
「いいこと? たとえ彼が聞く耳を持たないからといって、私は彼に忠告するのをやめたりしない。なぜかと言うと、私が我慢ならないからよ。彼は、自分の決めたことを覆すような人ではないわ。でも、やりかたを変えさせることはできるもの」
「僕にはわからないなぁ。公爵様のなさりようが間違っているはずがないし」
「結果がすべてと言うなら、同じ結果を得るために、より良い方法を取ったほうがいいじゃない」
フレデリックは、ふぅんと、わかったような、わからないような返事をする。
それを見ながら、彼は、サマンサの根気強さに感心していた。
きっとフレデリックには理解不能だと察していたはずだ。
それでも、きちんと説明している。
(きみは本当にティンザー気質だな。誠実で実直だ)
彼に対しても正直だったし、誠実であり続けようとしていた。
自らの目的を達したあとも支払いをすませようとしているところとか。
(それにしても……思った通り、恐ろしく美しい……私が選んだものではあるが、今度は露出が多過ぎたかな……)
彼は頬杖をつき、サマンサに見入る。
虹色のドレスは、彼女によく似合っていた。
思い描いていた以上だ。
以前、紫のドレスを贈った時には、サマンサが体の線を隠したいだろうと思い、露出の少ないものを選んでいる。
そのドレス姿には、もう少し露出があってもいいのに、と思った。
今回は、逆になっている。
サマンサの願いも叶えるつもりで「大胆」なドレスにしたのだ。
もちろん、彼の「好み」が入っていないとは言わないが、それはともかく。
「着く前に準備をしておいたほうがいいよ」
「準備って?」
「僕が、いくぶんか牽制はするつもりだけれど、ご子息どもが群がってくる」
「まさか。そんなはずないでしょう? 王都での私の評判は、きっと地の底よ?」
サマンサは聡明なのに、こういうところは本当に疎い。
フレデリックですら苦笑いをもらしている。
彼もだ。
「わかっちゃいないな。美貌の前には評判もひれ伏すって知らないのかい?」
「知らないわ。あの夜会にいたのだからわかっていると思うけれど……私は……ほっそりしたのは、これが初めてなの」
少し心もとなげなサマンサの表情に、大丈夫だと言って、抱きしめたくなった。
彼女は聡明なじゃじゃ馬だが、本質は、か弱く脆い女性なのだ。
さりとて、今は「出番」ではない。
この森小屋で大人しく「観客」をするのが、彼の役目だった。
「なら、目一杯、その状況を楽しむべきだね。次からは慣れてしまって面白味もなくなるさ。奴らは、きみが“特別な客人”だってことで侮るに決まっている。そこを後ろ脚で蹴ってやれば、とても清々しい気分になれると思うなぁ」
サマンサが、フレデリックの言葉に声を上げて笑う。
彼は、彼女の怒った顔を好んでいるが、ほかの男性相手に笑っている姿を見ると、少し不愉快な気分になった。
フレデリックは、サマンサの手を握るでもなく、抱きしめるでもなく、簡単に彼女の不安を消している。
(女性の扱いはフレディのほうが優秀だな。慰めは必要とされない場合もある)
しばらく2人の気楽そうな会話を見聞きしているうち、馬車が止まる。
彼は、いくつかの場所を映し出し、周囲の動きを窺った。
ジョバンニから報告があったが、今夜の芝居をサマンサが観に行くとの噂が王都中の貴族に広まっている。
サマンサ名義で席を取らせたため、こうなることは彼も予測していた。
劇場には、すでに大勢の貴族たちが集まっている。
サマンサが誰を伴っているのかに、関心を寄せているようだ。
にもかかわらず、彼らは気づいていない。
2人は馬車を降り、劇場の入り口を抜けている。
彼らは、サマンサを見つけられなかったのだ。
フレデリックの腕に手を回し、サマンサは悠々と劇場内に入って行く。
周囲の視線が、彼女に向けられていた。
ほとんどの男性はサマンサに見惚れている。
そうなるのを期待していたのに、彼は苛ついていた。
フレデリックが舞台のあるホール前に備えられているロビーへと、サマンサを連れて入って行く。
バートナー連れもそうでない者も、子息たちはサマンサを追うようにして、ぞろぞろとロビーに向かっていた。
(あの中に1人でも彼女に相応しい相手がいるといいが……どうかな)
今のサマンサを気に入る男性は大勢いるだろう。
だが、サマンサが気に入る男性がいるかはわからない。
口では「新しい愛を探したい」と言っていたが、彼女は恋に臆病になっている。
今夜たちまちでなくともいい。
サマンサが自信を持てるきっかけになれば、それだけでも来た甲斐はあるのだ。
「こんばんわ、フレデリック様。よろしければ、こちらのご令嬢をご紹介してはいただけませんか?」
1人の子息が、まずはフレデリックに声をかけてくる。
落ちぶれ貴族との名を馳せてはいても、フレデリックは公爵家の子息だ。
一応は、相手も礼儀を通していた。
だが、フレデリックよりサマンサに興味津々なのは一目瞭然だ。
フレデリックは愛想のいい笑みを浮かべる。
「きみも知っているはずなのに、どうしたっていうのだい?」
「え……私が、ですが?」
「どこかの夜会で会っているはずさ」
「ご冗談を。このようなお美しいご令嬢を忘れるはずがありません」
フレデリックが、いかにも驚いたという顔を作って、サマンサに視線を投げた。
サマンサは、ゆったりと微笑んでいる。
夜会と同じく、気持ちを強く持とうとしているのだ。
とはいえ、今夜は、いつもの夜会とは違う。
サマンサが優位であり、主導権も持っていた。
「今夜は、お笑いにはなられませんのね? いつも、みなさま、私を見て笑っておられたでしょう? 今夜も笑っていただけると期待しておりましたのに」
「私が……あなたを笑うなどと……」
先陣を切る者は、利することもあるが、不利益を被ることもある。
最初に声をかけてきた子息は、後者だ。
完全に、餌食になっている。
「僕は今夜も笑っているよ、サマンサ」
フレデリックの言葉に、ロビーが静まり返った。
一斉に、視線がサマンサに集中する。
「そうね、あなたは以前と変わらないわ。そこが気に入っているのよ?」
わざとなのだろうが、サマンサが意味ありげにフレデリックの喉を撫でる。
まるで飼い猫を撫でるみたいな仕草だったが、ドレスと相まって艶めかしく映った。
さらに彼は苛々とし始める。
芝居にしても、もう少し距離を取るべきだ、と思った。
「きみの前でなら、僕は、いくらでも道化になれるからね」
「今夜はお芝居を観に来たのだから、あなたが舞台に上がる必要はないわ」
これが、サマンサ・ティンザーなのか。
周囲には、そういった雰囲気があふれている。
意識が切り替わるのは、芝居が終わる頃になるだろう。
もっとも彼らが芝居をまともに観られるはずもないけれど。
「ホワイエで、なにか飲み物でもどうだい、サマンサ?」
「そうね。あなた以外とは、お喋りできそうにないもの。いつもの夜会と同じで、“誰も”私に声をかけようだなんて思っていないはずだから」
「僕はきみとのお喋りを楽しみにしていたよ」
「知っているわ。あなたは何度も手紙をくれたそうじゃない」
フレデリックに微笑みかけるサマンサは、その場にいる誰よりも美しかった。
見惚れて声も出せずにいる男性も多い。
フレデリックは周囲を気にせず、歩き出す。
サマンサも、にこやかにフレデリックを見つめながらホワイエに向かった。
(……芝居を一緒に観終わったら……少し姿を見せておきたい気もするな……)
帰り際には気を取り直した子息らが、サマンサに声をかけようと群がってくる。
らしくもなく、彼女は自分の手の中にいると、周りに誇示したくなっていた。
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