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前編
芝居と茶番 3
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サマンサは、すくっと立ち上がる。
ジョバンニに連れられ、がっくりとうなだれたマチルダが、小ホールを出て行くのを見とどけてからだ。
さっさと向かい側のソファに移動する。
テーブルには手の付けられていない紅茶のカップが3つ。
そのカップが、パッと入れ替わる。
形も模様も違っていた。
新しい紅茶が湯気を立てている。
その上、ケーキまでもが用意されているのだから、呆れた。
サマンサが、彼を引っ叩くとでも思って、機嫌取りをしている。
あながち間違いでもなかったが、懐柔されておくことにした。
どうせ引っ叩く前に腕を掴まれるに決まっているし。
「私は、そこそこ楽しかったが、きみは楽しめなかったようだね」
「面白くなかったわ」
「筋書きが悪かったかな?」
「あなた自身の評判まで下げることになったじゃない」
彼は、ひどく驚いたという顔をした。
が、驚いているはずがない。
なにもかも承知の上で、彼はマチルダに誤認させたのだ。
彼の筋書きは、とても大雑把なものだった。
サマンサが彼と「ベッドをともにしているかのような」会話の流れにすること。
とはいえ、彼女は彼と、そういう関係にはなっていない。
そのため、嘘をつかずにやり過ごすために、彼の「ペテン」に乗るしかなかったのだ。
ひと晩近く寝室で過ごしたのは、サマンサの器を小さくした時だけだ。
「きみは良いカードを切ったじゃないか」
「持ち札がないのだから選びようがないでしょう」
「そうかい? きみらしく、大胆だったように思うよ?」
内心、サマンサは、こうなるはずではなかった、と思っている。
もう少し上手くやれたはずなのだ。
彼のせいにするつもりはない。
だが、やはり彼が嘴を突っ込んできたせいではある。
「申し訳なかったと感じているの」
「へえ。それはまた、どうしてだい?」
「彼女、腹いせに、あなたがおかしな嗜好の持ち主だと振れ回るに違いないわ」
彼が、おかしそうに、くくっと笑った。
サマンサは、ムっと顔をしかめる。
「なにがおかしいの? 私は、私があなたをたぶらかしたっていう線で、話を進めようと思っていたのよ? それなら、あなたの評判に障りが出ないから」
「きみが踊る時は、私も踊る。1人で踊らせやしないさ」
「……それにしたって、あれはないのじゃない?」
「最後のあれかい?」
「そうよ。あれよ」
「本当に忘れてしまっていたのだよ。こいつは、嘘じゃあない」
ほんの少し前に名乗られたばかりで忘れるなんて有り得なかった。
そもそも、執事からの連絡で、先に知らされていたはずだ。
だが、彼が「嘘ではない」という時は、本当に嘘ではない。
「きみとのお喋りに夢中になっていたからね。あの女のことなんかどうでも……」
「ちょっと! 口が悪過ぎるわ! あの女だなんて!」
彼が、ふざけた調子で顔をしかめ、肩をすくめる。
サマンサも人のことは言えないが、彼の言葉の乱れは、どうにも我慢ならない。
どう言えばいいのかはともかく「似合わない」と感じる。
指摘せずにはいられないほどに。
「きみは、私を、蹴飛ばされた犬みたいに、きゃん!と言わせるのが好きだなあ。それって、楽しいかい?」
「楽しいわ」
「なら、しかたない。蹴られておくよ」
本当にどうしようもない碌でなしだと思ったのだけれど。
サマンサは、声をあげて笑ってしまう。
彼がなにをやらかしても、最後には許してしまう気がした。
苛立ったり、腹立たしくなったりすることのほうが多いのに、彼のたじろがない態度に、怒り続けていられなくなるのだ。
「そうやって女性を虜にしているのね」
「きみも虜に?」
「いいえ。私は例外なの。あなたを嫌いではないって程度よ」
「喜んでいいのか、傷つくべきなのか、わからない返事だな」
「喜んでちょうだい」
サマンサは、自分に予防線を張る。
さっきまでの親密さは「芝居」の中だけのもの。
本当の親密さは必要としていない。
彼との、この気軽な関係を崩したくなかったのだ。
サマンサが適切な距離を保っていれば、彼とて踏み込んではこないだろう。
これまでも、これからも、彼との間に愛が育まれることはない。
彼と気兼ねなく過ごすのが、サマンサは好きだった。
どの道、商人との「なにか」が終わるまでが、滞在期間なのだ。
長く留まるのではないのだから、楽しいほうが良かった。
「もっと芝居を続けていたかったよ」
「私は出番が来なければいいと思っていたわ」
「やはり筋書きが気にいらなかったようだな」
「そうね。もっとスマートなやりかたがあったのでしょう? わざわざ下世話な話をしなくても、あなたなら躱せたはずよ?」
「それでは弱い。次から次へ、手を変え品を変え、さ」
言われれば、そうなる気もする。
サマンサは令嬢たちに見下されており、認められていない。
彼女らが「サマンサ・ティンザーに負ける」とは考えられず、我こそはと公爵家に押しかける光景が見える気がした。
「私の体型が変わって、少しでも良く見えるようになれば、考えを変えられるかもしれないけれど……」
サマンサは、小さく息をつく。
自分が、どれくらい変われるのか、自信がなかったのだ。
痩せれば美しくなれる、とは限らない。
これまで、体型以外には気を遣ってきたので、肌や髪艶は悪くないだろう。
(腫れぼったい瞼でなかった日がないのだもの。自分の目が大きいのか、小さいのかもわからない……鼻だって、ぺっしゃりしたままかもしれないし……)
体型が変わっただけでは、どうにもならない部分もある。
アシュリーやマチルダ、ほかの令嬢より綺麗になれるとまでは思っていない。
せめて嘲笑されずにすむ程度には「マシ」になれれば、と考えていた。
だが、痩せた自分を見たことがないのだ。
彼にまとわりつこうとする令嬢たちを牽制できるかどうか、はなはだ疑わしい。
「私は、以前のきみがいい」
「今も、たいして変わっていないわ。それを言うなら、あと半月は待たないとね」
サマンサは、毎日、鏡を見ている。
だから、期待していたような「ほっそり」した姿になっていないと知っていた。
「きみは、日々、変わっているよ」
スっと、彼が立ち上がる。
サマンサに近づいてきて、両腕を伸ばしてきた。
あっという間に、抱き上げられてしまう。
「な、なに、なにを……っ……」
「私は、きみが筋書きに困ったら、こうするつもりでいた」
「お、おろして! すぐにおろしてちょうだい……っ……」
「どうして?」
「落とされたくないからよ!」
彼は、サマンサを抱き上げたまま、くるっと体を回転させる。
サマンサのドレスの裾が、ふわっと浮いた。
小さく悲鳴を上げ、サマンサは彼の首にしがみつく。
本当に「落ちる」と感じたのだ。
「私がきみを落とすだって? ありえないな。このまま中庭を散歩でもしようか? きみが、いいと言うなら、ベッドに連れて行ってもかまわないがね」
「あ、あなた、魔術を使っているのでしょう?! 悪ふざけが過ぎるわ!」
彼が動きを止め、サマンサの顔を覗き込んでくる。
その黒い瞳は、真剣さと呆れの色を浮かべていた。
「きみ、本気で言っているのかい?」
「だ、だって……」
サマンサは、次の言葉に窮して、まごつく。
自分で自分を「重い」と評するのは、さすがに恥ずかしい。
そのサマンサを、彼が、ハっと鼻で笑った。
とたん、ムッとする。
「なによ?」
「きみを抱き上げるのに魔術を使うだなんて、どれほど軟弱だと思っているのか、わかるというものだ」
「実際、私は重いもの!」
言いたくもないことを言わされ、腹が立った。
サマンサとて、こんな言いかたはしたくないのだ。
どうせなら、気後れした様子で「重くはないかしら?」と言えれば、「可愛げ」もあっただろうに。
「そりゃあね。確かに、羽のように軽いなんて上滑りなことは言わないさ。だが、裏の森にある岩を動かすわけでもあるまいし、魔術など使わない」
サマンサは、文句を言うための口を閉じる。
彼は嘘をつかない。
つまり、魔術は使っていないのだ。
自力で彼女を抱き上げ、平然としている。
「きみが思っているほどではないよ、サミー」
「あなたが……それほど、その……力持ちだとは知らなかったわ……」
「少なくとも、あのティミーとかティムとかいう奴よりはね」
彼が、軽く首を傾けてみせた。
そういえば、と思う。
マチルダの名を、彼は本気で忘れていたらしい。
なのに、いつもティモシーのことは、馬鹿にした呼びかたをする。
愛称を口にするくせに、正式名は絶対に呼ばないのだ。
「もしかして、あなた、彼を嫌っているの?」
「今ごろ気づいたのか」
「なぜ? あなたは彼を知りもしないでしょう?」
「必要なことは知っている。きみを利用し、傷つけた、とね」
サマンサの胸が、きゅっとなる。
最初に彼へと差し出したものを、彼は、確かに受け取ってくれていたのだ。
ジョバンニに連れられ、がっくりとうなだれたマチルダが、小ホールを出て行くのを見とどけてからだ。
さっさと向かい側のソファに移動する。
テーブルには手の付けられていない紅茶のカップが3つ。
そのカップが、パッと入れ替わる。
形も模様も違っていた。
新しい紅茶が湯気を立てている。
その上、ケーキまでもが用意されているのだから、呆れた。
サマンサが、彼を引っ叩くとでも思って、機嫌取りをしている。
あながち間違いでもなかったが、懐柔されておくことにした。
どうせ引っ叩く前に腕を掴まれるに決まっているし。
「私は、そこそこ楽しかったが、きみは楽しめなかったようだね」
「面白くなかったわ」
「筋書きが悪かったかな?」
「あなた自身の評判まで下げることになったじゃない」
彼は、ひどく驚いたという顔をした。
が、驚いているはずがない。
なにもかも承知の上で、彼はマチルダに誤認させたのだ。
彼の筋書きは、とても大雑把なものだった。
サマンサが彼と「ベッドをともにしているかのような」会話の流れにすること。
とはいえ、彼女は彼と、そういう関係にはなっていない。
そのため、嘘をつかずにやり過ごすために、彼の「ペテン」に乗るしかなかったのだ。
ひと晩近く寝室で過ごしたのは、サマンサの器を小さくした時だけだ。
「きみは良いカードを切ったじゃないか」
「持ち札がないのだから選びようがないでしょう」
「そうかい? きみらしく、大胆だったように思うよ?」
内心、サマンサは、こうなるはずではなかった、と思っている。
もう少し上手くやれたはずなのだ。
彼のせいにするつもりはない。
だが、やはり彼が嘴を突っ込んできたせいではある。
「申し訳なかったと感じているの」
「へえ。それはまた、どうしてだい?」
「彼女、腹いせに、あなたがおかしな嗜好の持ち主だと振れ回るに違いないわ」
彼が、おかしそうに、くくっと笑った。
サマンサは、ムっと顔をしかめる。
「なにがおかしいの? 私は、私があなたをたぶらかしたっていう線で、話を進めようと思っていたのよ? それなら、あなたの評判に障りが出ないから」
「きみが踊る時は、私も踊る。1人で踊らせやしないさ」
「……それにしたって、あれはないのじゃない?」
「最後のあれかい?」
「そうよ。あれよ」
「本当に忘れてしまっていたのだよ。こいつは、嘘じゃあない」
ほんの少し前に名乗られたばかりで忘れるなんて有り得なかった。
そもそも、執事からの連絡で、先に知らされていたはずだ。
だが、彼が「嘘ではない」という時は、本当に嘘ではない。
「きみとのお喋りに夢中になっていたからね。あの女のことなんかどうでも……」
「ちょっと! 口が悪過ぎるわ! あの女だなんて!」
彼が、ふざけた調子で顔をしかめ、肩をすくめる。
サマンサも人のことは言えないが、彼の言葉の乱れは、どうにも我慢ならない。
どう言えばいいのかはともかく「似合わない」と感じる。
指摘せずにはいられないほどに。
「きみは、私を、蹴飛ばされた犬みたいに、きゃん!と言わせるのが好きだなあ。それって、楽しいかい?」
「楽しいわ」
「なら、しかたない。蹴られておくよ」
本当にどうしようもない碌でなしだと思ったのだけれど。
サマンサは、声をあげて笑ってしまう。
彼がなにをやらかしても、最後には許してしまう気がした。
苛立ったり、腹立たしくなったりすることのほうが多いのに、彼のたじろがない態度に、怒り続けていられなくなるのだ。
「そうやって女性を虜にしているのね」
「きみも虜に?」
「いいえ。私は例外なの。あなたを嫌いではないって程度よ」
「喜んでいいのか、傷つくべきなのか、わからない返事だな」
「喜んでちょうだい」
サマンサは、自分に予防線を張る。
さっきまでの親密さは「芝居」の中だけのもの。
本当の親密さは必要としていない。
彼との、この気軽な関係を崩したくなかったのだ。
サマンサが適切な距離を保っていれば、彼とて踏み込んではこないだろう。
これまでも、これからも、彼との間に愛が育まれることはない。
彼と気兼ねなく過ごすのが、サマンサは好きだった。
どの道、商人との「なにか」が終わるまでが、滞在期間なのだ。
長く留まるのではないのだから、楽しいほうが良かった。
「もっと芝居を続けていたかったよ」
「私は出番が来なければいいと思っていたわ」
「やはり筋書きが気にいらなかったようだな」
「そうね。もっとスマートなやりかたがあったのでしょう? わざわざ下世話な話をしなくても、あなたなら躱せたはずよ?」
「それでは弱い。次から次へ、手を変え品を変え、さ」
言われれば、そうなる気もする。
サマンサは令嬢たちに見下されており、認められていない。
彼女らが「サマンサ・ティンザーに負ける」とは考えられず、我こそはと公爵家に押しかける光景が見える気がした。
「私の体型が変わって、少しでも良く見えるようになれば、考えを変えられるかもしれないけれど……」
サマンサは、小さく息をつく。
自分が、どれくらい変われるのか、自信がなかったのだ。
痩せれば美しくなれる、とは限らない。
これまで、体型以外には気を遣ってきたので、肌や髪艶は悪くないだろう。
(腫れぼったい瞼でなかった日がないのだもの。自分の目が大きいのか、小さいのかもわからない……鼻だって、ぺっしゃりしたままかもしれないし……)
体型が変わっただけでは、どうにもならない部分もある。
アシュリーやマチルダ、ほかの令嬢より綺麗になれるとまでは思っていない。
せめて嘲笑されずにすむ程度には「マシ」になれれば、と考えていた。
だが、痩せた自分を見たことがないのだ。
彼にまとわりつこうとする令嬢たちを牽制できるかどうか、はなはだ疑わしい。
「私は、以前のきみがいい」
「今も、たいして変わっていないわ。それを言うなら、あと半月は待たないとね」
サマンサは、毎日、鏡を見ている。
だから、期待していたような「ほっそり」した姿になっていないと知っていた。
「きみは、日々、変わっているよ」
スっと、彼が立ち上がる。
サマンサに近づいてきて、両腕を伸ばしてきた。
あっという間に、抱き上げられてしまう。
「な、なに、なにを……っ……」
「私は、きみが筋書きに困ったら、こうするつもりでいた」
「お、おろして! すぐにおろしてちょうだい……っ……」
「どうして?」
「落とされたくないからよ!」
彼は、サマンサを抱き上げたまま、くるっと体を回転させる。
サマンサのドレスの裾が、ふわっと浮いた。
小さく悲鳴を上げ、サマンサは彼の首にしがみつく。
本当に「落ちる」と感じたのだ。
「私がきみを落とすだって? ありえないな。このまま中庭を散歩でもしようか? きみが、いいと言うなら、ベッドに連れて行ってもかまわないがね」
「あ、あなた、魔術を使っているのでしょう?! 悪ふざけが過ぎるわ!」
彼が動きを止め、サマンサの顔を覗き込んでくる。
その黒い瞳は、真剣さと呆れの色を浮かべていた。
「きみ、本気で言っているのかい?」
「だ、だって……」
サマンサは、次の言葉に窮して、まごつく。
自分で自分を「重い」と評するのは、さすがに恥ずかしい。
そのサマンサを、彼が、ハっと鼻で笑った。
とたん、ムッとする。
「なによ?」
「きみを抱き上げるのに魔術を使うだなんて、どれほど軟弱だと思っているのか、わかるというものだ」
「実際、私は重いもの!」
言いたくもないことを言わされ、腹が立った。
サマンサとて、こんな言いかたはしたくないのだ。
どうせなら、気後れした様子で「重くはないかしら?」と言えれば、「可愛げ」もあっただろうに。
「そりゃあね。確かに、羽のように軽いなんて上滑りなことは言わないさ。だが、裏の森にある岩を動かすわけでもあるまいし、魔術など使わない」
サマンサは、文句を言うための口を閉じる。
彼は嘘をつかない。
つまり、魔術は使っていないのだ。
自力で彼女を抱き上げ、平然としている。
「きみが思っているほどではないよ、サミー」
「あなたが……それほど、その……力持ちだとは知らなかったわ……」
「少なくとも、あのティミーとかティムとかいう奴よりはね」
彼が、軽く首を傾けてみせた。
そういえば、と思う。
マチルダの名を、彼は本気で忘れていたらしい。
なのに、いつもティモシーのことは、馬鹿にした呼びかたをする。
愛称を口にするくせに、正式名は絶対に呼ばないのだ。
「もしかして、あなた、彼を嫌っているの?」
「今ごろ気づいたのか」
「なぜ? あなたは彼を知りもしないでしょう?」
「必要なことは知っている。きみを利用し、傷つけた、とね」
サマンサの胸が、きゅっとなる。
最初に彼へと差し出したものを、彼は、確かに受け取ってくれていたのだ。
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