42 / 164
前編
冷酷な手のぬくもりが 2
しおりを挟む「お待たせをいたしました、我が君」
ベッドには、サマンサが横になっている。
ほんの少し前に、テスアから帰ってきたところだ。
あのあと、やはり半日ほどサマンサは苦しんでいた。
だが、体の熱がおさまり、山場を越えた頃、眠りに落ちた。
それを見計らい、彼女を連れ帰っている。
目をぱっちり開けられると、ロズウェルドでないことがバレてしまうからだ。
ラスとノアには、挨拶は不要と言われていた。
彼がテスアの存在を隠すため、最善を尽くしていると知っていたからだろう。
彼はベッドの端に半身で座っている。
サマンサの意識は戻っていた。
なのに、ジョバンニが来ると言ったとたんに、頭まで、すっぽりと上掛けにくるまってしまったのだ。
アシュリーのことがあるため、彼女はジョバンニを嫌っている。
なにがしかの解決がつくまで、サマンサが警戒を緩めることはなさそうだ。
「私たちも、さっき帰ってきたところでね」
彼の足元に跪いているジョバンニには、思うところもあるに違いない。
なにしろ3日近く、まるきり連絡が取れない状態となっていた。
テスアの雪嵐は、伝達系魔術を軽く断ち切る。
ジョバンニは、さぞ不可思議に感じただろう。
彼が拒絶しているわけではないのに、即言葉が通じない。
それほど強力な魔力疎外をできる魔術師は、そうはいないのだ。
なにが起きているのかわからず、苛立つ気持ちは理解できる。
アシュリーが危険に晒されたとなれば、焦りもあっただろうし。
訊かなくても結果はわかっていたが、あえて問う。
ジョバンニがしたことを、本人の口から語らせる必要があった。
それにより、どう受け止めているかも、わかる。
「それで?」
「ハインリヒ・セシエヴィルを殺しました」
サマンサがいるとわかっていて、ジョバンニは、その言葉を口にした。
彼も、サマンサに聞かれることを肯としている。
彼がどういう性質の人間か、彼女は知っているし、彼もまた然りだ。
彼女は、大公のしたことについて「自らが恩恵を享受しているのに非道とは言えない」と語った。
そして、彼もまた同じ理由から人を殺すのだと、明確に言葉にしている。
サマンサの中にある正義は上っ面のものではない。
やたらと正義感を振り回し、できもしないことを望む者たちとは違う。
「セシエヴィルが、どういう家かは知っているね?」
「存じております、我が君」
それだけ訊けば、十分だった。
セシエヴィル子爵家は、平たく言えば、ローエルハイドの遠縁にあたるが、彼にとっては、どうでもいい部類に入っている。
アシュリーが特別なのであって、それ以外の者たちには興味がない。
ハインリヒは、ローエルハイドがセシエヴィルに手を出すことはない、とでも思っていたのかもしれない。
たいした勘違いだ、と思う。
ジョバンニが手を下さずとも、早晩、彼が始末をつけるつもりでいたからだ。
「ところで、フレデリックは、いい働きをしてくれたかい?」
「とても良い働きをしてくれました。おかげで姫様のご両親を無事に保護することができました」
フレデリックは、彼の言いつけ通り、ジョバンニの「手助け」をした。
詳細な報告を聞くまでもない。
ジョバンニが会ったとすれば、フレデリックはハインリヒの近くにいたことになる。
彼の留守を狙い、ハインリヒは、アドラントからアシュリーを攫いでもしたに違いない。
フレデリックは、ハインリヒが「やらかす」ことを見越して見張っていたため、アシュリーの両親が人質に取られていたのを知っていた。
そこに、なにも知らないジョバンニがアシュリーを取り戻すため、ハインリヒの元を訪れたのだ。
だが、ジョバンニがハインリヒに始末をつけたのは、アシュリーの両親を助けたのちのことだろう。
異変に気づかないようハインリヒの気を逸らせ、フレデリックが時間稼ぎをしたというのは想像に容易い。
新調した正装で臨んだであろうフレデリックを思い浮かべ、小さく笑う。
「あの子には、ずいぶんと苦労をかけた。さぞ嫌な思いをしてきただろうなあ」
「フレデリック・ラペルとは、お知り合いだったのですね」
「当時の当主が、曾祖父の逆鱗にふれただけのことさ。それでも、ラペルは今も残っているわけだから、彼らがありがたがるのもわかる気はするがね」
大公の時代、ラペル公爵家はハインリヒと同じ間違いをした。
セシエヴィルとの関係から、大公が手出しをするまいと考えたのだ。
大公が最初に迎えた妻、エリザベートの実家がセシエヴィル子爵家であり、その上位貴族がラペルだった。
当時のラペル公爵家当主と三男は、セシエヴィルを利用しようとし、大公の逆鱗にふれている。
結果、その2人は自死をしたのだが、大公が「手を加えた」のは確かだ。
その後、長男が家督を継ぎ、今に至るまで、ラペルはローエルハイドに裏から付き従っていた。
「私がいたらないばかりに、お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
ジョバンニが、深く頭を下げている。
自らが「しくじった」ことを悟っているのだ。
そして、彼が事前に手を打っておいたのは、ジョバンニの失敗をあらかじめ想定していたからだとも、気づいている。
「万が一に備えるようにと厳しく言われてきたせいかな。私は心配症になってしまっているのだよ。きみよりも、ずっとね」
穏やかな口調で、けれど、厳しさをもってジョバンニの未熟さを指摘した。
ジョバンニには、まだ備えも覚悟も足りていないのだ。
今回のことで反省もしただろうし、学ぶこともあったに違いない。
彼とて、4年で期待通りに成長しきれるとは思っていなかった。
総合的に判断すれば、ジョバンニは、かなり優秀だと言える。
(あと3、4年……いや、2、3年で、私の期待に近い執事に成長するさ)
などと、彼が考えていた時だ。
もそっと、サマンサが、わずかに動いた。
まだ上掛けはかぶったままだ。
「ハインリヒって、あのいけ好かない従兄弟のことでしょう」
「そうだよ、サム」
「そこの執事は、言わなくてもいいことを、彼女に言ったのではない?」
「そうなのかね? ジョバンニ」
ジョバンニからの、返事はない。
それが、返事ということだ。
(アシュリーに隠し事をしたくなかったのだろうが、彼女の言う通り、言わなくていいことを言ってしまったようだな。アシュリーは、まだ14歳だ。人殺しを受け入れられるほど大人ではない)
彼はアシュリーを大事に思っている。
できるなら傷ついてほしくなかった。
だが、ジョバンニが話してしまったのならしかたがない。
アシュリーの様子を見ながら、必要があれば、心を支える心づもりはある。
「ほら、やっぱりね! だから、言ったじゃない! いつか、この野暮な執事が、彼女を傷つけるに違いないって! 馬鹿正直に、君の従兄弟を殺したよ、だなんて言う必要がある? ええ、言うのなら言ったってかまわないわ! だとしても、言った責任も取りやしないのよ、そこの野暮執事は!」
上掛けを引っかぶり、丸まったままのサマンサが棘々しい言葉をジョバンニに投げつけた。
会話自体は彼に向けられたものだが、実際はジョバンニをあてこすっている。
「サム、サミー、きみ、そんなに怒ると、ますます体調を悪くするよ?」
宥めるように言っても、サマンサは止まらない。
芯から怒っているらしく、いよいよ口調を強めた。
「とっくに悪いのだから放っておいてちょうだい! あなただって気づいているはずよ! そこの野暮男が自己満足に陶酔して、彼女の手を振りはらったってことくらい! 本当に腹が立つわ! どうして、そう中途半端なのよ!」
「まあまあ、そう怒るものではないよ。なにしろ人を殺して……」
「だから、なんなの? 人を殺すからには、それなりの覚悟をすべきでしょう! 殺したあとで、申し訳ありませんなんて、通るわけがないわ! 彼女にまで罪悪感を押しつけておいて、選択肢まで取り上げたのよ? それが自己満足でなくて、なにがあるって言うの? せめて彼女に選ばせるべきでしょうに!」
彼の言葉すら、一刀両断。
すっぱりと叩き斬られた。
それはかまわないのだが、サマンサは怒り過ぎている。
怒りはエネルギーを使うのだ。
「ああ、そうだね、サミー。きみの言うことは正しい。うん。もっともだよ」
宥めようとすると怒りを煽るので、ことさらに、なんでもなさそうに言う。
体型は変わっても、性格は変わりそうにない。
サマンサは、相変わらず、じゃじゃ馬だ。
「もう2人とも出て行ってちょうだい! 体調が、ますます悪くなったわ!」
「私にまで、とばっちりかい?」
「とばっちりではないわよ! あなたは、“全部”わかっていたくせに! なによ、この冷血漢! 人でなし!!」
具合が悪いはずなのに、罵声を浴びせる時には元気になるらしい。
彼は声を上げて笑う。
だが、ジョバンニは、どうやらサマンサの言葉に打ちのめされているようだ。
「私は、彼女のご機嫌取りをする。さて、きみはどうする?」
黙って頭を下げ、ジョバンニが姿を消す。
おそらく答えを出すまでには、まだ時間が必要なのだろう。
それでも、悪いほうには進まない予感があった。
彼は、丸まっているサマンサを見つめる。
意図してはいなかったのだろうが、彼女は筋道をつけてくれた。
曖昧さを許さない断固とした態度が、ジョバンニの心をこじ開けている。
とはいえ、ジョバンニの「人殺し」を聞いたアシュリーが、どう判断するかが、最も大事なことなのだけれども。
彼は、ジョバンニよりアシュリーを優先する。
アシュリーには望む通りの幸せを与えたいからだ。
こればかりは譲れない。
アシュリーの中に「エリザベートの欠片」があるのか、曾祖父の願いに囚われている。
「アシュリーを放っておく気はないよ、サム。だから、きみは体を休めてくれ」
声をかけたが、サマンサは、くるんっと、さらに丸くなり、彼に背を向ける。
その背を撫でたかったが振りはらわれそうなので、やめておいた。
0
お気に入りに追加
205
あなたにおすすめの小説
世話焼き宰相と、わがまま令嬢
たつみ
恋愛
公爵令嬢ルーナティアーナは、幼い頃から世話をしてくれた宰相に恋をしている。
16歳の誕生日、意気揚々と求婚するも、宰相は、まったく相手にしてくれない。
いつも、どんな我儘でもきいてくれる激甘宰相が、恋に関してだけは完全拒否。
どうにか気を引こうと、宰相の制止を振り切って、舞踏会へ行くことにする。
が、会場には、彼女に悪意をいだく貴族子息がいて、襲われるはめに!
ルーナティアーナの、宰相に助けを求める声、そして恋心は、とどくのか?
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_2
他サイトでも掲載しています。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
理不尽陛下と、跳ね返り令嬢
たつみ
恋愛
貴族令嬢ティファナは冴えない外見と「変わり者」扱いで周囲から孤立していた。
そんな彼女に、たった1人、優しくしてくれている幼馴染みとも言える公爵子息。
その彼に、突然、罵倒され、顔を引っ叩かれるはめに!
落胆しながら、その場を去る彼女は、さらなる悲劇に見舞われる。
練習用魔術の失敗に巻き込まれ、見知らぬ土地に飛ばされてしまったのだ!
そして、明らかに他国民だとわかる風貌と言葉遣いの男性から言われる。
「貴様のごとき不器量な女子、そうはおらぬ。憐れに思うて、俺が拾うてやる」
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_3
他サイトでも掲載しています。
ウソつき殿下と、ふつつか令嬢
たつみ
恋愛
伯爵家の1人娘セラフィーナは、17歳になるまで自由気ままに生きていた。
だが、突然、父から「公爵家の正妻選び」に申し込んだと告げられる。
正妻の座を射止めるために雇われた教育係は魔術師で、とんでもなく意地悪。
正妻になれなければ勘当される窮状にあるため、追い出すこともできない。
負けず嫌いな彼女は反発しつつも、なぜだか彼のことが気になり始めて。
そんな中、正妻候補の1人が、彼女を貶める計画を用意していた。
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_10
他サイトでも掲載しています。
若輩当主と、ひよっこ令嬢
たつみ
恋愛
子爵令嬢アシュリリスは、次期当主の従兄弟の傍若無人ぶりに振り回されていた。
そんなある日、突然「公爵」が現れ、婚約者として公爵家の屋敷で暮らすことに!
屋敷での暮らしに慣れ始めた頃、別の女性が「離れ」に迎え入れられる。
そして、婚約者と「特別な客人(愛妾)」を伴い、夜会に出席すると言われた。
だが、屋敷の執事を意識している彼女は、少しも気に留めていない。
それよりも、執事の彼の言葉に、胸を高鳴らせていた。
「私でよろしければ、1曲お願いできますでしょうか」
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_4
他サイトでも掲載しています。
英雄になった夫が妻子と帰還するそうです
白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。
愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。
好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。
今、目の前にいる人は誰なのだろう?
ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。
珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥)
ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。
不機嫌領主と、嫌われ令嬢
たつみ
恋愛
公爵令嬢ドリエルダは、10日から20日後に起きる出来事の夢を見る。
悪夢が現実にならないようにしてきたが、出自のこともあって周囲の嫌われ者に。
そして、ある日、婚約者から「この婚約を考え直す」と言われる夢を見てしまう。
最悪の結果を回避するため策を考え、彼女は1人で街に出る。
そこで出会った男性に協力してもらおうとするのだが、彼から言われた言葉は。
「いっそ、お前から婚約を解消すればよいではないか」
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_7
他サイトでも掲載しています。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる