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前編

できることをしたくて 3

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 夜会から2日。
 サマンサは、ひどく静かだった。
 なにか淡々としている。
 そして、彼は責められているように感じていた。
 
 サマンサの私室は、彼の贈った花で飾られている。
 華やかではあるが、サマンサが黙っているため、逆に、もの寂しさが漂っていた。
 いつものようにソファに寝転がり、何度か話しかけてみたが、彼女からはそっけない返事ばかりだ。
 
(私に怒っているというふうではないな。あのティムだかティミーだかいう男に、なにか言われたのかもしれない。いや、ジョバンニか……?)
 
 サマンサの機嫌を気にする必要はないのだが、気になる。
 ジョバンニが原因ならば放っておいても、のちのち片がつくのはわかっていた。
 片がつかないのは、ラウズワースの息子のほうだ。
 
 夜会で彼は、アシュリーの元に駆けつけている。
 アシュリーは、ラウズワースの中庭で、ハインリヒに出くわしてしまったらしい。
 ジョバンニが追いはらったあとではあったが、彼は、そのままアシュリーと屋敷に帰ってきた。
 そのため、サマンサを独りにしている。
 
 ジョバンニにサマンサを迎えに行かせたものの、その間にティモシーが彼女にすがりついた可能性はあった。
 そのせいでサマンサの心が揺らいでいる可能性も。
 
「きみはカウフマンを知っているかい?」
「ロズウェルド屈指の商人」
「アシュリーの従兄弟、ハインリヒの祖父でもある」
「そうなの」
 
 サマンサの返事は、ずっとこんな具合だ。
 なんの関心もないといったふうに、彼を見ようともしない。
 
「そこでだ。ちょいとばかし、きみに頼みがあってね」
「なんなりと」
「もうしばらく、ここに滞在してほしい」
「仰せのままに」
 
 さすがに、苛々する。
 怒って突っかかられたほうが、気分がいいくらいだった。
 聞き流しているような態度は面白くない。
 サマンサは、わざと彼と距離を取ろうとしている。
 夜会で親密な雰囲気になったのを危険だと捉えているのだろう。
 
「いいかげんにしたまえ」
「なにが?」
「その八つ当たりじみた態度のことさ」
「なんの話かわからないわ」
 
 彼は体を起こし、立ち上がった。
 向かいに座っているサマンサの隣に腰かける。
 彼女が身じろぎひとつしないことにも、苛立ちが募った。
 
「聡明なきみの台詞とも思えないね」
「評価を下げればいいだけよ」
 
 サマンサは、ひどくかたくなになっている。
 その理由が知りたかった。
 
(彼女は王都に帰りたいのか? 奴と破談になって目的は達せられている。だが、今は時期が悪い。いずれは……帰すとしても、だ)
 
 彼は複数の問題を平行して片づけようとしている最中さいちゅうなのだ。
 サマンサの存在は、その中で、ひとつの鍵になる。
 たとえ彼女が帰りたがっているとしても手放すことはできない。
 手元に置いておく必要があった。
 
 が、しかし。
 
 本当に、それだけが理由なのか。
 彼は考えないようにしている。
 サマンサに魅力を感じているのは事実だが、深入りはしないと決めていた。
 にもかかわらず、苛立ちを抑えきれずにいた。
 そっぽを向かれるのは我慢ならない。
 
「あの執事をアシュリー様から遠ざけてちょうだい。そうすれば私の気分が良くなって、あなたの軽口につきあう気になれるかもしれないわね」
「ジョバンニか」
 
 ほんの少し安堵する。
 サマンサの機嫌は、ティモシーが原因ではなかったのだ。
 さりとて、彼のかかえている問題解決のためには、ジョバンニとアシュリーを引き離すことはできない。
 
「夜会があった日の深夜の話は、あなたも聞いているでしょう?」
「いいや、知らないね」
「……アシュリー様は素足で中庭を歩いてらしたのよ?」
「いや……聞いていないな」
 
 アシュリーのことは、基本、ジョバンニに任せてある。
 いちいちの報告をするよう言い渡してはいなかった。
 なんでもかんでも指示をしていては、ジョバンニが「育たない」からだ。
 だとしても、ジョバンニから話してきてもいいような内容ではある。
 
「言う必要があるとは思わないけれど、アシュリー様は、あの野暮な執事に心を奪われかけているわ」
「きみの心遣いに感謝する。アシュリーはジョバンニに恋をしているよ」
 
 サマンサは、あえて遠回しに言ったのだろうが、彼は、きっぱり言い切った。
 初めて屋敷に連れてきた日から、アシュリーの視線は常にジョバンニを追っていた。
 日に日にジョバンニを見つめる瞳が輝きを増しているのにも気づいている。
 
「あなた……」
 
 サマンサが、ようやく彼のほうに顔を向けた。
 瞳の色は、驚きから怒りへと変わっていく。
 
「どうして止めないの?」
「人の心を操る魔術がないものでね」
「あの野暮執事は、絶対にアシュリー様を傷つけるわよっ?!」
「そうとは限らないさ」
「彼がアシュリー様を愛さなかったら、あなたはどうするつもり?! どうやって責任を取るのっ?!」
 
 サマンサには、繰り返し、自らの状況と重ねないように言ってきた。
 それでも、できずにいるようだ。
 アシュリーに己を重ねている。
 だからこそ、まるで我が事のように不安になっているのだろう。
 
「初恋が儚く散るのは、よくあることだ。いい経験になる。私はアシュリーの傷が癒えるまで慰める役目かな」
「あなたはアシュリー様を大事にしていると言ったわ……」
「彼女を傷つける真似をしないとも誓った」
 
 サマンサは口を閉じ、彼から顔をそむけた。
 膝の上にある両手は、きつく握り締められている。
 
「そうね……“あなた”が傷つけるのじゃないものね」
 
 詭弁と取られてもしかたがない。
 だが、彼は、彼自身がアシュリーを傷つけられないことを知っている。
 サマンサの示唆する通り、傷つけるとすれば、ジョバンニだ。
 
「どうしろと言うのかね? ジョバンニに、偽りでもいいからアシュリーに愛を囁けとでも? 2人を引き離して、それで? アシュリーは心変わりするかい?」
 
 恋や愛は厄介な代物だ。
 人からなにを言われても、環境が変わっても、自分自身でさえも制御することはできない。
 それは、サマンサにも、わかっているのだろう。
 だから、黙っている。
 
「きみは、どうだった?」
 
 サマンサの肩が、ぴくっと震えた。
 言わなくてもいいことを言っている自覚はある。
 なのに、サマンサを追い詰めたくなっていた。
 一方的に責められる筋合いはないからだ。
 
「もし奴の本性を知らなければ喜んで婚姻していたのじゃないか? 家族から反対されたり引き裂かれたりしたら、どう思った? 彼が真実を明かさないまま、きみから離れていたら? きみは傷つかずにすんだかい?」
「……やめて……私とアシュリー様は違うと言ったのは、あなたよ……」
「そうとも。その私の言葉に耳を貸さず、いつまでも重ねているのは、きみだ」
 
 頭の片隅で、彼は悔やんでいる。
 言うべきではなかったと思っている。
 サマンサに言い返してほしかった。
 
 いつものように。
 
 けれど、彼女は言い返さない。
 顔を横に向け、小さな声で彼を肯定する。
 
「あなたは正しいわ」
 
 彼女は普通の貴族令嬢より大柄だ。
 背も少し高めだし、ふくよか過ぎる体型をしている。
 なのに、小さく見えた。
 とても。
 
「サム……サミー……」
 
 サマンサの腕を掴み、その体を引き寄せる。
 わずかな抵抗のあと、サマンサが大人しく彼の腕におさまった。
 彼女の本質は、か弱く脆い。
 ティモシーへの愛に実直であろうとし、強く振る舞わねばならなかっただけだ。
 
 その愛を、サマンサは失った。
 
 今の彼女を支えているのは家族に対する想いと、彼に誠実であろうとする心。
 目的を達したことに対しての「支払い」をしようとしている。
 愛してもいない男の「愛妾」として、ここにとどまるのは、サマンサにとって苦痛でしかないのに。
 
(それでも……私は、きみを利用するしかないのだよ、サミー)
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