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前編
思い違いはしないよう 3
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サマンサは、がっつりと彼に腰を抱かれている。
笑顔を保ってはいたが、テラス席に着く前に離れなければと思っていた。
アシュリーに、この姿を見せたくなかったからだ。
彼がサマンサと懇意だと勘違いをすれば、ジョバンニへの気持ちに拍車をかけてしまう恐れがある。
「おや、さきほどの席にはいないようだな」
「どこに行ったのかしら。探したほうがいいわ」
そう言ったのに、彼はテラス席に、さっさと座ってしまう。
同時に、近くにいた貴族らは、サァッとホールのほうに戻って行った。
彼を未練たらしく見ていた令嬢もパートナーに引きずられるようにして、その場を去って行く。
「きっと散歩でもしているのだろうさ。ここで待っていればいい」
彼の動きそうにもない態度に、しかたなくサマンサもイスに腰かけた。
落ち着かない気分で周りを見回す。
なにか気持ち悪いというか、腑に落ちない感じがするのだ。
「なにか飲むかい?」
「いいえ……いらないわ」
彼の言葉にも上の空になっていて、適当に返事をする。
ジョバンニは彼に忠実であり、恋でないにしてもアシュリーに並々ならない想い入れがある。
にもかかわらず、勝手に姿をくらませたりするだろうか。
散歩くらいするだろうと言われれば否定はできないけれども。
「だが、これは、きみに必要だ」
彼が、軽く指を弾く。
テーブルに、苺を乗せたケーキと、レモネード入りの紅茶のグラスが現れた。
「どこから持ってきたの?」
「王都の屋敷に用意させておいたものだよ」
「魔術って便利だけれど、夜会では禁止されているのじゃなかった?」
「何事にも例外はあるさ」
フォークを手に取り、会場にはない種類のケーキを口に運ぶ。
食べ始めてから、気づいた。
3曲もダンスをしたというのに、眩暈がしていない。
空腹感はあるので、彼曰くの「エネルギー」は使っていたはずだ。
「あなた、なにかした?」
「治癒の魔術というのは、怪我を治すだけが用途ではないのでね」
「踊りながら、私を治癒していたの?」
サマンサは、魔力顕現していないため、魔術について学んでいなかった。
ティンザーの屋敷では魔術師を雇い入れているし、魔術道具も使っている。
とはいえ、どんなことができて、どういう仕組みになっているのかを知る必要はない。
知識がなくても、魔術の恩恵にあずかることができたからだ。
「これで少しは役に立つ魔術師だと思ってくれるかい?」
「どうかしら。3曲も踊らなければ倒れなかったはずよ?」
「だが、私は楽しめた」
言われて、サマンサは、黙るためにケーキを口にする。
甘味が広がり、空腹感もおさまってきた。
彼に見られながらの食事には慣れている。
そのせいか、ケーキを食べることにも躊躇いはない。
(ティミーの前では……もう食事なんてできそうにないけれど……)
本当は食べたくなかったけれど、食べなければ倒れる。
ティモシーと一緒の夜会では、とくに注意をしていた。
食事をして臨んでも、精神的な疲労からなのか、途中で倒れそうになる。
だから、無様な姿を晒すまいと、必死だった。
「不思議ね……私、あまり疲れていないみたい……」
体力だけの話ではない。
彼が治癒を施してくれたので、回復はしているのだろう。
だが、以前とは、まるきり感覚が異なる。
サマンサはケーキを半分ほど残し、フォークを置いた。
「前は、テーブル席で、いつも1人だった。ティ……彼は会場につくと、たいてい男性の友人を相手に話し込んでいたから」
「それは、とても気疲れしたろうね」
「その時は、そういうふうに思っていなかったわ。彼に恥をかかせないようにすることしか考えていなかったのよ。誰かの陰口に腹を立てたり、感情を露わにしたりせず、平然としていなくちゃって」
サマンサは、胸の奥が、きゅうっと締めつけられるのを感じる。
やっとわかったのだ。
とてもつらかったのだ、ということが。
なにを言われても、平気な振りをしなければならなかった。
嘲笑にも耐えなければならなかった。
倒れないために、食べたくもないのに、食べなければならなかった。
たった1人で。
耐えていたのは、ティモシーのためだけとは言わない。
ティモシーに恥をかかせ、嫌われたくないという、サマンサ自身の想いからでもある。
苦痛なら、夜会への誘いを断れば良かったのだ。
我慢をしたのは、ティモシーとの関係が崩れるのを恐れた自分の弱さだと思う。
「私には彼しかいなかった……いないと思っていたの…………彼だけだった……私を馬鹿にしたり、蔑んだりしなかった人はね……彼が離れていったら、誰も私の相手なんか……1人になるのが怖かった……」
そして、寂しかった。
家族はいても、それでも。
サマンサは弱っている自分を感じつつも、彼に小さく笑いかける。
彼の、どういう反応も期待はしていない。
だからこそ、言えた。
期待があると、応えてもらえない不安から、人は言葉を出せなくなるものだ。
「……努力しても、本当に無駄だった……あなたに言われて、はっきりしたわ」
『どれだけ食べようと、きみの体型は変わらない。だが、食べなければ倒れる』
彼は言い、その理由も語っている。
要は、サマンサは「エネルギー効率」が悪い、ということ。
しかも、体が受け付ける食事の量は変えられない。
実際、試したことがあるので知っていた。
倒れないよう夜会の前に、いつも以上に食べようとして、戻してしまったのだ。
「サミー、それは……」
「私の、わずかな希望を打ち砕いたなんて思わないでちょうだい。意味がないってわかって良かったのよ。無駄な努力をしなくてすむもの。まだできることがあるのじゃないかって縋りつくのも、もう……うんざりだったわ」
同情をしてほしいとは思っていないのに、言葉が転がり落ちる。
彼が、サマンサの「なにもかも」を知っているからかもしれない。
隠していたことだって、とっくに暴かれていた。
「信じられる? 私、十歳の頃から何度も絶食を繰り返してきたのよ? 別邸で暮らすようになっても、彼が来ない日は食事を抜いたりね」
「ドワイトとリンディに心配をかけては駄目じゃないか」
「それなのよ。お兄様も、私が倒れるたびに血相を変えて怒りまくっていたわ」
「きっと、きみは、ほかにも叱られることをやらかしているのだろうな」
彼が、わざとらしく真面目な顔で言った。
サマンサは、めずらしく声をあげて笑う。
「やたらと尖塔まで登ったり降りたりね。乗馬は馬が可哀想だから諦めたの。痩せる薬というのが街で売られているじゃない? あれを飲んで、熱病にかかったみたいになったこともあるわ」
「当然だ。あの薬は、エネルギーを体から放出させるためのものなのだよ?」
「あら、謎が解けたわね。あの熱は、そういうことだったの」
報われないと嘆いていた苦労を、笑い話にできるとは思わなかった。
笑っていたサマンサの手を、彼が握ってくる。
今度は、本当に真面目な顔をしていた。
「どうしたの?」
「その薬は、2度と飲まないと約束してほしい」
「どうせ効きやしないのだから、もう飲まないわよ。無駄遣いはしないわ」
「いいかい、きみ。そもそも、あの薬は誰が飲もうと、さほど効き目はない。だが、きみの場合は違う。命に関わることも有り得ると、知っておいてくれ」
「まあ! だったら、私は知らずに命懸けで……」
「笑いごとではない」
彼らしくもなく真剣な眼差しに、サマンサはうつむく。
彼は、本気で彼女を心配しているのだ。
「ごめんなさい……もう2度と飲まないと誓うわ」
「ティンザーの誓いだ。信じるに値するね」
彼の口調に、軽さが戻っている。
軽口は、いつもサマンサを怒らせるものだが、今は彼女を安堵させた。
彼が、自分に少しは「特別」な感情をいだいているなどと、勘違いしたくない。
2人の関係は、あくまでも契約に過ぎないのだ。
不意に、ぴくっと、彼の指が動く。
瞳の色が、深く濃い黒に変わっていた。
サマンサは手を引いて、彼との間に距離を取る。
「行って」
「サム、サミー……」
「なにかあったのでしょう? いいから早く行って」
「……ジョバンニが迎えに来るまで、テーブル席にいてくれ」
言うなり、彼は姿を消した。
サマンサは、彼との間に「なにも起きなかった」ことに、ホッとする。
(彼の、あの雰囲気……きっとアシュリー様に、なにかあったのだわ……)
そう、忘れてはいけない。
彼には、婚約者がいるのだ。
笑顔を保ってはいたが、テラス席に着く前に離れなければと思っていた。
アシュリーに、この姿を見せたくなかったからだ。
彼がサマンサと懇意だと勘違いをすれば、ジョバンニへの気持ちに拍車をかけてしまう恐れがある。
「おや、さきほどの席にはいないようだな」
「どこに行ったのかしら。探したほうがいいわ」
そう言ったのに、彼はテラス席に、さっさと座ってしまう。
同時に、近くにいた貴族らは、サァッとホールのほうに戻って行った。
彼を未練たらしく見ていた令嬢もパートナーに引きずられるようにして、その場を去って行く。
「きっと散歩でもしているのだろうさ。ここで待っていればいい」
彼の動きそうにもない態度に、しかたなくサマンサもイスに腰かけた。
落ち着かない気分で周りを見回す。
なにか気持ち悪いというか、腑に落ちない感じがするのだ。
「なにか飲むかい?」
「いいえ……いらないわ」
彼の言葉にも上の空になっていて、適当に返事をする。
ジョバンニは彼に忠実であり、恋でないにしてもアシュリーに並々ならない想い入れがある。
にもかかわらず、勝手に姿をくらませたりするだろうか。
散歩くらいするだろうと言われれば否定はできないけれども。
「だが、これは、きみに必要だ」
彼が、軽く指を弾く。
テーブルに、苺を乗せたケーキと、レモネード入りの紅茶のグラスが現れた。
「どこから持ってきたの?」
「王都の屋敷に用意させておいたものだよ」
「魔術って便利だけれど、夜会では禁止されているのじゃなかった?」
「何事にも例外はあるさ」
フォークを手に取り、会場にはない種類のケーキを口に運ぶ。
食べ始めてから、気づいた。
3曲もダンスをしたというのに、眩暈がしていない。
空腹感はあるので、彼曰くの「エネルギー」は使っていたはずだ。
「あなた、なにかした?」
「治癒の魔術というのは、怪我を治すだけが用途ではないのでね」
「踊りながら、私を治癒していたの?」
サマンサは、魔力顕現していないため、魔術について学んでいなかった。
ティンザーの屋敷では魔術師を雇い入れているし、魔術道具も使っている。
とはいえ、どんなことができて、どういう仕組みになっているのかを知る必要はない。
知識がなくても、魔術の恩恵にあずかることができたからだ。
「これで少しは役に立つ魔術師だと思ってくれるかい?」
「どうかしら。3曲も踊らなければ倒れなかったはずよ?」
「だが、私は楽しめた」
言われて、サマンサは、黙るためにケーキを口にする。
甘味が広がり、空腹感もおさまってきた。
彼に見られながらの食事には慣れている。
そのせいか、ケーキを食べることにも躊躇いはない。
(ティミーの前では……もう食事なんてできそうにないけれど……)
本当は食べたくなかったけれど、食べなければ倒れる。
ティモシーと一緒の夜会では、とくに注意をしていた。
食事をして臨んでも、精神的な疲労からなのか、途中で倒れそうになる。
だから、無様な姿を晒すまいと、必死だった。
「不思議ね……私、あまり疲れていないみたい……」
体力だけの話ではない。
彼が治癒を施してくれたので、回復はしているのだろう。
だが、以前とは、まるきり感覚が異なる。
サマンサはケーキを半分ほど残し、フォークを置いた。
「前は、テーブル席で、いつも1人だった。ティ……彼は会場につくと、たいてい男性の友人を相手に話し込んでいたから」
「それは、とても気疲れしたろうね」
「その時は、そういうふうに思っていなかったわ。彼に恥をかかせないようにすることしか考えていなかったのよ。誰かの陰口に腹を立てたり、感情を露わにしたりせず、平然としていなくちゃって」
サマンサは、胸の奥が、きゅうっと締めつけられるのを感じる。
やっとわかったのだ。
とてもつらかったのだ、ということが。
なにを言われても、平気な振りをしなければならなかった。
嘲笑にも耐えなければならなかった。
倒れないために、食べたくもないのに、食べなければならなかった。
たった1人で。
耐えていたのは、ティモシーのためだけとは言わない。
ティモシーに恥をかかせ、嫌われたくないという、サマンサ自身の想いからでもある。
苦痛なら、夜会への誘いを断れば良かったのだ。
我慢をしたのは、ティモシーとの関係が崩れるのを恐れた自分の弱さだと思う。
「私には彼しかいなかった……いないと思っていたの…………彼だけだった……私を馬鹿にしたり、蔑んだりしなかった人はね……彼が離れていったら、誰も私の相手なんか……1人になるのが怖かった……」
そして、寂しかった。
家族はいても、それでも。
サマンサは弱っている自分を感じつつも、彼に小さく笑いかける。
彼の、どういう反応も期待はしていない。
だからこそ、言えた。
期待があると、応えてもらえない不安から、人は言葉を出せなくなるものだ。
「……努力しても、本当に無駄だった……あなたに言われて、はっきりしたわ」
『どれだけ食べようと、きみの体型は変わらない。だが、食べなければ倒れる』
彼は言い、その理由も語っている。
要は、サマンサは「エネルギー効率」が悪い、ということ。
しかも、体が受け付ける食事の量は変えられない。
実際、試したことがあるので知っていた。
倒れないよう夜会の前に、いつも以上に食べようとして、戻してしまったのだ。
「サミー、それは……」
「私の、わずかな希望を打ち砕いたなんて思わないでちょうだい。意味がないってわかって良かったのよ。無駄な努力をしなくてすむもの。まだできることがあるのじゃないかって縋りつくのも、もう……うんざりだったわ」
同情をしてほしいとは思っていないのに、言葉が転がり落ちる。
彼が、サマンサの「なにもかも」を知っているからかもしれない。
隠していたことだって、とっくに暴かれていた。
「信じられる? 私、十歳の頃から何度も絶食を繰り返してきたのよ? 別邸で暮らすようになっても、彼が来ない日は食事を抜いたりね」
「ドワイトとリンディに心配をかけては駄目じゃないか」
「それなのよ。お兄様も、私が倒れるたびに血相を変えて怒りまくっていたわ」
「きっと、きみは、ほかにも叱られることをやらかしているのだろうな」
彼が、わざとらしく真面目な顔で言った。
サマンサは、めずらしく声をあげて笑う。
「やたらと尖塔まで登ったり降りたりね。乗馬は馬が可哀想だから諦めたの。痩せる薬というのが街で売られているじゃない? あれを飲んで、熱病にかかったみたいになったこともあるわ」
「当然だ。あの薬は、エネルギーを体から放出させるためのものなのだよ?」
「あら、謎が解けたわね。あの熱は、そういうことだったの」
報われないと嘆いていた苦労を、笑い話にできるとは思わなかった。
笑っていたサマンサの手を、彼が握ってくる。
今度は、本当に真面目な顔をしていた。
「どうしたの?」
「その薬は、2度と飲まないと約束してほしい」
「どうせ効きやしないのだから、もう飲まないわよ。無駄遣いはしないわ」
「いいかい、きみ。そもそも、あの薬は誰が飲もうと、さほど効き目はない。だが、きみの場合は違う。命に関わることも有り得ると、知っておいてくれ」
「まあ! だったら、私は知らずに命懸けで……」
「笑いごとではない」
彼らしくもなく真剣な眼差しに、サマンサはうつむく。
彼は、本気で彼女を心配しているのだ。
「ごめんなさい……もう2度と飲まないと誓うわ」
「ティンザーの誓いだ。信じるに値するね」
彼の口調に、軽さが戻っている。
軽口は、いつもサマンサを怒らせるものだが、今は彼女を安堵させた。
彼が、自分に少しは「特別」な感情をいだいているなどと、勘違いしたくない。
2人の関係は、あくまでも契約に過ぎないのだ。
不意に、ぴくっと、彼の指が動く。
瞳の色が、深く濃い黒に変わっていた。
サマンサは手を引いて、彼との間に距離を取る。
「行って」
「サム、サミー……」
「なにかあったのでしょう? いいから早く行って」
「……ジョバンニが迎えに来るまで、テーブル席にいてくれ」
言うなり、彼は姿を消した。
サマンサは、彼との間に「なにも起きなかった」ことに、ホッとする。
(彼の、あの雰囲気……きっとアシュリー様に、なにかあったのだわ……)
そう、忘れてはいけない。
彼には、婚約者がいるのだ。
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