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前編
正式と代理 4
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サマンサが軽く手を腕に乗せている。
その手を、ぐいっと引っ張り、彼は自分の腕に、しっかりと掴まらせた。
「きみが転んで怪我をしてはいけないからね」
声をかけても、彼女は黙っている。
ファーストダンスを踊るはめになったのが、腹立たしくてしかたがないのだ。
サマンサはアシュリーを気にかけている。
自らの境遇と、どうしても重ね合わせてしまうに違いない。
(まぁ、いいさ。彼女も、いずれ気づく)
不機嫌そのもののサマンサを連れ、ダンスホールに入った。
とたん、貴族たちが踊るのやめ、壁際へと散っていく。
王族相手でもあるまいし、と彼らの臆病さに呆れた。
視線だけで、サマンサを窺う。
彼女は、なにやら思案深げに眉をひそめていた。
「どうかしたかい?」
「さっきも思ったのだけれど、あなた、すごく恐れられているのね」
「頼んた覚えはなくとも、道を譲ってくれる者は多いな」
「どうしてなの? なにもされていないのに怯えるなんて、おかしな話だわ」
サマンサは、彼らの「後ろ暗さ」を知らずにいる。
ティンザーとは関わりがないからだ。
常に中立の立場を守り、己の誠実さによってのみ判断をくだすのがティンザーの家風だった。
日和見主義なブレインバークや損得で動く者たちとは、基準を異にしている。
サマンサは、そういう家で育った。
そのため、いつ彼の逆鱗にふれるかわからないといった、彼らの恐怖を理解できないのだろう。
「だが、きみだって、私を冷酷な人でなしだと言うじゃないか」
「あら、禄でなしが抜けているわよ?」
「それは、失礼」
「だとしても、危害を加えられてはいないし、害される覚えもないもの」
ホールの中央に立ち、サマンサの手を取る。
音楽に合わせて足を踏み出した。
軽く腰に手を添えるだけで、サマンサは楽々と踊り始める。
彼の足を踏む心配はなさそうだ。
「きみのように言い切れる者ばかりではないのさ。正直、私は今まで彼らを害したことはないのだよ。まだ、ね」
「予定でもあるような言いかただわ」
「そう遠くないうちに起こり得ることだな」
彼はサマンサの反応を見ている。
最初に屋敷を訪ねてきた時から、サマンサは彼を恐れてはいなかった。
さっき彼女自身が言ったように、害されるとは思わずにいたからだろう。
だが、彼が、ほかの者に対して取る行動までは想像していなかったはずだ。
「どこかと戦争をするわけではないでしょう?」
「そこまで剛毅ではないよ」
「大公様は、敵兵数十万を、ひと晩で壊滅させたとされているわよね?」
「当家の文献によると、事実のようだ」
サマンサは、くるんっとターンをしても、軽々と体勢を維持している。
体型を考えれば、相当に練習を積んできたのは間違いない。
披露する場はなかっただろうけれども。
(ティモシー・ラウズワース。馬鹿な男だ。彼女の真価もわからずにいたとは)
サマンサは、例の夜会でティモシーの真意に気づくまで、尽くしてきたはずだ。
幼い憧憬から、年齢に伴い、その心は恋へと変化した。
彼女は、確かにティモシーを愛していたのだ。
復縁は有り得ないと、サマンサは言っている。
だが、それは両親や家門を守るための選択をした結果だ。
彼女の心にティモシーがいないとは言い切れない。
自分でも、なぜそれが気になるのか、気づいている。
愛とは無関係であっても、サマンサに好意をいだいていた。
彼が、彼女に女性的な魅力を感じていると言っているのは戯言ではない。
なにしろ、サマンサは面白い。
そして、彼を理解していた。
割り切ったというほどではなく、けれど踏み込み過ぎないような、ちょうど良い距離感でつきあいたいと思っている。
その「ちょうど良い距離感」の中に、本当は、ベッドでのことも含めたいのだ。
「おかげでロズウェルドは長く平和を保っているじゃない?」
サマンサは、彼の内心には気づかず、話を続けていた。
彼は、サマンサの聡明さに強く惹かれている。
説明を省略しても、話が通じるところやなんかに。
「あなたには、アドラントの平和を保つ義務があるものね」
「そこまで大袈裟なことになるかはわからない」
「なるに決まっているわ。あなたと私では認識している規模が違うのかもしれないけれど」
彼は、サマンサの腰から少し下へと手を伸ばした。
傍目には、サマンサを支えているようにしか見えないはずだ。
「なぜ、そう思うのかな?」
「だって、あなた、人を殺す気でしょう?」
平然と、サマンサが言い放つ。
これほどまでにきっぱりされると、苦笑いを浮かべるしかない。
恐れを知らないにもほどがある。
人は「人を殺す」ということに、少なくない恐怖を覚えるものだ。
野盗などのように、平気で人殺しをする者もいる。
だが、それは、実際には特殊な部類に入ると言えた。
誰にでも「殺してやりたい」というほどの怒りの感情はあるにしても、誰でもが実行したりはしない。
感情に任せて人を殺すより、人殺しになることへの抵抗感のほうが強いからだ。
「きみは、そういったことに、ずいぶんと寛大らしい」
「寛大ではないわよ。でも、あなたはアドラントの主ですもの。私たちの平和は、大公様が大勢の敵兵を犠牲にした上に成り立っている。それを享受しているのに、非道だのとは言えないわ。同じように、あなたがすることに対して非難する気はないってだけよ」
サマンサと、あえて体を密着させながら、彼は顔を近づける。
薄い緑の瞳に嘘はない。
というより、彼女が嘘をつくとは思っていなかった。
サマンサは生粋のティンザー気質だ。
嘘をつくのがいけないことだとか、あたり前の理屈すら必要としていない。
嘘よりも誠実さが先に立つ。
(たとえ相手を思いやる気持ちからであっても、彼女にはついていい嘘などないのだろうな)
彼も嘘はつかない。
ただし、本音も語らない。
自分でも、誠実さには欠けると思っている。
サマンサとは違うところでもあった。
「私がなにをするかもわからないのに?」
「そうね。なにをするかは知らないし、知ったことでもないわ」
「きみを巻き込むことになるかもしれないよ?」
「やめて。もう巻き込んでいるのに、今さら言い訳じみたことを言う必要ある?」
彼は、くすくすと笑う。
具体的なことはともかく、サマンサは本気で条件を守ろうとしているのだ。
彼女が提示した「駒になる」との決意は固いらしい。
どういうことになろうと、彼の「片棒」を担ぐつもりでいる。
「それより……ねえ……ちょっと……」
サマンサの頬が、わずかに赤くなっていた。
彼の手が、腰より下にあるのを、さっきから意識している。
ステップを間違わないようにしつつも、居心地が悪そうだった。
「体を支えてもらわなくても、あなたの足を踏んだりしないわよ?」
「知っている」
「知っている?」
「きみのステップは完璧だし、バランスを崩すとも思っていない」
彼の言っている意味と行動が、今ひとつ理解できていないという顔をしている。
ほかのこととは違い、サマンサは男性とのつきあいかたには疎い。
自らに女性的な魅力がないと思い込んでいるせいだ。
手の位置はそのままに、サマンサの体を引き寄せる。
耳元に口を寄せ、囁いた。
「きみが言ったのじゃないか」
「なにを……?」
「私が破廉恥な男だと言っただろう? それに、私も言ったはずさ」
口を寄せたサマンサの耳が赤くなっている。
悪くない兆候だ。
「きみに女性的な魅力を感じていて、それを証明する手立てを持っているってね」
「そ、その手を、今すぐどかさないと……」
「ステップを間違えたり大声を出したりすると目立ってしまうよ? ここで、今、踊っているのは、私たちしかいないのだからね」
サマンサは少し体をこわばらせたが元の調子に戻り、綺麗にターンをする。
今度は、彼女から顔を寄せてきて、彼に囁いた。
「この人でなしの冷血漢。恥知らずの禄でなし」
その手を、ぐいっと引っ張り、彼は自分の腕に、しっかりと掴まらせた。
「きみが転んで怪我をしてはいけないからね」
声をかけても、彼女は黙っている。
ファーストダンスを踊るはめになったのが、腹立たしくてしかたがないのだ。
サマンサはアシュリーを気にかけている。
自らの境遇と、どうしても重ね合わせてしまうに違いない。
(まぁ、いいさ。彼女も、いずれ気づく)
不機嫌そのもののサマンサを連れ、ダンスホールに入った。
とたん、貴族たちが踊るのやめ、壁際へと散っていく。
王族相手でもあるまいし、と彼らの臆病さに呆れた。
視線だけで、サマンサを窺う。
彼女は、なにやら思案深げに眉をひそめていた。
「どうかしたかい?」
「さっきも思ったのだけれど、あなた、すごく恐れられているのね」
「頼んた覚えはなくとも、道を譲ってくれる者は多いな」
「どうしてなの? なにもされていないのに怯えるなんて、おかしな話だわ」
サマンサは、彼らの「後ろ暗さ」を知らずにいる。
ティンザーとは関わりがないからだ。
常に中立の立場を守り、己の誠実さによってのみ判断をくだすのがティンザーの家風だった。
日和見主義なブレインバークや損得で動く者たちとは、基準を異にしている。
サマンサは、そういう家で育った。
そのため、いつ彼の逆鱗にふれるかわからないといった、彼らの恐怖を理解できないのだろう。
「だが、きみだって、私を冷酷な人でなしだと言うじゃないか」
「あら、禄でなしが抜けているわよ?」
「それは、失礼」
「だとしても、危害を加えられてはいないし、害される覚えもないもの」
ホールの中央に立ち、サマンサの手を取る。
音楽に合わせて足を踏み出した。
軽く腰に手を添えるだけで、サマンサは楽々と踊り始める。
彼の足を踏む心配はなさそうだ。
「きみのように言い切れる者ばかりではないのさ。正直、私は今まで彼らを害したことはないのだよ。まだ、ね」
「予定でもあるような言いかただわ」
「そう遠くないうちに起こり得ることだな」
彼はサマンサの反応を見ている。
最初に屋敷を訪ねてきた時から、サマンサは彼を恐れてはいなかった。
さっき彼女自身が言ったように、害されるとは思わずにいたからだろう。
だが、彼が、ほかの者に対して取る行動までは想像していなかったはずだ。
「どこかと戦争をするわけではないでしょう?」
「そこまで剛毅ではないよ」
「大公様は、敵兵数十万を、ひと晩で壊滅させたとされているわよね?」
「当家の文献によると、事実のようだ」
サマンサは、くるんっとターンをしても、軽々と体勢を維持している。
体型を考えれば、相当に練習を積んできたのは間違いない。
披露する場はなかっただろうけれども。
(ティモシー・ラウズワース。馬鹿な男だ。彼女の真価もわからずにいたとは)
サマンサは、例の夜会でティモシーの真意に気づくまで、尽くしてきたはずだ。
幼い憧憬から、年齢に伴い、その心は恋へと変化した。
彼女は、確かにティモシーを愛していたのだ。
復縁は有り得ないと、サマンサは言っている。
だが、それは両親や家門を守るための選択をした結果だ。
彼女の心にティモシーがいないとは言い切れない。
自分でも、なぜそれが気になるのか、気づいている。
愛とは無関係であっても、サマンサに好意をいだいていた。
彼が、彼女に女性的な魅力を感じていると言っているのは戯言ではない。
なにしろ、サマンサは面白い。
そして、彼を理解していた。
割り切ったというほどではなく、けれど踏み込み過ぎないような、ちょうど良い距離感でつきあいたいと思っている。
その「ちょうど良い距離感」の中に、本当は、ベッドでのことも含めたいのだ。
「おかげでロズウェルドは長く平和を保っているじゃない?」
サマンサは、彼の内心には気づかず、話を続けていた。
彼は、サマンサの聡明さに強く惹かれている。
説明を省略しても、話が通じるところやなんかに。
「あなたには、アドラントの平和を保つ義務があるものね」
「そこまで大袈裟なことになるかはわからない」
「なるに決まっているわ。あなたと私では認識している規模が違うのかもしれないけれど」
彼は、サマンサの腰から少し下へと手を伸ばした。
傍目には、サマンサを支えているようにしか見えないはずだ。
「なぜ、そう思うのかな?」
「だって、あなた、人を殺す気でしょう?」
平然と、サマンサが言い放つ。
これほどまでにきっぱりされると、苦笑いを浮かべるしかない。
恐れを知らないにもほどがある。
人は「人を殺す」ということに、少なくない恐怖を覚えるものだ。
野盗などのように、平気で人殺しをする者もいる。
だが、それは、実際には特殊な部類に入ると言えた。
誰にでも「殺してやりたい」というほどの怒りの感情はあるにしても、誰でもが実行したりはしない。
感情に任せて人を殺すより、人殺しになることへの抵抗感のほうが強いからだ。
「きみは、そういったことに、ずいぶんと寛大らしい」
「寛大ではないわよ。でも、あなたはアドラントの主ですもの。私たちの平和は、大公様が大勢の敵兵を犠牲にした上に成り立っている。それを享受しているのに、非道だのとは言えないわ。同じように、あなたがすることに対して非難する気はないってだけよ」
サマンサと、あえて体を密着させながら、彼は顔を近づける。
薄い緑の瞳に嘘はない。
というより、彼女が嘘をつくとは思っていなかった。
サマンサは生粋のティンザー気質だ。
嘘をつくのがいけないことだとか、あたり前の理屈すら必要としていない。
嘘よりも誠実さが先に立つ。
(たとえ相手を思いやる気持ちからであっても、彼女にはついていい嘘などないのだろうな)
彼も嘘はつかない。
ただし、本音も語らない。
自分でも、誠実さには欠けると思っている。
サマンサとは違うところでもあった。
「私がなにをするかもわからないのに?」
「そうね。なにをするかは知らないし、知ったことでもないわ」
「きみを巻き込むことになるかもしれないよ?」
「やめて。もう巻き込んでいるのに、今さら言い訳じみたことを言う必要ある?」
彼は、くすくすと笑う。
具体的なことはともかく、サマンサは本気で条件を守ろうとしているのだ。
彼女が提示した「駒になる」との決意は固いらしい。
どういうことになろうと、彼の「片棒」を担ぐつもりでいる。
「それより……ねえ……ちょっと……」
サマンサの頬が、わずかに赤くなっていた。
彼の手が、腰より下にあるのを、さっきから意識している。
ステップを間違わないようにしつつも、居心地が悪そうだった。
「体を支えてもらわなくても、あなたの足を踏んだりしないわよ?」
「知っている」
「知っている?」
「きみのステップは完璧だし、バランスを崩すとも思っていない」
彼の言っている意味と行動が、今ひとつ理解できていないという顔をしている。
ほかのこととは違い、サマンサは男性とのつきあいかたには疎い。
自らに女性的な魅力がないと思い込んでいるせいだ。
手の位置はそのままに、サマンサの体を引き寄せる。
耳元に口を寄せ、囁いた。
「きみが言ったのじゃないか」
「なにを……?」
「私が破廉恥な男だと言っただろう? それに、私も言ったはずさ」
口を寄せたサマンサの耳が赤くなっている。
悪くない兆候だ。
「きみに女性的な魅力を感じていて、それを証明する手立てを持っているってね」
「そ、その手を、今すぐどかさないと……」
「ステップを間違えたり大声を出したりすると目立ってしまうよ? ここで、今、踊っているのは、私たちしかいないのだからね」
サマンサは少し体をこわばらせたが元の調子に戻り、綺麗にターンをする。
今度は、彼女から顔を寄せてきて、彼に囁いた。
「この人でなしの冷血漢。恥知らずの禄でなし」
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