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前編

踏み出す勇気を 4

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 夜会の当日、彼は本邸に行くより先に、サマンサの元を訪れていた。
 彼が仕立てさせたドレスは、彼女にとてもよく似合っている。
 薄い紫色の、ふんわりとしたドレスだ。
 重なったレースに、細かな刺繍が同色でほどこされている。
 
(私は、もっと露出が多くてもいいと思うが、彼女の好みではないだろう)
 
 サマンサは、口で言うほど「平気」ではないのだ。
 自らの体型を気にしている。
 夜会で聞いた男2人の会話も、彼女を深く傷つけたに違いない。
 
「お気に召したかしら?」
 
 不機嫌顔で、サマンサが振り向いた。
 ドレスのサイズが、ことのほかぴったりなのが、気に食わないらしい。
 なにしろ「採寸」したのは彼だ。
 
 金色の髪が肩で波打っている。
 彼は、鏡に映る彼女とともに、目の前の姿にも視線を走らせた。
 自分の顎を軽く撫で、首を傾ける。
 
「いいね。とても素晴らしい。それはそうと、髪を結ってはどうかな?」
 
 サマンサの表情が、サッと変わった。
 同時に、視線をそらせる。
 気乗りがしていないのは明白だ。
 
 サマンサは、艶のある見事な金の髪を持っている。
 その美しい髪をなびかせるのも悪くはない。
 だが、彼女が髪を結わないのは、自慢するといった理由からではない。
 おそらく、自らの髪が美しいとも思っていないのだろう。
 サマンサにとっては、顔を隠すための道具に過ぎないのだ。
 
 彼女の首は、ネックレスで飾られている。
 中心には、赤とオレンジが混ざった色の宝石があり、全体が花の形に見えるよう周りは大小を取り合わせたダイヤモンドがあしらわれていた。
 同じデザインを小さくしたイヤリングが、揃いになっているのだ。
 
 どちらも、髪を結い上げたほうが映える。
 お付きのメイドであるラナや、マーゴもわかっているに違いない。
 ラナは21歳、マーゴは23歳だったと記憶している。
 勤め人の選定はジョバンニがしているが、報告は受けていた。
 
 栗色の髪に茶色の瞳のラナと、赤毛に焦げ茶の瞳のマーゴ。
 2人は、彼の言葉に、サマンサの近くで、そわそわしている。
 髪を結うのを勧めてはみたが、サマンサが断ったのだろうと察した。
 
「旦那様、よろしいでしょうか」
 
 口を挟んできたのは、ラナだ。
 サマンサが答えられずにいるのを見かねたらしい。
 彼は、ラナへと向き直った。
 
「かまわないとも」
「サマンサ様は、とても美しい髪をしておられます。ですから、おろしておかれるほうが、自然でよろしいかと存じます。結い上げますと、宝飾品は目立ちますが、サマンサ様の雰囲気が損なわれるでしょう」
「それは、きみの判断かい?」
「さようにございます、旦那様」
 
 彼が、勤め人に、あれこれ言うことは、ほとんどない。
 そもそもが、ジョバンニに任せている。
 今も、ラナを責める気はなかった。
 ただ、ほんの少し確かめたくなる。
 
「ふぅん。なるほどね。きみは、私の用意した装飾品が彼女を飾るに相応ではないと言っているわけか」
「い、いえ、そのようなつもりは……」
「だが、髪を結ったほうが映えることくらいは、わかっているはずだ」
 
 ひんやりとした空気が室内に漂っていた。
 ラナもマーゴも、元々、王都の屋敷の勤め人だ。
 彼は王都の屋敷には、たまにしか行くことがなかった。
 曾祖父の代は王都中心だったらしいが、祖父の代からはアドラントでの暮らしが中心となっている。
 そのため、2人はアドラントの勤め人ほど、彼を知らない。
 
 アドラントの勤め人であれば、平気で言い返してきただろう。
 彼が「本気」かどうか、見定めることができるからだ。
 婚約者とされているアシュリー付きのメイドの、リビーことリバテッサならば、この程度で体を縮こまらせたりはしない。
 
「も、申し訳ございません……私は、本当に……」
「謝る必要はないわよ、ラナ」
 
 サマンサが、ラナを庇うように前に出て来る。
 強気の眼差しで、彼を「いつものように」にらんできた。
 彼女の性格からすると、意外でもなんでもない。
 予測はしていたことだ。
 
「あなたは本当に人でなしね」
「おや、冷酷という言葉が抜けているよ?」
「言う必要なんてないわ。あなたと冷酷って言葉は同義だもの」
「ついに省略されるところまで馴染んできたってわけか。いいね」
 
 彼もサマンサと視線を交えたままでいる。
 ラナとマーゴは、心配そうな表情でサマンサを見つめていた。
 本邸にいる勤め人たちとは違い、サマンサに思い入れがあるようだ。
 ジョバンニは、悪くない人選をしたと言える。
 
「私が、このむくんだ顔を隠したがっているとわかっていて、言っているのよね」
 
 ラナが、ハッとした表情を浮かべ、うつむいた。
 マーゴよりラナのほうが、サマンサといる時間が長い。
 ならば、言われずとも気づくことは多かったはずだ。
 サマンサが、内心では容姿にこだわっていることにも、気づいていたのだろう。
 
「でも、私を、それほど気遣ってくれなくても結構よ」
 
 彼は緩やかに口元に笑みを浮かべる。
 やはりサマンサは聡明だった。
 外見など問題にならないほど、魅力的に感じられる。
 
 彼女は、適格に、彼の言動の意味を読み取っていた。
 すなわち、彼自身を理解しているのだ。
 サマンサが意識しているかはともかく、最も近くにいるジョバンニよりも、彼をわかっている。
 
 その冷酷さも含めて。
 
 にもかかわらず、恐れもせず、敢然と、彼に指摘を繰り返してきた。
 なんとも不思議な女性だ。
 そして、興味をいだかせられる。
 
「私は、こちらの勤め人たちと上手くやっているわ。虐められたり、惨めな気分にさせられたりしたことはないの。だから、試すのはやめてちょうだい」
「私は意外に過保護なところがあるようでね」
「よけいなお世話よ」
 
 彼は軽く肩をすくめてみせた。
 そろそろ本邸に戻らなければならない。
 サマンサとのやりとりも、いったん終了だ。
 ちょっぴり残念な気持ちになった。
 
「髪については、きみの好きにしたらいい」
「もちろん、そうするわ」
「結ってくれると、私を喜ばせられるとだけ言っておくよ」
「あなたの好みには興味がないの」
 
 そっけなく言って、サマンサが、そっぽを向く。
 そして、埃でもはらうような仕草で手を振った。
 
「早く、あちらに行って。あの無礼な執事に待たされたくないから」
「わかったよ。では、会場で会おう」
 
 転移しようとしてやめる。
 代わりに、すたすたとサマンサに歩み寄った。
 彼女が、ぎょっとした表情を浮かべたが気にしない。
 すいっと腰を抱き寄せ、頬に口づける。
 
「本当にさ。きみが髪を結ったところを見たくてたまらない。きみの首筋がとても綺麗だと知っていたかい?」
 
 耳元に囁き、今度は転移した。
 言い逃げる、ということを、最近は多用するようになっている。
 でなければ、どこまでもサマンサを追い詰めたくなるからだ。
 
(確かに、私は人でなしだな。ろくでもない)
 
 サマンサと親密な関係になりたいとの気持ちはある。
 彼女に誘われれば、ベッドにもぐりこむのは間違いない。
 とはいえ、それは愛とは無関係なのだ。
 彼女からの愛も求めてはいなかった。
 
 単純な欲望だけではないし、これまでつきあってきた、どの女性よりサマンサに魅力を感じてもいる。
 ただし、仮に、永続的な関係が成り立ったとしても、愛は介在しない。
 
 彼が、愛を否定しているからだ。
 
 対して、サマンサはティンザー気質から愛を諦めはしない。
 結果、彼女とは、ある一定以上に親密になることを避けていた。
 軽く唇を重ねるだけの口づけすらもせずにいる。
 
(彼女から誘ってほしいと言っているのは、かなり本気なのだけれどなあ)
 
 繰り返していても、見込みは薄そうだ。
 サマンサは、ちっとも本気にしていない。
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