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前編

踏み出す勇気を 3

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 彼は連日のようにサマンサの私室にいた。
 なにをするでもなく、ソファに寝転がっている。
 時折、会話を交わしても、サマンサが不愉快になって終わるか、彼が姿を消して終わる。
 
(いったい、なにをしに来ているのかしら。食事は本邸でとっているって話だったけれど、彼女と過ごす時間を取らなくて大丈夫なの?)
 
 彼は婚約者を大事にしていて、傷つけることはしない。
 それは間違いないと判断していた。
 サマンサだって、婚約者を傷つけたいなどとは思っていないのだ。
 そのため、こんなふうに、のんべんだらりと過ごしている姿を見ると、そわそわしてしまう。
 
「今日はまた、ずいぶんと落ち着かない様子だね」
「あなたが、ぼうっとそこに寝転がっているからよ。アシュリリス様と散歩をして来たらどう? 街に出るとか」
「そう言えば、今度、夜会に行くと話していなかったかな」
「そう。それは良かったわ」
 
 サマンサは少しホッとする。
 婚約者との時間を、自分が奪っている気がして、心配だったのだ。
 彼女としては、彼が別邸に来なくてもかまわなかった。
 どうせ不愉快にさせられるに決まっているのに、彼と一緒にいたいわけがない。
 人目を忍ぶため夜にはなるが、中庭を1人で散歩して気晴らしもしている。
 
「ほら、これ」
 
 彼は、寝転がったまま、指先2本で、なにかを投げる仕草をした。
 すると、テーブルの上に封書が現れる。
 夜会の招待状だと、すぐにわかった。
 しかも、その印璽いんじを見て、どこの主催のものか、瞬時に理解する。
 
「ラウズワースの夜会? あなた、この夜会に行くの?」
 
 心臓が、わずかに鼓動を速めた。
 いよいよ「破談」に向けて、彼が動いてくれる気になったのだ。
 思う、サマンサに、彼はこともなげに言う。
 
「きみもね」
「なんですってっ?!」
「当然だろう? 主役が行かなくて、どうするね?」
「そ、それは……そうだけれど……」
 
 彼に任せきりにして自分はなにもしなくていい、とは思わない。
 だが、夜会に「愛妾」を伴うなんて、外聞の悪い話だ。
 大勢の貴族を前に、彼との関係を「誤認」させるのは気が重かった。
 サマンサは大きく溜め息をつく。
 
「きみの晴れ舞台となるのに憂鬱そうじゃないか」
「あなたや両親に外聞の悪い思いをさせるのよ? 確実に破談になるとわかっていても、気が滅入るわ。エスコートをしてくれるあなただって、なにを言われるかわからないし……」
「私は、きみのエスコートはしない」
「え……?」
 
 彼がクッション代わりに頭の下に置いていた右腕を抜き、手のひらをサマンサに向けていた。
 わかるだろう?という仕草だ。
 サマンサの顔から血の気が引く。
 
「あなた、まさか……アシュリリス様も連れて行くつもり……ではないわよね?」
「もちろん、彼女のエスコート役は、私だ」
「なんですってっ?!」
 
 さっきと同じ台詞だが、今度はソファから立ち上がっていた。
 両手を握り締め、彼をにらみつける。
 婚約者と愛妾を同伴するなんて、頭でもおかしくなったのかと思った。
 たとえ14歳という幼さでも「特別な客人」が、どういう意味かくらいは知っているはずだ。
 
 自らの婚約者が、同じ夜会に愛妾も連れて行く。
 傷つかないとは、とても思えない。
 仮に、彼女自身が傷つくことはなかったとしても、評判には傷がつく。
 
「それなら私は行かないわ!」
「これは決定事項でね。きみの意思を尊重する気はないよ」
 
 立っているサマンサを、寝転がっている彼の視線が貫いていた。
 瞳は、ひどく冷たい。
 しばし、にらみあったのち、サマンサは、すとんとソファに腰をおろす。
 誰のためだ、と言われたら、反論できないからだ。
 
「ねえ……本当に大丈夫なの? 私は言われ慣れているから平気だけれど、彼女が傷つくようなことにならない?」
「私は、きみに誓ったはずだ」
「あなたはともかく、周りは口さがない連中ばかりなのよ?」
「だから、私がエスコートをするのさ」
 
 彼が一緒にいれば、嘲笑されることはないのだろう。
 それを許すような彼ではない。
 一応は、納得した。
 サマンサは、晴れやかな登場をしたいとは思っていないのだ。
 自分1人が笑われてすむのなら、そのほうがいい。
 
「きみのエスコートは、ジョバンニがする」
「嫌よ! ジョバンニって、あの執事でしょう?! 彼、私を嫌っているのに!」
「これを機会に、是非とも仲良くなってくれ」
「それは、あの無礼な執事に言ってちょうだい!」
 
 彼は立ち上がって歩いてくると、サマンサの隣に座る。
 そして、左手を取った。
 体が、びくっと震える。
 
 『あの、ぶにゃぶにゃした手で掴まれるかと考えただけで、ゾッとする』
 
 マクシミリアンの言葉が頭をよぎったのだ。
 見た目だけではなく、感触を想像して、人に不快を与える。
 サマンサの心の中、とても深い場所が、じくじくと痛んでいた。
 
 表面上は傷ついていないとしながらも、心の底では、ひどく傷ついている。
 だから、ティモシーとマクシミリアンの会話について、彼に話さずにいた。
 結局、すべて吐露させられてしまったわけだが、それはともかく。
 
「私はアシュリーのエスコートをするが、きみを1人で行かせはしない」
「……別に、かまわないわ。1人でも、私は平……っ……」
 
 いきなり、ぐいっと手を引かれ、体が横にかしぐ。
 頬が彼の肩にぶつかり、びっくりして、サマンサは彼を見上げた。
 
「きみに惨めな思いは絶対にさせないよ、サム、サミー」
 
 じっと見つめてくる黒い瞳に、吸い込まれそうになる。
 心の底まで見透かされている気がして、また気持ちが弱くなった。
 言い返すこともできなくなっているサマンサの顎が、くいっと引き上げられる。
 彼の顔が近づいてきても、サマンサは目を伏せることも忘れていた。
 
 が、唇は重ならなかった。
 口づけられたのは、唇の横。
 
「ドレスも装飾品も用意してあるから、安心しておくれ」
 
 ぱち。
 
 サマンサは、一気に我に返る。
 平静さを装うつもりだったが、勝手に頬が熱くなっていた。
 なにしろ、こんなことをされたのは、生まれて初めてなのだ。
 ティモシーには、夜会以外では手も握られていなかったし。
 
「ドレスって……また私の部屋に勝手に入ったの?」
 
 この場合の「私の部屋」は、ティンザーの屋敷のほうを指している。
 頬は熱いが、意地でも狼狽うろたえた姿は見せたくないと、サマンサは必死だ。
 彼が反対の手を伸ばしてくる。
 また体がびくっとした。
 今度は「なにをされるのか」という警戒からだ。
 
「こちらで仕立てさせたものだよ、サミー」
 
 彼の手がサマンサの額にかかる髪を、ゆるくかきあげる。
 額が露わになり、ひどく心もとなくなった。
 父や兄が親しみをこめて、額や頬に口づけることはある。
 彼だからといって、怯むことはない。
 気持ちを、なんとか立て直す。
 
「私、採寸をした記憶がないのだけれど、眠っている間に小さな職人でもやってきたのかしら?」
「きみの寝室に私以外の者が入ろうとしたら、それが小さな職人であっても、ただではおかないね。ちなみに採寸は、私がした」
「いつ? どういうこと? 魔術でも使ったの?」
「魔術など必要ないさ。目と手があればね」
 
 少し考えたあと、カッとなった。
 彼の手を振りはらって立ち上がる。
 
「よくも、そんな破廉恥な真似ができたわねっ! 冷酷で人でなしなだけじゃ足りないというのっ?! 人の手紙を読む恥知らずではないかもしれないけれど、別の意味で、あなたは恥知らずだわっ!」
「きみには、あの薄い紫が、よく似合うだろうなあ」
「あ、あなたって人は……っ……いつだって私をからかって……っ……」
「からかってなどいないさ。だが、あまり怒らせるのも良くないな。きみを、ぶっ倒れさせたくはないのでね。夜会、楽しみにしているよ、サミー」
 
 言いたいことだけを言い、彼は姿を消し、花があふれた。
 サマンサはソファに、どすんと腰を落とす。
 彼の言う通り、ぶっ倒れそうだったからだ。
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