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前編

思惑もそれぞれに 4

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「ハワード、きみの息子には苦労をかけるね」
「なにを仰いますか。親の私が申しあげるのは、いささか気恥ずかしいのですが、息子は非常にしたたかです。案外、楽しんでいるのではないかと思っております」
 
 彼は小さく笑った。
 ラペル公爵家当主ハワード・ラペルは、真面目くさった顔のままだ。
 彼の前で笑っていいものか、判断しかねているのだろう。
 焦げ茶に深緑の瞳は、あまり息子とは似ていなかった。
 
 会うことは少なくとも、つきあいは長い。
 そのため、ハワードは冷や汗をかかずにいる。
 だが、彼を恐れていない、というわけではないのだ。
 信頼を裏切ってはいない証として、平静さを保っている。
 
 こういうところでも、ティンザーは違うと感じた。
 ティンザーは、本当に後ろ暗くないので、証する必要すらない。
 
「アシュリーは、以前に比べて、ずいぶんと消極的になっているようだ」
「ハインリヒのせいでしょうね」
「あのろくでもない従兄弟か」
 
 アシュリーには、今年20歳になる従兄弟がいる。
 自分勝手で粗野な性質だと、報告は受けていた。
 アシュリーを己のものにするため、様々な画策をしてきたらしい。
 だから、彼は先手を打ち、彼女をアドラントに連れ去ったのだ。
 
「マルセルとグネヴィアは、アシュリリス様の両親であるにもかかわらず、まるでアテになりません。分家に家督を売り渡す気で贅沢三昧しておりますから、ハインリヒの言いなりです」
「彼がアシュリーになにをしようが、とがめずにいるのだね」
「咎めるどころか、見て見ぬふりのようです。息子が言うには……」
 
 ハワードが言いかけた時、扉が叩かれた。
 ここは、ラペル公爵家の中にある、特別な客室だ。
 ちらっと、ハワードが彼に視線を投げてくる。
 イスに座って、いつものように頬杖をついていた彼は、反対の手を振った。
 
「入りなさい」
「失礼いたします。公爵様、父上」
「おい、ハインリヒから目を離すなと言っておいただろう」
 
 咎められても、フレデリックは軽く肩をすくめただけだ。
 悪びれた様子はない。
 ハインリヒと同じ20歳にしては、かなり肝が据わっている
 
 薄茶色のゆるい巻き毛を、わざとらしくかき上げた。
 その手で大仰に弧を描き、彼に深々と頭を下げる。
 さながら舞台道化師のように。
 
 フレデリックは、今時のスノッブくさい若者風な貴族服を身につけていた。
 いかにもな「俗物」を気取るのが、若者の間では流行っている。
 頭を下げた際に翻った上等な上着の下に、サスペンダーが見えた。
 首には、こ洒落てはいるが、安物の、青い小さなガラス玉のついたネックレスを下げている。
 
「幼い頃、公爵様に頭を撫でていただいたことを覚えております」
「あれは、きみが5歳の時だったな」
「公爵様に覚えていただけていたとは……なによりの喜びにございます」
「きみたちとは、表だって懇意にすることはできないのでね」
「もちろん承知しておりますとも。でなければ、私の存在など、なんの意味もなくなりましょう」
 
 フレデリックは薄青色の瞳を輝かせ、少し頬を上気させていた。
 本気で、彼と会えたのが嬉しいらしい。
 彼の中では、これといってなにかしたという記憶はないのだが、フレデリックにとっては違うのだろう。
 
「父上だけ、こうして公爵様にお会いしているというのは、ずるい気がいたしますが、それは肯としましょう。ちなみに、ハインリヒは、アシュリリス様を取られた怒りから、小ホールを、まったくの駄目にしてしまいました」
「おやおや。マルセルとグネヴィアの散財が、無駄金になってしまったね」
 
 フレデリックは、受け持ちを勝手に離れてきたのではなさそうだ。
 ご機嫌な様子からも、それは見て取れる。
 重要そうな情報を、早く報告したくて飛んできたに違いない。
 
「それで? フレディは、なにを持ってきてくれたのかな?」
「ああ、やはり、そちらのほうがいい」
「フレデリック! 公爵様にお答えせんか!」
「だって、父上、あいつったら、僕をフリッツなんて呼ぶのですよ?」
「それは、ゾッとしないね」
「まったくです」
 
 大きくうなずいてから、フレデリックが楽しげに口元に笑みを浮かべた。
 
「奴は祖父のところに行きました。さすがについては行けませんでしたが、もし必要があれば、どうにかこうにか、奴を口説き落とすことはできるでしょう」
「いや、フレディ。無理をする必要はないさ。変に疑われることになれば、それこそ、きみの価値が下がってしまうからね」
「かしこまりました」
 
 ハインリヒの祖父は、手広く商売をやっている商人だ。
 アドラントでも商売をやっている。
 食料品から雑貨まで、本当に手広い。
 その商人が、己の娘を子爵家の分家に嫁がせ、産まれたのがハインリヒだった。
 
「フレディ、きみに頼んでもいいかい?」
 
 フレデリックの瞳が、いっそう輝きを増した。
 彼から直々に指示されるのが、嬉しくてたまらない様子だ。
 しかし、なぜそれほど懐かれているのかは不明だった。
 彼にとっては、たった1度、頭を撫でたことがある少年に過ぎない。
 
「今度、ラウズワース主催の夜会があるのは知っているね」
「はい。当家にも招待状が届いておりました」
「ハワード?」
「すでに渡しております」
「よろしい。では、フレディはハインリヒと一緒に、その夜会に来るように」
 
 あらかじめハワードには、ラペル公爵家に援助を申し出る者がいれば、見境なく受けるように言ってある。
 その商人からも、不必要なほど援助を受けているのだ。
 
「カウフマンか。どうなのだね、ハワード」
「気持ちの悪い男ですよ、公爵様。物腰はやわらかで、いかにも商人のへつらいかたをしておりますが、掴みどころがないのです。奴から、ラウズワースの夜会の同伴用招待状をくれと言われ、深く考えていないといった様子で渡してやりました」
「子爵家じゃ、公爵家のみの夜会に出席できないので、父上に頼んだのでしょう」
 
 彼は、ほんのわずか考える。
 確かに、ラウズワースの夜会には、彼も出席するつもりでいた。
 だとしても、まだ招待状に返事は出していない。
 本当に、間近になってから返事を出すようジョバンニに手配させている。
 彼がアシュリーを同行して夜会に出席することは、主催者であるラウズワースも知らないはずだ。
 
「へえ、こいつは面白いな」
 
 彼は、口元に酷薄な笑みを浮かべる。
 ハワードの言う通り、ハインリヒの祖父、商人カウフマンは普通ではない。
 おそらく出入りの商人から情報を仕入れているのだろう。 
 そこからローエルハイドの屋敷には令嬢が「2人」いると予測した。
 
(ティンザーにサマンサがいないことと、私の屋敷での買い付け量とを結びつけているわけだ。サマンサが、私の元にいるのを察している)

 ハインリヒはアシュリーのことでカウフマンに相談をしたに違いないので、1人が誰かはわかったはずだ。
 となると、あと1人は誰なのか。
 王都から姿を消している「令嬢」ということになる。
 
(夜会のことは……仕立屋か。ドレスを2種類仕立てさせているなら、当然、出席するのも2人の女性。仕立て上がりの時期と一致する夜会は、ラウズワース主催のものだけだ)

 カウフマンは、そこまで推測しているに違いない。
 だから、前もって「準備」をしている。
 アシュリーがアドラントを出て王都に来るのを好機としているのかもしれない。
 
 それほど孫想いの人物には思えなかったが、明確な意図は、ハワードの言うように、掴みどころがなかった。
 カウフマンの思惑は、今後の動きで判断するしかなさそうだ。
 アシュリーの安全を確保するため、ひとまず彼とサマンサのほうに注意を向けさせることにする。
 
「フレディ、きみは、せいぜい私を馬鹿にしてくれたまえ」
「そんな……お慈悲をかけてくださいませんか、公爵様」
 
 顔をしかめているフレデリックに、彼は小さく笑った。
 フレデリックは、まるで散歩を嫌がる犬のような顔をしている。
 彼は、立ち上がり、フレデリックの頭を撫でた。
 
「私のためだと思って、頼むよ、フレディ」
「……しかたがありません。せいぜいやってみることにいたしましょう」
「息子は公爵様に甘えたくて、ごねてみせただけなのですよ。甘やかすことはございません」
「まぁ、いいじゃないか、ハワード。実際、フレディは、よくやってくれている。たまには褒美もなければ、やりがいもないさ」
 
 フレデリックは満面の笑みで、彼を見ている。
 父親の言うことなど、まったく聞いていないようだ。
 
「僕が、しくじりをおかしたら、どうぞ切り捨ててください。命を賭すつもりで、お仕えしておりますので、恨むことはありません」
「まさか。きみにはハワードのあとを継いでもらう予定なのだから、命は大事にしてもらわなくちゃあね」
 
 もう1度、フレデリックの頭を撫でておく。
 フレデリックは重要な駒だった。
 先々で起こりうるジョバンニの「しくじり」を、帳消しにするための働きをしてもらわなければならない。
 その前に死なれては困るのだ。
 
「僕は、公爵様の手のひらで踊るのが大好きな道化師にございます」
「覚えておくよ、フレディ」
 
 フレデリックからの報告で、いくつかのことがわかった。
 こちらも準備をする必要がある。
 
「また連絡する。良い後継者を持ったね、ハワード」
「恐れ入ります」
 
 2人が頭を下げているうちに、彼は転移でアドラントに帰った。
 私室に冷たい空気があふれる。
 70年の間に降り積もった埃をはらうのには、少々、時間がかかりそうだ。
 だが、次の代へと持ち越すことはできない。
 
(私が、祖父と父の後始末をせねばなるまいよ)
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