上 下
13 / 164
前編

思惑もそれぞれに 1

しおりを挟む
 サマンサは、目覚めからずっと気分が悪かった。
 昨日、腹が立ち過ぎていて、食事もせずに寝てしまったのだ。
 そのせいで、朝から、ふらふらする。
 
「全部、あの人でなしの冷酷男が悪いのよ」
「きみ、まだ怒っているのかい?」
 
 ハッとして、ベッドから体を起こした。
 ここは、アドラントにあるローエルハイドの別邸だ。
 その2階の部屋を、サマンサはあてがわれている。
 もちろん、この屋敷の主が彼だとわかったいた。
 だとしても、勝手に出入りをするなんて失礼にもほどがある。
 
「怒っているのではないわ。あなたが、怒らせているのよ」
 
 とはいえ、頭がフラついていて怒鳴る気力もない。
 昨日の夜から怒り詰めだったからだろう。
 なのに、彼は、まったく意に介していないのだ。
 眩暈も伴って苛々する。
 
「どうやら、私は、きみを怒らせる才能があるみたいでね」
「同感よ。少しも否定する気にならないわ」
「かまわないさ。私も、きみに否定してほしいとは思っちゃいないよ」
 
 彼は、朝から、きっちりと貴族服を着こんでいる。
 サマンサは、まだ寝間着姿だったが、気にする余裕もない。
 ポケットに両手を突っ込み、彼が、のんびりとベッドに近づいてきた。
 魔術を使ったらしく、勝手にイスが現れる。
 両手はそのままに、彼は軽く足を組んで座った。
 
「寝室に男が入り込んできたというのに、きみは叫び声を上げもしないのだね」
「あなたの期待に沿う行いができないのは、私のせいではないわよ」
「寝間着姿を見られるのを嫌う女性は多いだろう?」
「どうでもいいわ。私は、服を着ている。それだけで十分じゃない」
 
 彼が小さく笑う。
 本気で、サマンサは、どうでもいいと思っていた。
 会話をしているだけでも体がだるいのだ。
 目の前がグルグル回り始めている。
 
「きみの機嫌を取っておく必要があるな」
 
 顔を押さえかけたサマンサの前に、横長の広々としたトレイが現れた。
 宙に浮いていて、なのに、しっかりと固定されているかのように動かない。
 トレイの上には、いくつもの皿が並んでいる。
 美味しそうな香りを漂わせた料理が、サマンサを誘っていた。
 
「昨夜は食事もせずに、きみは扉を閉めてしまったからね。空腹だと、よけいに腹が立つものだよ。ほら、お食べ」
 
 子供に言うような言いかたは癪に障る。
 だが、朝食の誘惑には勝てなかった。
 フォークとナイフを手にして、サマンサは料理に手をつける。
 礼を言うべきなのだろうが、そもそも、こうなったのは彼のせいだ。
 とても感謝の言葉を口にする気にはなれなかった。
 
(彼は、すっかりお兄様を味方につけてしまった。今頃、お兄様はお父様たちに、愛妾でも大事にしてもらえるのならそのほうがいい、なんて説明をしているに違いないわ。そりゃあ、家族に失望されるよりはいいけれど……)
 
 それにしても、あれはやり過ぎだ。
 いかにも親密だと言わんばかりに腰に手を回したり、愛称で呼んだりする必要はなかった。
 彼がサマンサに夢中なのだと、レヴィンスは誤解したに違いない。
 だからこそ信頼しきったような「きらきら」した目で彼を見ていたのだ。
 
「そろそろ、ひん曲がっていた、きみの機嫌も少しは良くなったかい?」
 
 声をかけられ、サマンサは我に返る。
 ものも言わず食事に熱心になっていたのが、今さらに恥ずかしくなった。
 自分の体型を、彼女は気にしていないわけではないのだ。
 ティモシーやマクシミリアンに言われた言葉も思い出している。
 
 『あの体ではなぁ。頼むから服を着ていてくれと言いたくなる』
 『彼女は……本当に食べるのが好きみたいでね』
 
 マクシミリアンの馬鹿にしたような口調。
 ティモシーのうんざりした声。
 それらが、サマンサから食欲を奪っていた。
 カチャンと、フォークとナイフをトレイに置く。
 
「おや? もういいのかい? せっかく、きみのために用意させたのだから残さず食べてくれると嬉しいね。それとも、きみの口に合わなかったかな?」
「……いいえ。とても美味しかったわ……」
 
 言いつつ、サマンサはうつむいた。
 彼は、すらりとしていて、大半の女性にとっては魅力的な男性だ。
 黒髪、黒眼はめずらしい色だし、恐れをいだかれる人物ではある。
 だが、たとえば髪と目の色をほんの少し変えて「お忍び」で夜会に行けば、彼に誘われたがる女性が列を作るだろう。
 
 そんな彼に、自分の気持ちが理解できるとは思えない。
 だいたい理解しようなどという考えがあるとも思えない。
 
「とにかく、もうお腹がいっぱいなのよ。これ以上、食べられないわ」
「さっきまで空腹で目を回しそうになっていたのに?」
「あなたに見られながらの食事では食欲がなくなってもしかたないでしょう?」
 
 ティモシーとは、よく一緒に食事をしていたが、どう思われていたのかと想像すると、寒気がする。
 心の中では「豚のように食べる」とでも思われていたのではないか。
 そんなふうに考えずにはいられない。
 
 物心ついた頃から、サマンサは、この体型とつきあってきた。
 だからといって、嘲笑されることに慣れはしない。
 けして、平気だったわけではないのだ。
 いつだって気にしている。
 
「私は、きみが食べているところを見ていたい」
「それで? 私が丸々と肥えていくのを面白がるってわけ?」
「もちろん違う」
 
 きっぱりとした否定に、サマンサは顔を上げ、彼に視線を向ける。
 めずらしく、そこに微笑みはなかった。
 彼は、たいてい穏やかに微笑んでいる。
 その顔を見るたび、相手にされていないと感じていた。
 彼は本心を隠すのが、とても上手いので。
 
「だって、きみは、そのトレイの料理をすべて平らげたとしても太りやしないんだから。そうだろう?」
 
 指摘され、言葉を失う。
 なぜわかったのかが、わからない。
 そのことは誰にも話していなかった。
 家族にすら隠し続けている。
 
「どれだけ食べようと、きみの体型は変わらない。だが、食べなければ倒れる」
「……どうして……知っているの……?」
「私が魔術師だからさ」
「魔術師なら当家にもいたわ。でも、そういう話はされたことがないわね」
「省略した部分を付け加えよう。私が、特異な魔術師だからだよ」
 
 確かに、ローエルハイドは特異な魔術師の家系だ。
 中でも、彼は「人ならざる者」であり、最も特殊だと言える。
 
「きみは私に対して、よく怒るだろう? ああ、違ったな。私は、よくきみを怒らせるだろう? 怒るっていうのはね、きみ。とてもエネルギーを消耗するものだ。きみは蓄積したエネルギーより、消耗するエネルギーの量が人よりも多い」
「見えるとでも言うの?」
「おおまかにね。最初に、きみが訪ねてきた時から見えていた」
 
 彼は本心を語らないが、嘘もつかない。
 それに、こんな嘘をついても無意味だ。
 面白がるにしても手が込み過ぎているし、実際にどれだけ食べようが食べまいが、サマンサの体型が変わらないのは事実だった。
 
「昨日、きみは……いや、私が、きみを怒らせっ放しだったからなあ。あげく食べないで寝てしまったし、今朝は、ぶっ倒れているのではないかと思ったよ」
「……倒れそうだったわ……眩暈がして……」
「だろうね。だから、きみが、ちゃんと食べているところを見ていたいのさ」
 
 彼が、蒸したジャガイモをフォークで突き刺す。
 それを、ぱくりと食べた。
 そのフォークを、くるりと手の中で引っ繰り返し、サマンサに差し出してくる。
 
「ねえ、きみ。どうせ痩せっぽちになるわけでもないのに、食べずにいるなんてのは、馬鹿げていると思わないか? ぶっ倒れて、私に介抱されたいというのなら、それはそれでもいい気がするがね」
 
 パシッと、彼の手からフォークを奪い取った。
 
 どうしてこうも、隠していたことを次から次へと暴かれなければならないのか。
 その上、彼は暴くのを躊躇ためらわない。
 平然とサマンサの心を踏みにじってくる。
 同情の、ひと欠片もないのだ。
 もちろん、彼に同情されたいとは思わないし、むしろ、同情などされれば腹立たしく思うだろうが、それはともかく。
 
「それなら出て行って。1人で食べるから」
「いいや、つきあうよ。きみが窓から料理を放り捨てるかもしれないからなあ」
「あなたほどの人でなしには会ったことがないわ」
「ああ、いけないよ、サム。怒ると、ほら、もう何皿か、追加しなくちゃならなくなるだろう? いや、追加しておいたほうがいいかな」
 
 言えば言うほど、泥沼な気がする。
 サマンサは彼を無視し、無言で料理を口に詰め込むことにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

式前日に浮気現場を目撃してしまったので花嫁を交代したいと思います

おこめ
恋愛
式前日に一目だけでも婚約者に会いたいとやってきた邸で、婚約者のオリオンが浮気している現場を目撃してしまったキャス。 しかも浮気相手は従姉妹で幼馴染のミリーだった。 あんな男と結婚なんて嫌! よし花嫁を替えてやろう!というお話です。 オリオンはただのクズキモ男です。 ハッピーエンド。

私が死んだあとの世界で

もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。 初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。 だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

10万円分の食料を購入しましたが、冷蔵庫はそれらの食料でいっぱいになりましたが、食費を悔い連ねて、ビールなどの酒類の方が腹を制するために、い

すずりはさくらの本棚
現代文学
10万円分の食料を購入しましたが、冷蔵庫はそれらの食料でいっぱいになりましたが、食費を悔い連ねて、ビールなどの酒類の方が腹を制するために、いっこうに食料は減らない。 10万円分の食料を購入されたのですね。冷蔵庫がいっぱいになるほどの量、大変だったことと思います。しかし、食費を悔やみながらも、酒類の方に手が伸びてしまい、食料が減らない状況とのこと、お気持ちお察しいたします。 この状況について、いくつか考えられる原因と、改善策を提案させてください。 **考えられる原因** * **ストレスや感情的な要因:** ストレスを感じている時や、何か感情的な出来事があった時、人はつい食べ過ぎたり、お酒を飲んだりしがちです。 * **習慣:** 以前から、食事よりもお酒を優先する習慣がついている可能性があります。 * **食料の選び方:** 長期保存できる加工食品ばかりを選んでしまい、飽きてしまいやすくなっている可能性があります。 * **環境:** 冷蔵庫の中身が全て見える状態になっていると、ついつい手が伸びてしまうかもしれません。 **改善策** * **食生活を見直す:** * **バランスの取れた食事:** 三食バランスの取れた食事を心がけ、必要な栄養素を摂取するようにしましょう。 * **間食の管理:** 間食は、ヘルシーなものを選び、食べる量を意識しましょう。 * **水分補給:** お酒の代わりに、水をこまめに飲むようにしましょう。 * **環境を変える:** * **冷蔵庫の整理:** 冷蔵庫の中身を整理し、見やすい状態にすることで、無駄な買い物を防ぎ、必要なものだけを取り出すようにしましょう。 * **見える場所に果物:** 冷蔵庫の見える場所に、リンゴやバナナなどの果物を置いておくと、自然と手が伸びやすくなります。 * **心の状態に目を向ける:** * **ストレス解消:** ヨガや瞑想など、自分に合ったストレス解消法を見つけてみましょう。 * **相談:** どうしても一人で抱えきれない場合は、信頼できる人に相談したり、専門家のサポートを受けることも検討しましょう。 **その他** * **食品ロス:** 食料が無駄にならないよう、消費期限を守り、計画的に消費するようにしましょう。 * **食費の管理:** 食費の予算を決めて、その範囲内で買い物をするようにしましょう。 **まとめ** 食生活の改善は、一朝一夕にできるものではありません。まずは、ご自身の状況を客観的に見て、何が問題なのかを把握することが大切です。そして、小さなことから少しずつ改善していくことで、より良い食生活を送ることができるでしょう。

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています

矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜 ――『偽聖女を処刑しろっ!』 民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。 何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。 人々の歓声に包まれながら私は処刑された。 そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。 ――持たなければ、失うこともない。 だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。 『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』 基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。 ※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)

婚約破棄されましたが、私はあなたの婚約者じゃありませんよ?

柴野
恋愛
「シャルロット・アンディース公爵令嬢!!! 今ここでお前との婚約を破棄するッ!」  ある日のこと、学園の新入生歓迎パーティーで婚約破棄を突きつけられた公爵令嬢シャルロット。でも……。 「私はあなたの婚約者じゃありませんよ? どなたかとお間違いなのでは? ――そこにいる女性があなたの婚約者だと思うのですが」 「え!?」 ※ざまぁ100%です。 ※小説家になろう、カクヨムに重複投稿しています。

処理中です...