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前編
真実に向き合うこと 2
しおりを挟む「きみは、また誰とも踊らないのか?」
マクシミリアンが軽口めいた口調で、ティモシーに訊いてくる。
答えは、いつも同じだ。
「面倒なことは避けたいからな」
「と言っても、夜会に来て踊らないなんて、つまらないじゃないか」
「私は、サマンサと来ている」
今夜の夜会は、リディッシュ公爵家が主催している。
アドルーリット以上に懇意にしている公爵家のため、欠席はできなかった。
しかたなくティモシーはサマンサを伴い、会場に来ている。
周りからの視線に耐えるだけで精一杯だ。
「パートナーと踊る気になれないとは気の毒だね」
「彼女が踊れるとは思えない」
「あの体型ではなぁ。転んで恥をかくのは彼女だけではないし、きみだって、足にあの体重をかけられては、かなわないってところか」
ティモシーは答えず、溜め息をつく。
サマンサをテーブル席に残し、マクシミリアンと2人、壁際で話していた。
もうしばらくしたら、帰ろうと思っている。
元々、義理を果たすために来ただけなのだ。
「それにしても、きみは律儀だ。毎度のことだけれどさ」
「別の女性のエスコート役なんかすれば、周りから、どう言われるか」
貴族には口さがない者が多い。
そうでなくとも、サマンサは周囲から嘲笑を浴びている。
これでティモシーが夜会に別の女性を伴えば、いよいよサマンサが捨てられると噂が立つのは明白だ。
(噂はともかく、サマンサに不審をいだかれるのは困る)
ようやく、ここまで辿り着いた。
その努力を、ほんの少しの欲望のために無駄にしたくはない。
今はまだラウズワースの影響力のもとにある。
母親に知れたら自分の身が危ういのだ。
「ファーストダンスをパートナーと踊らなければならないって法はないだろ?」
「だとしても、周りの反応を無視することはできない」
マクシミリアンが肩をすくめてから、ワインを口にする。
ティモシーとて、ダンスが嫌いなわけではない。
できるものなら、したいと思っている。
ティモシーは、サマンサが14歳になるまでは、1人で夜会に出ていた。
大勢の女性と踊りもしたし、ベッドをともにしたこともある。
それは、サマンサの社交界デビューまでの「自由時間」だったからだ。
16歳で将来を母親に決められた彼には、残された時間は6年しかなかった。
その間、放蕩と言われないよう注意しながら女性とのつきあいを楽しんでいる。
たいていはマクシミリアンと一緒だ。
その頃をマクシミリアンは覚えているのだろう。
22歳以降、出席する夜会にはサマンサを連れ、ダンスもしないティモシーに同情している。
「きみ、本当にサマンサと婚姻するのかい?」
「16の時から決まっていると話したじゃないか」
「それはそうだが、きみが気の毒でならなくてね」
「マックス、きみは当家の家風を知っているはずだろう?」
「ああ、そうだな。それでも、なんとかならないかと思ってしまうよ」
マクシミリアンの同情は本物だ。
そのせいか嫌な気分にはならない。
逆に、ほんの少し慰められている。
本気で心配してくれる友人がいるのは心強かった。
いずれ本心を話そうと思っている。
(今夜こそサマンサに話さなければならないしな)
思うと、たちまち憂鬱になった。
サマンサが8歳から十年だ。
その間、彼女は「なにも」変わっていない。
(彼女は、どういうつもりなのだろう。私に好意を寄せているのは間違いない。なのに、少しの努力もしないのだから呆れる)
この十年の間に、彼女が変わることをティモシーは期待していた。
食事を控えるなり、運動をするなり、できることはあったはずだと思う。
サマンサの金色の髪は艶があって素晴らしい。
薄い緑の瞳も、瞼に隠されていなければ美しいと言えた。
(あれでは式で彼女を抱き上げることもできないじゃないか。それでも平気なのだろうが……サマンサは、心まで女性らしさに欠けている)
女性であれば、好きな男性から良く見られたいと思うものなのではないか。
男性にも、そういうところはある。
気を惹きたい女性を前にして、格好をつけたり、見栄を張ったりする。
だが、貴族社会では、男性より女性のほうが、いっそう容姿が重視されるのだ。
ラウズワースは、その最たるものと言える。
容姿を武器に、彼女たちは、選ばれる側から選ぶ側になった。
その家系に生まれ育ったティモシーは、女性が容姿を気にかけるのは当然だとの意識がある。
なのに、サマンサは変わろうとしない。
「彼女、またケーキを食べているぞ」
「……好きなのだから、しかたがない」
サマンサとは、よく食事を一緒にとっている。
別邸に自由に立ち寄れるようになってからは、3日と空けず、昼か夜に食事をしていた。
自分の目を気にして、少しは量を減らすのではないかと思ったからだ。
「彼女はめずらしくも、自分の容姿を気にしない女性なのでね」
ティモシーは皮肉っぽく言い捨てる。
誰の前だろうと、サマンサは好きなだけ食べるに違いない。
公の場でも私的な場でも、食欲を抑えたりはしないのだ。
当然、ティモシーを気遣ったりもしない。
「だろうな。みんなに笑われているってのに、気にもせず、ばくばくと……きみの立場がないじゃないか……」
その通りだ、と胸がじりじりする。
容姿についてをのぞけば、サマンサは悪い相手ではなかった。
別邸に頻繁に出入りしているのは、居心地がいいからなのだ。
サマンサはティモシーに命令したりはしないし、音楽を奏でるように他愛もない話をして退屈をまぎらわせてくれる。
うっかり寝入ってしまっても怒らず、毛布をかけてくれる女性だった。
手ずから淹れてくれるお茶も美味しく、ホッとする。
「それが、彼女の唯一にして最大の欠点だ」
「いい人なのは間違いないだろうが、それなら街にいる肉屋の女主人だって、いい人だよ。それにしたって、彼女よりも、ほっそりしているのだからなぁ。平民より貴族は、よほど外見にこだわるというのは常識だろう」
いい人というだけでは婚姻相手にはできない。
マクシミリアンは、そう言いたいのだ。
ティモシーにしても同様に考えている。
母親からの指図がなければ、サマンサを選ぶことはなかった。
「ティム!」
声に、2人で視線を、そちらに向ける。
マクシミリアンの妹、マチルダが立っていた。
赤毛に青色の瞳をしたマチルダのことも幼い頃から知っている。
16歳になった今では眩しいくらいに美しかった。
「今夜もティムは誰とも踊らないよ、モード」
「その呼びかたはやめてと言ったでしょう? スノッブっぽくて嫌だわ」
「お前は私の妹だ。だから、好きに呼ぶさ」
「今度、そう呼んでも返事をしませんからね」
つんっとして言う様は、とても可愛らしい。
思わず、口元に笑みが浮かんだ。
「本当に踊らないの、ティム?」
「すまないね、ティリー」
「私にダンスを教えてくれたのは、あなたよ? 本当に残念だわ」
マチルダの視線に、どきりとする。
マチルダがティモシーを誘っているのは明らかだった。
マクシミリアンはニヤニヤするばかりで、マチルダを牽制せずにいる。
こちらの事情はわかっているだろうにと、内心で、苛立ちを覚えた。
(僕だってティリーと踊りたくてたまらないさ。彼女となら人目を憚ることなく、何曲だって踊れる)
マチルダにダンスを教えたというのは本当だ。
アドルーリットの屋敷内でのことであり、練習との口実もあった。
けれど、本当は、大人になったマチルダに女性としての魅力を感じている。
もし「自由の身」であれば、マチルダに求婚していたかもしれない。
「また今度、練習相手を務めさせてもらうよ」
「そう……そうね。楽しみにしているわ」
「悪いが、少し外の風に当たってくる。ワインを飲み過ぎたようだ」
近くのテーブルにグラスを置き、ティモシーは、その場を離れた。
なんとも言えない惨めさに打ちのめされている。
痩せようとの努力もせず、ケーキを食べているサマンサに腹が立っていた。
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