上 下
4 / 164
前編

決断したからには 4

しおりを挟む
 ティモシー・ラウズワースは、少しばかり不機嫌だった。
 眉をひそめ、高級なワインを口にしている。
 隣にいる幼馴染みが、ニヤついているのも気に食わない。
 どうせ、すぐにもからかってくると、わかっていた。
 
「いやに不景気な顔をしているじゃないか、ティム?」
 
 案の定だ。
 理由がわかっていて、面白がっている。
 が、ティモシーからすれば、少しも面白くない。
 だから、不機嫌なのだ。
 
「別邸に行っていたにしては、お早いご帰還だったけれど、それと関係が?」
「マックス、僕が、あまり愉快な気分ではないとわかっているだろう?」
 
 ティモシーとマクシミリアンは、同じ歳で、長いつきあいになる。
 もとより、ラウズワースとアドルーリットは家同士も親しくしていた。
 ティモシーは次男で、マクシミリアンは三男ということもあって、お互いに気の置けない関係であるのは間違いない。
 
 マクシミリアンは、金色の髪を手で軽くかきあげる。
 青い瞳に、悪びれた様子はなかった。
 ティモシーの、薄い金色でしかない髪と、平凡な茶色の瞳に比べれば、いかにも貴族好みの容姿と言える。
 だからといって、引け目を感じたことはない。
 お互いに良いところ悪いところがあると知っている。
 
 やれやれと、ティモシーは溜め息をついた。
 マクシミリアンは、こういう時、追求の手を緩めないのだ。
 しつこく食い下がられると、よけいに苛立ちが募る。
 それよりは、早々に話してしまったほうが気が楽になるかもしれないと思った。
 
「サマンサがいなくてね」
「いない? 街にでも出ているのか?」
「街と言えば、街だが……アドラントまで出かけているらしい」
「は? アドラント? いったいまた、どうして?」
「旅行をしたくなったそうだ」
 
 ティモシーは通い慣れたティンザーの別邸を昼前に訪ねている。
 昼食を一緒にとるつもりだったのだ。
 だが、サマンサはおらず、アドラントに旅行に行ったと、彼女の母親から聞かされている。
 
 1日の予定が台無しになった。
 
 そのせいで、ティモシーは不機嫌になっていた。
 彼は、どちらかと言えば、予定を組み、それを予定通りにこなすのを好む。
 適当で、いいかげんなマクシミリアンとは真反対の性格なのだ。
 もっとも、世渡りという意味ではマクシミリアンのほうが上なのだが、それはともかく。
 
「旅行くらい誰でもするじゃないか。そうピリピリするなよ」
「行くなら行くで、彼女は事前に僕に連絡をすべきだった。これからのことで、こっちは予定を立てていたっていうのに」
 
 ティモシーは自分を知っている。
 臨機応変さに欠けると、わかっていた。
 なにが起きようとも、するりするりとかわしてのけるマクシミリアンが身近にいるため、よけい自覚せずにはいられないのだ。
 
 だから、目的を決め、予定をしっかりと立て、行動をする。
 ティモシーの性に合った生きかただったし、間違いがない。
 貴族は体裁を重んじる生き物だ。
 無様をさらした者には容赦がなかった。
 
 ティモシーは、ちらっとマクシミリアンに視線を向ける。
 幼馴染みが、こういう性格なのは、ティモシーよりも身に迫るものがあったからかもしれない、と思えるのだ。
 
 何世代か前に、次期当主とされていた者が、アドルーリットの主催した夜会で大恥を晒した。
 そのせいで次期当主の座から転げ落ち、辺境の地に蟄居ちっきょさせられている。
 その後の消息は不明だったが、家門の誰も気にしてはいない。
 
 次期当主でさえも、そのさまなのだ。
 三男であるマクシミリアンの立場は弱く、なにかあれば即座に同じ末路を辿るに違いない。
 ティモシーも似たり寄ったりと言えなくもないが、それほど差し迫った状況を肌身に感じたことはなかった。
 
「いよいよ婚約を発表することになったのだっけ?」
「母がうるさく、せっつくものでね。これ以上は引き延ばせない」
「それなら、しかたないさ。きみの母上に逆らうと碌なことにはならないものな」
 
 ラウズワースは女性の力が強い家系だ。
 本家の正妻を筆頭に、分家の側室に至るまで結束している。
 貴族としては異例であると言えるほど、特殊な家風と言われていた。
 なにしろ、正妻が自分の立場に強い執着を持たない。
 
 必要があれば、平気で分家に家督を譲る。
 それは、夫である当主が「言うことを聞かない」場合だ。
 彼女らの意思に沿わない当主はいらない、ということなのだろう。
 あらゆる手を使い、内々で自らの夫の足を引っ張り、当主の座を空けさせる。
 
 その際、正妻の子に適当な後継者がいなければ、分家に家督を譲るのだ。
 彼女らにとって、夫は、ただの記号に過ぎない。
 当主という記号であり、個は無意味。
 彼女らの都合の良い者であることのほうが、重要だと考えている。
 
「うまくやれよ、ティム」
「わかっているさ」
 
 ラウズワースの男たちは、彼女らに頭が上がらないのだ。
 言う通りにしていれば守ってもらえるが、抵抗すれば切り捨てられる。
 夫であろうが、子であろうが、その考えは一貫していた。
 そして、そうした家風が繁栄をもたらしている。
 
 ラウズワースは、大きな蜂の巣なのだ。
 
 女王も働き蜂も、雌で構成されている。
 雄は、ただただ彼女らのために存在していた。
 ゆえに、ティモシーは母親の言うことに、けして逆らわない。
 サマンサのことにしても、彼自身の気持ちとは、まったく無関係なのだ。
 
「きみにサマンサの話を聞いてから十年になるな」
「あの時には、ずいぶんと世話になった」
「たいしたことじゃない。当家にある絵画を見せただけじゃないか」
「きみは、存外、絵画に造詣が深くて助けられたよ」
 
 サマンサ・ティンザーと婚姻しなさい。
 
 母からの、そのひと言で決まっている。
 言われたのは、ティモシーが16歳の時だ。
 そこから、サマンサの父と懇意になるべく努力した。
 興味のなかった絵画を、どれほど勉強したことだろう。
 
 ティモシーは、8歳の彼女にいきなり近づくよりも、長期的な「予定」を立てて行動することを選んだのだ。
 サマンサの両親は、彼女を深く愛していると、知ってもいた。
 その「予定」は、すべて予定通りに進んでいる。
 
 ただひとつ。
 ティモシーには、母親に隠していることがあった。
 
(分家とはいえ当主になるなどごめんだ。ラウズワースに死ぬまで縛られるより、ティンザーの家の養子になったほうが、どれほど気楽に生きられるか)
 
 だが、それを表だって口にはできない。
 マクシミリアンにも話さずにいする。
 当然、母親に対しても、きちんとした理由づけが必要だった。
 それを信じさせるため、のらりくらりと婚姻を引き延ばしてきている。
 
 ティモシーは、母親やラウズワースの呪縛から逃れたかったのだ。
 ティンザーに入ってしまえば、あとはどうにでもなる。
 最初は乗り気でなかったサマンサとの婚姻も、今となっては好機と捉えていた。
 
「具体的には、いつ頃になりそうだ? 確か、1ヶ月後くらいに、きみの家が主催する夜会の招待状が届いていたが」
「そこで婚約を発表して、婚姻は、その3ヶ月後になる」
「その話は、サマンサにしているのかい?」
「当然だ。この前、リディッシュの夜会があっただろう? その帰りに、彼女には話しておいた」
 
 思い出して、また少し不機嫌になる。
 サマンサが、はっきりと答えなかったからだ。
 両親に話してから返事をする、と言われている。
 彼女が両親と仲がいいのは知っているので理解はしていた。
 それでも、自分より両親を優先させたことが不愉快なのだ。
 
 サマンサは18歳になっており、自らの意思で選択できる。
 ティモシーも婚姻を引き延ばしてきた自覚はあった。
 だから、婚姻の話に、彼女が大喜びすると思っていたのだ。
 いちもにもなく、承諾するだろうと。
 
「ああ、そういうことか」
「なにがだ?」
「突然の旅行の意味さ」
「意味があるのか?」
「女ってのは婚姻が決まると、情緒が不安定になると、聞いたことがある。最後の息抜きがしたくなるのだそうだ」
 
 そういうものか、と思ったが、サマンサの行動の意味には納得する。
 彼女はティモシーの邪魔にはならなかったし、別邸は居心地が良かった。
 旅行することで情緒が安定するのなら、我慢してもいいと思える。
 予定は組み直せばすむのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます

神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。 【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。  だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。 「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」  マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。 (そう。そんなに彼女が良かったの)  長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。  何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。 (私は都合のいい道具なの?)  絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。  侍女達が話していたのはここだろうか?  店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。  コッペリアが正直に全て話すと、 「今のあんたにぴったりの物がある」  渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。 「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」  そこで老婆は言葉を切った。 「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」  コッペリアは深く頷いた。  薬を飲んだコッペリアは眠りについた。  そして――。  アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。 「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」 ※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)  (2023.2.3)  ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000 ※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...