281 / 300
最終章 彼女の会話はとめどない
人であり人でなし 1
しおりを挟む「どのツラ下げて、ここに来られたわけ?」
カサンドラの声は低く、冷たい。
無関心などという生易しいものではなかった。
無表情を通り越し、感情の欠落したような瞳で、ティトーヴァを見ている。
正直、すぐに会わせてもらえるとは思っていなかった。
だが、どうしても、直接、カサンドラと会う必要があったのだ。
そのため、ティトーヴァは、中間種を連れ、1人で魔物の国に来ている。
帝国内での動きは、セウテルに命じていた。
当然だが、セウテルは反対したが「皇命」だと押し切っている。
そうまでして、ティトーヴァは、1人で来なければならなかった。
理由は、カサンドラにある。
どうしても、直接、会う必要があったのだ。
しかし、意外なほど、あっさりとカサンドラとの会見は許された。
最初に使者を送った地で、待たされたのは半日程度。
今は、大きな木のうろのような場所にいる。
おそらく「家」なのだろう。
ティトーヴァは、ラーザ侵攻以来、帝国の領土から出たことがない。
交渉の時も、壁から十キロ離れただけだ。
魔物の国に入ったのではなかった。
なので、実際には、どんな暮らしぶりなのかは知らずにいる。
室内と言えるのかはともかく、中は、狭い。
ティトーヴァの私室にある書斎ほどの広さもなかった。
もちろん皇宮の、しかも皇帝の私室と比較するほうがおかしいのだ。
とはいえ、ティトーヴァが皇宮以外で知っているのも「屋敷」くらいだった。
民の家になど入ったことがない。
ましてや、ここは「魔物の住処」なのだ。
ティトーヴァは、両手首を縄のようなものでグルグル巻きにされている。
その上で、床に跪かされていた。
抵抗しようと思えばできたが、していない。
カサンドラと話すことを優先させたのだ。
「あんた、自分の国の者が、なにしたか知ってるんだよね?」
周りは魔物に取り囲まれている。
ジュポナに現れた、あの魔物もいた。
ほかには、狼のようなもの、角のあるもの、木を彫刻したようなものたちだ。
ひどく殺気立っている。
いつ殺されてもおかしくない状況だ。
そのくらいは、たとえ相手が魔物でも感じ取れた。
「魔物を絶滅させるって言ってたらしいけど、停戦中だってこともおかまいなしなわけ? あんたの言う約束って、なんなの?」
ティトーヴァは混乱している。
カサンドラの近くに、あの従僕がいないのも、気になった。
フィッツがこういう状況の中、彼女の傍を離れるのは不自然だ。
そして、カサンドラの話の意味も掴み損なっている。
いくつかの国内での段取りをして、帝国を出たのは5日前。
ホバーレは使っていない。
体力には自信があったが、炎天下の元、歩き続けるのは困難だった。
最も気温の高い時間帯は日陰で過ごさざるを得ず、距離を稼げなかったのだ。
おまけに、途中、魔獣の群れに襲われている。
ティトーヴァが、ファツデという特殊な武器の使い手でなければ死んでいた。
案内役の中間種も戦い慣れていて、少しは役に立ったけれど。
そういう、あれこれがあり、結局、5日もかかってしまっている。
中間種だけであれば、7日もあれば往復できていた。
その中間種は、ティトーヴァとは少し離れた場所で、魔物に体を掴まれている。
縛られていないだけ、ティトーヴァよりマシな待遇だ。
「待て、カサンドラ。お前は聖魔に操られている。先に……」
「馬鹿じゃない? ここに、これだけ魔物がいるのに、聖魔の入って来られる余地なんかない。あんただって聖魔避けに中間種を使ってるくせに」
「し、しかし……この魔物たちは、あの従僕に使役されて……」
「フィッツはそんなことしないし、そんな力ないよ。そもそも人にそんな力があるんなら、魔物を使って聖魔から身を守れてたんじゃないの?」
ティトーヴァは、ようやく自分の中の「矛盾」に気づく。
確かに、その通りだ、と思った。
カサンドラのことに目がくらみ、ロキティスの言葉を信じた時から矛盾が生じていたのだが、気づいていなかったのだ。
カサンドラが自らの意思で、ティトーヴァの元を去ったとは思いたくなくて。
ロキティスの話を、ほとんど受け入れた。
ティトーヴァ自身のした選択だ。
言い訳にもならないのだが、それでもあの時からティトーヴァの判断は狂い始めている。
そのことに、本人も気づかずにいた。
「カサンドラ……俺は5日前に帝都を出た。その後……なにがあったのか知らんのだ……停戦中だと思えばこそ、ここに来た」
セウテルを説得する時にも言っている。
現状、魔物の国とは停戦中なので殺されることはない、と。
「そうでなければ、殺されるとわかっていて、ここに来るはずがない」
ほかの魔物はともかく「あの魔物」は、人の言葉を解しているらしい。
カサンドラを見て、なにか言っている。
(へ、陛下……あの魔物は……陛下の話を聞いても……)
通信機を通じ、小声で聞こえてきた声が途切れ、バンッという音がした。
「ティティっ!」
ティトーヴァが腰を浮かせる。
殴られたのか、床に倒れている「角」のある中間種。
ティティというのは、ティトーヴァの子供の頃の愛称だった。
だが、今は、案内役の中間種を、そう呼んでいる。
与えられた名は「エイティ」だと言っていたが、それは番号だ。
そのまま呼んでも差し支えはなかったのだが、響きが似ていたので、なんとなく「ティティ」と呼ぶようになっていた。
「なに? 中間種は人じゃないんでしょ? あんたが絶滅させたい種のひとつだと思うけど? 情でもわいた?」
カサンドラの声は、信じられないほど辛辣だ。
凍りつくような冷たさで、感情を切り捨てている。
冷酷、とも言える口調だった。
皇宮にいた頃とは、まるで違う。
彼女は、無関心さでティトーヴァを突き放してはいた。
軽くあしらわれていたのも知っている。
けれど、冷酷さを感じたことはない。
なにが、それほど彼女を変えたのか。
「カサンドラ……俺は停戦協定を破った覚えはない」
「大勢、死んだんだよ?」
「どういうことだ……お前が狙われたのでは……」
言いかけてやめる。
現実に、目の前にカサンドラがいた。
カサンドラは無事だったのだ。
「お前が狙われると思っていた……だが、違ったのだな」
「フィッツは、あんたが頭いいって言ってたけど、私は違うと思う。あんたは……自分の足元も見えてない馬鹿だ」
罵る声さえ冷たい。
それほど「大勢が死んだ」のだろう。
中には、カサンドラと親しくしていた魔物もいたかもしれない。
魔物たちは、彼女を守るようにして囲んでいる。
カサンドラが聖魔に操られていないのなら、ここにいるのは彼女の意思だ。
きっと魔物たちと共存している。
「首謀者は……アルフォンソ・ルティエだった」
「知ってる。あんたがやらせたわけ?」
「違う! 俺は……アルフォンソが、お前を狙っていると分かって、それを伝えに来たのだ。遅きに失したようだがな」
カサンドラたちは、アルフォンソの存在を知らないと思っていた。
顔も姿も、帝国騎士団の隊長を務めていることも、その人格もだ。
使者を通じて話すのは危険に過ぎた。
秘匿回線も信用ならなくなっていたからだ。
使者が途中で殺されることも有り得た。
それに、もっと重要な話がある。
これだけは、カサンドラと、直接、話さなければならなかった。
セウテルにも、実際のところは話していない。
自分でも信じられないような内容だ。
「ベンジー……ベンジャミン・サレスは……ベンジーではない」
初めて、カサンドラの表情が変わる。
おそらく、なにを言っているのか、わからないのだろう。
「少なくとも、俺の知る……俺の友であったベンジーではないのだ」
半年前、ベンジャミンが目を覚ました時には思いもしなかった。
素直に、友が目覚めたと喜んでいる。
だが、次第に違和感をいだき始めたのだ。
「我ながら、おかしなことを言っていると思っている。ただ……アルフォンソが、あの銃撃に関与していたことは突き止めた。だとしたら、理由はなんだ? なにがアルフォンソに、そうさせたのか。兄の復讐としか考えられん。しかし、ベンジーなら、それに気づかないはずはない。気づけば、許すはずがない」
「だから、ベンジーじゃないって?」
ティトーヴァは、首を横に振った。
信じられないことであっても、確信している。
今のベンジャミン・サレスは幼い頃からともに過ごしてきたベンジーではない。
「まず、言葉遣いだ。ベンジーは律儀な男でな。俺が皇太子になってからは、臣下としての態度を崩さずにいた。絶対に、わかりました、などとは言わんのだ」
言葉遣いや、言葉の選びかたには「癖」が出る。
側近になって以来、ベンジャミンは「かしこまりました」と言葉を改めていた。
もちろん、それだけではない。
目覚めてからのベンジャミンも、ティトーヴァへと寄り添うようなことを言いはするが、なぜか「心」が感じられなかった。
「確信したのは、5日前だ。お前に危害を加えられる前に、アルフォンソを捕縛するよう、セウテルに命じた。その前に、ベンジーに会いに行った。最後の頼みの綱……といったところだ。確信したくなかったからな。それで俺は……嘘をついたのだ、ベンジーに。だが……」
「ベンジーは見破れなかったんだね」
「そうだ。その上……寝たきりであったはずのベンジーが、知っているはずのないことを口にした」
『防御障壁を抜けて魔物の国に行ったのは、カサンドラ王女様のご意思ではないのですから』
それはロキティスが言った台詞であり、当時、すでにベンジャミンは寝たきりになっていた。
ティトーヴァは、カサンドラが魔物の国にいることは話していたが、ロキティスがなにを言ったかまでは、話していない。
「カサンドラ……あの日、ベンジーに、なにがあったのだ?」
それを、どうしてもカサンドラに訊かねばならなかった。
そのために、ティトーヴァは護衛もつけず、ここまで来たのだ。
あの日に起きたこと、その「事実」は、彼女しか、知らない。
10
お気に入りに追加
347
あなたにおすすめの小説

神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました
土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。
神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。
追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。
居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。
小説家になろうでも公開しています。
2025年1月18日、内容を一部修正しました。
【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?
雨宮羽那
恋愛
元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。
◇◇◇◇
名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。
自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。
運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!
なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!?
◇◇◇◇
お気に入り登録、エールありがとうございます♡
※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。
※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))
【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。
それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。
自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。
隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。
それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。
私のことは私で何とかします。
ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。
魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。
もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ?
これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。
表紙はPhoto AC様よりお借りしております。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。
たまこ
恋愛
公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。
ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。
※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

とある令嬢が男装し第二王子がいる全寮制魔法学院へ転入する
春夏秋冬/光逆榮
恋愛
クリバンス王国内のフォークロス領主の娘アリス・フォークロスは、母親からとある理由で憧れである月の魔女が通っていた王都メルト魔法学院の転入を言い渡される。
しかし、その転入時には名前を偽り、さらには男装することが条件であった。
その理由は同じ学院に通う、第二王子ルーク・クリバンスの鼻を折り、将来王国を担う王としての自覚を持たせるためだった。
だがルーク王子の鼻を折る前に、無駄にイケメン揃いな個性的な寮生やクラスメイト達に囲まれた学院生活を送るはめになり、ハプニングの連続で正体がバレていないかドキドキの日々を過ごす。
そして目的であるルーク王子には、目向きもなれない最大のピンチが待っていた。
さて、アリスの運命はどうなるのか。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
私の推しメンは噛ませ犬◆こっち向いてよヒロイン様!◆
ナユタ
恋愛
十歳の誕生日のプレゼントでショッキングな前世を知り、
パニックを起こして寝込んだ田舎貴族の娘ルシア・リンクス。
一度は今世の幸せを享受しようと割りきったものの、前世の記憶が甦ったことである心残りが発生する。
それはここがドハマりした乙女ゲームの世界であり、
究極不人気、どのルートでも死にエンド不可避だった、
自身の狂おしい推し(悪役噛ませ犬)が実在するという事実だった。
ヒロインに愛されないと彼は死ぬ。タイムリミットは学園生活の三年間!?
これはゲームに全く噛まないはずのモブ令嬢が推しメンを幸せにする為の奮闘記。
★のマークのお話は推しメン視点でお送りします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる