いつかの空を見る日まで

たつみ

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最終章 彼女の会話はとめどない

会談の階段 2

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 準備は整っている。
 フィッツは、昨晩と同じく、ザイードとともに、建屋にいた。
 
 交渉の場所が映像に映し出されている。
 魔物側からは、各種族ごとの代理が「イス」に座っていた。
 帝国側が床に座るのを嫌がり、イスを用意したのだ。
 
(みなさんはなにを言われても立ち上がらないように、気をつけてください。敵対行動と見做みなされる可能性があります)
 
 通信機の音を内側に向け、魔物たちに話しかける。
 
 おさたちの存在は明らかにする気はない。
 そのため「代理」を立てているのだが、帝国側には黙っておくことにした。
 伝えるかどうかは、帝国側が、どの程度、魔物の国を知っているかによる。
 長がいると知らないのであれば、あえて話す必要はない。
 
「時間になっておるのではないのか?」
「人間は、そういうものなのです。相手を待たせることで、自分たちが優位な立場だと誇示したがるのですよ」
「つまらぬことをするのだな」
 
 交渉の場になっているテントに、皇帝は姿を現わしていなかった。
 中央にある簡易のテーブル近くで、セウテルと3人の白服が立っているだけだ。
 陣には近衛騎士もいたようだが、直接の護衛につくのは、やはり親衛隊らしい。
 
「ですが、多少の効果はあります。こちらが待っているのを見れば交渉を蹴る気がない、という判断ができますからね」
「なおさら、つまらぬ真似とは思わぬか? 停戦を持ち掛けて来ておいて、万一、我らが席を立ったら、いかがするのだ」
「そのギリギリを見極めているのでしょう」
 
 こちらの「停戦」の意思が、どの程度か。
 それを判断するのが目的だ。
 早々に席を立ったとなれば、交渉の余地は少ないとされる。
 あまりに不利な条件を出されたら、向こうも交渉を諦めるつもりだろう。
 
 どこを線引きとするか。
 
 互いに、そこが課題となる。
 だが、魔物側が有利なことは間違いがない。
 ティトーヴァ・ヴァルキアも、そこは見定めているはずだ。
 そのうえで、譲歩を引き出そうとしてくる。
 
(どなたかに、テーブルを叩いてもらってください)
 
 席についているもののうち、ガリダの1頭と、フィッツは繋がっていた。
 映像も音も、鮮明だ。
 
 そして、通信機からは、向こうの音が聞こえるだけではなく、フィッツの声も内側と外側の両方にとどくようになっている。
 当然だが、声質を変える仕掛けがしてあった。
 
 カサンドラも言っていたが、フィッツが全面に出れば、交渉前にテーブルが引っ繰り返されかねない。
 そうなると、交渉は決裂。
 魔物側の優位性が落ちる。
 
 再び、人の国を攻めることはできても、奇襲にはならない。
 待ち構えられていれば、こちらに犠牲が出るかもしれないのだ。
 今回の停戦は、長期戦になり、互いに疲弊するのをけるためのものだった。
 けして、人間側が魔物に屈したわけではない。
 
 どんっ。
 
 コルコのものが、テーブルを叩く。
 セウテルは微動だにしなかったが、親衛隊の3人は不快げに顔をしかめた。
 
 魔物たちには、あえて変化へんげしないように言ってある。
 人間たちは、中間種のことも人とは捉えていないのだ。
 外見を人に似せることで、むしろ侮られる。
 
「セウテルが、皇帝に連絡していますね」
 
 わずかだが口元が動いているのが見えた。
 皇帝専用の秘匿回線で話しているに違いない。
 となると、そろそろティトーヴァ・ヴァルキアが現れる。
 
「私は、本来、こういうことはしないのですが、ひとつ賭けをしますか?」
「賭け? どういう賭けだ?」
「皇帝が現れて、最初に言うことがなにか、です」
「お前、それが賭けになると思うておるのか?」
 
 ザイードが呆れたように言った。
 フィッツは、無表情で、肩を軽くすくめてみせる。
 
「なりませんか?」
「なるわけがない。あのいとわしき男なれば、キャスのことを問うに決まっておる」
「あとからお聞きになった時、姫様は嫌な顔をされるでしょうね」
「そうだの。キャスは、皇帝を嫌うておるゆえ」
 
 皇宮にいた時期、カサンドラはティトーヴァに想いを寄せていたことがあった。
 女王陛下が亡くなったあと、その気持ちが消えたのだ。
 
 まったくの無関心になった。
 その後、ティトーヴァがカサンドラに執着するようになったが、彼女は無関心を貫き、今となっては嫌っている。
 
(姫様は、自分は姫様ではない、と仰っておられたな)
 
 確かに、別人とも言えるほど、人格に違いがあった。
 だとしても、フィッツにとって姫様は姫様で有り続けている。
 ただ、なんとなく、そのことが今、気になった。
 
「現れおった」
 
 ザイードの声に、意識を戻す。
 
 カサンドラに「最善を尽くす」と約束をしたのだ。
 ラーザの民を後回しにすることに対し、カサンドラが負い目を感じないくらいの「成果」を出さなければならない。
 ぼうっとしている暇はなかった。
 
「こちらが我が帝国の皇帝陛下である」
 
 セウテルが言い、親衛隊の1人がイスを引く。
 腰をおろしてから、ティトーヴァが視線を動かした。
 
「ティトーヴァ・ヴァルキアだ」
「貴様ら、挨拶を……っ……」
「かまわん」
 
 手を軽く上げ、憤るセウテルを制する。
 皇太子だった頃より、少しは「威厳」が身についているようだ。
 カサンドラと皇宮を出てから、1年以上が経つ。
 その間に、帝国にも変動があったのだろう。
 
 セウテルの動きといい、親衛隊の表情といい、ティトーヴァへの真の忠誠心が見てとれる。
 
 キリヴァン・ヴァルキアが崩御した、というだけが理由とは思えなかった。
 前皇帝にうとまれていたティトーヴァへの眼差しと比較すると「劇的」とも言える変わりようだ。
 
「挨拶は抜きだ。まずは、そちらの国にいる人間について訊こう。使者との通信において、お前たちの国に、フィッツという者と女がいると言っていた。その女は、今どこにいる」
 
 ザイードが、ふんっと鼻を鳴らす。
 腕組みをして、瞳孔を狭めていた。
 ちらちらと、尾も小さく左右に揺れている。
 明らかに不機嫌だ。
 
「今日は停戦の交渉をしに来ただけだ。女の話をするためではない」
「お前たちの交渉が有利になるかもしれないぞ。その女は、俺にとって大事な女なのだ。お前たちが、同じ種族のものを大事に思うのと同じにな」
 
 ティトーヴァの金色の髪が、肩の辺りで小さく揺れる。
 テントの隙間から風が吹き込んでいた。
 
 銀色の目が、まっすぐに魔物たちを見ている。
 まるで魔物の目を通して、自分を見ているように、フィッツには感じられた。
 
 あまり情報を出し惜しむと、交渉しているのが自分だと悟られるかもしれない。
 上手くやらなければ、本題に入れそうにもないと判断を切り替える。
 なにも、すべてを語ることはないのだ。
 事実を話す必要もない。
 
「あの女は、魔物の国で暮らしてはいるが、我らとは別のところにいる」
「それはどこだ?」
「知らん。フィッツが世話をしていると聞いているだけだ」
「では、フィッツはどこにいる」
「それは教えられん。あの男は我らの役に立つ。お前たちに引き渡すつもりはない。我らの不利になると、お前たちにもわかっているはずだ」
 
 ティトーヴァが、少し考えるそぶりを見せた。
 まぁ、振りだろうが、と思う。
 
「奴は、この交渉に関わっているのだろ?」
「我らには、お前たちの考えがわからん。不当な扱いをされても、気づかないかもしれないからな。それを避けるために、フィッツに意見を求めるのは当然だろう」
「なるほどな。まぁ、わかった。こちらも、それを踏まえて交渉するだけだ」
 
 ようやく交渉が始まるのを感じた。
 ここからは、少しも気が抜けない。
 頭を回転させ過ぎてもいけないし、即答も駄目だ。
 魔物らしく振る舞いつつも、ある程度は知識をひけらかす。
 
 侮られてもいいが、見くびられ過ぎないように。
 
 調整しながら話すのが重要だった。
 最終的には、ティトーヴァ・ヴァルキアを抑えつけるつもりだが、最初から切り札を出しては、条件を吊り上げることができなくなる。
 帝国側の条件を訊くのが、先だ。
 
(みなさん、ここからは、どんなことがあっても、けして動揺しないでください。落ち着いて対処すれば、乗り越えられます)
 
 通信機の音を内側にだけ切り替え、先に魔物たちに声をかけておく。
 交渉についての流れは、おおまかに話していた。
 それでも、実際に事が動けば、感情が揺れるはずだ。
 
「停戦を言い出したのは、そっちだ。具体的な条件を話せ」
「セウテル」
 
 皇帝の呼びかけに、セウテルが騎士のほうに手を出す。
 その手に書類が渡された。
 
 セウテルは書類を皇帝の前に置く。
 テーブルに置かれたそれを見もせず、皇帝が、ぴんっと指で弾いた。
 何枚かの書類がテーブルの上を滑り、魔物たちのほうに向く。
 
 写真だ。
 
 フィッツは魔物の目を通じて、それを見ていた。
 魔物の子供たちが檻に入れられている。
 服も着ていない。
 ルーポで囮に使われた子も、そうだった。
 
(落ち着いてください。彼らを助けるためにも)
 
 魔物たちは、必死で耐えている。
 人間に飛び掛かりたいのをこらえているのだ。
 
(必ず……取り返しますよ)
 
 知らず、声が低くなっていた。
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