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最終章 彼女の会話はとめどない
既知の信頼 3
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自分は死んでいたのか、と思う。
皇宮の地下室以降の記憶がなかったのは、そのせいだった。
そして、カサンドラによって生かされたのだ。
(姫様は、礼はいらないと言うが……)
フィッツは、胸の奥が、あたたかくなるのを感じる。
安心してもいた。
とても落ち着いた気分だ。
自分の死に対しての動揺はない。
(私は、置き去りにされたのではなかったのだな)
それが、嬉しかった。
魔物の国に来てから、心に引っ掛かり続けていたことだ。
そのうち話すと言ってもらえたので、理由があったのだと納得はしていた。
だが、その「理由」は、フィッツが考えていたものとは違っている。
自分は、カサンドラを守って死んだ。
ただ、それだけだった。
であれば、なにも問題はない。
置き去りにされたと聞かされるより、よほど心が安定する。
それに、カサンドラは、自分を生き返らせたのだ。
(姫様は、私を望んでくださったのか)
それも嬉しかった。
主にいらないと言われたら、そこでフィッツの存在意義は消える。
命を失うのに等しい。
逆に、必要だとされたのであれば、自分の命にも価値を見出せる。
「フィッツ?」
カサンドラが、じっとフィッツを見つめていた。
手を伸ばして、その頬にふれてみたくなる。
彼女は、とても暖かそうに見えた。
近頃、体温調節が上手くいっていないのか、時折、寒さを感じるのだ。
「ガリダが襲われるって話に、影響あるかな?」
注意深げに、小声で、ほそほそっといった感じに訊いてくるカサンドラを見て、フィッツは考えを改めた。
彼女は主であり、軽々しくふれていい相手ではない。
なぜふれてみたいなどと思ったのか、自分でもよくわからなかった。
「ひとつ、可能性が増えました」
「あいつが、ガリダを襲うって考えてないかもしれないってこと?」
「はい。ティトーヴァ・ヴァルキアが知らない場合についても考慮すべきですね」
「知らないとすると、セウテルが指揮を執ることも有り得なくなるんじゃない?」
「姫様は、ガリダが襲われる可能性は低いと考えておられますか?」
「どうかな。勝手に動く人がいるっていうのはあるからさ。それに、装置のことを知られてれば、私とは無関係に襲われるかもしれないでしょ?」
フィッツは、与えてもらった情報を加えて、想定をし直す。
結果は、あまり芳しくない。
さらに「最悪」が深まったからだ。
「ティトーヴァ・ヴァルキアが知らないとなると、かなり危険ですね」
「そうなの? 止められる人がいないから?」
「いえ……姫様の命の危険が高まった、という話です」
「私? 装置じゃなくて? でも、私がいないと動かせないんだよ?」
「動かす必要がないとしたら、どうなりますか?」
「え…………ちょっと、わからないな。それでも、私を殺す意味なさそう……」
最悪、というのは、組み合わせから弾かれる。
ひとつずつは別の問題であったとしても、繋がることで「最悪」に成り得るのだ。
ベンジャミン・サレスは、ティトーヴァ・ヴァルキアを守ろうとした。
ロキティス・アトゥリノは、カサンドラを殺したかった。
これは別々の事情による。
だが、組み合わさった結果、カサンドラをベンジャミンが狙うといった、最悪な事態が起きたのだ。
「装置について知らないということと姫様を殺したい者がいる。この組み合わせが最も最悪です。姫様を殺す目的を達成するため、ガリダは襲われるでしょう」
「ちなみに、その可能性って、どのくらい?」
「56%くらいですね」
「えっ? 意外と高っ!」
五分五分より可能性は高い。
が、6割には満たない、というところ。
「なんで、そんなに高いわけ? 元々、そのくらいだったの?」
「いえ、もっと低く見積もっていました。ティトーヴァ・ヴァルキアは、ザイードさんと私を脅威と見做しているはずですからね。簡単に、ガリダを落とせるとは、考えません。自らを囮にするくらいのことはするでしょうが、確実な手段がないとなれば、今回は諦めるだろうと思っていました」
「今回じゃなくても、停戦期間中に機会は作れるもんね」
「1年に1度は会合を持つことを条件付けとしておけばすむ話です」
最悪に備える必要はあるし、可能性を排除もできない。
なので、たとえ杞憂に終わるとしても、ガリダが襲われる想定で動いてきた。
ザイードにも言ったことだが、楽観視するのは危険だと判断していたからだ。
ティトーヴァは頭のいい男ではあるが、カサンドラへの執着心が強過ぎる。
それを心配していた。
けれど、ここにきて、想定の基盤が変わっている。
ティトーヴァが知らないことを考慮すると、違う状況が見えてきたのだ。
装置のことをティトーヴァは知らない。
カサンドラがそれを動かせることも、当然、知らない。
加えて、カサンドラの所在も知らない。
(その状況であれば、ティトーヴァ・ヴァルキアが、ガリダを襲うことはない)
その場合、カサンドラへの執着心よりも、停戦交渉を有利に進めるほうに、ティトーヴァの意識は傾くはずだ。
カサンドラが言うように、彼女を取り戻す機会はいずれ訪れると考える。
むしろ、確実な策もないまま強硬すれば、その機会を潰すことになりかねない。
頭のいい男なだけに、理屈の通らない「馬鹿な真似」はしないだろう。
「……ベンジャミン・サレスか。なるほど……」
「なに?」
「確か、彼には弟がいたはずなのですよ」
「弟? あいつもベンジーも、そんな話してなかったよね?」
「兄弟仲が良かったかは不明です。サレスが認知しなかったらしいので」
フィッツは、眉をひそめる。
今一度、考え直す必要があると判断した。
いったん、今までの策は停止して、練り直したほうが良さそうだ。
ガリダの民から、カサンドラに対しての守備固めに方向転換をする。
ザイードにも相談しなければならない。
「……ごめん、フィッツ……私がもっと早く話してれば……」
「問題ありません。最悪の可能性など、私がゼロにしますよ」
カサンドラが口を開きかけて、閉じる。
なにか言いたそうだったが、言葉はなかった。
代わりに、困ったような顔で、小さく笑う。
どうしてか、胸が、きゅっとなった。
「たくさん話したからかな。なんか疲れた。もう寝るね」
カサンドラが、スッと立ち上がる。
フィッツも立ち上がった。
視線が交わって、すぐに外れる。
彼女が体を返し、歩き出したからだ。
「おやすみ、フィッツ」
「ごゆっくり、お休みください」
彼女に、なにか言いたいことがあった気がする。
けれど、なにが言いたいのか思い浮かばない。
黙って、その背中を見送る。
建屋から出る時も、彼女は振り向かなかった。
気配が消えてから、フィッツは床に座り込む。
1人きりなので、足を崩していた。
右の膝を立て、その上に腕を乗せている。
視線は、まだ戸口に向いていて、彼女を探していた。
なぜか彼女が戻って来てくれるのではないか、と思ったのだ。
本人に自覚はないが、フィッツは、待っていた。
無意識に、彼女に戻ってほしいと願っている。
けれど、そうした想いは、ティニカにはないものだ。
なので、フィッツは、気づかない。
気づかないまま、じっとしている。
カサンドラの部屋に設置した装置が、勝手に情報を送ってきた。
いったん室内に現れた熱源は、動かずにいる。
しばしの間のあと、室内から出て行くのがわかった。
一瞬の期待と、すぐに訪れた落胆。
それも、フィッツの中では、無意識下で処理される。
当然の判断をくだしたのだ。
(ザイードさんの部屋に行ったのだろう)
フィッツは、ザイードを信頼している。
なにも問題はない。
カサンドラがザイードに好意を寄せているのなら、口を出すことでもなかった。
(私は、私の使命を果たさなければな)
カサンドラは「そのうち」を切り上げて話してくれたのだ。
それは、自分に対する信頼の証。
主からの信頼に応えなければならない。
そのためにこその「ティニカ」なのだ。
カサンドラに聞いた話により、新たな想定が、いくつも生じている。
最悪は、より最悪になっていた。
だが、そんな「最悪」は排除すればいい。
結果、最善を掴み取れる。
フィッツは、情報を整理し始めた。
いつも通りの「作業」だ。
先々までを見越した多くの選択肢。
そこから、どう動けば「最悪」を退け、「最善」となるかを考える。
いつも通り、だった。
けれど、不意に彼女の小さく笑った顔が思い浮かぶ。
なにか言いたそうだったが、出て来たのは「おやすみ」との言葉。
それ以上であるはずがないのに、別のなにかがあったように思えた。
フィッツは、自分がまだ戸口に視線を向けていることに、気づく。
軽く頭を振って、立ち上がった。
家に戻ることにする。
建屋を出ながら、つぶやいた。
「ここは……寒いな」
皇宮の地下室以降の記憶がなかったのは、そのせいだった。
そして、カサンドラによって生かされたのだ。
(姫様は、礼はいらないと言うが……)
フィッツは、胸の奥が、あたたかくなるのを感じる。
安心してもいた。
とても落ち着いた気分だ。
自分の死に対しての動揺はない。
(私は、置き去りにされたのではなかったのだな)
それが、嬉しかった。
魔物の国に来てから、心に引っ掛かり続けていたことだ。
そのうち話すと言ってもらえたので、理由があったのだと納得はしていた。
だが、その「理由」は、フィッツが考えていたものとは違っている。
自分は、カサンドラを守って死んだ。
ただ、それだけだった。
であれば、なにも問題はない。
置き去りにされたと聞かされるより、よほど心が安定する。
それに、カサンドラは、自分を生き返らせたのだ。
(姫様は、私を望んでくださったのか)
それも嬉しかった。
主にいらないと言われたら、そこでフィッツの存在意義は消える。
命を失うのに等しい。
逆に、必要だとされたのであれば、自分の命にも価値を見出せる。
「フィッツ?」
カサンドラが、じっとフィッツを見つめていた。
手を伸ばして、その頬にふれてみたくなる。
彼女は、とても暖かそうに見えた。
近頃、体温調節が上手くいっていないのか、時折、寒さを感じるのだ。
「ガリダが襲われるって話に、影響あるかな?」
注意深げに、小声で、ほそほそっといった感じに訊いてくるカサンドラを見て、フィッツは考えを改めた。
彼女は主であり、軽々しくふれていい相手ではない。
なぜふれてみたいなどと思ったのか、自分でもよくわからなかった。
「ひとつ、可能性が増えました」
「あいつが、ガリダを襲うって考えてないかもしれないってこと?」
「はい。ティトーヴァ・ヴァルキアが知らない場合についても考慮すべきですね」
「知らないとすると、セウテルが指揮を執ることも有り得なくなるんじゃない?」
「姫様は、ガリダが襲われる可能性は低いと考えておられますか?」
「どうかな。勝手に動く人がいるっていうのはあるからさ。それに、装置のことを知られてれば、私とは無関係に襲われるかもしれないでしょ?」
フィッツは、与えてもらった情報を加えて、想定をし直す。
結果は、あまり芳しくない。
さらに「最悪」が深まったからだ。
「ティトーヴァ・ヴァルキアが知らないとなると、かなり危険ですね」
「そうなの? 止められる人がいないから?」
「いえ……姫様の命の危険が高まった、という話です」
「私? 装置じゃなくて? でも、私がいないと動かせないんだよ?」
「動かす必要がないとしたら、どうなりますか?」
「え…………ちょっと、わからないな。それでも、私を殺す意味なさそう……」
最悪、というのは、組み合わせから弾かれる。
ひとつずつは別の問題であったとしても、繋がることで「最悪」に成り得るのだ。
ベンジャミン・サレスは、ティトーヴァ・ヴァルキアを守ろうとした。
ロキティス・アトゥリノは、カサンドラを殺したかった。
これは別々の事情による。
だが、組み合わさった結果、カサンドラをベンジャミンが狙うといった、最悪な事態が起きたのだ。
「装置について知らないということと姫様を殺したい者がいる。この組み合わせが最も最悪です。姫様を殺す目的を達成するため、ガリダは襲われるでしょう」
「ちなみに、その可能性って、どのくらい?」
「56%くらいですね」
「えっ? 意外と高っ!」
五分五分より可能性は高い。
が、6割には満たない、というところ。
「なんで、そんなに高いわけ? 元々、そのくらいだったの?」
「いえ、もっと低く見積もっていました。ティトーヴァ・ヴァルキアは、ザイードさんと私を脅威と見做しているはずですからね。簡単に、ガリダを落とせるとは、考えません。自らを囮にするくらいのことはするでしょうが、確実な手段がないとなれば、今回は諦めるだろうと思っていました」
「今回じゃなくても、停戦期間中に機会は作れるもんね」
「1年に1度は会合を持つことを条件付けとしておけばすむ話です」
最悪に備える必要はあるし、可能性を排除もできない。
なので、たとえ杞憂に終わるとしても、ガリダが襲われる想定で動いてきた。
ザイードにも言ったことだが、楽観視するのは危険だと判断していたからだ。
ティトーヴァは頭のいい男ではあるが、カサンドラへの執着心が強過ぎる。
それを心配していた。
けれど、ここにきて、想定の基盤が変わっている。
ティトーヴァが知らないことを考慮すると、違う状況が見えてきたのだ。
装置のことをティトーヴァは知らない。
カサンドラがそれを動かせることも、当然、知らない。
加えて、カサンドラの所在も知らない。
(その状況であれば、ティトーヴァ・ヴァルキアが、ガリダを襲うことはない)
その場合、カサンドラへの執着心よりも、停戦交渉を有利に進めるほうに、ティトーヴァの意識は傾くはずだ。
カサンドラが言うように、彼女を取り戻す機会はいずれ訪れると考える。
むしろ、確実な策もないまま強硬すれば、その機会を潰すことになりかねない。
頭のいい男なだけに、理屈の通らない「馬鹿な真似」はしないだろう。
「……ベンジャミン・サレスか。なるほど……」
「なに?」
「確か、彼には弟がいたはずなのですよ」
「弟? あいつもベンジーも、そんな話してなかったよね?」
「兄弟仲が良かったかは不明です。サレスが認知しなかったらしいので」
フィッツは、眉をひそめる。
今一度、考え直す必要があると判断した。
いったん、今までの策は停止して、練り直したほうが良さそうだ。
ガリダの民から、カサンドラに対しての守備固めに方向転換をする。
ザイードにも相談しなければならない。
「……ごめん、フィッツ……私がもっと早く話してれば……」
「問題ありません。最悪の可能性など、私がゼロにしますよ」
カサンドラが口を開きかけて、閉じる。
なにか言いたそうだったが、言葉はなかった。
代わりに、困ったような顔で、小さく笑う。
どうしてか、胸が、きゅっとなった。
「たくさん話したからかな。なんか疲れた。もう寝るね」
カサンドラが、スッと立ち上がる。
フィッツも立ち上がった。
視線が交わって、すぐに外れる。
彼女が体を返し、歩き出したからだ。
「おやすみ、フィッツ」
「ごゆっくり、お休みください」
彼女に、なにか言いたいことがあった気がする。
けれど、なにが言いたいのか思い浮かばない。
黙って、その背中を見送る。
建屋から出る時も、彼女は振り向かなかった。
気配が消えてから、フィッツは床に座り込む。
1人きりなので、足を崩していた。
右の膝を立て、その上に腕を乗せている。
視線は、まだ戸口に向いていて、彼女を探していた。
なぜか彼女が戻って来てくれるのではないか、と思ったのだ。
本人に自覚はないが、フィッツは、待っていた。
無意識に、彼女に戻ってほしいと願っている。
けれど、そうした想いは、ティニカにはないものだ。
なので、フィッツは、気づかない。
気づかないまま、じっとしている。
カサンドラの部屋に設置した装置が、勝手に情報を送ってきた。
いったん室内に現れた熱源は、動かずにいる。
しばしの間のあと、室内から出て行くのがわかった。
一瞬の期待と、すぐに訪れた落胆。
それも、フィッツの中では、無意識下で処理される。
当然の判断をくだしたのだ。
(ザイードさんの部屋に行ったのだろう)
フィッツは、ザイードを信頼している。
なにも問題はない。
カサンドラがザイードに好意を寄せているのなら、口を出すことでもなかった。
(私は、私の使命を果たさなければな)
カサンドラは「そのうち」を切り上げて話してくれたのだ。
それは、自分に対する信頼の証。
主からの信頼に応えなければならない。
そのためにこその「ティニカ」なのだ。
カサンドラに聞いた話により、新たな想定が、いくつも生じている。
最悪は、より最悪になっていた。
だが、そんな「最悪」は排除すればいい。
結果、最善を掴み取れる。
フィッツは、情報を整理し始めた。
いつも通りの「作業」だ。
先々までを見越した多くの選択肢。
そこから、どう動けば「最悪」を退け、「最善」となるかを考える。
いつも通り、だった。
けれど、不意に彼女の小さく笑った顔が思い浮かぶ。
なにか言いたそうだったが、出て来たのは「おやすみ」との言葉。
それ以上であるはずがないのに、別のなにかがあったように思えた。
フィッツは、自分がまだ戸口に視線を向けていることに、気づく。
軽く頭を振って、立ち上がった。
家に戻ることにする。
建屋を出ながら、つぶやいた。
「ここは……寒いな」
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