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最終章 彼女の会話はとめどない
先陣の眼前 1
しおりを挟む「どうした、シャノン?」
シャノンの耳が、ぴくぴくと、小さく動いている。
空気中の、目に見えない埃やなんかがふれた時と似たような反応だ。
ゼノクルの部屋は、相も変わらず手入れが行きとどいていない。
皇帝の信頼を得ても、リュドサイオでは、なにも変わっていなかった。
帝国貴族と同程度の「宮」に、しょぼくれた花しか咲いていない庭。
侍従も侍女も、ゼノクルをないがしろにしていても、へっちゃら。
護衛騎士でさえ「護衛」をする気がない。
なにしろ私室の前に立ちもしないのだから。
まともなのは、食事くらいだった。
さすがに、そこは手を抜き過ぎると、職務怠慢が露見する恐れがある。
皇宮を訪れたゼノクルが痩せ細っていたら、病でもなければ食事に問題があるとされるし、監査が入ることも有り得るのだ。
そのため、食事だけは「まとも」なものが出されている。
リュドサイオという、帝国直轄国序列2位の第1王子に対し、あるまじき行為ではあった。
さりとて、ゼノクルは、この環境が気に入っている。
たいして広くもない寝室に、シャノンと2人。
ゼノクルはベッドに寝転がり、その膝の上に、シャノンが座っていた。
その手には、小ぶりのオレンジが握られている。
ふんわりと甘い香りがする、ちょっとだけめずらしいオレンジだ。
ゼノクルたちより、使用人のほうが、ここぞとばかりに、ばくばく食べているのだろうが、それはともかく。
(帝都の別邸は最悪だったぜ。あいつは気遣ったつもりなんだろうがよ)
あいつ、というのは、ゼノクルの弟だ。
皇帝直属の親衛隊の隊長をしている。
リュドサイオで最も優秀だと評価され、前皇帝からも厚遇されていた。
本来、兄であれば有能な弟を妬むか、誇らしく思うかのどちらかだろう。
が、ゼノクルは違う。
気持ちが悪い。
ゼノクルの弟に対する評価は、おおむねそんなところだ。
最近、少し面白くなってきたが「気持ち悪い」を越えるものではない。
兄上、兄上と慕い、まとわりついてくるのが、本当に、心底、気持ち悪いのだ。
なので、謹慎という名目で、ここに引きこもっていられるのはありがたかった。
「そろそろ、お楽しみ?が、始まるかも、です」
「お、そうか」
ゼノクルは、上半身を起こす。
シャノンはオレンジを、かぷかぷと食べている。
その間も、耳はぴくぴく。
ゼノクルは動いているシャノンの耳を、指でつまむ。
「思ったより早かったじゃねぇか。危ねえ、危ねえ」
シャノンの魔力抑制の薬を作らせていた研究者たちを殺したのは、つい3日ほど前のことだ。
それまでもゼノクルは、何度か、彼らの前に姿を現し、直接、声をかけていた。
薬が出来たら、あとは研究でも開発でも好きにすればいいとの甘言に、彼らは、薬の製造に没頭したのだ。
ゼノクルは、ひと言も「費用は自分が出す」なんて言ってはいないのに。
けれど、ロキティスが捕まり、自らも危ういとわかっている中、ゼノクル本人が姿を現わせば、当然「味方」だと思う。
同じ船に乗っている「同志」だと認識さえしていたかもしれない。
人は、よくそういう勘違いをする。
魔人であるゼノクル、もといクヴァットは、勘違いさせるのが上手かった。
そして縋りついてくる彼らを、シャノンの耳にふれる埃ほどの意識もはらわず、皆殺しにしている。
シャノンの耳に埃がつくのは、割に気にしているのだ。
せっかく「まとも」にしたのだから、汚したくない。
そう思って、いつも丁寧に拭いていた。
同様に、シャノンを汚すのが嫌だったので、彼らを自分の手で殺している。
全身、血塗れなんてことになったら、洗うのが大変だからだ。
「どう、するん、ですか? はい、ご主人様……」
シャノンが差し出してきたオレンジを口に入れながら、つまんだシャノンの耳を、くにくにといじる。
ゼノクルは「最善」など考えない。
どうすれば面白くなるかを模索する。
「よし、帝都に行く」
「帝都……謹慎は……?」
「そんなもんは、どうにでもなる。元々、俺が言い出しただけだからよ」
「……気持ち悪い人が、います、よ?」
「そっちは、どうにもなんねぇな……ま、しかたねぇさ。遊ぶためには、我慢しなけりゃならねぇこともある」
シャノンの耳から手を離し、背中を軽く、ぽんっと叩く。
シャノンが、軽々とゼノクルの膝からベッドの下へと飛び降りた。
「帝都までは、一緒に行くぞ。そのあとは、別行動だ」
「ここには戻らないんです、ね」
「たぶんな」
シャノンが惜しそうに、オレンジを見ている。
3つほど手に取り、渡してやった。
「心配いらねぇよ。帝都で暮らすことになっても、オレンジくらい食わせてやる」
「ち、近くにいられ、ますか?」
「当たり前だ。お前は、俺の大事な玩具なんたぜ? どこにいようと傍に置く」
フード付きのコートの内側にあるポケットに、シャノンがオレンジを押し込む。
それから、ゼノクルに両手を差し出してきた。
移動の時の定番になっている。
シャノンを片腕で抱き上げた。
「あと、2時間くらい、かも」
「2時間か。ギリギリってとこだが、急げば間に合うだろ」
「あれを、使うんです、か? 開発中だった……」
「開発っていうか、復元な」
「ふくげん?」
「元々あったものに戻すってことさ」
寝室の窓を開け、シャノンを腕に、ひらりと飛び降りる。
本来いるはずの「護衛」は、護衛をしていない。
誰もいない裏庭を抜け、裏扉から外に出た。
そこにも「護衛」はいない、というより、誰もいない。
「やる気ねぇってのはいいことだぜ。あっちじゃ、やる気のある奴ばっかりで、暑苦しくてしかたなかったからな」
気持ちの悪い弟が、その筆頭だ。
うえっと舌を出しつつ、宮から少し離れた場所に置いてあったホバーレに乗る。
研究者たちは皆殺したが、施設はそのままにしてあった。
役に立ちそうなものもあったし、シャノンの薬の格納庫として必要だったのだ。
「ラポイックは、こいつと違って速ぇぞ。魔物の全力疾走には敵わねぇけどよ」
ホバーレの前身は、ラーザで作られたラポイックという乗り物だった。
速度は、約2倍になる。
それでも、帝都まで、およそ3時間はかかるだろう。
シャノン曰く「2時間くらい」で、魔物のご到着だ。
だが、それでもゼノクルは、間に合うと考えている。
「お前と同じ血を持つ奴らは、リュドサイオに向かってる。だろ?」
「向こうで、波長を覚えた、ので、たぶん」
人として育てられていても、シャノンは中間種であって、人ではない。
どんなに薄かろうと、魔物の血を引いている。
その血が、血を識別するのだ。
すべてというわけにはいかないが、少なくとも同種を嗅ぎ分けることはできる。
しかも、シャノンは「特別」だった。
ラフロにより、魔人クヴァットと繋がっている。
そのため、魔物の能力が底上げされていた。
魔物としての素の力なので魔力とは関係なく、薬で抑制していても問題はない。
そこがシャノンの「特別」な理由でもある。
「お前は、獣くさくねえ。魔物だってのによ。最高だぜ、俺の可愛いシャノン」
「ぜ、絶対に、け、獣くさく、なりません……!」
言葉に、ゼノクルは声をあげて笑った。
これから「お楽しみ」が始まるし、とてもいい気分だ。
一生分以上の薬は作らせたが、今後、薬がなくても大丈夫なようにしておくことも、考えている。
「そんじゃ、せっかく復元したラポイックを有効利用するとすっか。ロッシーは、使う機会がなくて残念だろうがな」
魔物の国に出征する際、開発が間に合っていれば結果は違ったものになっていたかもしれない。
ラポイックなら、鈍重なホバーレのように簡単に撃ち落されることなく、あそこまで追い込まれなかっただろうし、ミサイルも使わずにすんだはずだ。
「大量生産できなかったのが運の尽きってやつだ。たった1機じゃ役には立たねえ」
さりとて、ゼノクルとシャノンが移動するには役に立つ。
ホバーレから降りて、施設の扉を開けながら、シャノンに言った。
「まずは、お前の薬を袋一杯に詰めねぇとだな」
施設に入ってから、ポケットに手を入れた。
中に入れていた靴を取り出し、片方ずつシャノンに履かせる。
施設内の床は埃塗れなのだ。
素足で歩き回らせることはできない。
「これでよし、と」
きっちり両足に軽い革靴を履かせたシャノンを床におろす。
途端、すべきことを理解しているといった様子で、シャノンが駆け出した。
「死体は踏むなよ? 滑って転ぶかもしれねえ」
「気を、つけます」
シャノンは袋に薬を詰めるだろう。
獣くさくなるのを、シャノンも嫌がっている。
その様子を気にかけつつ、ゼノクルも歩き出した。
施設の奥に、ラポイックが置いてあるのだ。
見た目はホバーレに似ているが、軽量なのは明らかだった。
「動力は問題ねぇな。使いかたも、昔と大差ねぇか」
壁ができる前、クヴァットはラーザに行ったことがある。
ラーザの民に精神干渉は効かず、腹いせに精神攻撃をしかけたりしていた。
そのたび、ラポイックで追い回され、追いはらわれていたのたが、その最中に、ラポイックを奪って逃げたこともある。
「ご、ご主人様、こ、これで1年分は、あります」
「十分だ。足りなくなったら、また取りに来ればいいさ」
シャノンが、膨らんだ背負い袋を身につけていた。
そのシャノンを、ゼノクルは片手で抱き上げる。
「さあ、楽しくなるぜ? 一緒に遊ぼうじゃねぇか、なぁ、シャノン」
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