いつかの空を見る日まで

たつみ

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最終章 彼女の会話はとめどない

傷と怒りの狭間には 4

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 足を引っ張りたくない、と思う。
 フィッツが判断したのなら、間違いはない。
 思うほどには、信頼している。
 自分がよけいな口を挟むより、任せておいたほうがいいのだ。
 
 元のザイードの部屋は、建て増し後、キャスの部屋になり、置いていたものも、そのまま移動している。
 といっても、衣装棚と書き物机程度。
 
 キャスは机に地図を広げ、丸やバツの印を眺めていた。
 1人になりたいという気持ちを察してくれたのか、ノノマとミネリネは、すでに帰っている。
 
(だよね……フィッツがいたら、私は力を使えないし、使ったら使ったでファニを集めちゃうしさ。壁の中には入って来られないとしても、外までは来るよなぁ)
 
 そうなれば、フィッツの立てた作戦に支障をきたしかねない。
 いくら壁の中から外は見えないと言っても、相手が攻撃をしてこないとは言い切れないのだ。
 
 銃を乱射されれば、ファニに犠牲が出る。
 外からだって、中は見えないのだし。
 
(ん……? でも、私が初めて力を使ったあと、壁の外にファニはいなかった気がする。時間が経ってたから? 魔物の国まではとどかなかったから?)
 
 ミネリネは、キャスが力を使うと「粒子」が見えると言っていた。
 その粒子に、ファニたちは、本能的に惹かれる。
 本能なので抑制が効かないのだ。
 
 だが、アトゥリノの兵を壊し、壁を越えた時、キャスは1人だった。
 そのため、魔獣に襲われている。
 ファニたちがつめかけていたら、気づかないはずがない。
 
(壁は粒子を通さないのかも……)
 
 可能性はあるが、別の理由も考えられる。
 なので、次の戦では使えそうになかった。
 そんな一発勝負みたいな真似はできないからだ。
 万が一、読みが外れていたら、やはり足を引っ張るだけになる。
 
「姫様、お話があります」
 
 唐突な声かけに、びくっとした。
 どうしよう、と迷う。
 なにを言われても、腹を立ててしまいそうで、それが嫌なのだ。
 キャスは、様々な感情に覆われている。
 
(こういうのが、人間味があるってことなら、機械っぽくていいよ……)
 
 とはいえ、淡々とできていた頃の自分を思い出せない。
 事務的な会話しかせず、つきあいもそこそこだったためか、元の世界の「同僚」たちは、彼女を時々「ロボ」だと言っていた。
 何事も機械的に処理すると思われていたらしい。
 
 気分を落ち着かせようと深呼吸をする。
 落ち着いたかはともかく、短く返事をした。
 
「どうぞ」
「失礼します」
 
 スッと戸が開き、フィッツが入って来る。
 板敷の床に、背筋を伸ばして正座をした。
 魔物の国にイスはないため、みんな、床に直座りをする。
 たいてい男は胡坐、女は横座りをするのが一般的だ。
 
 だが、真面目な話をする時や緊張感がある時には、正座になる。
 元の世界と似て「居住まいを正す」的な発想があるのかもしれないと、キャスは思っていた。
 
 ただし、フィッツの場合は、改まって座り直しているのではない。
 どうやら、これが、ここでの正式な座りかただと思っているらしかった。
 
 座布団を出す間もない。
 フィッツが、頭を深々と下げる。
 
「姫様の意思を無視していたことを、お詫びします」
 
 真正面から謝られると、なんとも、ばつが悪かった。
 理不尽に怒ってしまったと、自覚している。
 フィッツの判断は、キャスの力不足によるものだ。
 
 なにもできないくせに、口だけは一人前。
 
 フィッツとザイードの判断は正しい。
 そう認めて、キャスもフィッツに頭を下げた。
 
「ごめん。私も言い過ぎた……フィッツは、私に絶対服従ってわけじゃないしさ。私の命に関わる可能性があるなら、しかたないよね」
「ですが、最善とは言えませんでした」
 
 言われて、え?と、頭を上げる。
 フィッツは無表情で、なにを考えているのかわからない。
 わかりたい、知りたいと思う気持ちを、ぐっとこらえた。
 そのキャスに、フィッツが淡々とした口調で言う。
 
「今回の戦、姫様をお連れすることはできません」
「わかってる」
「姫様には、こちらに残っていただきたいのです」
「そのほうが良さそうだって、私も思ってた」
 
 ついて行っても、足手まといになるだけだ。
 フィッツとザイードのフォローができるほどの力はない。
 よけいなことをして捕まりでもしたら最悪なことになる。
 それなら、魔物の国で大人しくしているのが正解だ。
 
「姫様にしていただかなければならないことがあるのですよ」
「私に?」
 
 できることがあるのならするけれども、なにも思い浮かばなかった。
 首をかしげているキャスに、フィッツが、こくりとうなずく。
 こういう仕草は、以前と変わらない。
 
「私とザイードさんは、帝都の開発施設を叩きに行きます。ほかの魔物たちには、軍の拠点を叩いてもらいますが、そちらは囮です。とは言っても、ある程度、破壊する必要はありますが」
「私は、そっちを支援する感じ?」
「そちらも、ですよ、姫様。ご負担になることはわかっていますが、姫様には2つの役目を担っていただきたいのです」
「気休めじゃない役目?」
 
 また、フィッツが、こくりとうなずいた。
 表情からも口調からも、感情は読み取れない。
 ティニカのフィッツは、わかりにくい人なのだ。
 だが、思ってもいないことを口にする人でもないと知っている。
 
「1つ目は、全体を見渡す目の役目ですね」
「それは、フィッツのほうが得意じゃん」
「施設中枢に入ると、使用できなくなる可能性があります。外との通信も途切れるかもしれません。全体を把握できる者がいなければ統率が乱れます」
「それって、私にも可能なの? 使ったことないし、使いかたも知らないよ?」
「姫様に施術することはできませんので、映像と音声用の装置を使いますが、その使いかたには慣れていただかなければなりませんね」
 
 きっぱりと言い切られ、キャスも背筋を伸ばした。
 機械にはうといが、覚えるしかない。
 なにしろ、フィッツの「眼」をあずかるのだ。
 責任は重大と言える。
 
「先ほどもお話した通り、施設中枢では目視に頼ることになるかもしれません。装置の数が少ないため、設置できる場所も限られています。開発施設内では、主に廊下に設置することになるでしょう」
「じゃあ、もうひとつの役目は、敵が近づいて来たら教えるってことだね」
「いいえ、違います」
「へ? 違うの?」
「中枢まで入り込むと、逃走経路は1つだけになります」
 
 廊下に設置した装置で敵の接近をフィッツに教える。
 そういう役目だと思ったのだが、あっさり違うと言われた。
 確かに、逃走経路が1つとなると、敵が来たと教えることに、たいして意味はない。
 
 敵が来ていたって、そこしか逃げ道はないのだから。
 
 紫紅の瞳で、キャスはフィッツを見つめる。
 薄金色の瞳が、ほんの微かに揺らめいた気がした。
 
 穏やかに見えた、という感じだ。
 が、その感覚は、たちまち消える。
 もういつもの「ティニカのフィッツ」だった。
 
「私たちの命を助ける役目です」
「助ける? どうや…………」
 
 言葉が途切れる。
 キャスは、瞬時に理解していた。
 
 なにを考えているのかわからないはずの、フィッツの考え。
 そして、自分に要求されている行動。
 
 それらを悟ったのだ。
 できないし、したくない、と言えるものなら言いたかった。
 けれど、キャスは、フィッツを信じている。
 フィッツが「最善」とするのなら、それは「最善」なのだ。
 
「姫様でなければできないことなのです」
 
 喉が、こくりと上下する。
 自分でなければできないことだとわかっているからこそ、怖い。
 とはいえ、怖いなどとは言っていられなかった。
 
 なんの力もない自分にできることを、フィッツはあえて見つけてくれたのだ。
 その想いに応えたい。
 
「本当に、できるんだね?」
「99.98%可能です」
「タイミングとかは、どうするの? 中は見えないんじゃない?」
「わかると思いますよ」
 
 まばたき数回。
 なにを根拠に「わかる」と言っているのか。
 フィッツの確信を持った言いかたに呆れてしまう。
 
 ふ…と、不思議なくらい、肩から力が抜けた。
 
「姫様、私が姫様の足手まといになることはあっても、その逆は有り得ません。それを、私は誰よりも知っています」
 
 フィッツは、少々、頭のイカレた男なのだ。
 皇宮を逃げると決めた時のことを思い出す。
 
 『置き去りにしないでください』
 
 そう言って、フィッツは、ほろほろと涙をこぼした。
 戦車試合の前のことなので、それはフィッツも覚えているに違いない。
 
「置き去りに……しないって、言ったじゃん……」
「そうですね」
 
 けれど、フィッツには、そこから先の記憶がないのだ。
 もしかすると「置き去りにされた」と思っているのではないだろうか。
 胸が、きゅっと苦しくなる。
 両手を伸ばし、キャスはフィッツの体を抱きしめた。
 
 これも、自分にしかできないこと、だ。
 フィッツに、そう言われた。
 
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
 
 今のフィッツは、抱きしめ返してはくれない。
 それでも、体からぬくもりが伝わってくる。
 
「最善を考えてくれて……ありがと」
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