いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

欠落の心はいかばかり 4

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 どこからか、小さな「音」が聞こえてくる。
 けれど、キャスは耳を傾けない。
 音が気になりさえしないのだ。
 
 なにも考えていなかった。
 
 考えられないとか、考えたくないとかではない。
 体に不調があるわけでもなく、脳に損傷もない。
 キャスが「壊した」アトゥリノの兵とは違う。
 彼女は、そういう意味では、壊れてはいないのだ。
 
 なのに、壊れている。
 
 思考が停止していた。
 動かそうとする「意思」がない。
 とめどなく降ってくる記憶や思い出の欠片の中で、うずくまっている。
 その中でさえ、キャスは空を見上げていた。
 
 なにもない空だ。
 
 いや、多くの星が光っている空ではある。
 ただ、キャスにとっては「なにもない」空だった。
 光またた数多あまたの星々。
 そこに、キャスの見ていた星はない。
 
 薄金色という、星としては目立たない色をしていたが、彼女の目には、どんな星よりも輝いて見えていた。
 今、視線の先に、見慣れた輝きはない。
 その星がなければ「なにもない」のと同じ。
 
 キャスは、思考をしていなかった。
 なにも考えていないのだ。
 しかし、かつて思っていたことがある。
 この世界に来る前の世界で、よく思っていた。
 
 自分の部屋で、つけっ放しにしていたテレビ。
 たいして興味もなかったので、チャンネルはあちこち。
 
 真剣に見ておらず、垂れ流していただけだ。
 それでも、時々は、視線や聴覚が映像を捉え、音を拾っていた。
 ほとんどは、ストーリーのある内容だ。
 
 そして、彼女は、何度も思っている。
 
 なぜ「足手まとい」だと気づかないのだろう。
 どうして「勝手なこと」をして周りに迷惑をかけるのだろう。
 そんなことをすれば、そうなるに決まっているではないか。
 自分1人でなんとかできるとでも思っているのか。
 
 物事を片付ける力もないくせに、余計な真似ばかりして、足を引っ張る。
 そのくせ、誰かに助けてもらって、それが当然みたいな顔をする。
 いかにも反省しているらしきことを言いはするが、「足手まとい」な存在であることに変わりはないのに、のうのうと生き残っている。
 
 代わりに「誰か」が傷つき、死んでしまうこともあるのに。
 
 思うと、苛々してチャンネルを変えていた。
 彼女には、わからなかったからだ。
 
 その「足手まとい」が、「みんなのため」だとか「好きな人を守りたい」だとか言って、自分勝手に動く理由が。
 周りが、その「足手まとい」を守ろうとして、傷ついたり死んだりする理由が。
 
 まったく、わからなかった。
 
 馬鹿馬鹿しい、の、ひと言に尽きる。
 感想文には「くだらない」としか書けそうになかった。
 
 そもそも、彼女は、人という生き物を好ましく思っていなかったのだ。
 なにかがあったわけではない。
 学校で虐められたとか、親に虐待されたとか。
 人を好ましからざる生き物だと認識するような出来事は、いっさいなかった。
 
 けれど、好きではないことだけは、自覚していた。
 
 それは、自分も含めてだ。
 彼女は、自分自身を「好きだ」と思ったことが、1度もない。
 好ましからざる生き物の1人に過ぎなかった。
 生きるも死ぬも、どうでもよかった。
 
 だから、人に合わせようという努力はやめたのだ。
 だが、適当に「つきあい」はしていた。
 どちらも面倒だったからだ。
 
 学校でも、会社でも、どこでも。
 
 彼女のスタンスは変わらず、人と深く関わることをけ、1人で居続けている。
 自分が「異質」なのかもしれないと気づいてから、ずっと。
 
 結果、誰かが誰かのために、なにかをしようとする気持ちがわからなかった。
 どうせ「足手まとい」になるだけなのに、としか思わずにいた。
 なにもしないほうがマシだったと、皮肉じみたことしか考えずにいた。
 
 まさか、自分が、その「足手まとい」になるなんて思いもせず。
 
 この世界に放り込まれて初めて知った。
 誰かのために、なにかをしたくなる気持ち。
 動かずにはいられなくて、自分にもなにかできるのではないかと思う心理。
 
 なにより、渦中にいる時は、行動の是非を自らに問えなくなること。
 
 どうせ「足手まとい」になるだけだとしても。
 なにもしないほうが「マシ」だったかもしれなくても。
 
 気づけないのだ、大きな渦の中では。
 
 外から見ていただけではわからない、感情の積み重ねが、そこにはある。
 だから、馬鹿馬鹿しくも、くだらない行動すら取ってしまうのだ。
 
 誰しもが、行き止まりだと知っていて、その道を歩いているのではない。
 先がわからなくても、その時、その瞬間だけは「正しい」と思って進んでいる。
 
「……っ……キ……っ……ャス!」
 
 小さな音が聞こえてくる。
 耳にはとどいているが、思考は止まったままだ。
 体に圧迫はあっても、ぬくもりも感じない。
 
「……ろうぞ……家に……のだ……」
 
 キャスの瞳には、なにも映っていなかった。
 体が抱き上げられても、浮遊感もない。
 腕は、たらりと垂れ、支えられていなければ、頭もがくんと後ろに倒れる。
 
 が、不意に、なにか「暖かい」ものが頭にふれた。
 暖かい、ということを、ぼんやりと不思議に感じる。
 
「生きてさえおればよい……そなたは、なにもせずともよいのだ……」
 
 言葉として伝わってはいない。
 キャスの耳が、小さな音として拾っているだけだった。
 
「そなたがガリダに来た時と同じ……余が世話をいたす。なに、余は独り身ゆえどうということはない。水を飲み、少しは食事もせねばな」
 
 なにも考えていないキャスに、音は響き続けている。
 体の機能として、聴覚は働いていた。
 けれど、心地良さも、不快さもなく、音は音でしかない。
 
「そなたを独りにはせぬ。余がそばにおる」
 
 ひとり。
 
 その言葉が、ぽつん…と、心に落ちてくる。
 ほんのわずか、心が反応していた。
 
 自分は1人だったのだ。
 ずっと1人だったし、それでよかった。
 1人を寂しいと感じたこともなければ、嫌だと思ったこともない。
 ずっとずっと1人だったはずだ。
 
「余は、そなたが愛しいのだ、キャス」
 
 ガサガサと周りからも音がしている。
 微かな風が、肌を撫でる感覚がした。
 
 思考しているのではなく、体が反応しているのだ。
 心は動かなくても、生きている限り、体は与えられている役割を忘れない。
 
「そなたの心に誰がおってもかまわぬ。余の想いに応えずともよい。生きて……傍におってくれれば、それでよいのだ。ゆえに、死んではならぬ。つらかろうが、死んではならぬ……余の勝手ではあるがな……」
 
 小さな音が聞こえなくなる。
 ガサガサという音だけになっていた。
 
「おっと! そいつぁ、王女様か。まだ、ここにいたとはな」
 
 心臓が、勝手に鼓動を速める。
 意識はあっても、今のキャスには「意思」がない。
 なのに、全身が震え始めた。
 
「あれ? もしかして、壊れちまったか?」
「お前が、キャスをこのようにしたのだな」
「そう言われてもよ。こっちにも、こっちの事情ってのがあったもんでね」
「さようか。だが、余にも余のことわりがある」
「待て待て。俺は、そこのリニメアに乗って帰りてぇだけなんだ。放っておいてくれりゃ、こっちも知らん顔してやる。それでいいじゃねぇか」
 
 聞きたくない「音」だ。
 ただの感覚でしかない聴覚も、その「音」を拒絶している。
 止まっていた思考が動き出しかけていた。
 強烈な拒否反応に、否応なく「考えさせ」られそうになっている。
 
「できぬ」
「その小娘は壊れてんだぜ? 足手まといにしかなりゃしねえ」
「できぬと言うておる」
「融通の利かねえ魔物だな」
 
 こわばった体が、じわりと感触を伝えて来た。
 さっきとは違い、地面に座り込んでいるのを感じる。
 目に、なにかが映っていた。
 
 濃い緑の鱗。
 
「今のお前じゃ、勝てねぇぜ?」
「負けはせぬさ」
 
 浴衣のような着物の裾が、風にはためいている。
 キャスは、そのことに「気づいた」のだ。
 そして、ザイードの「言葉」が聞こえてきた。
 
「お前は魔人であろう。魔力の色が真っ黒ではないか」
 
 魔人。
 
 キャスは、バラバラになった意識の欠片をかき集め、ようやく顔を上げる。
 ザイードと、ゼノクル・リュドサイオが対峙していた。
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